孤狼に愛の花束を

柚子季杏

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孤狼に愛の花束を (5)

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 あの日から俺はずっと、人型で生きている。耳や尻尾を出すだけの半変化はしても、完全な獣姿になったことは一度もない。
 結界との境に暮らしているとはいっても、基本的には人間界に身を置いているのだから、それも当然のことだ。
 理屈ではそう理解しているけれど、内心は複雑な感情を抱えてもいる。父と母の命を奪った人間なんて、大嫌いだというのに。出来るならば係わりを持たずに生きていければと思う気持ちもあるのに、自分は『人間』として生きているのだから。


「……この辺りだと思ったんだが――――」
 物音ひとつ、息遣いひとつ聞き逃すまいと神経を廻らせる。
 足を止めて耳をそばだて、クンと匂いを嗅ぎ取れば、あと少し進んだ先にいるだろう存在を確かに感じる。
「おかしいな……」
 俺自身が人間を嫌っているからこそ、人間の匂いには敏感である自信はある。けれどここまで距離を詰めているというのに、人間の匂いとは違うように感じるのだ。かといって動物特有の獣臭さも感じない。
「こうしていても埒が明かないか」
 束の間迷って、いつまでも立ち止まっているわけにもいかないと小さく息を吐き出す。
 軽く頭を振って出していた耳と尻尾を引っ込めれば、半変化の状態から完全な人型への変化は完了だ。『 そこ 』 にいるのが人間であるならば、半変化の状態を見られては困る。人間も好きではないけれど、かと言って獣人達の暮らす集落へと、一生引っ込んで暮らすような生き方はごめんだ。

「誰かいるのか?」
 極力足音を立てないように注意しながら近付き、あと数歩で姿が見えるだろうというところで声を掛けてみる。この位置から姿が見えないところをみると、低く並んだ木々の後ろにでもいるのだろう。
(面倒だな)
 思いながらも足を進め、低く生い茂る樹木を掻き分けるようにして近寄る。俺が一歩足を踏み出すたびに、必死に息を押し殺す気配を感じた。
「誰もいないのか? ……いるなら返事を―――お前は……」
「っ、ぁ……ごめ、ごめんなさ……オレ、オレっ」
「あっ、待て! おい!」
 上から覗き込んだ俺は、柄にも無く驚いて言葉に詰まった。
 木の陰に隠れるように身体を縮こまらせていたヤツが、俺の姿を目にした途端ガタガタと震え出す。次の瞬間、顔色を無くしながら駆け出そうとしたソイツの手首を、俺は寸でのところで取り押さえた。
「ひっ! ご、ごめっ…放し――――」
 取り乱すソイツの頭には、恐怖からなのだろう、ペタリと伏せられた茶色の耳があった。
 しゃがみ込んでいた時には両手で覆い隠していた両耳は、それでも隠し切れずに手の隙間から飛び出していて。駆け出した拍子に手を離した今は、はっきりと確認出来る。
「落ち着け……取って食ったりはしない」
「ほ、本当に?」
「ああ――」
 これは人間に遭遇する以上に面倒かもしれない。ウンザリとした気分で、身を捩るソイツに語り掛けてやれば、震えながらも逃げ出すことには諦めが付いたようだった。
(細い腕だな……それに、小さい)
 脅えつつも上目遣いで俺に視線を向けて寄越すソイツは、俺の肩ほどの身長しかなかった。
 捕まえた手首も、俺の指が回り切ってしまうほどに細い。
「獣人がどうしてこんなところに?」
「え……」
 問い掛けた俺を凝視する顔からは、まだ恐怖の色が抜けていない。それでもおずおずとしたまま視線を外そうとしないのは、俺が何者なのか、何故 『 獣人 』 という言葉を知っているのかが気になるのだろう。
「その姿的に、犬か?」
「な、何で……あんた、誰……」
 怖さよりも好奇心の方が勝っている辺り、どうやら犬という属性に間違いは無いだろう。尻の少し上では耳と同じ色をした尻尾が、元気を失くしたままくるんと丸まっていた。
「俺は銀……狼だ」
「ぅ、わっ――狼……何だ、そ……っか……」
「オイッ!」
 フルっと頭を振るわせて耳と尻尾を出して見せれば、目を瞠ったソイツは、次の瞬間、俺の腕の中に崩れるように倒れ込んできた。


◇◆◇


 ふわふわ、ゆらゆら……ああ、気持ちいいなあ。
 さっきまで自分がいる場所も分からずに、怖くて、心細くて、寒くって。疲れてもう、一歩も歩けないって思っていたのに。何でだろう? 今はすごく暖かくて、不安なことなんてひとつもないような気がする。
(――ぁ……)
 瞼を震わせ閉じていた瞳を薄く開けば、それはこれまでオレが見たことの無い景色。目の前に広がる世界は、いつものオレの目線よりも遥かに高かった。
(あったかい、な)
 ぼんやりとする思考で、誰かに背負われているのを感じた。
「……もうすぐ着くから、そのまま寝ていろ」
 大きくて広い背中は、何だかとっても安心できて。すりっと頬を擦り付ければ、低く張りのある声が耳から入り込んでくる。
 オレは未熟な獣人だけど、それでも本能的に感じるものはある。この声は、オレを傷付けたりしないと。この温もりを、オレは信じても大丈夫だと、理屈じゃなく感じられた。
 揺らぎの無い確かな足取りで進む彼の背に再び身を任せて、オレはゆっくりと瞳を閉じたのだった。


