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キスからの距離 (11)
しおりを挟む蜜月と言わんばかりの幸せに溢れた暮らしの中で、内海の橘川に対する想いは以前よりも大きさを増していった。ノンケとの恋なんて絶対に上手くいきっこないと頑なに信じていたはずの心が、自分を想ってくれる橘川の気持ちに絆されていくのを感じる。
(ヤバいよな……でも、幸せなんだから、仕方ないよな)
仕事を終えて買い物をして帰り、文句は言われない程度の腕前を奮って夕飯を準備し、風呂の用意を整えて自分よりも帰宅の遅い橘川を待つ。
新妻のような甲斐甲斐しさに自分で苦笑を覚えつつ、自分に訪れた幸福に感謝する日々。
そんな日々が一年ほど続いた。
初めての就職に右も左も分からずにいた頃とは違い、多少仕事にも余裕を感じるようになる二年目。橘川との生活に浮かれていた気分も、少しずつそれを日常として受け止められるようになっていた。
蜜月期には週末を待ち切れずに抱き合い、毎日欠かさずキスとハグを贈り合ったものだけれど、生活のリズムが整い始めるに従いそれらも徐々に落ち着いていった。
社会人生活が二年目を迎え、橘川が責任も仕事量も増えて更に忙しくなったこともあるのだろう。
多少の寂しさは感じたものの、毎朝内海よりも早く家を出て遅く帰る彼の多忙さも、営業という職柄、理不尽なことに頭を下げなければならない辛さも見ていて感じるだけに、寂しいだなんて言えなかった。
休日にはレンタルしたDVDを二人で眺めたり、借りたレンタカーで少し遠出をしてみたり。疲れているのに内海を気遣ってくれる橘川の愛を感じられたから、触れ合う時間が減っても我慢出来た。
毎日少しでも顔を見て話せる。
同じベッドで寝起き出来る。
それだけでも幸せだと思っていたから。
内海にしても、二年目に入り仕事の内容が変わり始めていた。
春から経理業務にも携わるようになったのだ。件の女性がそろそろ子供が欲しいということで、正社員からパートへと仕事時間を減らすことになったからだ。
小さな会社だけに融通が利くのだろうけれど、それにしても随分寛大なことだと半ば呆れる。思い返せば面接時にもそんな感情を持ったのだけれど、それだけ温かみのある会社なのだと、内海は自分を納得させてきた。
何より寛大な人事のおかげでようやくやりたかった仕事が出来る事が嬉しかった。これまでの業務も八割はそのまま受け持っている為大変さは感じるものの、元々希望していた職種だけに遣り甲斐もある。
全てが順調に回っていた。仕事も、橘川との関係も、このまま続いていくのだと思っていた。
「内海、明日の配送は量が多いから二人で行くぞ」
「あ、分かりました」
二年目の夏が過ぎ、季節が足早に秋から冬へと移り変わろうとしていた頃だった。
パートの女性達も帰り、店のシャッターも下ろした後は、翌日の準備と金銭の締め作業に追われる。日中のパートの女性達が暇な時間を使って、納品する品物を検分し準備を整えてくれていたりもするのだけれど、婚礼シーズンとなる秋から冬にかけては日中の準備だけでは追い着かないのだ。
翌日の準備をある程度手伝った内海が、パソコンの画面に集中し出した時だった。
声を掛けて来たのは社長の息子でもある先輩社員。
今週末の婚礼分の引き出物用のギフトには、今時珍しくカタログでは無い品の注文が入っていた。カタログの場合は業者から直接ホテルや施設に届けてもらう事も多いのだけれど、壊れ物などの品を扱う際にはそれが出来ない。
それらの品も同様に、配送センターから直接届けてもらえば楽なのにと内海はいつも思うのだけれど、万が一にでも商品に破損があったのでは信頼を落とすという社長の方針で、必ず一度会社を経由し検品を終わらせてから、内海達社員が配送に向かうシステムになっているのだ。
中腰で作業をしていた彼が腰を叩きながら告げた言葉に、キーボードを叩いていた手を止めた内海が返事を返す。
(やっぱりか……)
