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広谷一家

10、

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「姉様は僕が守るから!」

 可愛い弟が嬉しいことを言ってくれる。

「ありがとう歩、大好きよ」

 微笑んで言えば、輝く笑顔を返してくれる弟。
 里奈は本当に弟を愛していたのだろう。だからこそ弟もまた、姉を愛したのだろう。夢で見た記憶しかない私だが、それでもそうだと分かった。目の前で苦し気に歪む顔が、それを物語っていた。
 私が里奈の生まれ変わりだと、どうして思ったのか。きっとそれを知ったところで意味はないのだろう。
 どうして私を殺そうとするのか。きっとそれは思いの強さ。

 霧崎が、いつから里奈の弟としての記憶を持ってたのか知らない。だが彼は知ってしまったのだ。自分がこの館でどのような人生を送ったかを。きっとそれは、私の知らない、弟の最期まであるのだろう。でなければ、この地下通路の存在を知るはずないし、入ってくるはずもない。

 里奈を愛していた。姉を慕っていた。
 守りたいと願った。守れないと絶望した。
 里奈の弟は、貴翔とはまた別の激しい感情を、里奈に持っていたのだろう。持ったまま、亡くなったのだろう。

「アユム……歩……」

 前世と同じ名をもつ霧崎は、私がその名を口にするたびに、苦し気にその顔を歪めた。徐々に手の力が緩む。
 だが。

「ぐ!?」

 直後、緩みかけた手に、再び力がこもる。
 うっすら開けた視界の先に、目に涙を浮かべる霧崎が見えた。

「ごめん、ごめんな……でももう無理なんだ。思い出してしまった今、俺にはもう無理なんだよ!姉様が好きだ、里奈姉さんを愛してる、彼女なしでは俺は、もう……!」

 おそらくだが、幼いアユムの記憶が、今の霧崎の精神状態に影響及ぼしてるのだろう。いくら大切な姉と離れ離れになったといっても、正常な大人ならこんな行為に走らない。
 だが子供のアユムは、幼児のアユムには、そんな正常は当てはまらないのだ。子供は自由だから。全てを望むから。全て、自分の望みが叶えばいいと願ってしまうから。
 そして、その願いを叶えるために、迷わず行動に出るのが幼子(おさなご)というもの。
 ギリギリと首を絞めつけられる。最初は苦しかったが、徐々にその苦しみが麻痺してきた。

 ああ、私は死ぬのだろうか。
 こんな地下で、誰も知らない場所で一人寂しく死ぬんだろうか。
 健太君は大丈夫だろうか。ふと、思い出す子供の存在。結局彼は里奈の弟ではなかった。前世が何かなんて知らないし、広谷さんの奥さんが何かも知らないし、知りたくもない。
 ただ無事であって欲しいと願う。
 死んだ女子大生三人に、殺された坂井さんに行方不明の坂井さんの奥さん。広谷さんのご主人に……そして私。
 確かに前世で罪を犯した者がいる。だが広谷さんのようにそうでない人もいたのだ。
 この館に関わったからって、全て悪人だったわけじゃない。悪人だった人達だって、最初からそうだったわけではないのだろう。ただそうなってしまったのだ。きっかけがあって、みんな変わってしまったのだ。
 そのキッカケは、里奈という存在の登場だったのか。いや、貴翔の母の死だったのか。桐生家当主が狂った事によって変わってしまったのなら、貴翔の母の死が原因か。

 なんであれ、誰が悪かったであれ。
 今の生で、殺されていい理由にはならない。
 生まれ変わった人たちは、みなけして悪人ではなかった。そりゃこれまでの人生で人に憎まれるような事もしてきたかもしれない。だからって殺されるほどではなかったのだ。
 前世のせいで殺されるなんてことがあって良いわけがない。

トクン

 鼓動が聞こえる。自分の鼓動が。
 もうすぐ止まるであろう、その音が聞こえた気がした。

(私が死ねば、全て終わるだろうか)

 そうあって欲しいと願う。もう惨劇は起こって欲しくない。起きてはいけない。誰にも死んでほしくない。
 それは霧崎に対しても同じ思いだ。
 彼を憎いと思う事はない。前世の記憶に引っ張られ、理不尽に私を殺そうとする彼を、憎む事はできない。
 恨みを晴らすために、里奈かアユムか分からないが、彼らは人を殺してきた。生まれ変わった、前世の業から解放された人たちを殺した。
 ならばどうか、前世で悪ではなく、被害者だった里奈の記憶を持つ私を殺すことで、最後にして欲しい。
 理不尽だと叫びたいけれど、仕方ないとも思ってしまう私を殺して、終わりにしてほしい。
 どうか、どうか……

トクン トクン

 鼓動がゆっくりになる。
 霧崎の腕を掴んでいた、私の手がズルリと力を失って落ちる。
 パタンと音を立て、手が地面に着くのを感じた。

「──!?」

 突如、首が解放されて、私は目を見開いた。

「──ひゅっ……!?」

 急激に流れ込む酸素に、喉が痛い。

「……!っげほ、ごほごほ!」

 むせて苦しい!なに、なにがあったの?どうして……!?
 離れていく手、体。圧し掛かる霧崎の重みが無くなり、私は必死で手を動かして、上半身を起こした。

「ごほっ……な、なに……?」

 座ったまま片手をついて、正面で立ち上がる霧崎を見上げる。

「え……」

 そこに見えたモノに、言葉を失う。霧崎も言葉を失って、ただ黙って立ち尽くしていた。
 彼が手に持つ懐中電灯が、うっすら照らす霧崎の顔。それは暗闇の中でも分かるくらいに蒼白だ。その目は驚愕に見開かれている。
 次第に彼の体が震えだした。「はっ……はあ、はあ!」呼吸も荒くなる。
 見開いた目、震える体、乱れた息。
 ──全身で怯えている。
 何が……と目を凝らして、ギクリと体が震えた。

 霧崎の肩に、何かが見えるのだ。目を細めて見て──それが何か分かって、ザアと血の気が引く。
 それは手だった。細くか弱い、子供の手だった。真っ白な、血の気の通わぬその手に、私は見覚えがあったのだ。
 ハアハアと、霧崎の呼吸は荒い。ハッハッとそれはどんどん早くなる。
 動かせないのか動かしたくないのか分からないが、霧崎は体を動かさずに、目だけを背後に向ける。それと同時に、手が動き、霧崎の背後で何かが動く気配がして……それは姿を現した。

「アユム……」

 覗いた目は、里奈のものだった。霧崎の右肩から、その顔が徐々に顕になる。真っ白な顔に血を流し、虚ろな目を霧崎に向けてニタリと笑う。

「ひ──!」

 たまらず霧崎が喉から悲鳴を上げた。
 だがそれで終わりではなかった。霧崎の左肩からも、何かが動くのが見て取れたのだ。
 そしてそれもまた、手、だった。細い、里奈より細く小さい、骨と皮だけになった……いや、一部骨だけのその手もまた、見覚えがある。
 動けぬ霧崎の背中を這い上がるそれは、徐々に肩口からその姿を覗かせ。

「ひい!」

 更に霧崎が悲鳴を上げるのが、楽しくてたまらないとでも言うように、それは笑った。
 ニタリと歯のない口で。
 ミイラのアユムが、霧崎の背にしがみついた状態で、笑ったのだ。

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