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孤狼に愛の花束を (15)
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俺の了承を得たことで、鼻歌を歌いながらどこから手を付けようかと棚と向き合う後姿を、横目でそっと盗み見てから自分の作業へと向き直る。
今までであれば他人が傍にいるというだけで苛立ちを感じていた自分が、騒がしく感じても良い筈の小太郎の声や動きを、自然なものとして受け入れている。
小太郎が他人の顔色や感情を読み取る力に長けていることも、理由のひとつなのだろう。決して踏み込み過ぎては来ない。引くところは引く。そんな小太郎の自然な行動が、俺の中でのアイツという存在の受け止め方へと繋がっているような気がした。
棚に適当に押し込めてある雑多な物の片付けの前に、どうやら小太郎は棚下の板張りスペースの整理に取り掛かることにしたようだった。
「うーん、これは……どう見てもゴミ。銀さん、こういうのは取っておいた方が良い?」
等と判断に迷う物だけは俺に声を掛け、指示を仰ぎつつ片付けを進めていく。邪魔はしないという約束を守りながら、楽し気に身体を動かす小太郎。
手を付けるのが面倒で、足の踏み場にも困るほど雑然としていたその場所に、少しずつ広い空間が生まれていくのを、俺は自分の作業を続けながら眺めていた。
「……何か飲むか?」
声を掛けたのは時計の針が15時を少し回った頃だった。
額に薄っすら汗を浮かべながら動き回っていた小太郎が、満面の笑みを浮かべる。
「好きなのを飲め」
「うわっ、ココアがある! 銀さんこれ、買って来てくれたの? オレのために?」
「――俺もたまには甘い物も飲む」
「そっかあ、へへ。んじゃあオレ、ココアもらうね」
余りにもキラキラとした瞳に見つめられて、つい視線を逸らしてしまう。そんな俺を見た小太郎が、簡単に俺の嘘を見抜いて頬を緩ませるから、舌のひとつも打ち鳴らしたくなるというものだ。
俺の気も知らずに、小太郎は嬉しそうに微笑みながら、渡したカフェオレボウルにココアの粉を入れて行く。
「えっと……お湯は?」
「持って来い」
きょろきょろと辺りを見回す小太郎を呼び寄せ、ストーブの上に乗せていたヤカンを手に取り、持っていた器へと注いでやる。途端に作業小屋の中には甘い匂いが溢れ返った。
「銀さんはコーヒー?」
「ああ」
「えへへ」
「何だ?」
コーヒーを手に片付き始めている棚を眺めていた俺をちらちらと窺いながら、小太郎がにまにまと笑う。全身から伝わってくる小太郎の感情は、尻尾が見えていればぶんぶんと振り回されていると思えるほどで。
「今日はココア、飲まないの?」
「……甘いのはたまにでいい」
「やっぱりオレのために買ってくれたんだね、ありがとう銀さん」
「そういうわけじゃ……いや、まあいい」
余りにも嬉しそうな顔をするものだから、言い訳をする気も起きてこない。ひとつ息を吐き出し棚の前のスペースへと腰を下ろせば、小太郎が当然とばかりに隣に座り、引き寄せた鞄の中から一冊の本を取り出した。
「これ、銀さんに見せるって約束してた絵本」
「絵本?」
そういえば、この間そんなことを言っていたような気もする。大切そうに両手で抱えた絵本を、小太郎は俺に向けて差し出してきた。
「随分ボロボロだな」
持っていたカップを脇に置き、差し出された絵本を受け取る。あちこちをセロハンテープで補強された絵本は、注意して捲らなければすぐにページが抜け落ちてしまいそうだった。
「この本ね、じいちゃんに買ってもらったんだ」
小さな頃は今よりももっと身体が弱かったのだと、小太郎は少し寂しげに笑う。
生まれて来た時には仮死状態で、助かったことすら奇跡に近かったらしい。
今ですら丈夫とは言い切れないらしいが、幼い頃のそれは顕著で。少し無理をすればすぐに熱を出して寝込んでしまう。幼稚園や学校にも思うように通えず、同年代の友人もなかなか出来なかったのだと語る。
「オレにしては珍しく体調が良かった時に、散歩に連れてってくれた爺ちゃんと本屋に入ったんだ。そこで表紙見て一目惚れしちゃって」
綺麗でしょ? と首を傾げられ、改めて表紙を見てみる。
そこには虹がひと際目を引く、繊細で温か味を感じさせるイラストが描かれていた。もちろん表紙も何度も読み返した後がうかがい知れるほど薄汚れていたけれど、それでも大切にされてきたのだということは伝わってきた。これほどまでに読み込まれれば、本としても本望だろう。
