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キスからの距離 (26)
しおりを挟む内海が会社で自分との暮らしのことをどう語っていたのか、同居人がいるということを話していたのかも分からなかったけれど、取り繕っている場合じゃないと腹を括った。
実家にも、共通の友人にも、未だに内海が時折ボランティアに訪れている養護施設にも、可能性がある場所には全て連絡を入れた。けれど誰に聞いても、教えられる内海の携帯の番号は、橘川の電話帳にも登録してある既に繋がらない番号だった。
橘川にはもう、内海の行く先を探す手段は残っていなかったのだ。
社長がわざわざ足を運んで来たことを思えば、話は内海のことであろうと想像は付く。カップをテーブルの上に戻した橘川の問い掛けに、俯き加減でいた社長が眉を寄せながら顔を起こした。
「……こちらへは、帰っていないんですね」
「ええ、数日前から……心辺りは全て当たったんですが」
確認するように橘川の顔を見つめた社長は、小脇に抱えて来た鞄の中から、一通の白い封筒をテーブルの上へと滑らせた。
「っ、これ……内海からの?」
迷いながらも出された封筒を取り上げ、中を確認する。
見慣れた字は、確かに内海のものだった。
「貴方は、その……内海君と、親しい関係の方と考えて、宜しいだろうか」
「ぇ――あ、はい」
退職願と共に添えられていた手紙には、書類関係を送る際には実家へお願いしたいと書き記してあった。
その文面に呆然とする。
実家へは一番始めに電話を入れた。電話口に出た内海の母は、いつも世話になってと橘川に対して明るい声で応じてくれた。その様子からは、内海が実家に戻っているとも、この家を出て実家に戻るという連絡があったとも考え難かったのだけれど。
やはり内海は、この部屋を出て行ったのだ……その事実に打ちのめされ掛けていた橘川に、社長が苦いものを口にしたような、歯切れの悪い口調で伺いを立ててくる。
親しい関係。内海がそのように自分達の関係を伝えていたとは思えなかったけれど、こうして問われるということは、社長は二人の関係を知っているということなのだろう。
混乱の残る中かろうじて返事を口にした橘川の目の前、社長が突然立ち上がると、素早い動作で橘川に対して土下座をした。
「申し訳なかった!」
「えっ、ちょ…何ですか? 止めて下さい、頭上げて下さい!」
予想だにしなかったアクションに戸惑いながら、橘川がしゃがみ込んで社長の顔を上げさせようとする。
けれど益々低い姿勢で、床に額を擦り付ける格好になった社長は、謝罪の言葉を口にすることを止めようとはしない。
「白木さん! お願いですから、分かるように説明してください!」
肩に手を置き呼び掛ける橘川の声にのろのろと頭を床から剥がした社長は、それでもその先を告げることを躊躇っているようだった。
「白木さんっ」
「――うちの……不肖の息子の責任です……そんな風に息子を育ててしまった、私の責任でもある……内海君には、本当に申し訳ないことをした」
「何が、あったんですか?」
瞳を赤くした社長の言葉とただならない様子に、自分の知らないところで何かがあったのだということだけは分かった。
小さく息を飲み込み、深呼吸をして気持ちを落ち着かせる。
詳しい話が聞きたいのだと、改めて話の続きを促した橘川は、その後に告げられた話に拳を握り込んだ。噛み締めた唇から鉄臭い味が広がった事にも気付かないほど、怒りと不甲斐無さとに目の前が赤く染まる気がした。
「……お気を付けて」
話を終えて社長を見送る頃には、既に辺りは夕焼けに包まれていた。
何度も振り返り頭を下げながら去って行く姿を見えなくなるまで見送った橘川は、玄関へと入った瞬間崩れるようにその場へとしゃがみ込んだ。
コンクリートの玄関のたたきへと、何度も何度も拳を打ちつける。
皮が擦り切れ血が滲み出した頃、狭い玄関スペースで、橘川は一人涙を流した。
遣り切れない思い。
残戒の気持ち。
何より、内海の受けた胸の痛みを思うと、頬を伝い落ちる涙を止められなかった。男だからとか大人だからとか理由を付けて、もう何年も涙を流したことなど無かったというのに、その時ばかりは堪える事が出来なかった。
