孤狼に愛の花束を

柚子季杏

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孤狼に愛の花束を (21)

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「大丈夫か?」
「はぁ、はぁ……平気」
「もうすぐ着く」
「分かった」
 軽快に歩く銀さんの後ろ、オレは自分の体力の無さを痛感しながら、その背を追って必死で足を動かしていた。
 歩幅も違う銀さんに付いて歩くのは大変で、だけどオレと銀さんとの間の距離が広がらないのは、銀さんがオレのペースに合わせて歩調を緩めてくれているからだろう。
(本当……分かり辛いけど、優しいよなあ)
 歩き難い森の中を進むのは大変だったけれど、そんな些細な優しさに気付いて頬が緩む。

 この一週間、気が付けば銀さんのことばかり考えていた。
 ゴローちゃんから「気持ち悪い」なんて突っ込みが入るくらい、オレは一人で百面相を繰り返してしまっていたらしい。
 自分でもどうしてこんなに銀さんのことを考えてしまうのか分からなくて、だけどこの間感じたドキドキを思い出すたびに落ち着かなくなる。銀さんの優しさを思い出すたびに、嬉しさが込み上げてくるのだ。
 思い出せば落ち着かなくなるというのに、銀さんのことを思い出さずに過ごせた日なんて一日も無かった。
 銀さんと別れて家に帰れば、その日から指折り数えて次の土曜日を待つ日々。部屋のカレンダーの日付にひとつずつバツ印が増えていく度嬉しくて、ワクワクして、どきどきして。
(何なんだろう、この気持ち)
 たった一人で力強く生きる銀さんに、素敵な作品を作り出すその才能に、憧れを抱いているのだろうか。

 これまでオレの周りにはいなかった、独特の雰囲気を持つ銀さんのことを、会う度にもっと知りたいと思う欲求ばかりが膨らむ。
 一見すれば冷たそうなのに、本当はすごく優しくて。あの大きな手にまた触れてもらいたい、なんて思っている自分が恥ずかしい。子供じゃないんだから、撫でられて喜ぶなんて……そう思うのに、それでもやっぱり、少しごつごつとしたあの大きな手に触れられたいと思ってしまう。
 オレの前に立って危険が無いかを確認しながら歩く銀さんの背を見ているだけで、銀さんと一緒の時を過ごせているというだけで、辛い道のりを歩くことだってこんなにも楽しく感じる。

『あの、一本飛び出た木が分かるか?』
『えっと……あ、うん』
『今からあそこまで行く』
『ええっ?』
 弁当を食べ終わってから、オレに暖かい格好をしろと言い置いて、銀さんが少しの間姿を消した。着てきたコートを羽織り、マフラーとニットの帽子、そして手袋で完全防備したオレを外に連れ出した銀さんも、薄手のダウンジャケットを着ていた。
 斜め掛けしたボディバッグがお洒落で、いつも汚れても構わないような格好ばかりを見ていたからか、思わず見惚れてしまった。
 呆けるオレに銀さんは顎をしゃくって、森の中に一本飛び出している大きな木を指し示したのだ。ここからあそこまで……考えただけで眩暈がしそうだった。
『……ここで待っているならそれでもいいぞ』
『う、ううん! 行くっ、一回行くって言ったんだもん、行くよ!』
『――そうか』
 血の気の引いたオレに気付いたのか、銀さんが優しい言葉をくれたけど、銀さんのいない作業小屋に一人で居たって仕方が無い。オレは、銀さんに会いたいって思うからこそ、一緒の時間を過ごしたいと思うからこそ、ここまで通って来てるんだし。
 決意を籠めて拳を握れば、銀さんが少しだけ表情を緩めてくれたような気がした。


 で、あれから既に一時間は歩いていると思うんだ。
 決意して付いては来たけど、さすがにそろそろオレの体力は限界が近いかも。遠くから目標にしていた高い木も、森の中を進むに連れて見えなくなった。そのせいで、自分がどれだけ進んでいるのかが分からないっていうのも、疲れを呼ぶ要因なのかもしれない。

「……着いたぞ」
「はぁ、は……つ、着いた? ここ?」
 道らしい道も無いような森の中を歩き続けて来たオレ達の前に、突如開けた空間。そこだけぽっかりと広いスペースが開けていて、何だか神秘的な感じがした。
「つ、疲れ……疲れたあ……」
「ここは結界内だから、気を張らなくてもいいぞ」
「本当?」
「……くくっ、どうやら本気で限界が近かったようだな」
 銀さんの言葉を受けて帽子を取ったオレは、プルプルと頭を振って、即座に半変化の状態になった。「はぁ~」と大きく溜息を吐いたのが悪かったのか、珍しく銀さんが表情を緩めて笑う。
 へたり込んだオレに気を張らなくていい、なんて言うからじゃないか。なんて、ちょっぴり恨めしく思いながらも、いつもよりもリラックスしているらしい銀さんの様子に、オレまで嬉しくなってしまう。
「銀さん、ここって?」
「この木の下に、俺の母親が眠っている」
「えっ、銀さんの……お母さん――」
 一度座った場所から動けずにいるオレには構わず、さらに数歩進んだ銀さんは、オレと銀さん二人がかりで腕を広げて抱き付いても足りないくらい太い幹をした木に触れながら、さらっとそんな爆弾発言を投下してきた。  
 思い掛けない爆弾に、出していた三角耳がぺたんと寝てしまう。
 何て言葉を掛けたらいいのかが分からなくて、どんな言葉を口にしても、言葉だけじゃ足りないような気がした。

