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孤狼に愛の花束を (38)
しおりを挟む守役報酬とは別としての、貴重な収入源のひとつでもあった豊川のところと契約を切ることで、軌道に乗るまでの心配も無いわけでは無かっただけに、正直に言えばありがたい話だとは思う。
「それでいいか? 小太郎」
「うんっ! オレと銀さんとの初めての仕事だね! あ、澤田…さん? その新婦さんって、そっくりこのままの型に拘ってるの? 折角だから、何かワンポイント入れちゃ駄目かな?」
「ワンポイント? 例えば、どんな感じのものでしょう? 新婦様としては、このシンプルなデザインが気に入っているようなのですが」
「えっと……そうだなあ。シンプルな感じが良いなら、例えば淵から2センチくらい下にぐるっと一周回るような線を入れるとか……縁(円)が途切れませんように、っていう感じで! 銀さんそういうのって面倒?」
煌めく瞳で俺を見ていたと思えば、小太郎の中ではデザイン画が展開されていたらしい。
誉められることを期待した眼差しで大人しくお座りをしながら、尻尾だけはぶんぶんと振り回している……今の小太郎を獣化したなら、間違いなくそんな状態だと断言出来る。
「縁が切れないように……それ、良いですね! シンプルな中にも独創性が出て……うん、良いですよ、それ! 森下さん、どうでしょう? やって頂けますか?」
小太郎の言葉を受けた澤田の瞳がひと際輝く。
俺がどう答えるのかと、双方からの期待の眼差しに晒され、いささか居心地の悪さすら感じるほどだ。
「線を入れる程度なら、どうってことはないだろう。底面にはこれまで入れていなかった刻印を入れ込むつもりだが、それでもいいか?」
「もちろんです! うわあ、やった! 新郎新婦のお二人にいい報告が出来て嬉しいです、ありがとうございます!」
「……頭を上げてくれ。そういうのは、苦手だ」
椅子から立ち上がった澤田が、俺と小太郎に向かって90度に腰を折った。突然の行動に呆気に取られる小太郎のぽかんとした表情は面白かったが、名のある陶芸家でもない俺としては決まりが悪い。
「あっ、打ち合わせがあるなら、簡単なラフスケッチくらいあった方が良いのかな?」
「ラフスケッチ、ですか?」
「ああ、紹介していなかったな。コイツにはこれから、うちの作品のデザインを手掛けてもらうことになっているんだ」
「そうなんですか。ラフがあるなら、新郎新婦様にもイメージして頂き易いとは思いますが」
「じゃあオレ、今ちゃちゃっと描いちゃうよ。銀さんたち、まだお話することあるでしょ? その間に仕上げておくから。小振りでペアにすれば良いんだよね!」
そう言って小太郎は下げていた鞄から小さめのスケッチブックと鉛筆を取り出し、白い用紙に線を描き始めた。楽しそうな表情に、見ているこちらは肩を竦めるしかない。
「……ええと、それじゃあ、個数や金額など、ざっとした打ち合わせをさせて頂いても良いでしょうか……」
「そうだな。ラフだと言っているから、15分程度で仕上がるだろう」
少し困ったように微笑む澤田に苦笑を返し、俺達は簡単な打ち合わせを始めたのだった。
「本日は本当にありがとうございました! ご両家の承諾を頂いたら改めて、正式に発注をさせていただきます」
「……ああ」
「もう銀さん! こういう時はこちらこそよろしくっって言わなきゃ駄目だよ!」
「……そういうものか」
「ははは、何だか良いですね、お二人の関係性」
わざわざホテルの外まで見送りに出て来た澤田に、小太郎との遣り取りを見られてしまう。
他人との接触を避けてきたせいか、どうにも俺は会話というものが苦手だ。メールの文章にしてもぶっきら棒になりがちなだけに、対人スキルとしては小太郎の方がよほど出来ているに違いない。
思わず顔を見合わせると、目線の先で小太郎が赤くなっている。何が恥ずかしかったのかは良く分からないけれど、つられそうになる自分を咳払いで諌めた。
「俺に足りないところは、これからはコイツが補ってくれるだろう……新郎新婦にも、よろしく伝えてくれ。俺の作品を気に入ってもらえて、嬉しかった」
