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櫻花荘に吹く風~201号室の夢~ (9)
しおりを挟む多分この季節だから置いてあったのだろうという柄のカップ。まーくんの第一印象が強烈だったせいもあって、いかにもまーくん用って感じがしたのだ。
「そういえば、由野さんと北斗さん? 朝ご飯食べなくて良かったの?」
「あー全然平気! 気にしなくていいよ」
僕のせいで春海さんバタバタしてたから……と申し訳無さそうに口にするまーくんに、思い切り手を振って見せる。
「由野さんは締め切り明けだって言ってたから、下手したら夕方まで起きないかもしんないし、北斗は北斗で仕事が夜だからさ、起きて来るのはいつも昼飯の時なんだよね」
「締め切りに……夜の仕事?」
「そ。由野さんは小説家らしいよ? 何書いてるのか教えてくれないけど……っていうか、俺本読まねえから聞いても分かんねえけど」
「すごい、小説家……舞台の脚本とかも、書いてもらえないかな?」
ぶつぶつと分からない単語が飛び出して、思わず顔に『疑問』の二文字を貼り付けてしまった俺に、まーくんが可笑しそうに噴き出した。
「ごめんごめん、演劇の脚本って、基本的に団長が書き下ろすんだけど、余裕がある時には外部に依頼したりもするんだよ。本業で物書きをしている人の脚本って、読んでみても面白いんだよね」
「へぇーそういうもんなんだ?」
「で、北斗さんは?」
納得と頷いた俺に、話の腰を折ってゴメンと、まーくんが先を促す。
「北斗はね、ホストやってんだ」
「ホ、ホスト? うわ……僕、ちゃんと話せるかな」
「平気だって! 店ではどうなのか知らねえけど、普段は俺らと大差ねえし。あ、大輔ってのが本名なんだけど、北斗って呼ばないと怒られるから注意な!」
「分かった、注意する」
さっきの買い物の時と良い、本当に素直だ。わざと真面目な顔で言い募る俺に、コクコクと首を縦に振る。
少し脅えたような視線が妙にツボで、真剣な表情を作っていた俺は、笑いを堪える事が出来なくなってしまった。
「あっはは、まーくんっ首振り過ぎだから! そんなに首振ったら目回るぜ? 言うほど怖くねえから大丈夫だよ。俺なんてガキの頃から北斗の事知ってるけど、基本すっげー良い人だから!」
「そうなんだ、良かった……小さい時からの知り合いと同じところに住むようになるなんて、すごい縁だね」
俺にからかわれた事が分かっていないのか、まーくんの意識が向いたのは、俺と北斗が知り合いだというところらしい。
本当、面白い。
「いやー縁っつうか、何ていうか……まあいっか。これから一緒に生活してくのに、隠してたって仕方ねえもんな」
「隠すって、何を?」
「俺さ、児童養護施設の出身なんだよね」
「え……」
さらりと告げた言葉に、まーくんが一瞬で顔色を失くす。
きっと聞いちゃいけない事を聞いてしまった! とか、考えてんだろうなあと、傍目から見ても分かり易いリアクションに、見ているこちらとしては笑ってしまう。
「いや、そんな深く受け止めないで平気だし」
「あ、そ、そう? 何か、ごめん……ちょっとビックリして。僕って気が利かないみたいだから、こういう時、何て言えばいいのか……」
「何も言わなくていいって。そりゃ突然聞かされたらビックリして当然だし」
まーくんのリアクションは、まあ取り敢えず、一般的な反応だと思う。
普通はここに同情の眼差しが入ったり、無駄に励まされたりとかいう、ウザったいにもほどがあるっていう対応が付いて来るんだけど。
まーくんの場合は、本当にただ純粋に驚いているだけのようで、俺の方が逆に、新鮮な驚きを感じていた。。
「北斗はあんまり知られたく無いみたいでさ。そうは言っても、俺が住むようになったから、他の皆も知ってるんだけど」
北斗の場合は暗黒の歴史(と自分で言っている)があるから、なるべくなら隠しておきたいのだろうけれど、俺は別に隠すつもりも無く生きてきた。
