【完結】復讐の館〜私はあなたを待っています〜

リオール

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老夫婦

9、

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「私、本当はあなたが憎くて仕方なかったんです」

 静かに妻の顔をした誰かは語る。まるで子供に話しかけるかのように、ゆっくりと優しい口調で。

「いつもあなたは私を見下していた。馬鹿にしていた。駄目出しばかりして、嘲笑っていた。そんなあなたを、私は憎んでいた。愛?あなたを愛したことなんて、一度もありませんよ。結婚当初……いいえ、結婚前から」
「な……」
「でもそれはあなただって同じでしょ?」
「……」
「無言は肯定ということですかね。まあそうなんでしょうね。あなたは自分に従順で、馬鹿にして見下せて自分のプライドを保てる存在が必要だった。私もまた、平穏に生活できる人が必要だった。私達は、最初から打算で成り立っていたんですよ」
「そ、そんなことは……」
「そんなこと、あるんですよ。だって、だからあなたは浮気を繰り返していたんでしょう?不倫、してたんでしょう?」
「──!知ってたのか……」
「最初から知ってましたよ。なんなら結婚が決まった時、既にあなたには複数の女がいたことも知ってます。そのうちの何人かは結婚式に来てましたよねえ。クスクスと、私を見下した笑いを浮かべていたのが印象的でした」
「……」
「どの女も長続きしませんでしたが、途絶えることはありませんでしたよね。でもいいんですよ、私は。あくまで本気ではなく遊びだと知ってましたから。あなたはプライドの高い方ですから。承認欲求と自己顕示欲の塊でしたから。それを満足させるために、複数の女が必要だと理解してましたから。それがあってこそ、あなたは仕事ができ、家にお金を入れてくださってたんですから。なんの不満がありましょう」
「だ、だったらいいじゃないか!俺にこんな仕打ちをする必要がどこに……」
「でももう必要ない」

 焦って解放を求める声を上げるも、妻はピシャリと冷たい声を返してきた。俺の中のイライラが強まる。

「必要ないだと!?お前、俺なしで生きてけると思ってるのか!?」
「ええ思ってますよ」

 俺の問いにアッサリと返される回答。言葉を失う。

「不倫も私へのDVモラハラ行為も、全て我慢できたのはあなたが家に居なかったから。たまに帰ってきてのそういった行為は、我慢できたから。でも、もう限界です。退職して毎日家にいるあなたと共にいることはもう出来ない。毎日毎日24時間365日、あなたの顔を見て過ごすなんて私には耐えられない」
「し、静子……?」
「だから私、決めたんです。あなたと別れようと」

 俺の正面に回り込んで顔を覗き込み、静子はニコリと微笑んで言った。それを見て、俺の心に浮かんだ思いは──綺麗だ、というもの。
 オドオドして、目を合わせることなく伏し目がちだった妻。
 俺の言う事に怯えた顔をし、真っ青になっていた妻。
 自信無さげに泣いてばかりいた妻。
 そういった仮面を捨てた妻は、驚くほどに美しかった。初めて俺は、妻への愛情を胸に抱いたのかもしれない。
 けれど妻は別れたいと言う。ようやく愛せる気がするのに、そんな俺を妻は捨てると言うのだ。

「い、嫌だ……」

 考えるより先に言葉が出た。俺は思わずこぼす。

「嫌だ、俺は別れたくない!」
「あらまあ」
「全ての女は切り捨てる!どうせ金目当ての連中ばかりだ、簡単に別れられる。もう暴言は吐かない、暴力をふるう事もしない。お前だけを愛するから。だから、だからどうか……!」
「驚いた。あなたの言葉から私を愛するなんて言葉が出るなんて」

 目を丸くした妻はしゃがみ込んで、俺の顔を覗き込んだ。心なしか、その頬は赤い。もうひと押しだ……!
 そう思った直後、「ぐあ!?」俺は叫んでいた。痛みに息が出来ない。
 痛みに息を止め、俺は背後に目をやった。また背中を誰かが殴ったのだ。妻ではない。未だ妻は俺の正面にしゃがみ込んで、微笑んでいるのだから。