『俺の両親は人間に撃たれて死んだ』

 初めて銀さんに会ったあの日、無表情にそう語っていた銀さんの顔を思い出す。一人は寂しいと言い募った俺に、価値観を押し付けるなと苛立ち混じりに言っていた。
 だけどそれは何だか、銀さんの本心では無いように思えて。
 まるで自分自身に言い聞かせているように他人を避けて、あの家に籠もる彼を知った時に、銀さんをこのまま一人にさせちゃいけないって、漠然と思ったんだ。
「オ、オレも手を合わせたい」
「……ああ」
 木の根元にあった枯れた草や葉っぱを、銀さんが軽く脇へとどかした。
 風の通り抜けが良いのだろう。数回手を払っただけで、地面に突き刺すようにして置かれた大き目の石が見える。
その前に片膝を付いた銀さんが、ここまで斜め掛けして来たボディバックを漁って取り出したのは、線香の束とライター……そして、薔薇の花の台座だった。
「火傷するなよ」
「分かってる」
 火を点けた線香を半分オレへと預けた銀さんが、石の前に薔薇の花を置き、自分の手にしていた残りの線香を供える。オレも銀さんに倣って、同じ場所へと渡された線香を手向けた。
(銀さんのお母さん、銀さんには幸せになって欲しいよね? オレの母さんも、オレ達兄弟の幸せを願ってくれてたって、皆が言ってた……ずっと一人で生きるなんて哀しいもん)
 両手を合わせて固く目を瞑り、心の中で銀さんのお母さんへと語り掛ける。
 銀さんのことはすごく素敵だと思うけど、幸せになることを自ら諦めているようなところだけは、オレには納得できないんだ。だって銀さんはオレとは違って体力もあるし、モデルだってやれるような体型をしてるし、男前だし、才能だって持ってるし……やりたいと思うことがあるならきっと、何だって出来るはずだから。
 幸せになることだって、銀さんが願えば叶うに違いないんだから。
「いつまで祈ってるつもりだ? 母親がいるだけで、神様がいるわけじゃないからな?」
「っ……あ、へへ」
 自分じゃ気付かないうちに、どうやら結構な時間拝んでいたらしい。ひょいと三角耳を摘ままれて驚きに目を開けば、銀さんが呆れた顔で俺を見ていた。

「銀さん? 何持って来たの?」
「紅茶だ……熱いぞ」
「わっ、ありがとう!」
 石の脇へと場所を移動した銀さんが、その場に腰を下ろす。ガサゴソしている様子に首を捻りながら近寄れば、再びバッグを漁って取り出したのは水筒と紙コップだった。
 湯気を立てる紅茶が紙コップへと注がれる。
 長い時間休憩も無しで歩いて来たから喉はカラカラだったし、歩いている間は気にならなかった寒さも、じっとしていると徐々に足元から這い上がって来る。
 そんな時に温かな紅茶を差し出され、嬉しさに尻尾が揺れているのが自分でも分かる位だ。銀さんの隣へと腰を下ろして紙コップを受け取ると、手袋越しにほんのりとした温かさが伝わって来てホッとする。

 自分の分を注いだ後に、もうひとつ紙コップを取り出した銀さんは、それにも残りの紅茶を入れていく。
(ああ、そうか……お母さんの分)
 薔薇の花の隣へそっと紙コップを置いて戻って来た銀さんの表情が、ちょっぴり寂しそうに見える。オレがそう感じただけなのかもしれないけれど、その寂しさを少しでも埋めて上げたくなった。
「小太郎?」
「くっついてた方が寒くないから……」
 突然距離を詰めて寄り添ったオレに、銀さんから訝しげな声が掛かる。
 触れ合う部分から感じる銀さんの体温に、どこか恥ずかしさを感じながらも言い切れば、銀さんはふっと表情を緩めてくれた。
「……小太郎、お前に話がある」
「話?」
 銀さんがオレを見ているのは感じていたけれど、近い距離が恥ずかしくて銀さんを見ることが出来ないオレは、紅茶に息を吹きかけて冷ますふりを続けていた。


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