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「メリッサの側に居ようと思うんだ」

 あれから数日後。

 エドワード様は我が伯爵邸の一室で、静かにそう言うのだった。私の両親とアンドリュー様が同席する中でのこと。

 彼の視線の先には窓。外で楽し気に遊ぶメリッサが見える。

 彼の目は穏やかだった。けれどそこに愛情があるわけではない、それが分かってしまった。
 メリッサに対する感情、それはけして愛なんかではなく……なんだろう、同情?私には、彼の心の内は分からない。彼との時間を歩んでいない私には、けして理解できるものではない。

 そして、彼の気持ちが今後どうなるかなんて誰にも分からない。

 私は彼の意思を尊重したいと思った。

「そうですか……」

 だから私は、ポツリとそう返すのみ。

 それでいいと思う。それがいいと思う。
 メリッサはやっぱりエドワード様とお似合いで。彼らは共にある方がいいと、今の私なら思える。

 エドワード様は王位継承権を自ら放棄した。更に王室から離脱することとなった。今後はこの伯爵家に婿養子に入る事になるのだ──メリッサの夫として。

 沈黙が横たわる中に、不意に部屋の扉が開かれる。
 入って来たのは、メリッサだ。

 ボールを両手に抱え、彼女は私の元へ走り寄ってきた。

「ねえねえお姉さま、何してるの?遊びましょーよ!」
「メリッサ、フィリア達は今大事な話をして……」

 それまで黙っていた父が慌ててメリッサを止めようとするも、私はそれを片手で制してメリッサの顔を覗き込んだ。

「メリッサ、ボール遊びしてたの?」
「そうだよ!メリッサ、とっても上手にボール投げれるようになったんだよ?お姉さまに見て欲しいの!」

 幼い──本当に幼い顔で。無邪気な笑顔を浮かべる妹に、つられて私も笑みを浮かべる。

「そうね、是非見たいわ。それじゃあお外で遊びましょ」
「ほんと?やったー!!」

 心からの笑顔でメリッサは私の手をギュッと握りしめ、引っ張るように外へと出た。



 幼児退行。



 溺れたメリッサを助け出したのはエドワード様だった。
 数日意識を失ったままだったメリッサは、意識が戻った時にはすっかり記憶を無くし──心が幼い頃に戻ってしまっていたのだ。
 医師が言うには、五・六歳とのこと。

 一時的に酸素が脳に送られなかったせいなのか。
 それとも精神的なものなのか。
 記憶が戻るのか、それともずっとこのままなのか。

 分からないけれど、出来る事なら……どうか、このままで。そう願ってしまう。

 彼女の心は、壊れかけていたのかもしれない。
 限界だったのかもしれない。

 それが今回の一件で完全崩壊し、自己防衛に走ったのかもしれない。

 まだ何も苦しみを知らなかったあの頃へ戻る事で。
 恋も嫉妬も何も知らなかったあの頃に戻って。

 何の隠し事もなく。
 後ろめたい事もなく。

 真実、家族に愛されていたあの頃へ。

 彼女は戻りたかったのかもしれない。

 あの恋に狂った妹は、もう何処にも居ない。
 ──死んでしまった。
 今、目の前に居るのは妹であって妹でない者。

 メリッサをそうさせたのは、きっと私なんだろう。

 ごめんねと謝る事はしない。そうするにはメリッサは罪を重ね過ぎた。そして私も。

 両親もまた。
 あの日、私とメリッサがプールに落ちた日の夜。

 両親は全てを悟っていたと言った。
 そしてあの事件前に訪問してきた王子に、母は全てを話したと言っていた。メリッサが泳げない事も含めた全てを。
 父もまた、私があの茶会の日にずぶ濡れになって帰って来た事を王子に話した。

 真実を知った王家は、けれど我が家に責任を問うような事はしないと伝えてきた。王子を助けた事実の方を重要視すると。──おそらくは、王子が王室を出るからだと思われるのだけど、真相は分からない。

 それに罰はなくとも罪は罪だ。

 私達はこれからも幼いメリッサを見ながら、罪を忘れずに生きる。

 もう二度と、あんな愚かな判断はしないと──そう心に誓いながら。




「お姉さま、どうしたの?」

 不意にメリッサに顔を覗き込まれて、ハッとなる。また考えにふけっていたようだ。

「ごめんなさい、何でもないのよ」
「そう?じゃあいくよ!」

 幼い頃のまま。
 無邪気に笑う妹に「ええ」と微笑みかえす。

 だから私は知らない。
 部屋に残されたエドワード様とアンドリュー様の会話を。








「お前がメリッサ嬢を選んでくれて良かったよ」
「何だか嬉しそうだな、アンディ」
「そりゃもう?お前がフィリアに鞍替えするんじゃないかと気が気じゃなかったからな」
「……彼女のこと、本気なのか?」
「当然」

 いつからとか、どうしてとか。そんな事はどうでも良かった。

「俺はフィリアを愛してる」

 彼女には幸せになってほしい。
 笑顔で居て欲しい。

 そんな事を臆面もなく言うアンドリューに。

 プールに落ちたフィリアを、迷わず助けに飛び込んだ親友に。

 エドワードは、一生敵わないと思った。

 あの時──二人がプールに落ちたとき、体がすくんで直ぐには動けなかった。それがメリッサを助けるのを遅らせてしまい、結局彼女は……。

 一瞬、ほんの一瞬だが、メリッサの……それを望んでしまった。死を。望んでしまったのだ。

 誰にも言えない大罪を、自分は犯した。

 全ては自分の責。

 だからこそ、自分は償いをしなければいけない。メリッサに。全てに。

 一瞬とはいえ恐ろしい事を考えてしまった自分は、一生かかってもアンドリューには……ましてやフィリアには敵わないと思い知った。

 思って、せめて彼らを……彼らの恋を応援しようと、エドワードは心からの笑顔を浮かべる。

 どちらからともなく二人は窓の外に目をやった。

 そこでは美しい白銀の髪を持った姉妹が。

 憂いのない、幸せそうな笑みを浮かべているのだった──
 


    
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