キスからの距離

柚子季杏

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キスからの距離 (3)

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 内海の部屋で鍋を囲み、まったりと酒を酌み交わしていたいつもと変わらぬひと時。
 突然橘川から告げられた言葉に、内海は文字通りぽかんと口を開いて意味が分からないと首を捻る。そんな表情でさえ可愛いと……男を相手に愛おしさを感じる自分の気持ちに、もう嘘を吐くことは出来なかった。
「――お前、俺のことからかってる? ってか、誰かから何か聞いたのか?」
「からかう? 冗談でこんな話が出来るわけないだろ。第一誰から何を聞くってんだ」
 橘川の言葉が真実だと伝わったのだろう。視線を外した内海が、それまで橘川には見せたことの無い苦い顔をしながら、搾り出すような声で呟いた。
 サークルの活動で、内海の通う大学と重なる事は時折あった。けれどその時には内海も参加しているのだから、自然と二人でつるんでばかりいた。
 言っては悪いが、橘川の通う大学と内海の通う大学とでは、それなりにレベルの差がある。
『頭の良い人達は言うことも違うねえ。俺らなんかとは話合わないんじゃないの?』
 橘川たちにそんなつもりが無くても、あちらにはコンプレックスを刺激される何かがあるのだろう。わざわざ自分の程度を下げるような発言をしては、冷めた態度を見せる者もいれば、あからさまに媚を売ってくるような者もいた。
 そんな連中との距離を縮めようとも思わない橘川にとって、内海以外の相手と過ごす無駄な時間を持ちたいとも思わなかった。当然内海以外に連絡先を交換した相手はいない。

 少しばかりムッとしながら聞き返した橘川に、内海は決まり悪げに俯いた。
「ごめん……」
「……それは、俺の告白に対する返事か?」
「そっ、そうじゃなくて! お前が噂話とか気にするような奴じゃないのを分かってて、変なこと言ってごめん、って」
 謝罪の言葉に緊張し問い返せば、そうではないと内海が首を振る。その慌てた様子に胸を撫で下ろしながら続く言葉を待つ橘川の耳に、次いで届いた言葉は驚くものだった。
「俺――ゲイだから……」
 自分にとって都合の好い答えが聞こえた気がして目を瞠る橘川に、内海は顔を俯けたままぼそぼそと謝罪の言葉を口にした。
「どっかからお前の耳にその話が届いたんじゃないかって、思って…俺のことからかってんじゃないか、とか……その、本当にごめん」
 炬燵テーブルの角を挟んで隣り合って座る内海の、下を向けたままの頭へと自然に手が伸びていた。優しく撫でてやりたいのに、照れ臭くて。伸ばした腕で軽く叩けば、内海が情けない顔で「へへ」と笑った。
「――お前が神妙にしてると、何かこう、変な感じがするからやめろ」
「うわ、酷え」
 ぶっきら棒に告げる橘川の言葉に、内海はようやくいつもの笑顔を見せてくれた。
 その顔が、自分にだけ向けられる笑顔が、橘川には嬉しかった。
「俺と、付き合ってくれないか」
「……それは、出来ないよ」
 弾む心のまま唇に乗せた改めての告白は、けれどあっさりと切り捨てられてしまう。
 内海にも少しは自分に対しての想いがあるだろうと思っていた。そうでもなければ、橘川からの連絡が少しの間無いだけで、他校に通う友人相手に会いたいというニュアンスの誘いを掛けてはこないだろうと。
「……何で?」
 ショックだった。内海から否定の言葉が返ってくるとは考えてもいなかった。
 理由を聞きたいと迫る声が、みっともなく掠れていた。
「悦郎はさあ、女もイケるだろ? 俺にも自慢話は山のように聞かせてくれてたし?」
「山の……って、そんなつもりは――」
 過去にして来た話なんて覚えていなかった。恐らく覚えていないくらい頻繁に、過去の話を話題に乗せていたのだろうと思えば、舌打ちのひとつもしたくなってしまう。
 片肘を付いて頭を掻きながら眉を寄せる橘川に、内海は苦笑を浮かべた。
「女相手でも平気なヤツが、わざわざこっちの道に来て苦労すること無いって! マイノリティにはまだまだ厳しい世の中なんだぜ?」
「これでも俺だって色々悩んで、考えた。それでもお前が欲しいと思ったんだ……頼むから、俺の人生初の告白を断らないでくれ」
 内海の言っていることなら、橘川だって勿論考えた。悩んで試して、それでも頭の中から、心の中から、内海の存在が薄れる気配は無かったのだ。
「お前、俺より頭良いふりして、本当は馬鹿だろ? しなくていい苦労はしない方がいいんだよ。悦郎はちゃんと良いとこに就職するんだろうし、良い女と結婚して子供作って幸せになって、親孝行しろって」
「そこにお前がいないなら、それは俺にとっての幸せじゃない」
「悦郎……」
 頑なに渋る内海を、橘川は必死になって口説いた。