「中の話を読んだらね、子供ながらに大感動しちゃって。オレは無いもの強請りばっかりしててさ。外で遊びたいとか、死んだ母さんに会いたいとか……家族を困らせてばっかだったんだ」
その時のことを思い出したのか、小太郎の声の調子が沈んだ。
「読んでもらうと分かるんだけど、幸せって実は自分の身近なところにあるんだって、その本読んで初めて分かった。今だって自分は十分幸せなんだって」
捲った頁の中では、主人公らしい少年が野を超え谷を下りの冒険の旅に出ていた。その先々で出会う人々との会話の中で、自分の求めていた本当の意味での幸福は、今までの暮らしの中に存在していたことを理解していくという、青い鳥とかいう童話を思い返させる内容だった。
「――そうだな。お前には家族がいる。それは、幸せなことだ」
「ん、本当にそうだよね……読むたびに色んな気付きをオレにくれた本なんだよ。その内に主人公の男の子に憧れちゃって。オレも絶対いつか一人で冒険してやる! って思ったんだ。まあでも、その結果が銀さんとの出会いに繋がるんだけど」
ペロリと舌を出して見せる小太郎をちらりと見れば、少し恥ずかしそうにはにかんだ小太郎が頭を下げる。
「あの時はありがとう。オレ、銀さんに見付けてもらえなかったら、今頃ここにいられなかったかもしれない」
「何度も言わせるな。礼を言われるほどのことじゃない」
「……へへ、うん――でも、ありがとう」
礼など言われ慣れていない俺は、そんな風にされるとどうして良いのかが分からず、対応に困ってしまう。困った末に取った行動はといえば、目の前に下げられた小太郎の頭を、手の平で軽く押しやることくらいだった。
「もうこんな時間かあ……」
頭を起こした小太郎が時計を見て溜息を吐いた。
一人でいる時には特に時間を意識したことも無かったけれど、気付けば三十分、一時間と過ぎている時間の早さに内心驚愕する。隣に小太郎がいるだけで、こうも変わってくるというのだろうか。
「名残惜しいけどそろそろ帰るね。また来週来た時に続きやるから、片付け途中だけどこのままにしておいてもらえる?」
「それは構わないが――」
明日は来ないのか? そんな言葉が喉元で止まる。
俺は一体何を言おうとしていたんだ? こいつがいようがいまいが、俺のやるべきことが変わるわけじゃない。気を取られて時間を無駄にするのならば、傍に小太郎がいない方が良いに決まっているのに。
「本当は続けて来たいんだけど、そんなことしたら週一で来るのすら止められそうだもん」
「止められる?」
「小さい頃は身体が弱かったし、今も強い方じゃないってのは銀さんも既に知っての通りでしょ? 無理するとこの間みたいに寝込むことになるだろうって、ゴローちゃん達にNG出されたんだよね」
「なるほどな」
「言われる内容は悔しいんだけど、でも……確かにさあ、ずっと完璧な人型でいるのって、今のオレの体力じゃ結構大変なんだ……だけどさ、だからってあっちでぬくぬくしてるままじゃ、いつまで経っても変われないじゃん?」
少しばかり拗ねた口調で言葉を発する小太郎は、実際の歳よりもだいぶ幼く見える。
ただでさえ全てのパーツがこじんまりとしていて幼い印象を受けるだけに、兄弟達が心配する気持ちも判らなくは無かった。
「それだけ愛されているんだろう」
「……まあ、そうなんだけど」
「そういえば今日は耳も尻尾も出ていないな」
どこか物足りなさを感じる小太郎の頭をまじまじと見れば、急に表情を引き締めた小太郎が真面目な顔をして頷いた。
「練習中なんだ」
「練習中?」
「ここには滅多に人間は来ないけど全然来ないわけじゃないって、銀さんも言ってたし、適度な緊張感って大事だと思うから。銀さんの前でだけなら、万が一変化が解けても平気だろ? だけどなるべく頑張って、人間界の空気に早く慣れて……人型を保っていられるようになりたいんだ」
なるほどなと合点がいく。
俺のような無愛想で面白みも無い相手にわざわざ会いに来るコイツの気持ちが分からずにいたが、俺に会いに来ているというよりも、俺を利用しに来ているのか。
それを理解した瞬間、コイツのためにと自分じゃ滅多に飲まないココアまで準備していた自分に、何故か腹が立ってきてしまう。
「それに……銀さんの傍にいると、何か楽しいんだよね。サヨナラすると、またすぐに会いたくなっちゃうんだ――そういうのって変かなあ?」
「っ……さあな。俺には分からん」
「だよねえ……まいっか、オレが会いたいんだし」