「でもね、もう遅いんですよ」

 妻は言った。

「いえ、遅いというか……そもそも始まりは今ではありませんものね」

 言って立ち上がった。言葉の内容が一瞬分からなかったが、始まりは今ではないということは、結婚当初からのことかと思った。だから俺は叫ぶ。

「今までの事は悪かった!俺が全て悪かった!許してくれ!」

 妻は言った。「直ぐにでも殺してしまったかも」と言った。それはつまり、直ぐではなくとも殺す可能性があるということ。直ぐではなくとも、それは目の前に──

「大丈夫ですよ、私は殺しません」

 だが意外にも、妻は微笑んだままそう言って私の頬を撫でた。ホッと安堵した直後──また痛みが体を襲った。

「うあ!?」
「私は、殺しません」

 妻はもう一度言う。

クスクスクス

 不意に、背後から笑い声が聞こえた。
 正面の妻も笑っている。
 見えずとも分かる、脳裏にその姿が浮かぶ。館を移動する時に見た、少女の姿が思い出される。そしてそれはきっと間違えない。
 背後に、血まみれの少女が立っている。その確信があった。

「し、静子……」

 助けてくれ。言葉は届かない。

「私は殺しません」
「なぜだ!」

 私は殺さない。では誰が殺す?そんなもの分かり切っていた。笑い声が物語っていた。だが俺の問いはそれではない。
 背中を殴られた瞬間、その痛みに息を止めた瞬間、脳裏に何かがフラッシュバックした。
 それは確かに知ってる光景。確かに知らない光景。
 始まりは今ではない。始まりは静子と結婚した時ではない。それは大昔の記憶。始まりは、今の生を受けるもっと前。
 かつて自分は執事をしていた。この館で、執事長を務めていた。メイドも礼儀作法を教える老婦人も、使用人全てを、自分が指揮していた。
 主に従いながらも、主不在の時にはまるで自分が当主であるかのような振る舞いをした。
 主人のお気に入りのオモチャでも遊んだ。躾だと言い聞かせて、遊んだ。

 思い出した。醜い様の自分を思い出した。
 笑いをこらえて棒を振り上げた。
 笑いながらそれを振り下ろした。
 苦痛に顔を歪める少女に興奮すら感じた。

 妻を殴った。
 妻をなじった。
 不倫というスパイスに興奮した。

 前世でも現世でも俺は変わらなかった。魂に刻まれた根本はなんら変わっていなかった。
 痛みを感じながら、俺は呟き続けた。なぜだ、どうしてだ、と。
 少女に恨まれるのは仕方ない。復讐は致し方ないことかもしれない。
 メイド三人の顔を思い出し、彼女らの転生である女子大生三人が殺されたのも、また仕方ないと思った。復讐されるだけの事をしたのだと理解した。
 きっと我らは館に呼ばれたのだろう。少女に呼ばれたのだろう。吸い寄せられたのだろう。
 でも解せぬ。
 なぜだ、という問いはいつまでも出る。

 だってそもそもお前がこの旅行を計画したんじゃないか。館に呼ばれたのはお前じゃないか。
 礼儀作法の講師と言いながら、非礼で非道な行いをしたじゃないか。

 どうして老婦人のお前は、復讐の対象じゃないんだ──?

 少女の笑い声と共に振り下ろされる棒。殴打され続ける体。
 痛みは恐ろしく長く続いた。意識を手放す事は許されなかった。
 けれど最期にはそれらから解放される。もう痛みも感じず、指一本動かすことも出来ず。
 意識が闇に呑まれそうになるその瞬間まで、俺は心の中で呟き続けた。

 俺の疑問に答えることなく、妻はいつまでも俺の目の前で微笑み続けた。

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