孤狼に愛の花束を

柚子季杏

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孤狼に愛の花束を (10)

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◇◆◇


吾郎、マジで機嫌悪い。

半歩後ろをついて歩きながら、吾郎がこの現状で変化を解かずにいてくれていることに、少ばかりしホッとする。きっと今変化を解いたら、耳は後ろに向いて、尻尾は逆毛を立てた状態でピンと上向きに硬直しているのだろう。
 まあ人型であっても、ピリピリとした雰囲気は伝わってくるんだけど。

(何でそんなに怒るかなあ)

 銀さんの告げた言葉に、突然吾郎が怒って部屋を飛び出した。オレはもうちょっと銀さんと一緒にいたかったんだけど……オレを呼ぶ吾郎の声に怒りのオーラを感じたから、仕方なくお暇して来た。
「全くアイツは……人の好意を何だと思ってるんだ……少しはいいヤツかもしれないと思った僕が馬鹿だった!」
 オレはトンネルに入った時点で半変化の状態に戻っていたから、小さな声でぶつぶつと呟く吾郎の声もよく聞こえるんだな、これがまた。
 尤も、声に出していないにしても、双子だから伝わるものも大きかったりするんだけど。
「ゴローちゃん、そんなに怒ると早く老けるよ」
「っ! お前は悔しくないのか? 折角お礼をしに行ったのに、あんな風な態度を取られて!」
 トンネルを抜けたところで話しかければ、唸り声が聞こえて来そうなほど顔を歪めた吾郎が立ち止まる。のほほんとしたオレの声掛けに、思わず耳を押さえたくなるくらいの大声が返って来てびっくりした。
「……銀さん、悪い人じゃないよ?」
 オレの事も助けてくれたしと微笑めば、怒りに支配されていた吾郎の感情も、少しだけ治まったように見えた。まあもちろん、ムッとした表情は変わらないままだったけれど。
「今もね、帰る時に、家族の仲が良いんだなって言ってた。心配掛けるなって」
「……アイツが?」
 ヒートアップした怒りを静めようと、吾郎が数度深呼吸を繰り返す。
 こんな風に吾郎が感情を顕わにするのも、本当はすごく珍しいことなんだ。いつも自分の気持ちは置き去りにして、自分一人で我慢しちゃうのが吾郎だから。
 オレでさえ、こんな風に冷静さを欠いた吾郎を見るのは久し振りだ。それをあんな短時間で引き出しちゃうんだから、やっぱ銀さんてすごい人なのかもしれない。
「――例え悪いヤツじゃないにしても、コタの気持ちを無碍にするようなことを言ったってことが、僕には許せないよ」
 オレが銀さんのことを考えている間に、どうやら吾郎はいつもの自分を取り戻したらしい。
 ちょっと残念。一緒にいるのがオレじゃなくて琥珀なら、多分吾郎も思い切り気持ちをぶつけるんだろうけれど。
「でもさあ、ちゃんと受け取ってくれたじゃん。気を使わせたのが申し訳ないな、って意味だったんじゃない? 寒い外で待ってて、オレがまたぶっ倒れたら大変だって思ってくれたのかもしれないし」
 楽天的過ぎる考えだろうか。

 これきりにしてくれと言われた瞬間は、オレだってショックだったけど……銀さんの表情を見ていても、続いた言葉の意味を考えても、そうとしか思えない。
 もちろん俺がそう感じたってだけで、銀さんの本当の気持ちが分かっているわけじゃない。あくまでもオレの想像だ。それでも結構いい線いってるんじゃないか、とは思うんだけどな。
 けれど吾郎は呆れたようにオレをじっと見つめて、瞬きと同時に大きな溜息を吐いた。
「コタは良い子過ぎるよ。あれは絶対悪意が籠もってたと思うけど……まあいいや、コタがそう思いたいならそれでいいよ」
 もう銀さんの話はしない! とばかりに、吾郎が再び前を向いて歩き出す。
 吾郎の肩を持つならまだしも、オレが銀さんに肩入れしたことが面白くなかったのかもしれない。ちょっぴり拗ねた吾郎の様子に苦笑しながら、オレもその後に続く。
(良い子ねえ――そうでもないんじゃないかな)
 口には出さずに、心の中だけで思う。
 本当に良い子なら、家族に心配を掛けるような真似はしないだろう。自分のせいで本意ではない事柄に縛り付けられている兄弟を、それに気付いていながら放置はしないだろう。
 皆に気に掛けてもらって、可愛がってもらって。
 時にはうっとおしく思うことが無いわけじゃないけれど、オレを想ってくれる気持ちが嬉しくて、つい甘えてしまう。甘やかされて当然だと、自分でもどこかで思いながらこの歳まで生きて来た。

