孤狼に愛の花束を

柚子季杏

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孤狼に愛の花束を (30)

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 おやすみを告げて部屋に戻ったオレは、吾郎に言われた通りすぐに布団に潜り込んだ。
 多少言い過ぎではあったかもしれないけれど、これできっと吾郎は、春になったら獣人界を出て行くだろう。寂しさもあるけれど、吾郎の決めた選択を応援したい。
 琥珀だって、吾郎に電話やメールを送り続けているんだ。
 あとは切っ掛けを探しているだけに違いない。頑固な吾郎が、素直に頷くわけがないと思い込んでいるはずだから、オレが訪ねて行くことでその切っ掛けを作れたなら。
「……あっ」
 そこまで思った瞬間、ふっとデザインが降りて来た。吾郎と琥珀のために、オレに出来るもうひとつのこと。
 せっかく温まった布団を飛び出したオレは、急いでスケッチブックへと向かうのだった。


◇◆◇


 週に一度使うか使わないかのオンボロの軽自動車を、家の裏手から持ち出して来る。
 年代物の中古車だけに、時折エンジンが機嫌を損ねたりはするけれど、俺にとっては大切な足だ。
 玄関前に待たせていた小太郎が、エンジン音を聞きつけて緊張した顔付きをしていることに気付いて、思わず笑いそうになってしまった。
「何て顔してるんだ」
「ぎ、銀さんかあ……誰か訪ねて来たのかと思っちゃった」
 小太郎の前へと車を滑り込ませ、運転席から降りた俺を見た小太郎が、やっと表情を緩めるのに苦笑しながら助手席に乗るように声を掛ける。準備しておいた荷物を後部座席へ積み込む間に、小太郎も恐る恐る助手席へと納まった。
「……」
「どうした?」
「銀さんスゴイね! 車の運転も出来るんだね!」
 運転席へと戻った俺へと送られる視線に首を捻れば、返って来たのは意外な言葉だった。
 そんなところに感心していたのかと思うと可笑しさが込み上げてくるけれど、キラキラとした眼差しは、その言葉を小太郎が本気で口にしていると伝えてくるから、笑うわけにもいかず。
「……これだけ人里から離れた場所に住んでいれば、無いと不便だろう」
「そっかあ」
 あまりにキラキラとした瞳に見つめられるのも、案外と居心地が悪くなるのだと初めて知った。

 獣人界と繋がりがあるのだという麓の教習所に、爺さんから連れて行かれたことを懐かしく思い出す。
 多感な時期だったあの頃は、他人と接するのが本当に嫌で、それでも恩義のある爺さんからの命に背くわけにもいかず、渋々ながらも通って取った免許だ。一刻も早く他人との繋がりを切りたくて、通い詰めて最短時間で取得した。
 今となっては生活をする上で、あの時無理矢理にでも取っておいて良かったとは思っているが……こんな風に感心されるとは予想外だった。
「へへ……家族以外とドライブって、オレ初めてだ」
「ドライブ……街へ行くだけだろう?」
「そうだけどっ! 銀さんと一緒に出掛けるって、何か嬉しいし」
「――シートベルトを締めろ、出すぞ」
「あっ、うん!」
 人間界へ行くということで、ずっと張り詰めた空気を纏っていた小太郎が、ふにゃりと表情を緩めたことにドキリとさせられる。
 こうやって時折見せる大人びた表情が、俺を惑わす要因になっているのだと気付かせた方がいいのだろうかと、一瞬真剣に考えてしまう。

 車を走らせて暫らくの間はしゃいでいた小太郎が、不意に口を噤んだ。
 街まではまだまだ距離がある。緊張するにしても早過ぎるだろうと思いながら、チラリと隣へ視線を向ければ、小太郎は大事そうに抱えていた鞄を漁り出した。
「銀さん、あのね……お願いがあるんだけど」
「何だ? 酔ったか? 車停めるか?」
「酔ってない! そうじゃなくて……見てもらいたいものがあるんだ」
 車には滅多に乗ることが無いと聞いて気遣った俺に対し、小太郎はそうじゃないと首を振りながら、鞄の中からスケッチブックを取り出した。
 突然の行動を疑問に思いながらも路肩に車を停車させ、差し出されたページをじっくりと検分する。
「勝手なお願いだってことは分かってるんだけど……それ、作ってもらえないかな? 出来れば春までに……オレと銀さんの初めての作品として、ゴローちゃんと琥珀にプレゼントしたいんだ」
 少し躊躇いがちに俺を窺い見る小太郎へと視線を戻せば、不安そうな顔にぶち当たる。
「売り物としてじゃなくて、か?」
「ぅ、うん……駄目かな?」
 あくまで個人的なお願いなのだと益々眉を下げる小太郎を、真意を問うようにじっと見つめれば、小太郎は小さく息を吐き出し、ボソボソと理由を語り始めた。
「ゴローちゃんに、幸せになって欲しいんだ。オレのためじゃなくて、自分のための人生を歩んで欲しいから……オレに出来るのって、絵を描くことくらいしかないから……」
 両親は勿論、兄弟もいない俺には良く分からない、家族という繋がり。相手を想い、幸せを願うという気持ちを持つことが羨ましく、そんな思いを向けられる吾郎に少しの嫉妬すら感じる。

