孤狼に愛の花束を

柚子季杏

文字の大きさ
上 下
15 / 48

孤狼に愛の花束を (15)

しおりを挟む
 俺の了承を得たことで、鼻歌を歌いながらどこから手を付けようかと棚と向き合う後姿を、横目でそっと盗み見てから自分の作業へと向き直る。
 今までであれば他人が傍にいるというだけで苛立ちを感じていた自分が、騒がしく感じても良い筈の小太郎の声や動きを、自然なものとして受け入れている。
 小太郎が他人の顔色や感情を読み取る力に長けていることも、理由のひとつなのだろう。決して踏み込み過ぎては来ない。引くところは引く。そんな小太郎の自然な行動が、俺の中でのアイツという存在の受け止め方へと繋がっているような気がした。

 棚に適当に押し込めてある雑多な物の片付けの前に、どうやら小太郎は棚下の板張りスペースの整理に取り掛かることにしたようだった。
「うーん、これは……どう見てもゴミ。銀さん、こういうのは取っておいた方が良い?」
 等と判断に迷う物だけは俺に声を掛け、指示を仰ぎつつ片付けを進めていく。邪魔はしないという約束を守りながら、楽し気に身体を動かす小太郎。
 手を付けるのが面倒で、足の踏み場にも困るほど雑然としていたその場所に、少しずつ広い空間が生まれていくのを、俺は自分の作業を続けながら眺めていた。


「……何か飲むか?」
 声を掛けたのは時計の針が15時を少し回った頃だった。
 額に薄っすら汗を浮かべながら動き回っていた小太郎が、満面の笑みを浮かべる。
「好きなのを飲め」
「うわっ、ココアがある! 銀さんこれ、買って来てくれたの? オレのために?」
「――俺もたまには甘い物も飲む」
「そっかあ、へへ。んじゃあオレ、ココアもらうね」
 余りにもキラキラとした瞳に見つめられて、つい視線を逸らしてしまう。そんな俺を見た小太郎が、簡単に俺の嘘を見抜いて頬を緩ませるから、舌のひとつも打ち鳴らしたくなるというものだ。
 俺の気も知らずに、小太郎は嬉しそうに微笑みながら、渡したカフェオレボウルにココアの粉を入れて行く。
「えっと……お湯は?」
「持って来い」
 きょろきょろと辺りを見回す小太郎を呼び寄せ、ストーブの上に乗せていたヤカンを手に取り、持っていた器へと注いでやる。途端に作業小屋の中には甘い匂いが溢れ返った。
「銀さんはコーヒー?」
「ああ」
「えへへ」
「何だ?」
 コーヒーを手に片付き始めている棚を眺めていた俺をちらちらと窺いながら、小太郎がにまにまと笑う。全身から伝わってくる小太郎の感情は、尻尾が見えていればぶんぶんと振り回されていると思えるほどで。
「今日はココア、飲まないの?」
「……甘いのはたまにでいい」
「やっぱりオレのために買ってくれたんだね、ありがとう銀さん」
「そういうわけじゃ……いや、まあいい」
 余りにも嬉しそうな顔をするものだから、言い訳をする気も起きてこない。ひとつ息を吐き出し棚の前のスペースへと腰を下ろせば、小太郎が当然とばかりに隣に座り、引き寄せた鞄の中から一冊の本を取り出した。
「これ、銀さんに見せるって約束してた絵本」
「絵本?」
 そういえば、この間そんなことを言っていたような気もする。大切そうに両手で抱えた絵本を、小太郎は俺に向けて差し出してきた。

「随分ボロボロだな」
 持っていたカップを脇に置き、差し出された絵本を受け取る。あちこちをセロハンテープで補強された絵本は、注意して捲らなければすぐにページが抜け落ちてしまいそうだった。
「この本ね、じいちゃんに買ってもらったんだ」
 小さな頃は今よりももっと身体が弱かったのだと、小太郎は少し寂しげに笑う。
 生まれて来た時には仮死状態で、助かったことすら奇跡に近かったらしい。
 今ですら丈夫とは言い切れないらしいが、幼い頃のそれは顕著で。少し無理をすればすぐに熱を出して寝込んでしまう。幼稚園や学校にも思うように通えず、同年代の友人もなかなか出来なかったのだと語る。

