孤狼に愛の花束を

柚子季杏

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孤狼に愛の花束を (20)

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「森下先生? こちらですか?」
「ああ――入れ」
 数日後、滅多に他人を入れない作業場に姿を見せたのは、小太郎ではなく取引業者の担当者だった。

 扉の外から聞こえる声に立ち上がり中へと導けば、食えない笑顔を浮かべた男が社交辞令を述べながら室内へと歩を進めてくる。
「何度も言っているが、先生という呼ばれ方は好きじゃない。今度その呼び方をしたら、あんたの所との契約更新は見送らせてもらうからな」
「あはは、すみません、つい癖で……って、どうしたんですか? 随分綺麗に片付いちゃって……先代が生きてらした頃からのお付き合いですけど、この部屋がこんなに綺麗なのは初めて見ましたよ」
 入ってくるなり片付いたスペースを目にした男が、大袈裟な仕草で肩を竦めて見せる。何を感じ取ったのか、視線が落ち着き無く小屋の中を彷徨うのに苛立ちが募った。
「仕事の話をしたいんだが」
「あっ、そうでした、そうでした。森下さんから呼び出されるなんて青天の霹靂だって、社内でも噂になってるんですよ……あ、これ社からのお土産です」
 鼻を蠢かしていた男が、俺の苛立ち混じりの声にようやく作業台へと近付いて来る。
 受け取らないわけにもいかず受け取った、甘ったるい匂いのする紙袋を無造作に足元に置き、俺はひとつの薔薇を手に取り男の視線に入るように持ち上げた。
「こいつを見てもらえないか」
「うちから発注させてもらった品ですね……って、あれ? ちょっと森下さん、これってデザイン画と違いませんか?」
「発注品は発注品で作業途中だ。それは、まぁ、試作品というか」
「試作品? 森下さんからそんな前向きな事を言い出すなんて、今夜は雪が降るんじゃないですか? それとも、誰かの影響ですかねえ……嗅ぎ慣れない匂いがしますし」
 突き付けた薔薇を受け取った男が、ニヤニヤと笑いながら薔薇を検分していく。
 いけ好かないヤツだ。正直な話、俺はコイツが得意じゃない。何故なら……コイツも俺と同じく、獣人だからだ。ただし俺とは違って、人間界に溶け込みながら生きている、要領のいい男。

「今受けている仕事までは、既存のデザインで作る。だが今後は他人の手を加えずにやっていきたい」
「へぇ……森下さんの作品は素焼きの品がほとんどですけど、色付けもご自分でなさると?」
「ああ、そうだ」
 人を小馬鹿にしたような言い方にムッとする気持ちを抑えつつ、頷いてみせる。
「但し、色付けと言っても個人作業だからな。焼きの発色で違いも多少は出てくるが……基本は色付けというよりも釉薬を用いての焼きだけにしたい。これまでも色が付くような品は、大して受けていないはずだろう?」
「ええ、まあ……森下さんの作品は、基本シンプルに仕上げてますけど、そんな面倒な事をするなら、今まで通りで良いんじゃないですか?」
「俺の受け取る金は今まで通りで構わない。外注で適当に色付けをしているんだろう? 今回の物でいえばスタンドの取り付けか……作り手が俺でなくても構わない作品なら、引き受ける意味も無いからな」
 作品を卸している現場に出向いたことも無ければ、完成品のサンプルもいらないと断っていた。パンフレット等の確認で写真は目にしたこともあるが、どれも俺の作った品だとは言いたく無い、安っぽい仕上がりのものばかりな印象だった。
 大量生産品で賄える程度の出来栄えの品が欲しいのならば、俺に依頼を回さなくても良いと言い切れば、渋る表情を見せていた相手も仕方がないと頷いた。
「まあ、そうですね……下請けに払う代金がいらないというのは、確かに魅力的です。今までの素焼き状態でも、気に入って下さる方も一定数いましたし、上と掛け合ってみますよ」
「――それからもう一点」
「まだ何かあるんですか?」
 了承の言葉を引き出した俺は、脇に置いていた小太郎のスケッチブックを手に取った。
「その薔薇の花の差込部分に、こういったカードを添えたい」
「へえ! こりゃいい! これならシンプルでこれといった特徴もない森下さんの作品にも華が出ますね……っと、失礼」