 だけどオレと同じく生まれた吾郎が、広げて行こうとしていた自分の世界を諦めてまで俺の傍に帰って来てくれたことで、このままじゃいけないと遅過ぎるけど気付いたんだ。
 士郎は好きでこの場所に残っているのだと言っているけれど、そこにオレの面倒を見なくちゃならないという足枷は間違いなく加わっている。
 オレがいなかったなら好きな仕事ももっと楽しめるだろうし、残業だって好きなだけ出来るのだろうに、いつも定時に帰って来て家事をしてくれている。自分の時間を楽しむ余裕なんて無いんじゃないのかって思うくらいに。
 吾郎も……本当はあのまま、琥珀の近くで暮らしたかったはずなんだ。
 いつもこっそり眺めている携帯の写真や、いそいそと電話やメールをする姿を見ていれば分かる。吾郎は隠してるつもりかもしれないし、他の兄貴たちには仲の良い幼馴染としか思われていないかもしれないけれど、オレにはバレバレだっての。

 オレがヘマさえしなきゃ、今頃吾郎も琥珀に会えていたかもしれないのに。
(全然良い子じゃないじゃん……皆に迷惑ばっかり掛けてさ)
 昔と比べれば体力だって格段に付いた。変化だってだいぶ持続出来るようになった。
(慣れだよな、慣れ――)
 獣人界に戻ったというのに、耳と尻尾を出すのを忘れているのか、吾郎は人型のままだ。
 そのままでいても気にならないくらい、造作無く変化の状態を保っていられる体力と精神力があるということ。トンネルの中から既に変化を半分解いていたオレとは大違いだ。
(一緒に生まれてきたのになあ……ごめんね、ゴローちゃん)
 未だに拗ねた様子の吾郎の後を歩きながら、ちょっぴり心が折れる。一年近くをかけて自分を鍛えてきたつもりだったのに、少し山歩きをしただけであんなことになるなんて。



 あの日、朝早くにトンネルを潜って獣人界へと戻ったオレは、兄貴たちにこっぴどく叱られた。思わず尾っぽを股の間に挟んじゃうくらいには怖かった。
 心配を掛けたことは分かっていたから、何の反論も出来ずに謝るだけで。そのうちにまた熱がぶり返しちゃったもんだから、その後が大変だったんだ。
 何が大変かって、現在父親代行の長男、太郎からの外出許可が下りるまで、熱が下がってから更に数日を要したということ。
 オレは一日だって早く銀さんに会いに行きたかったのに。
 ようやくお許しをもらえて、さあ行くぞ! と思ったら、お目付け役にと吾郎を付けられる始末だもんな。どれだけ子供扱いされているかが分かるだろ?
(だけど、今回はオレも学習したもんね)
 ふふっと笑いを漏らせば、前を行く吾郎がどうかしたのかと振り返る。何でもないと首を横に振りながら、オレは今後の計画を頭の中で組み立てていた。
(一気に琥珀の住む町まで出ようとしたから駄目だったんだ。きっとそうだ)
 ならば間にワンクッションを入れればいいのだ。
 人間界で人型を保っていられるようになれば、一人で町に行くことだって出来るはず。獣人界にいるとどうしても気を抜いてしまうから、それなら練習をすればいいんだと。

 何かあればすぐに獣人界へと逃げ帰って来られる距離にある銀さんの家。だけどあの場所は人間界だから、常に緊張状態を強いられることに変わりは無い。
 だったら銀さんの家で、人間界に慣れさせてもらえばいいんだ。万が一変化が解けたとしても、銀さんは同じ獣人だから大丈夫なはず……っていうか、最初から見られてるから気が楽だ。
(それに銀さん、絶対寂しいと思うんだよね。あのお家に独りで住んでるなんてさ)
 まだ二回しか会ったことの無い相手なのに、銀さんの声も顔も匂いも、そして温かさもオレははっきりと思い出すことが出来る。思い出せるというよりも、忘れることが出来ずにいた。
(あの尻尾、いつか触らせてもらえないかなあ)
 オレ達にとって弱点のひとつとなる尻尾、それを簡単に触らせてくれるとは思えなかったけれど、いつかそのくらい彼に近い存在になれればいいななんて、そんな勝手なことを考えていたのだった。


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