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館の見る夢

館の見る夢(9)

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 あげた悲鳴が誰のものかなんて、考える必要はなかった。なぜ悲鳴をあげたのか、自分でも分からない。当主が刺された事がショックではない。弟の無事に安堵したからでもない。
 ただただ恐ろしかった。目の前に広がる赤い血が、恐ろしかった。自分を逃がそうとしてくれた少年の凶行が恐ろしかったのだ。
 見知った者の豹変は──恐怖以外の何ものでもない。

「姉様!」

 目の前の光景が信じられなくてその場にへたり込んでいたら、弟が駆け寄って来た。無我夢中でその体をかき抱く。弟の体が震えてるのを感じた時、私もまた震えてる事に気付く。
 夢だと思いたい状況にそっと目を上げるも、やはりそこには動かず倒れたままの当主の姿。そのそばで、少年がそれを見下ろしていた。
 ブツブツと呟いてるのが聞こえる。

「あなたはいつもそうだ。僕をいつまでも見ようとしない。見てるのに見てない。どこまでもあなたは僕を無視するんだ」

 言って、少年はナイフを振り上げた。

「やめ──」

 制止の言葉は届かない。
 容赦なく、その刃は振り下ろされる。
 何度も何度も、当主の体に突き刺さる。

「あなたは!あなたにとって僕は一体なんなのですか!?」

 鈍い音、嫌な音が夜に響く。ナイフが突き刺さるたびに当主の体が揺れるも、反応は一切ない。苦痛の声も悲鳴もうめき声も、何も。

「やめて……」

 届かないと分かっていても、言わずにはいられなかった。

「あなたが愛してるのは母様だけなのですか!?では僕は!?かつて愛してると言ってくれたのは、嘘だったのですか!?」
「やめて……」
「僕はここに居るのに!確かに居るのに!どうして居ないものとして扱うんだ!息子として見てくれないんだ!」
「やめ、て……」
「僕はこんなにもあなたを──」
「やめて!」

 声が届いたわけではない。ただ限界がきたのだ。少年の精神の限界が。
 再び振り上げられた手は、刃は、今度は振り下ろされることはなかった。振り上げたまま、手からナイフが落ちる。草の上に静かに落ちて、刃は横たわる。

「どうして。どうして……!」

 叫んで少年は手で顔を覆った。ベッタリと血で汚れた手を気にすることなく、少年は顔を覆って泣いた。

「うああああ────!!!!」

 まるで咆哮だ。獣の叫びだ。
 私を守ると言って逃がそうとした少年はもう居ない。居るのは、壊れてしまった物。
 大人に近付いていたとはいえ、彼はまだ子供だった。親の愛を欲する少年だった。だからこそ、親の裏切りを受け入れられなかった。
 愛されないのならば、いっそのこと──
 声が、聞こえた気がした。

 不意に背後から人の声がする。館から、大勢の人間が走り寄ってくる気配がした。
 震える弟の体をギュッと抱きしめながら──私はその場から動けなかった。


* * *


 見慣れた部屋で私は弟と二人、静かに座している。また戻ってしまったという不安。けれど弟が腕の中にいるという安心感。複雑な胸中に、どうにも落ち着かない。
 そんな私の不安定な気持ちが弟に伝わったのだろう。不安そうに私を見上げる瞳とぶつかった。「大丈夫だよ」と言ったところで、震える声で言われたところで誰が安心できようか。その瞳に浮かぶ不安な色は、そのまま私のそれを映し出してるのだろう。

 不意に扉が静かに開いた。現れたのは、桐生家当主。だがかつてのあの人ではない。あの人は死んだ。聞かなくても分かる。あれほど刺されても微動だにしなかったあれは、生きてるはずもない。
 先代の当主は新しい当主に殺されたのだ。
 だというのに、警察に捕まることもなく、綺麗に血を洗い流し白いシャツに着替えた彼は私の目の前に現れた。

「やあ」

 そんな普通の挨拶と共に。なにごともなかったかのような笑みを浮かべて、新たな当主は私達の前に立った。床に座り込んでいる私達を、ほがらかな笑顔で見下ろす。それだけ見れば、とても穏やかな人だと思えるような笑みを浮かべて。

「あの人は──どうなったの?」
「父様のことか?そんなこと聞いてどうするの?」
「病院に連れて行ったの?」
「そんなことするわけないだろ。それはとても無意味で無駄なことさ」
「では──」
「そんなことより、自分の事は気にならないの?」

 自分の父親の話だというのに、そんな事と言うのか。私を守ると言ったあの温かな瞳は、どこへ行ってしまったのか。
 目を細める私を可笑しそうに見つめる目。その視線に耐え切れず、思わず私は俯いた。ギュッと強く弟を抱きしめる。
 それが気に入らなかったのか、新当主は私の顎に手を当てて、無理矢理顔を上向かせた。

「何を……」
「僕を見ろ」
「え?」
「僕を見ろ、僕だけを見ろ。いや違うな、こんな言い方では父様と同じだ。どうか僕だけを見て」

 懇願する言い方にしたところで、そこに宿る響きは命令以外のなにものでもないことに、彼は気付いているのだろうか。私を見下ろす目は、もう既に以前の彼のそれではない事に気付いているのか。
 瞳に宿るのは狂気。歪んでしまった狂気が浮かぶ。
 そしてそれは、悲しい程に先代当主にそっくりだった。彼が愛して欲しいと焦がれたその人に。母ではなく父に似てしまったがために父親から存在を忘れ去られた少年は、本当に父親そっくりだった。

 願っていた望んでいた、かすかな希望を持っていた。
 だがそれが断たれたことを、その瞬間に悟る。

「もう逃げる必要ないでしょ?」
「……」
「お父様は、お前を虐げる存在は居なくなったんだ。だからここに居て。僕のそばにいて。僕だけを見て、僕だけを愛して」

 徐々にその美しい顔が近付いてくる。見せたくなくて、弟の頭を胸に抱きしめた。
 弟の頭上に新当主の顔がくる。私の目と鼻の先に。

「キミは、僕のものだ」

 狂気の色をまとった目が静かに閉じられ、私の唇にヒヤリとした感触が触れる。
 落とされた口づけは、血の味がした。

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