 見せたのは小太郎が描き殴りでデッサンしていったページだ。様々な型のカードデザインを見せれば、相手の瞳がそろばんを弾くように煌いた。短い付き合いでもないから、良い傾向とは言い難いと分かる。開いていたページを閉じて手元へ戻せば、相手の顔に不満の色が浮かんだ。
「言っておくが、デザインを盗もうとは思うなよ? あくまで案として人から借りている物だからな」
「分かってますって、信用無いなあ」
 信用など出来るはずもない。何しろこの豊川とよかわという男の正体は、人を欺くことが得意な狐だ。 食えない笑顔の下で、どんな算段を張り巡らせているか分かったものじゃない。
「そうですね、その件も上に掛け合ってみますよ。上手く行ったら商標利用の相談もさせて頂きたいんで、デザインを描かれた方のお名前とご連絡先を伺えないですかね?」
「連絡先は聞いてない。時折ここに来るっていうだけの付き合いだ。話は俺を通して進めてもらえればそれでいい」
 俺も決して世慣れしているとは言えないが、生温い獣人界しかしらない小太郎に、この男の相手をさせるつもりは無かった。

『オレがデザインしたのが世の中に出るような仕事、夢なんだよね』

 そう語っていた小太郎の喜びに崩れる笑顔は見てみたい気もするけれど、悲しませるような事態になっては困る。
(困る、か……)
 もう認めるしかないのだろう。
 誰かに習ったわけでもない、感じたことの無いこの感情。多分俺は、小太郎に嵌まってしまっている。
 父と母のように、寄り添い合って最期の時を迎えるまで……そこまで想えているのかは分からないけれど、少なくともあの笑顔を守ってやりたいと考えるほどには。
「おやおや、そのデザインスケッチを描かれたお相手のことでもお考えですか?」
「……」
「おお怖っ、睨まないで下さいって。森下さんのそんな表情初めて見たもので、つい」
 ニヤニヤと笑う豊川の言葉が癪に障り睨み付けても、意に介せずといった風に肩を竦めて話を逸らされる。これだからコイツは信用がならないのだ。
「取りあえずこのサンプル、お借りしていきますね。諸々上司と相談させて頂いて、また寄らせて頂きます」
 ひらひらと薔薇の花を振り翳しながら去って行く背中が視界から消えたところで、俺は詰めていた息を吐き出した。勝手に話を進めてしまったけれど、これで良かったのだろうかと、少しばかり不安に思いながら。


◇◆◇


 昨夜降った雪が融け切らない森の中を、オレは銀さんの後に従いながら必死で歩いていた。

 今週もまた作業小屋へ顔を出したオレのことを、当たり前のように迎え入れてくれた銀さんから話を振られたのは、10時のお茶の時間だった。お茶の時間っていっても、オレが勝手に決めてるだけだけど。
「銀さんコーヒーで良かった?」
「……ああ」
 来る度に、銀さんの作業机の横にある乾燥棚に乗せられた板の上には、薔薇の花が増えていく。
 季節はこれから長い冬になろうとしているというのに、まるでそこだけが春のようで、見ているだけでも笑顔が零れる。
「小太郎」
「ん? 何?」
 淹れたてのココアに息を吹きかけながら啜るオレに、銀さんから声が掛かった。
「スケッチ、してたのか?」
「うんっ、折角だからオレもここにいる間は色々好きなことやらせてもらおうと思って」
「そうか……」
 前回綺麗に棚へと並べた銀さんの作品を、まずは一品ずつスケッチしていこうと、今回新しいスケッチブックを持参して来た。そこから発想が膨らめば、デザイン展開もしていきたいと思いつつ、色んな角度からの描写を描き込んでいくつもりだ。
 スケッチブックの片隅に、こっそり銀さんを描いたら怒られるだろうか……オレは人物が得意なわけじゃないから、勝手に描いたものを見られたら気分を悪くされるかも。

 そんなことを考えながらの一時間を終えてのお茶タイム。
『そうか……』 とひと言口にしたまま、銀さんが動きを止めてじっとオレを凝視する。
「ぎ、銀さん?」
「……午後から行きたいところがあるんだが」
「え? それって、オレは帰らなくちゃ駄目ってこと?」
 一週間ぶりに会えたというのに。指折り数えて、土曜日が来るのを待っていたのに、来て数時間で帰らなくちゃいけないのかとガックリ肩を落としたオレに、銀さんの目元が和らいだ。
「全くお前は……耳と尻尾が見えるようだな」
「耳と尻尾? 出てないよ? え、出てたの? 何?」
「いや……お前も来るか?」
「っ、うん!」
 銀さんの言葉に慌てて頭を触ってみたけれど、ニョッキリ飛び出るはずの耳は出ていない。
 気を抜いていたからかと驚いたのに、首を捻るオレに首を横に振った銀さんが、一拍置いて誘いの言葉を掛けてくれたのだった。
 それきり会話は途切れてしまって、銀さんは作業に戻ってしまったから、何処に行くのかを聞きそびれてしまった。だってお昼は弁当の出来が気になって、それどころじゃなかったのだから仕方がない。

 仕方が無いけれど……二つ返事で頷いた自分が、今はちょっぴり恨めしく感じる。


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