 自分と付き合いたいと愁派を送って寄越す女も少なくはないのに、何を滑稽なと自分でも思う。思うけれど、今のこの時を逃がしてしまったら、内海が自分から離れて行ってしまいそうな気がして、それが怖かったのだ。
「お前の気持ちはどうなんだ? 面倒な事は全部取っ払って、俺をどう思ってるのかを聞かせてくれよ」
「俺は――」
「智久、俺の目を見て」
 橘川が気持ちを伝えて以降、一向に合わないままだった視線を、強い声を出すことで捕まえる。ようやく絡み合った視線に想いを籠めて見つめれば、内海の瞳が微かに揺れた。
「……嫌なヤツを、家に呼んだりしないし」
 目元を微かに染めて呟く内海を、愛おしいと思った。大事にしたいと思った。これまでの橘川の恋愛には無かった感情に、胸が温かくなったことを覚えている。

 最初こそ渋って見せていた内海だったけれど、最終的には橘川の想いを受け入れてくれた。
「後悔しても知らねえからな」
「するわけないだろ」
 そんな会話で始まった二人の交際は、順調に進んでいたと橘川は思っていた。
 女性と付き合うのとは違う同性同士での関係に、戸惑いを感じる事も無くは無かったけれど、友人としての付き合いの延長上にあるような関係は楽で、一緒にいることに窮屈さを感じたことなど無かった。
 友人たちとの付き合いにも同性だけあって理解もある。女性のように記念日に拘る事も、物を強請る事も殆ど無い。

 親友と呼ぶ関係だった頃と変わらない日常の中、ほんのりと見える甘い空気が少し擽ったくて、堪らない気持ちにさせられた。
「……俺、好きなヤツとセックスすんのって、初めてなんだよ」
 変わらない日々の中で大きく変わった事のひとつが、内海との間に肉体関係が出来たという事だろう。
 初めて内海を抱いた夜、まるで処女かと突っ込みたくなるくらい緊張し硬くなっていた内海が、心配そうな顔をする橘川に眉を下げながら告げた言葉。
「――それを言われたら、多分俺だってそうだ」
「お前、本当に平気? 萎えてない?」
「この状態でその質問は間違ってないか?」
「あ……へへっ、だな……良かった」
 不安気に見つめてくる視線に、橘川は股間に育った欲情の証を内海の下肢へと押し付けることで応えた。ホッとしたように微笑んだ内海の照れ臭そうな表情に、自分を抑えることすら難しかった。

 その頃の年齢にしては、女性相手の経験は人並み以上にはあったと橘川は自負している。それでも内海との初めてのセックスは、それまで体感してきたどんなセックスより興奮したし、驚くほどの快感を橘川へと与えた。
 これまで関係を持った中で、無我夢中で誰かを抱いたことなど無かった。それなのに内海とは、二つの身体が溶け合うくらいに溺れながら、少しでも長く繋がっていたいとさえ思ったほどだ。
 『好き』という気持ちひとつでこれほどまでに違うのかと驚いた。
 胸の膨らみも柔らかさもない、薄い筋肉に覆われた身体。中心には自分と同じ物がしっかりと主張を示しているのに、嫌悪どころかその淫靡な光景に煽られるばかりで。
 他の男に対してこんな風に欲を刺激される事は無い。
 それだけ内海という存在が、橘川にとっての特別だったのだ。


「卒業したら一緒に暮らそう」
 橘川が内海へと切り出したのは、現在勤める第一志望だった会社からの内定通知を受け取った日の事だ。
 大学レベルの差もあるのだろう。面接にすらなかなか漕ぎつけないのだと肩を落としながらも、内海は橘川を妬むような発言も態度も見せなかった。
 必要以上に自分を卑下する事も無く、内定の連絡に喜ぶ橘川を一緒になって喜んでくれた。
 明るく前向きで笑顔の似合う男。自分に抱かれる時には普段の彼からは想像もつかないほど、色気が内側から溢れ出す男。
 橘川の事を理解してくれるこの相手を逃がしてはいけないと、その時確かに思ったのだ。


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