どきりとした。
心の内を見透かされてしまったのかと。
けれど小太郎のその言葉に、苛ついたはずの心が満たされていくのを確かに感じた。
今までであれば他人が傍にいるというだけで苛立ちを感じていた自分が、騒がしく感じても良い筈の小太郎の声や動きを、自然なものとして受け入れている。
小太郎が他人の顔色や感情を読み取る力に長けていることも、理由のひとつなのだろう。決して踏み込み過ぎては来ない。引くところは引く。そんな小太郎の自然な行動が、俺の中でのアイツという存在の受け止め方へと繋がっているような気がした。
棚に適当に押し込めてある雑多な物の片付けの前に、どうやら小太郎は棚下の板張りスペースの整理に取り掛かることにしたようだった。
「うーん、これは……どう見てもゴミ。銀さん、こういうのは取っておいた方が良い?」
等と判断に迷う物だけは俺に声を掛け、指示を仰ぎつつ片付けを進めていく。邪魔はしないという約束を守りながら、楽し気に身体を動かす小太郎。
手を付けるのが面倒で、足の踏み場にも困るほど雑然としていたその場所に、少しずつ広い空間が生まれていくのを、俺は自分の作業を続けながら眺めていた。
「……何か飲むか?」
声を掛けたのは時計の針が15時を少し回った頃だった。
額に薄っすら汗を浮かべながら動き回っていた小太郎が、満面の笑みを浮かべる。
「好きなのを飲め」
「うわっ、ココアがある! 銀さんこれ、買って来てくれたの? オレのために?」
「――俺もたまには甘い物も飲む」
「そっかあ、へへ。んじゃあオレ、ココアもらうね」
余りにもキラキラとした瞳に見つめられて、つい視線を逸らしてしまう。そんな俺を見た小太郎が、簡単に俺の嘘を見抜いて頬を緩ませるから、舌のひとつも打ち鳴らしたくなるというものだ。
俺の気も知らずに、小太郎は嬉しそうに微笑みながら、渡したカフェオレボウルにココアの粉を入れて行く。
「えっと……お湯は?」
「持って来い」
きょろきょろと辺りを見回す小太郎を呼び寄せ、ストーブの上に乗せていたヤカンを手に取り、持っていた器へと注いでやる。途端に作業小屋の中には甘い匂いが溢れ返った。
「銀さんはコーヒー?」
「ああ」
「えへへ」
「何だ?」
コーヒーを手に片付き始めている棚を眺めていた俺をちらちらと窺いながら、小太郎がにまにまと笑う。全身から伝わってくる小太郎の感情は、尻尾が見えていればぶんぶんと振り回されていると思えるほどで。
「今日はココア、飲まないの?」
「……甘いのはたまにでいい」
「やっぱりオレのために買ってくれたんだね、ありがとう銀さん」
「そういうわけじゃ……いや、まあいい」
余りにも嬉しそうな顔をするものだから、言い訳をする気も起きてこない。ひとつ息を吐き出し棚の前のスペースへと腰を下ろせば、小太郎が当然とばかりに隣に座り、引き寄せた鞄の中から一冊の本を取り出した。
「これ、銀さんに見せるって約束してた絵本」
「絵本?」
そういえば、この間そんなことを言っていたような気もする。大切そうに両手で抱えた絵本を、小太郎は俺に向けて差し出してきた。
「随分ボロボロだな」
持っていたカップを脇に置き、差し出された絵本を受け取る。あちこちをセロハンテープで補強された絵本は、注意して捲らなければすぐにページが抜け落ちてしまいそうだった。
「この本ね、じいちゃんに買ってもらったんだ」
小さな頃は今よりももっと身体が弱かったのだと、小太郎は少し寂しげに笑う。
生まれて来た時には仮死状態で、助かったことすら奇跡に近かったらしい。
今ですら丈夫とは言い切れないらしいが、幼い頃のそれは顕著で。少し無理をすればすぐに熱を出して寝込んでしまう。幼稚園や学校にも思うように通えず、同年代の友人もなかなか出来なかったのだと語る。
「オレにしては珍しく体調が良かった時に、散歩に連れてってくれた爺ちゃんと本屋に入ったんだ。そこで表紙見て一目惚れしちゃって」
綺麗でしょ? と首を傾げられ、改めて表紙を見てみる。
そこには虹がひと際目を引く、繊細で温か味を感じさせるイラストが描かれていた。もちろん表紙も何度も読み返した後がうかがい知れるほど薄汚れていたけれど、それでも大切にされてきたのだということは伝わってきた。これほどまでに読み込まれれば、本としても本望だろう。
「中の話を読んだらね、子供ながらに大感動しちゃって。オレは無いもの強請りばっかりしててさ。外で遊びたいとか、死んだ母さんに会いたいとか……家族を困らせてばっかだったんだ」
