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館の見る夢

館の見る夢(10)

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 唇が離れるのと同時、胸元の温もりが離れる事に焦り手を伸ばす。
 だがその手は届かない。弟には、届かなかった。

「姉様!」

 伸ばされる手に縋ろうとしても、部屋に侵入してきた複数の大人達に阻まれる。
 体を掴まれ身動きが取れない。拘束されても動かせるのは、目と口だけ。その目で精一杯当主を睨んでも、彼の表情は変わらなかった。

「弟をどうするの!?」
「この子は保険だよ。大丈夫、手荒なことはしないし、なんなら教育を受けさせてもいい。キミの態度次第では良い待遇を約束しよう」

 それはつまり、私の態度次第では酷いことをする、と言ってるようなものではないか。
 血の気が引く。

「あなたは……結局、父親と同じ道を歩むのね」

 私を逃がそうとしてくれた少年はもうどこにも居ない。
 父の、親の愛を欲していた少年は消えた。
 いるのは、狂ってしまった……それだけを受け継いだ、新当主。
 だが当主はそんな私の言葉に、悲し気な目をする。そんな顔をしても騙されないと思っても、その瞳に浮かぶ悲しみの色は、私の胸を痛ませた。

「貴翔(たかと)」
「え?」

 突然何を言われたのか分からなくて首を傾げれば、もう一度ゆっくりと言葉にする。

「桐生貴翔(きりゅう・たかと)。それが僕の名前だ。あなたなんて呼ばずに、貴翔と呼んで欲しいな」

 それだけ言って、弟を連れて去って行った。
 一人残された部屋で、私は呆然と床を見つめる。

「貴翔……」

 ポツリと名を呼ぶ。

「貴翔、貴翔、貴翔……」

 何度も繰り返す。

「貴翔!!!!」

 叫んで、私は床に拳を振り下ろした。ドンッと音を立て、少しだけ床は振動し……そして静寂が横たわる。
 だが私には、ギリギリと歯軋りの音が聞こえていた。
 握った拳が上げる悲鳴を聞いた。
 逃げられない、もう逃げれない。
 そして私の部屋は、牢獄と化す──


* * *


(貴翔!!!!)

「あ──」

 誰かが怒鳴る声が聞こえた気がして、ハッとなる。
 そして目の前の光景に、一瞬状況を忘れて言葉を失った。

「お姉ちゃん?」
「美菜、どうした?」

 目の前の少年は……なんという名前だったか?たしか……

「健太、くん……」
「うん、僕健太だよ」

 私の手を握ったまま、健太君はニコリと微笑んだ。
 大丈夫だと言ってくれた、僕が守ると言ってくれた。幼いのに……まだ幼いながらに、僕は男の子だからと気丈に振る舞い言ってくれた。無邪気な笑顔。

「健太……」

 呆然と呟くように言う私を、不思議そうに首を傾げて見上げる健太君。
 慌ててその手を放して、「ありがとう」と微笑めば、彼は嬉しそうに笑ってくれた。
 そして再び食事を再開する。だが私の食欲はすっかり無くなっていた。とはいえ折角作ってもらった食事を残すわけにもいかない。何より食べて体力を温存しておかないと、いつ迎えが来るかも分からない状況を乗り切ることは出来ないだろう。
 私はゆっくりと食べ物を口に運んだ。
 もう何を食べても、味はしなかったけれど。

「どうかした?」

 食後も無言で呆けている私にコップの水を差し出して、隆哉(たかや)が心配そうに顔を覗き込んできた。
 それに対し無言でかぶりを振る。
 なんでもないと言えばいいのに。そうすれば彼は安心してくれるのに。
 だけど言えなかった。嘘をつけなかった。
 あれは白昼夢だろうか。とても長い夢を見た。一瞬なのに、時は過ぎてないのに、私の脳裏に一瞬にして記憶が流れ込んで来た。
 里奈の記憶が、私の中に……

「本当に大丈夫か?顔色悪いよ」

 私を心配する隆哉。その顔に似て非なる存在。
 桐生貴翔。
 肖像画は確かによく似ていた。だがけして同じでは無かった。肖像画の貴翔はけして隆哉に似てはいなかった。けれど夢に見た実物──夢が現実のことと仮定してのことだけれど──の貴翔は、とても似ていた。いや、似てないが雰囲気が似ていた。
 どこがとは言えない。優しい笑み。相手を心配して見つめる瞳。何気ない仕草が、とても似ていると感じたのだ。

(あの男には気を付けてね)

 そう言った里奈。隆哉を危険だと、害する者だと言った里奈。
 まだ分からない、確信はない。
 けれど、多分、ひょっとして。

私は、前世の記憶を見ているのではないのかしら──?

 考えたくなかった、見たくはなかった現実。
 けれどこれ以上、無視することは難しくなってきたと痛感する。あんな白昼夢を見せられて、無視することなんて出来ないと思った。
 思って、私は顔を上げた。未だ私を見つめる視線とぶつかる。
 私を見る隆哉に、問いかける。

「あなたは、誰……?」

 問いかけに目を大きく見開く隆哉。
 何度も唇が音を出さずに動き、口は開いたり閉じたりを繰り返す。

「僕は……」

 その唇が何かを乗せようとするのと同じく。
 突如荒々しく開かれた食堂の扉の音が、隆哉の言葉をかき消した。

「息子が──!!」

 血相変えて飛び込んで来たのは、広谷さんの奥さんだった。おトイレに行きたいという健太君と共に、部屋に戻ったはずなのに。
 その人が足をもつれさせながら、涙を目にためて食堂に入って来て叫んだ。

「息子が居なくなったの!!」

 そして次の犠牲に向けて。
 館の──里奈の夢が始まる。

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