「はい、必ずお伝えします」
「行くぞ、小太郎」
「あっ、うん……ジュースご馳走さまでした」
駐車場へと向かう俺の後ろを、小太郎が慌ててついて来る。
(俺と小太郎との、初めての仕事か――)
気乗りしていなかったホテルへの訪問も、終わってみれば収穫の方が大きかった。今後のことを考えても、上々の手応えと言っていいだろう。
ただひとつ、不安があるとすれば……あの豊川が、このまますんなりと身を引いてくれるかということだった。
「置いてかないでよ!」と俺を詰りながら、全身から嬉しさが溢れ出している小太郎を見れば、この笑顔が壊されることが無いようにと、信じてもいない神に祈りたくなるほどだ。
「これから忙しくなるぞ」
「うんっ!」
車を走らせながら、この厭な予感だけは外れてくれるようにと、俺は願っていた。
◇◆◇
興奮が冷めやらない、というのは、きっと今のオレのような状況を指すのだと思う。
本当はちょっと、夢に見てるだけなんじゃないのか。明日の朝目が覚めたら、全てが幻になっているんじゃないだろうかって、銀さんと出会ってからずっと思っていた。ううん、今だって思わないわけじゃない。
そんな風に考えてしまうくらい、銀さんと出会ってからのオレの毎日は明るい未来を描いているんだ。
「……随分ご機嫌だな」
「えへへ、分かる? だってさ、だって……本当なんだなあって思ったらさ、何かさ、嬉しいじゃん!」
帰りの車の中、緩む頬を堪え切れないオレの様子に、銀さんがポツリと呟いた。
人間界に出掛けるっていうことだけでも、オレにとってはものすごい冒険だった。
何ヶ月も前から体力作りをしてきて、獣人だってばれないようにと変化にも慣れる努力をしてきた。それでも一人で人間界へ行くのは怖くて。
「ねえ銀さん」
「ん?」
「今日は本当にありがとう」
銀さんからすれば突然の言葉だったのだろう。ちょっぴり眉を寄せてオレをちら見する彼に笑い掛けながら、今日一日を振り返る。
朝からドキドキとワクワクの連続だった。
銀さんの運転する車に乗って、勝手に考えていた吾郎と琥珀へのプレゼントにも了承してもらえて、緊張するオレを銀さんは優しく気遣ってくれた。
それだけでも嬉しかったのに、銀さんはわざわざ獣姿になってまで、琥珀の部屋までオレを迎えに来てくれた。
(ふわふわだったなあ……へへ)
狼姿の銀さんを見たのも初めてなら、銀さんの毛皮に顔を埋めたのも初めて。何度思い返してもにやけてしまう。
そうして琥珀との話し合いもちゃんと約束を取り付けられたし、お店に飾ってある銀さんの作品を直に見ることも出来た。
そして何より、ホテルでの一件。
「オレにも手伝えることがあったらどんどん言ってね! 頑張るから!」
「ああ。取り急ぎホームページを頑張ってくれればそれでいい」
「あっ、そうだよね! 頑張るよ! 確か三汰兄ちゃんがパソコンは詳しいはずだから、分かんないことは聞きながらやってみるね」
豊川っていう人は、銀さんが言っていた通り、何だかあまり印象の良い人ではなかった。
作品に色が付く前の状態を知っているオレとしては、あんなに素敵だった銀さんの作品が、ここまで酷くされるのかって悲しくなるほどの仕上がり具合。
しかも、それを悪いとも思っていないらしい態度にもムッとした。
(それにあの目線っていうか、気配っていうか……苦手だなあ)
オレと目が合ったのは一瞬のことで、後は銀さんの背中越しに会話を聞いていただけだったけれど、妙に背筋がゾワっとするようなオーラは、今まで感じたことが無いものだった。
つくづくオレは兄弟達に守られてここまで育ったんだなって、そんなことを思った一幕。
だってあんな風に敵視するような視線もオーラも、オレはこれまで浴びたことが一度もない。
(銀さんも怖かった……かなり怒ってたよね、あれ)
近寄り難いという感じとは違って、なんて言えば良いのかな? 澤田さんが割って入ってくれなかったら、絶対銀さんは殴り掛かってただろうっていう怖さ。
殴るだけならまだ良い。あの場で狼姿になって襲い掛かってしまいそうにすら感じて、それが怖かったんだ。
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