孤狼に愛の花束を

柚子季杏

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孤狼に愛の花束を (17)

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「うぅ……寒いっ」

 トンネルを潜って銀さんの家に向かいながら、しんしんと冷えた森の空気を感じて震えてしまう。陽の当たるところはまだ良いけれど、一歩影に入ってしまうと目茶苦茶寒い。
 自分の中のコンプレックスのひとつでもあるこの体型のせいもあるんだろう。どんなに頑張って食べても、縦にも横にも伸びやしないんだもんな。というより、食べ過ぎるとお腹を壊したり胃がやられたり……本当どうしようもない。頑張って食べたところで、その量は同じ年頃のやつと比べたら全然少ないのに。
「……どうやったら銀さんみたいな体型になれるんだろう」
 すらりとしていて背も高くて、かといって痩せてガリガリってわけじゃなく、シャツの上からでも分かる均整の取れた男らしい身体付き。オレがどう足掻いても手に入れることは出来ないと分かっているから、憧れる。

「家の方にはいないか――」
 一応の礼儀として自宅玄関に向かったけれど、案の定インターホンを押しても返事はなかった。どうやら銀さんは既に作業小屋にいるらしい。
 最初は余りに古い建物に驚いたけれど、先週来た時に掃除をしていて気が付いた。古いことは古いけど、あちこちに修繕の跡があって、大事に使われているんだなってことに。
 大量の荷物に覆いつくされて、パッと見には分かり辛い。でも愛着を持っている場所なのだと、古いガラス窓や薪のストーブなんかをそのまま使ってることからも伝わってくる。
 その大切な場所に、オレも受け入れてもらえたことが嬉しい。

「……銀さん?」
「――今日は早いな」
「うんっ、お邪魔します……ッ、銀さん?」
「真っ赤だ、冷たい」
「あ、うん――えっと、片付け、続きやるね!」
「ああ」

 ノックをしても返事が無いからと、そっと扉を開けて中に入れば、作業台の前に座っていた銀さんがオレに気付いて振り返った。
 視線が合ったことが嬉しくて駆け寄ったオレの頬を、何気無い仕草で銀さんの手の甲が撫でるから、寒さのせいだけじゃなくて頬に血が集まってしまう。
 そんな自分の反応にびっくりしてしまって、コートを脱ぐふりをして銀さんから距離を取ってしまった。だって、何だか、変なんだ。ドキドキしちゃって、まともに銀さんの顔を見ることが出来なかったから。
「こ、ここは暖かいね! 寒いとこから来ると鼻水出てくる!」
「……垂らすなよ」
「イタッ、垂らさないよ! そんなに子供じゃないってば」
 銀さんから離れて、小屋の隅っこに脱いだコートと荷物を置かせてもらう。ずずっと鼻を啜れば、呆れ混じりの声と一緒に、トイレットペーパーが飛んで来て、オレの頭に当たって転がった。
「よりにもよってトイレットペーパーとか……まあ、いいけど」
「飲み物は適当に飲め。そっちに湯が入ってる」
「あ……うんっ、ありがと!」
 吾郎にこの遣り取りを見せてやりたい!
 だってこの間まで、この作業小屋にポットなんて無かったんだ。薪ストーブの上に古いヤカンがひとつ乗っていて、銀さんはそのヤカンから直接お湯をカップへと注いでいた。それなのに、お茶道具の置いてあるスペースの隣に、今日は小さなハンドポットが準備されている。
(これってやっぱり、オレのために用意してくれたんだよね?)
 薪ストーブはオレの超お気に入りになっているけど、上に乗ってる大きなヤカンを持ち上げたりするのは、普段ファンヒーターしか使っていないオレにはちょっと怖かったんだ。
 この間もそれで躊躇っていたオレに、銀さんは何も言わずヤカンを手に取って、オレのカップへと湯を注いでくれたんだ。
(うっわぁ、ヤバイ。銀さんやっぱり超良い人! でもって! 顔がにやけて困るってば!)
 嬉しさに頬を緩ませながらちらりと銀さんを見れば、もう既に自分の世界に没頭しているらしく、真剣な眼差しで手元を動かしていた。
 少し長い前髪が邪魔なのか眉間には皺が寄っている。時々頭を軽く振って視界を取ろうとする度に、銀のメッシュが入った黒髪がサラリと揺れた。
「――片付けるんじゃなかったのか」
「っ! い、今やろうと思ってたとこ!」
「ふっ……そうか」
 銀さんが、笑った。