 ガタガタと音を鳴らしながら、襖の開く音がした。そっと近付いて来る足音を裏切るように、畳が軋んだ音を立てる。
「ぅ、ん――ゴロー、ちゃ……?」
 すぐ側に腰を下ろした気配がした。伸ばされた手が、オレの額に翳されて、熱を確かめられていることが分かる。
「目が覚めたか?」
「……え、えっ? あれ、オレ……」
 いつもの調子で熱を出してしまったのかと情けなく思いながらも、相方の名を口にしたオレに答える声は、吾郎の声とは全然違っていて。驚いて飛び起きたオレの前に、水の入ったカップが差し出された。
「起き上がれるなら飲んでおけ。だいぶ汗を掻いてた」
「あ、ありがと」
 予想と違っていた目の前の人物に、内心パニックを起こしていたけれど、水を見た瞬間急激な喉の渇きを覚えたオレは、差し出されたカップを素直に受け取った。
「……落ち着いて飲め。水ならある」
 喉を鳴らして一気に飲み干すオレに、呆れ交じりの声が掛かる。あっという間に空になったカップへ、男は言葉通り、水差しから新しい水を注ぎ入れてくれた。
 その声を聞いて、じわじわと記憶が戻って来た。二杯目の水を今度はゆっくりと飲みながら、おずおずと男の顔を確認する。

「お前、名前は? 俺と会ったことは覚えてるか?」
「こ……小太郎、柴山小太郎、です――あの、オレ……」
 やっぱりそうだ、間違いない。
 森の中で道に迷って、疲れ過ぎて変化の状態もまともに取れなくなって。こんな姿を人間に見付かってしまったらと思うと怖くて。そんなオレの前に現れた、自分も獣人だと名乗った男……の、はずだ。
「あのまま森に投げ捨てて来るわけにもいかなかったからな。熱はだいぶ下がったようだが、飯は食えそうか?」
 脇に置かれていた土鍋からおじやをよそいながら、男は淡々と経緯を語る。蓋を開けた瞬間部屋に広がった鼻を擽る味噌の香りに腹が鳴って、自分が空腹であることを否が応にも意識させられた。
「ありがと……いただきますっ」
 腹の音を恥ずかしがるより食欲を満たすことの方が、今のオレには大事。自分の属性が猫じゃなくて良かったと心の底から思う。猫舌じゃ湯気を立てるおじやを頬張るなんて無理だもの。
 士郎の作るものとは当然味付けも違うのに、口に入れたおじやはとっても美味しくて。オレは暫らくの間、夢中になって食べ続けた。
「はぁ、美味かったあ」
「そうか」
 おかわりまでして腹を満たせば、次いで出てくるのは疑問ばかり。
 返した食器を盆の上にまとめている男をちらっと見れば、出会った時に見たはずの、耳も尻尾も付いていなくて。オレが見た 『 アレ 』 は夢だったのかという疑問まで生じる。
「えっと、銀さん、だよね? ここって、どこ? ……っていうか、オレ、ずっと寝てた?」
「半日ちょっとくらいだ……もう数時間もすれば夜が明ける」
「うわ……迷惑掛けてごめんなさい」
 問いかけに返って来た答えに、意識を失くしていたのがそう長い時間ではなかったことに安堵しながらも、この人に掛けてしまった迷惑を考えればしゅんとしてしまう。
 だいぶ体力も付いたと思っていたのに、情けない。
「これはお前の荷物で良かったか? あの場所にあったから、持ち帰って来たんだが」
「あっ、オレの! ありがとう、銀さん」
 情けなさに打ちのめされていたオレは、部屋の隅に置かれていた荷物を見せられて、そういえばと思い出す。
 あの時は人間に見られてしまったと気が動転してしまって、荷物も放り出して逃げようとしていた。倒れたオレを連れて来るだけでも大変だったろうに、銀さん、荷物まで持って来てくれたのか。
「悪いとは思ったが、うるさかったから携帯は電源を落としたぞ」
「携帯……ヤバい……心配掛けちゃった」
 銀さんの言葉にますます落ち込む。
 書置きをしては来たけれど、その後連絡の取れないオレのことをかなり心配していたのだろう。携帯の電源を入れたら、とんでもない数の着信やメールが入っていた。連絡を入れた方が良いって分かっているのに、叱られることを思えば躊躇われる。
 それでも連絡しないわけにはいかないと、現状を伝えるメールを一通送信し、急いで電源を落とした。ああ、帰るのが怖い。
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