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老夫婦

2、

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「静子(しずこ)?」

 着替えでも持ってきたかと妻の名前を呼ぶも、返事が無い。よく見ればカーテン越しにシルエットが見えていた。
 ん?と、メガネを外してしまった為に目を凝らして見る。それは、思いのほか小さい影だった。それはまるで……

「子供?」

 呟けば、その影が動きを止める。よく見ると、カーテンの下、少しばかりある隙間から……子供の足が見えていた。

「なんで子供が……」

 このツアー参加者の中で、唯一幼い子供がいる家族がいた。だがそれは男の子で、髪は短かった。だがどうだろう、今見えているシルエットは、髪の長い女の子のそれ。あの男の子ではない。
 では一体……?

 考えるより先に体が動いた。何をするかって決まっている。
 追い出すのだ。
 気付かなかっただけで少女の参加者がいたのかもしれない。それがなぜ俺の部屋に、ましてやバスルームに入って来たのかは知らん。だが経過はともかく結果があるのだ。黙って放置するはずもない。

 ザバッと水音を立て、俺は浴槽から出る。パチャパチャと足音を耳に、俺はカーテンの向こうでジッとしている少女に向かって歩いた。カーテンに手をかけても、少女は動かない。足は微動だにしない。

バサッ

 勢いよく開けて「こら!なに勝手に入って来てるんだ!今すぐ出な……」叫んで、言葉は途中で切れた。
 出なさい!と叫ぶつもりの口は、中途半端に開いたまま、動かない。言葉を失って、俺はその場に棒立ちになった。

「どこに……行った……?」

 そこには誰も居なかったのだ。確かにカーテンをめくる直前まで、少女のシルエットは見えていたというのに。足が見えていたのに!

「ど、どういうことだ!?」
「あなた?どうかされましたか?」
「うお!?」

 焦って周囲をキョロキョロしていたら、背後から突然声をかけられて、思わず変な声を出してしまった。
 振り返れば、浴室の入り口に妻が立っていた。その手にはタオルと着替え一式。
 それを見てから、俺はまた浴槽に視線を向けたりカーテンをパタパタさせたりして……深く息を吐いた。

「あなた?」
「なんでもない!」

 怪訝な顔で俺を見てくる妻にぶっきらぼうに答え、俺は再び浴槽に体を沈めた。ザバアッと音を立てて湯が床にこぼれていく。ボコボコと口元まで沈む俺に溜め息をつくも、結局何も言わず妻は服を置いて出て行った。

 ──再びカーテンを閉める勇気は、俺には無かった。


* * *

 
『お願い、もうやめて、許して!』

 少女が叫ぶ。美しい顔を苦痛に歪め、涙でグシャグシャになった顔で、懇願する。
 必死で自分に許しを請う様に、胸の内がゾクゾクするのが分かった。そうだ、自分は興奮しているのだ。
 罰だと称して、少女を棒でぶった。泣いて嫌がる様に、逃げようとしてそれが叶わぬ絶望に顔が染まるのを見て、笑いが止まらなかった。
 主人が戻るまで、もう少し。あと少し。
 痣は綺麗に消えずとも、ある程度回復すれば良い。なに大丈夫、バレやしないさ。だって主人も自分と同類なのだから。

 いや違う。主人を自分と同じにしてはいけない。自分が主人に似ているのだ。長年そばで仕え、徐々に似てきたのだ。自分はあくまで主人の影響を受けた偽者でしかないのだ。
 だがそれで良かった。偽者でも良かった。
 崇拝する主人と同じような行為が出来ることに、自分は興奮したのだ。喜びを感じたのだ。
 あの美しい人に、少しでも近付いたのだと感じる事に、至福の喜びを感じているのだ。

 だからあと少し。もう少し。
 少女に痛みを与え、苦しみを与え、そして救済する。その時、少女は絶望と希望を与えられる。その瞬間の、なんとも言えない表情に、自分は釘付けになるのだ。
 焦がれてやまぬ、憧れて追いかけて、縋りたい。
 その主人が愛する少女を、自分の手で痛めつけて──

 きっといつかこれは破綻する。いつか終わりがくる。分かっていても手は止められなかった。
 少女が、その時だけは自分を、自分だけを見る快感を捨てたくなかった。
 いつか終わりが来ると思いながらも、永遠にこの時が続けば良いと。
 そう願いながら、今日も少女の苦痛に満ちた表情に歓喜するのだ。


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