本人のいないところで全てを語るのは……そう言って躊躇する白木を前に、自分には知る権利があると言い張って無理に話を聞き出したのは橘川だった。
橘川の強気の押しに負けたのか、話すことで抱えた重荷を軽くしたかったのかは分からないが、一度口を開けば止まることなく、社長は掻い摘みながらも内海の身に起こっていた事実を語ってくれた。
「昨日退職届が届いて、最近の若い者は礼儀も知らんのかと内心憤慨しておりました。これまで真面目に仕事に取り組んでくれていたと思っていただけに、裏切られたような気がして」
それでも仕事は毎日待った無しで存在する。
当初は連絡も無しに休んだのだと思っていた。無断欠勤に憤りながらも、このところ半分隠居のような生活をしていた白木は、人手の足りなさをカバーする為に店舗の方へ足を運んだのだという。
そうして立ち上げたパソコンには、内海に任せていた仕事がきちんと成されていて、デスク脇に設置してあるカレンダーには、細かくやるべきスケジュールが書き込まれた状態で残っていた。
内海の私物もそのまま置きっ放しになっているのを確認し、何かあったのではないかと心配になった。携帯に電話を入れても繋がらず、そのうちに連絡が入ることを期待して様子を見ることにした。
「元晴、昨日内海君に変わったところは無かったんだろう?」
「っ、知らねえよ……連絡ひとつ無いなんて社会人失格だ、あんなの首にしちまえっ」
「軽々しくそんな事を言うもんじゃない」
配送予定のギフト品のチェックをしながら息子へと問い掛ければ、不自然なほどに苦々しい顔をした元晴が物騒な物言いをする。眉を顰めて叱りつつ、その時はそれで終わった。
白木が事の次第を知ったのは、内海の無断欠勤が続いた、昨日のことだった。
届いた退職願には理由もろくに記されてはいない。
内海が当初から希望していた経理の仕事も覚えてもらったばかりなだけに、こんな風に突然辞めるなどとは思っていなかった。いなくなる女性パートの代わりに、また新たに人材を募集しなければいけないじゃないかと、掛かる手間を思えば腹も立ってくる。
「ああ……そうだ、チェックしておかんとな」
苛立ちながらも、すべきことを終えていないということを思い出した白木は、とある機材の置いてある部屋へと向かった。
本来であれば、何も事件等が起こっていない場合ならば確認の必要性のあまり無い防犯カメラの映像チェックである。白木は店を開いた頃から、週に一度映像を業者から送ってもらい自ら確認するという癖をつけていた。
自分が店舗に居ない間に何かがあった場合、社長である自分が「何も知らなかった」では話にならない。
店に防犯カメラが設置してあることは社員ならば全員が知っている。しかしながら、白木がその映像を毎週確認していると知っている人間は、社内には誰もいなかった。社員にとっては、カメラの存在は知っていても、飾り物程度の認識だろう。
疑いの眼差しを持たれているのではないかと思えば、人間誰しも良い気分はしないというのが白木の持論だ。無論これまで何か事件が発生したことも無ければ、社員を疑っているわけでもない。
今では単なる習慣として行なっている作業にすぎない。
「……こりゃ、何だ?」
この日もいつもと同じように、早送りで画面を進めながら流し見をしていた白木だったが、目に止まった映像に驚愕を隠せなかった。
そこには自分の息子である元晴が、内海に圧し掛かる画像がしっかりと見て取れた。
慌てて日付を確認すれば、内海が初めて無断欠勤をした前日夜の映像だったのだ。
「圧し掛か……」
「寸でのところで、内海君は息子を蹴り飛ばして事務所を出て行きました。その事にほっとしながらも、私は我が息子ながら、本当に情けなくて……」
言葉を詰まらせながら語られた内容に、橘川は二の句が紡げなかった。橘川の様子に一度唇を引き結び、残戒するかの如くその後の事を話し出すのを、橘川はただ黙って聞くことしか出来ずにいた。
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