「オレにしては珍しく体調が良かった時に、散歩に連れてってくれた爺ちゃんと本屋に入ったんだ。そこで表紙見て一目惚れしちゃって」
 綺麗でしょ? と首を傾げられ、改めて表紙を見てみる。
 そこには虹がひと際目を引く、繊細で温か味を感じさせるイラストが描かれていた。もちろん表紙も何度も読み返した後がうかがい知れるほど薄汚れていたけれど、それでも大切にされてきたのだということは伝わってきた。これほどまでに読み込まれれば、本としても本望だろう。
「中の話を読んだらね、子供ながらに大感動しちゃって。オレは無いもの強請りばっかりしててさ。外で遊びたいとか、死んだ母さんに会いたいとか……家族を困らせてばっかだったんだ」
 その時のことを思い出したのか、小太郎の声の調子が沈んだ。
「読んでもらうと分かるんだけど、幸せって実は自分の身近なところにあるんだって、その本読んで初めて分かった。今だって自分は十分幸せなんだって」
 捲った頁の中では、主人公らしい少年が野を超え谷を下りの冒険の旅に出ていた。その先々で出会う人々との会話の中で、自分の求めていた本当の意味での幸福は、今までの暮らしの中に存在していたことを理解していくという、青い鳥とかいう童話を思い返させる内容だった。
「――そうだな。お前には家族がいる。それは、幸せなことだ」
「ん、本当にそうだよね……読むたびに色んな気付きをオレにくれた本なんだよ。その内に主人公の男の子に憧れちゃって。オレも絶対いつか一人で冒険してやる! って思ったんだ。まあでも、その結果が銀さんとの出会いに繋がるんだけど」
 ペロリと舌を出して見せる小太郎をちらりと見れば、少し恥ずかしそうにはにかんだ小太郎が頭を下げる。
「あの時はありがとう。オレ、銀さんに見付けてもらえなかったら、今頃ここにいられなかったかもしれない」
「何度も言わせるな。礼を言われるほどのことじゃない」
「……へへ、うん――でも、ありがとう」
 礼など言われ慣れていない俺は、そんな風にされるとどうして良いのかが分からず、対応に困ってしまう。困った末に取った行動はといえば、目の前に下げられた小太郎の頭を、手の平で軽く押しやることくらいだった。

「もうこんな時間かあ……」
 頭を起こした小太郎が時計を見て溜息を吐いた。
 一人でいる時には特に時間を意識したことも無かったけれど、気付けば三十分、一時間と過ぎている時間の早さに内心驚愕する。隣に小太郎がいるだけで、こうも変わってくるというのだろうか。
「名残惜しいけどそろそろ帰るね。また来週来た時に続きやるから、片付け途中だけどこのままにしておいてもらえる?」
「それは構わないが――」
 明日は来ないのか? そんな言葉が喉元で止まる。
 俺は一体何を言おうとしていたんだ? こいつがいようがいまいが、俺のやるべきことが変わるわけじゃない。気を取られて時間を無駄にするのならば、傍に小太郎がいない方が良いに決まっているのに。
「本当は続けて来たいんだけど、そんなことしたら週一で来るのすら止められそうだもん」
「止められる?」
「小さい頃は身体が弱かったし、今も強い方じゃないってのは銀さんも既に知っての通りでしょ? 無理するとこの間みたいに寝込むことになるだろうって、ゴローちゃん達にNG出されたんだよね」
「なるほどな」
「言われる内容は悔しいんだけど、でも……確かにさあ、ずっと完璧な人型でいるのって、今のオレの体力じゃ結構大変なんだ……だけどさ、だからってあっちでぬくぬくしてるままじゃ、いつまで経っても変われないじゃん?」
 少しばかり拗ねた口調で言葉を発する小太郎は、実際の歳よりもだいぶ幼く見える。
 ただでさえ全てのパーツがこじんまりとしていて幼い印象を受けるだけに、兄弟達が心配する気持ちも判らなくは無かった。
「それだけ愛されているんだろう」
「……まあ、そうなんだけど」
「そういえば今日は耳も尻尾も出ていないな」
 どこか物足りなさを感じる小太郎の頭をまじまじと見れば、急に表情を引き締めた小太郎が真面目な顔をして頷いた。
「練習中なんだ」
「練習中?」
「ここには滅多に人間は来ないけど全然来ないわけじゃないって、銀さんも言ってたし、適度な緊張感って大事だと思うから。銀さんの前でだけなら、万が一変化が解けても平気だろ? だけどなるべく頑張って、人間界の空気に早く慣れて……人型を保っていられるようになりたいんだ」
 なるほどなと合点がいく。
 俺のような無愛想で面白みも無い相手にわざわざ会いに来るコイツの気持ちが分からずにいたが、俺に会いに来ているというよりも、俺を利用しに来ているのか。
 それを理解した瞬間、コイツのためにと自分じゃ滅多に飲まないココアまで準備していた自分に、何故か腹が立ってきてしまう。
「それに……銀さんの傍にいると、何か楽しいんだよね。サヨナラすると、またすぐに会いたくなっちゃうんだ――そういうのって変かなあ?」
「っ……さあな。俺には分からん」
「だよねえ……まいっか、オレが会いたいんだし」
 どきりとした。
 心の内を見透かされてしまったのかと。
 けれど小太郎のその言葉に、苛ついたはずの心が満たされていくのを確かに感じた。


しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

獣化の呪いを受けた騎士があまりにも可愛すぎる件

鈴元 香奈
恋愛
王太子夫妻を救うため、魔女の呪いを受け獣化してしまった騎士が辺境の町にやって来る。 騎士団独身寮の管理をしている一家の娘アニカは、不安を感じながらも、不幸な境遇の彼に少しでも快適に過ごしてもらいたいと思っていた。 ケモミミと尻尾が生えてしまったせいで地方に飛ばされた騎士と、長閑な町に暮らす娘の物語。 *小説家になろうさんにも投稿しています。 表紙人物イラスト:tatsukimeg様(イラストAC)背景:うどん様(イラストAC)よりお借りしております。