その時のことを思い出したのか、小太郎の声の調子が沈んだ。
「読んでもらうと分かるんだけど、幸せって実は自分の身近なところにあるんだって、その本読んで初めて分かった。今だって自分は十分幸せなんだって」
捲った頁の中では、主人公らしい少年が野を超え谷を下りの冒険の旅に出ていた。その先々で出会う人々との会話の中で、自分の求めていた本当の意味での幸福は、今までの暮らしの中に存在していたことを理解していくという、青い鳥とかいう童話を思い返させる内容だった。
「――そうだな。お前には家族がいる。それは、幸せなことだ」
「ん、本当にそうだよね……読むたびに色んな気付きをオレにくれた本なんだよ。その内に主人公の男の子に憧れちゃって。オレも絶対いつか一人で冒険してやる! って思ったんだ。まあでも、その結果が銀さんとの出会いに繋がるんだけど」
ペロリと舌を出して見せる小太郎をちらりと見れば、少し恥ずかしそうにはにかんだ小太郎が頭を下げる。
「あの時はありがとう。オレ、銀さんに見付けてもらえなかったら、今頃ここにいられなかったかもしれない」
「何度も言わせるな。礼を言われるほどのことじゃない」
「……へへ、うん――でも、ありがとう」
礼など言われ慣れていない俺は、そんな風にされるとどうして良いのかが分からず、対応に困ってしまう。困った末に取った行動はといえば、目の前に下げられた小太郎の頭を、手の平で軽く押しやることくらいだった。
「もうこんな時間かあ……」
頭を起こした小太郎が時計を見て溜息を吐いた。
一人でいる時には特に時間を意識したことも無かったけれど、気付けば三十分、一時間と過ぎている時間の早さに内心驚愕する。隣に小太郎がいるだけで、こうも変わってくるというのだろうか。
「名残惜しいけどそろそろ帰るね。また来週来た時に続きやるから、片付け途中だけどこのままにしておいてもらえる?」
「それは構わないが――」
明日は来ないのか? そんな言葉が喉元で止まる。
俺は一体何を言おうとしていたんだ? こいつがいようがいまいが、俺のやるべきことが変わるわけじゃない。気を取られて時間を無駄にするのならば、傍に小太郎がいない方が良いに決まっているのに。
「本当は続けて来たいんだけど、そんなことしたら週一で来るのすら止められそうだもん」
「止められる?」
「小さい頃は身体が弱かったし、今も強い方じゃないってのは銀さんも既に知っての通りでしょ? 無理するとこの間みたいに寝込むことになるだろうって、ゴローちゃん達にNG出されたんだよね」
「なるほどな」
「言われる内容は悔しいんだけど、でも……確かにさあ、ずっと完璧な人型でいるのって、今のオレの体力じゃ結構大変なんだ……だけどさ、だからってあっちでぬくぬくしてるままじゃ、いつまで経っても変われないじゃん?」
少しばかり拗ねた口調で言葉を発する小太郎は、実際の歳よりもだいぶ幼く見える。
ただでさえ全てのパーツがこじんまりとしていて幼い印象を受けるだけに、兄弟達が心配する気持ちも判らなくは無かった。
「それだけ愛されているんだろう」
「……まあ、そうなんだけど」
「そういえば今日は耳も尻尾も出ていないな」
どこか物足りなさを感じる小太郎の頭をまじまじと見れば、急に表情を引き締めた小太郎が真面目な顔をして頷いた。
「練習中なんだ」
「練習中?」
「ここには滅多に人間は来ないけど全然来ないわけじゃないって、銀さんも言ってたし、適度な緊張感って大事だと思うから。銀さんの前でだけなら、万が一変化が解けても平気だろ? だけどなるべく頑張って、人間界の空気に早く慣れて……人型を保っていられるようになりたいんだ」
なるほどなと合点がいく。
俺のような無愛想で面白みも無い相手にわざわざ会いに来るコイツの気持ちが分からずにいたが、俺に会いに来ているというよりも、俺を利用しに来ているのか。
それを理解した瞬間、コイツのためにと自分じゃ滅多に飲まないココアまで準備していた自分に、何故か腹が立ってきてしまう。
「それに……銀さんの傍にいると、何か楽しいんだよね。サヨナラすると、またすぐに会いたくなっちゃうんだ――そういうのって変かなあ?」
「っ……さあな。俺には分からん」
「だよねえ……まいっか、オレが会いたいんだし」
どきりとした。
心の内を見透かされてしまったのかと。
けれど小太郎のその言葉に、苛ついたはずの心が満たされていくのを確かに感じた。
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