小さく吐いた溜息は、少し離れた場所にいる彼の耳には届いていない。内海は一旦向けた視線を再び画面へと戻し、面倒な作業をしているかのように装いながらそっと眉根を寄せた。
届いた荷物を見た時から嫌な予感がしていたのだ。
明日の納品は、内海も彼も同じホテルへ週末の婚礼用の納めが数件分と、葬祭会館への納めが一件あるだけだった。
カタログ程度の商品ならば一人でもこなし切れる量ではあるが、さすがに嵩の張る積荷を一人で運ぶには無理がある。会場と搬入口に停めた車とを何往復もしなければならないのが目に見えているからだ。
二人でやれば往復作業も交互に出来る分、手間も労力も半分で済む。
それは内海にも分かっているのだけれど。
(……暫らくは二人きりって避けたかったんだけどなあ)
事務処理に没頭しているふりをする内海の背に、粘つくような視線が送られているのを嫌でも感じてしまう。
(ああもう……今日はさっさと上がろう。仕事が残ってれば、明日も早めに戻って来られるかもしれない)
画面右下の時計表示を確認すれば、時刻は既に就業時間を回っていた。内海は手早く画面を閉じ、身支度を整えて席を立つ。
「すみません、お先します」
「っ、ああ……おつかれさま。明日はよろしくな」
「はい――お疲れ様でした」
内海が振り返った途端、手にしていた伝票に目を落とした彼に内心では舌を出していた。わざとらしいその不自然な態度が、自分の感じていた視線が間違いなく彼からのものだと証明しているようで薄ら寒い。
お決まりの挨拶を交わして会社を後にした内海は、このところ感じている不快感にゲンナリしながら、橘川と暮らす我が家へと足早に歩を進めた。
こんな風に不快な視線を感じるようになったのはいつの頃からだったのか。
一年目は新しく覚えることばかりで、一日でも早く仕事に慣れようと必死だった。二年目に入ってからも、任されることになった経理業務を習得する事に一生懸命だった約半年の期間。
プライベートはプライベートで、橘川と共に過ごせる毎日の暮らしに浮かれていたから、内海の中でその他に意識を向けている余裕はどこにも無かった。
けれど二人での生活も落ち着き始め、仕事にも多少の余裕が出来たことで、内海にも周りを見回すゆとりが生まれた。
そうして初めて感じた、自分へと纏わり付く嫌な視線。
思い返せば入社当初からスキンシップの多い人だとは感じていた。
女性に対しても気軽に肩に触れたりしているのを内海も間近で見ていたからか、自分に対してのボディタッチもそれと同等のものだと思っていた。
誰に対しても気安く、人当たりの良い人なのだと、そんな風に考えるようにしていたのだ。
「……何か最近、マズいよなあ」
今日も帰りは遅くなるのだろう橘川の為にと、帰宅早々台所に立った内海は、鍋を掻き回しながら募る不安に溜息を吐いた。
今日のメニューは橘川の好きなシチューと鶏の照り焼き。刻んだ大葉と乾煎りしたじゃことゴマを乗せた大根サラダ。
男の料理としてはまずまずの品数だろうと自画自賛しながらも、頭を占めるのは気持ちの悪いあの視線の意味だった。
「相談、してみるか? でもな……」
口に出して言ってみれば、苦笑しか浮かんでこない。
そもそも社内の人に相談しても無意味な気がしていたし、まして彼は社長の息子だ。息子を変態呼ばわりするような真似をすれば、やっとの思いで掴んだ就職先を後にしなくてはいけなくなるかもしれない。
社長は気さくで良い人だから内海の話もきちんと聞いてはくれるだろうけれど、だからこそ余計に口にするのは憚られる。
彼にしても仕事に対しては真摯に取り組んでいるし、社長の血を引いているのだと分かる明るさで、周囲からの覚えも良い。下手に騒ぎ立てればきっと悪者は内海という図式になってしまうのだろう。
「どうすりゃいいんだよ……悦郎に話したら、何か良いアイディアくれるかな」
鍋を掻き回す手を休めることなく内海は呟きを零した。
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