ReBirth 上位世界から下位世界へ

小林誉
ファンタジー
ある日帰宅途中にマンホールに落ちた男。気がつくと見知らぬ部屋に居て、世界間のシステムを名乗る声に死を告げられる。そして『あなたが落ちたのは下位世界に繋がる穴です』と説明された。この世に現れる天才奇才の一部は、今のあなたと同様に上位世界から落ちてきた者達だと。下位世界に転生できる機会を得た男に、どのような世界や環境を希望するのか質問される。男が出した答えとは―― ※この小説の主人公は聖人君子ではありません。正義の味方のつもりもありません。勝つためならどんな手でも使い、売られた喧嘩は買う人物です。他人より仲間を最優先し、面倒な事が嫌いです。これはそんな、少しずるい男の物語。 1~4巻発売中です。

異世界に降り立った刀匠の孫─真打─

リゥル
ファンタジー
 異世界に降り立った刀匠の孫─影打─が読みやすく修正され戻ってきました。ストーリーの続きも連載されます、是非お楽しみに!  主人公、帯刀奏。彼は刀鍛冶の人間国宝である、帯刀響の孫である。  亡くなった祖父の刀を握り泣いていると、突然異世界へと召喚されてしまう。  召喚されたものの、周囲の人々の期待とは裏腹に、彼の能力が期待していたものと違い、かけ離れて脆弱だったことを知る。  そして失敗と罵られ、彼の祖父が打った形見の刀まで侮辱された。  それに怒りを覚えたカナデは、形見の刀を抜刀。  過去に、勇者が使っていたと言われる聖剣に切りかかる。 ――この物語は、冒険や物作り、によって成長していく少年たちを描く物語。  カナデは、人々と触れ合い、世界を知り、祖父を超える一振りを打つことが出来るのだろうか……。

ペットボトルはミルクティーで 〜呉服屋店長は新入社員に狙われてます!〜

織緒こん
BL
pixivより改題して転載しています。(旧題『干支ひとまわりでごめんなさい〜呉服屋店長ロックオン〜』) 新入社員 結城頼(23)×呉服屋店長 大島祥悟(35)  中堅呉服店の鼓乃屋に勤める大島祥悟(おおしましょうご)は、昇格したばかりの新米店長である。系列店でも業績のいい店舗に配属されて、コツコツと仕事をこなしながら、実家で父が営むカフェの手伝いをする日々。  配属先にはパワハラで他店から降格転勤してきた年上の部下、塩沢(55)と彼のイビリにもめげない新入社員の結城頼(ゆうきより)がいた。隙あらば一番の下っ端である結城に仕事を押し付け、年下店長を坊や扱いする塩沢の横暴に、大島は疲れ果て──

女性経験なしのオレ、夢に見たケモミミ様の居る世界へ転移、神にすらなれる能力をもらっていたみたいだけど、ケモミミハーレムを作ることにします。

たんぐ
ファンタジー
【ざっくりあらすじ】 何者かに転移させられてしまった。そこはケモミミの獣人や魔法がある世界だった。すべてはケモミミ様のために。のんびり冒険、魔物討伐、美女、主人公強い。そんなお話です。 【あらすじ】  林信希(はやし まさき)は夢にまで見た、ケモミミふさふさの獣人が居る異世界に転送されてしまう。最初に居た町でいきなりかわいい獣人たちと出会う信希だが、差別や迫害の対象になっていた彼女たちを救うために、彼女たちを引き連れて王都に向かうことになる。  徐々に自分が持っている強すぎる力を自覚する信希は、獣人たちを助けるためにその力を使っていく。現実世界では女性経験のなかった信希だが、どうやら生粋のスケコマシで同行する彼女たちは信希に惹かれていく。  彼女たちと冒険を続ける信希は、この世界のことを知っていき何を選択していくのか──。 【この作品の詳細情報】  R15指定は念のため付けています。  現段階ではタイトルの変更はありません。※文字制限のため多少の変更あり。  「カクヨム」さんにも重複投稿しています。  「小説家になろう」さんから重複投稿しています。

性的イジメ

ポコたん
BL
この小説は性行為・同性愛・SM・イジメ的要素が含まれます。理解のある方のみこの先にお進みください。 作品説明:いじめの性的部分を取り上げて現代風にアレンジして作成。 全二話 毎週日曜日正午にUPされます。

学院のモブ役だったはずの青年溺愛物語

紅林
BL
『桜田門学院高等学校』 日本中の超金持ちの子息子女が通うこの学校は東京都内に位置する野球ドーム五個分の土地が学院としてなる巨大学園だ しかし生徒数は300人程の少人数の学院だ そんな学院でモブとして役割を果たすはずだった青年の物語である

塾の先生を舐めてはいけません(性的な意味で)

ベータヴィレッジ 現実沈殿村落
BL
個別指導塾で講師のアルバイトを始めたが、妙にスキンシップ多めで懐いてくる生徒がいた。 そしてやがてその生徒の行為はエスカレートし、ついに一線を超えてくる――。

処理中です...