 ほんの一瞬の出来事。
 口の端が僅かに持ち上がっただけで、視線もオレを捕らえてはいなかったけれど、普段が無愛想なだけにその和らいだ表情にどきりとした。どきりとして、そのままドキドキが止まらなくて……やっと治まった頬の熱が、またぶり返してくる気がした。

 思わず見惚れてしまっていたけれど、銀さんに不審がられるのが嫌で、慌てて片付けの続きに取り掛かる。
 棚の前の張り出した2畳ほどの板張りのスペースは、先週来た時に片付けたからスッキリしている。だけどこの板張りスペースを拭き掃除する前に棚を何とかしないと、今拭いてもすぐに埃塗れになりそうだ。
 銀さんの作品やオレには良く分からない作業道具、どっからどう見てもゴミとしか見えない空き箱や紙屑。
 全ての物を一旦下ろして、まずは棚を綺麗に拭いていくことにした。けれど見た目以上にギッシリと詰め込まれていた様々な物を、棚から出しただけでヘトヘトになってしまう。
「……つ、疲れたぁ」
「こんなに物が詰まっていたのか」
「銀さん、詰め込み過ぎだよ……」
 土間にぺたんと座り込んで、一度は片付けたはずの板張りスペースを埋め尽くす荷物を眺めていたら、いつの間に後ろに来ていたのか銀さんの声が上から降って来た。
「飯を食う場所も無いな」
「えっ? もうそんな時間?」
 士郎の出勤に合わせて家を出てきたから、9時過ぎにはここに着いていた。ということは、休憩も取らずに3時間も頑張ってたってことか。
「仕方ない……母屋で食うか。行くぞ」
「あっ、待って銀さん!」
 ワシャっとオレの髪を掻き回した銀さんが、そのまま背を向けるから。オレは弁当の入った鞄を手に、慌ててその後を追い駆けたのだった。


◇◆◇


 小太郎を連れて母屋へと向かいながら、不思議な感情に振り回されている自分を鑑みる。

 忘れていた感情。
 誰かを想うという心。

 遠い昔に置いてきたそんな温かさを、小太郎と出会って思い出した気がする。


「うわっ、こっちは寒いね」
「火を焚いてなかったからな……少し待て」
「薪ストーブってそうやって点けるんだ? あっ、点いた!」
「茶を入れてくるから、炬燵に入ってろ」
 朝から作業小屋にいたせいで冷え切っていた室内に、小太郎が小さく震える。
 ストーブに薪をくべ、古雑誌を破った物に火を点け投げ入れてやれば、一瞬の間を置いて炎が上がる。徐々に燃えていく様子を、小太郎は両手を翳して温まりながら飽きずに見入っていた。

 俺にとっての日常も、小太郎にとっては新鮮なのだろう。そして俺にとっても、他人と過ごす時間というのは新鮮なものだった。

 他人嫌いの俺の懐へと、いつの間にかするりと入り込んで来ていた小太郎。追い返す理由も見付けられず、小太郎のペースに乗せられてしまっている自分に苦笑してしまう。
 あまりの賑やかさに溜息が出ることもあるけれど、疎ましさは感じていないのだから不思議なものだ。
 それどころか、独りで生きていくと決めた俺には余計な感情だということは分かっているのに、俺の言動ひとつひとつに活き活きとした表情を見せる小太郎から、意識を切り離せずにいる。
 爺さんの部屋として使っていた押入れのを引っ掻き回してポットを探してみたり、週末が近付くにつれてそわそわと落ち着かなくなったり。
 俺にとっては邪魔なだけだったはずの感情に、少しの心地好ささえ覚えているのだから。
(一過性のものだ……そのうちコイツも来なくなる)
 ここで過ごす時間は街に出るための練習だと言っていた。その目標が果たせれば、小太郎が俺の元を訪ねて来る理由など無くなるのだろう。
 ならばそれまでの一時。
 いつまで続くか分からない短い時間だけなら、こんな風に、いつもと違う自分で過ごすのも悪くはない。

 自分の感情の変化に何らかの理由付けをしたくて、この一週間を掛けて自分にそう言い聞かせてきた。
 初めから長くは無い時間だと分かっていれば、深入りすることもない。自分の生き方を変えるつもりはないけれど、人生の中でのほんの一瞬ならば許されるのではないかと、そんな言い訳めいたことばかりを考えていた。

「銀さん美味しい?」
「……ああ」
「良かったあ! そぼろがちょっと焦げちゃったんだけど、味は悪く無いよね!」
 俺の反応を窺う小太郎の瞳の中に、期待と不安の色が見て取れる。頷きを返せばようやくホッとしたのか、満面の笑顔を浮かべながら自分も弁当を食べ始めた。


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