 これが家族というものなのだろうか。
 兄弟というものなのだろうか。

 多分俺が小太郎へ抱く想いとはまた別の愛情の形が、そこには存在しているのだろう。
「オレは銀さんと新しい道を歩いて行くから、だから、オレのことは心配要らないよって。言葉で言うよりも伝わるかなと思ったんだけど……やっぱり、公私混同は駄目だよね」
 無言でデザインを見つめる俺の様子に、小太郎が力無く微笑むのを視界の端に捕らえつつ、手元のスケッチを再度じっくりと検分する。
(俺と新しい道を歩いて行く、か)
 いつまで自分の傍に小太郎を繋ぎ止めていられるのだろうかと、小ずるい考えで互いの銘をロゴにすることを提案した俺にとって、小太郎のひと言はモチベーションを上げるに十分だった。
「この部分は、凹凸が出た方が良いのか?」
「え?」
「それとも型だけはこれをベースにして、線を入れ込む格好にするか?」
「……銀さ……」
「初作品が非売品というのも、悪くは無いだろう――さて、時間が無くなる、車出すぞ」
 スケッチを小太郎へと押し付け返し、路肩に停めていた車を動かし始める。俺の顔とデザイン画とを交互に眺めた小太郎が、数秒の間を置いて小さなガッツポーズを作るのが見えた。
「銀さんありがとう! えっとね、出来れば凹凸つけて欲しいんだっ。あ、でも重ねた時にぐら付いちゃうかな?」
「重ねる方の底にも、同じように凹凸を付ければ問題は無いだろう」
 シートベルトをしていなければ飛び付かれていたのじゃないかと思うほど、小太郎がはしゃいだ声を上げる。
 俺からの問い掛けに真剣に悩む様子を微笑ましく感じながら、解決策を示してやれば「そっか、銀さんさすが!」等と何のてらいも無く口にされるものだから、俺の方が照れ臭くなってしまう。
「でもそれだと……面倒になっちゃうけど、良いの?」
「時間はあるんだ、構わない。それに――」
「それに?」
 大はしゃぎしていたかと思えば、急にこちらを気遣う様子を見せられて。小太郎と出会って数ヶ月もの月日が流れたはずなのに、見飽きるということの無いヤツだと改めて思う。
「……お前が心を籠めて描いたデザインだろう? 俺達の初めての作品なら、俺も大切に作らせてもらうよ」
小首を傾げられて、一瞬躊躇った言葉を、俺も素直に口にしてみる。
 これから先、二人で共にやって行こうとしているのだ。何も言わなくても伝わるなんていうことは、さすがの獣人でも有り得ない。
 自分のことをもっと知ってもらいたいと思うことが気恥ずかしいけれど、伝えなければ始まらないのだ。いつだって自分を素直に出して俺にぶつかって来てくれる小太郎から、教えられたことだ。
「銀さん……うん、うんっ、ありがとう! オレにも手伝えることがあったら言ってね!」
「手伝えることか……じゃあお前には、底面にロゴ入れを頼む。初めての作品くらいは、自分でも手を加えたいだろう?」
「うっそ、そんな大事な作業、オレに任せて良いの?」
 確かに、作り手にとって自身の銘を刻むという作業は、命を分け与えるようなもの。けれどだからこそ、小太郎にもその感覚を味わって欲しいと思う、これは俺のエゴだった。
「売り物じゃないなら多少失敗しても構わないからな」
「うぅっ、銀さん酷い。オレ今めちゃくちゃ喜んだのにぃ」
 ぷくっと膨らんだ頬が、歳よりもずっと幼く見える。実年齢以上に大人びて見えることもあるというのに、これもまた、小太郎の魅力のひとつなのかもしれない。
 まだ見たことの無い、コイツの色んな表情を見てみたいと思う。そしてその表情の中に、悲しむ顔だけは見たくないとも思う。
(俺も相当重症だな)
 心の中で思いながらの近くも無い街までへの道中、こんなにも賑やかで、こんなにも時間が短く感じたのは初めてのことだった。


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