勿論自分からベラベラと言い触らして歩くような真似はしないけれど、それが俺なのだから認めないわけにはいかない。
「俺の場合は生まれてすぐに乳児院の前に置き去りにされてたらしくてさ、親の顔も知らないから、そこでの暮らししか知らないんだけど」
そうなのだ、俺が児童養護施設へと身を移したのは、三歳になってから。と言っても、本当の誕生日は分からないから、俺が発見された日が誕生日なんだけれど。
「北斗とは、乳児院出てから入る事になった児童養護施設で一緒だったんだ。あいつは中学出るのと同時に施設も出たから、一緒に暮らしたのは小学校の低学年くらいまでなんだけどさ」
「へえー、それじゃあ、北斗さんは良くんのお兄さんみたいな存在なんだね」
「……」
「良くん? あれ、僕なんかまた変な事言った?」
「いやっ! 全然! その通り!」
言いたかった事をあっさりと口に出されて、戸惑ってしまった。
本当に、まーくんの言う通りで……。親の顔も温もりも知らずに育った俺にとって、施設の先生たち皆が親で、一緒に生活をしていたやつらが兄弟だった。それが俺の、家族だった。その中でも北斗は面倒見が良くて、俺が一番慕っていた兄貴分だったのだ。
それを分かってもらえた事が、何だか無性に嬉しかった。
一緒に暮らしていた頃のあいつは、見た目も中身もどうしようも無い不良だったけれど、同じ園に暮らす俺たちには優しかったと思う。
何でも相談に乗ってくれて、時には遊んでくれて。大事なものを守る為には力も必要なのだと、俺に喧嘩のやり方を教えてくれたのも北斗だった。
『手出しされたらやり返しても良い。黙って受け入れるばっかじゃ、連中どんどん図に乗るからな。ただし、自分からは絶対に手は出すなよ? 弱いものイジメも駄目だ。力ってのは、本当に大切な時だけ見せつけりゃ良い。それを見せびらかすのは格好悪い男だけだからな』
それは北斗から、いや……大輔から教わった言葉だった。
まだ小学生だった俺には、学ランを着崩して髪を染めた大輔が、すごく格好良く見えていた。大輔が園にいる時にはいつも、その後を付いて回っていた覚えがある。
施設にいる子供達は、幼稚園や保育園等には通う余裕が無い。だから、小学生になって初めて、施設外の子供達との接点を持つ事になる。
当然初めて顔を合わせる子達ばかり。中には親の影響を受けてなのだろう。施設から通っているというだけで、ばい菌扱いを受ける事もあった。
着ている服は確かに寄付やお下がりが殆どだけれど、毎日洗濯もしている綺麗な服。風呂にだって毎日入ってる。それでも子供ってのは残酷で。
大輔が小学生の頃には、俺たちよりも酷い虐めが横行していたらしい。
俺達は上に大輔という存在がいたから、下手に手を出したらやばいという噂が流れていたおかげで、さほど陰湿な虐めを受けたりという事は無かった。
誰かが泣いて帰って来れば、大輔が翌朝小学校の門まで一緒に歩いてくれた。嫌がらせをしてくるような奴らには、大輔がいるというだけで牽制になったのだ。
当時の大輔は絵に描いたような不良だった。いつもどこかに怪我をしていたイメージが残っている。
消灯時間を過ぎても帰って来なかったり、こっそり抜け出して遊びに出掛けたりという事もしょっ中だった。
そういう時は、決まって次の日、園長室でお説教されていた大輔。
だけど、俺たち下の子に対しては、本当に優しかったんだ。
そんな大輔が施設を出ることになった時、本当の母親と生活するのだと、もう悪さは卒業だと笑っていた大輔を、笑顔で見送る事が出来なかった。
寂しくて、悲しくて。
最後の夜は、無理を言って一緒の布団で寝てもらったくらい、俺にとっては血を分けた兄弟のような存在だったのだ。
幸せにやっているのだとばかり思っていた大輔が再び施設に姿を見せたのは、それから数ヶ月が過ぎた夏休みだった。
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