24 / 68
老夫婦
1、
しおりを挟む60代半ばで仕事を引退して数年。子供も全員独立し家を出て行った。残されたのは妻と二人きりの余生。
大人しく俺の三歩後ろを静かに歩くような妻は、表情乏しく非常につまらない女だ。それでも仕事をしていた頃は良かった。家の事は全て妻にまかせ、自分はただ仕事さえしていれば良かったのだから。
家に帰れば食事が用意され、入浴を済まして晩酌。テレビを見ながらツマミと酒を口にして、のんびりとした時間を過ごすのが好きだった。
いつでも暗い顔をして、笑顔の無い辛気臭い妻との会話などほぼ無かった。それでも仕事をしていたから気にならなかった。
だが引退した今はどうだ。
毎日毎日家にいる妻と自分。笑うことも楽しい会話をすることもなく、無言の食事、無言の二人きりの空間。
買い物に行くと言うので、では車でも出してやろうと言えば、微かに浮かぶ眉間の皺。スーパーに着けば車の中で待ってやると言えば、何か言いたそうにして結局何も言わずに店の中に入っていく妻。戻って来た妻に遅いぞと言えば、溜め息をつく始末。
一体何が不満だと言うのだ。
これまで何不自由なく生活出来たのは、俺が汗水流して働いてきたからではないか。
こうして老後の生活を不安なく過ごせるのも、これまでの俺の功績のおかげではないか。
息子たちが立派に成長できたのも、俺が金を稼ぎ塾に通えたからではないか。そうでなければ一流校に通うことなど出来なかったろうに。
引退生活の今、同じく妻も年老いた。だからこそ買い物にも車を出してやってるというのに、なぜ不満タラタラの顔をされねばならないのか。集中できないだろうと待ってやると言ってるのに、何が不満なのか。だからと言って、遅い妻に注意することも俺には許されないのか。
ウンザリだった。退屈だった。楽しくなかった。俺の老後はこんな風になるはずではなかったのに。どこで間違えたのか、俺には分からない。
いっそ何か趣味でも見つけて、家にいる時間を減らそうか。妻と共に趣味を、なんて考えたくもない。俺は妻から離れたいと思っていた。
そんなある日、妻が言った。
「ねえあなた。たまには旅行でも行きませんか?」
そう言えば、随分長いこと旅行に行ってなかったなと思った。
子供らが居た頃は家族旅行に行ってはいたが、それも大きくなるにつれ無くなった。ましてや妻と二人きりの旅行など、新婚旅行以来ではないか。
まあたまにはいいか。気分転換になるかもしれない。
そう思って俺は承諾した。
だが直ぐに後悔することになる。
「なんだここは。何も無いじゃないか」
妻が選んだツアー旅行は、なんとも退屈なものだった。
かつての金持ちが建てたという山奥の洋館に泊まる、ただそれだけのものだったから。
しかも山奥すぎて、他に何も無いときてる。普通周囲に土産物屋とか、飲食店とかあるだろうに。
「お前なあ、もう少しマシな旅行を考えられなかったのか?」
「そんなこと……私の好きにしていいと仰ったじゃないですか」
「だからってこれは酷いだろ。俺のことも考えろよ。まったく、お前は本当に何も出来ない女だな」
俺の責めは当然の結果だ。悲しそうな顔をするくらいなら、もっと俺を楽しませる旅行を考えられなかったのか?そもそも旅行代金は誰が出してやってると思ってるんだ。
溜め息をついたところで事態が好転するわけでもない。今更戻るのも面倒だ。
一週間もここに滞在だなんて気が遠くなるが、なに嫌になれば早々に帰る事も出来るだろう。なにせ毎日スタッフが通いで来るという話だから。そのスタッフ送迎バスにでも乗せてもらえば良いこと。
とはいえ珍しいシチュエーションなのだから、一泊くらいしても良いか。
そう思って、グループ分けの後に案内された館内を見て回った。案の定退屈そのものだった。
だが飾られた調度品の数々には、少なからず興味をそそられた。それは今や入手困難であろう高価な物が多かったから。何よりかつての金持ちの生活に興味が少なからずわいたから。
自分もこんな生活を送ってみたかったものだ。──現実は、退屈な妻との退屈な日々だったが。
そうして一日が終わり、自室に戻って深々と溜め息をついた。
「はあ……なんだこの風呂は。せめて温泉があれば良かったのに」
脚のある、独立した風呂桶を見た瞬間、その言葉が漏れた。ジトリと妻を睨めば、やっぱり暗い顔で「ごめんなさい」と返って来た。
「お前は謝ることばかりだな。謝るくらいなら、そうならないように考えろよ」
「ごめんなさい」
これ以上その暗い顔を見ていたくなくて、俺は蛇口をひねった。すぐにお湯が湯気を立てて、風呂桶にどんどん溜まる。それを見て、俺は服を脱いだ。妻がバスルームから出るのが、扉が閉まる気配で分かる。背後を振り返ることなく俺はビニールのカーテンを閉めて、風呂桶に体を沈めた。まだあまり溜まっていないが、自分が入ることでカサは増す。
徐々に体を温める湯に目を閉じた時だった。
ピチャンと、溢れた水を踏む足音が聞こえたのは。
0
お気に入りに追加
81
あなたにおすすめの小説
浮気の代償の清算は、ご自身でどうぞ。私は執行する側です。
美杉。節約令嬢、書籍化進行中
ホラー
第6回ホラー・ミステリー小説大賞 読者賞受賞作品。
一話完結のオムニバス形式
どの話から読んでも、楽しめます。
浮気をした相手とその旦那にざまぁの仕返しを。
サイコパスホラーな作品です。
一話目は、結婚三年目。
美男美女カップル。ハイスペックな旦那様を捕まえたね。
そんな賛辞など意味もないほど、旦那はクズだった。婚約前からも浮気を繰り返し、それは結婚してからも変わらなかった。
そのたびに意味不明な理論を言いだし、悪いのは自分のせいではないと言い張る。
離婚しないのはせめてもの意地であり、彼に後悔してもらうため。
そう。浮気をしたのだから、その代償は払っていただかないと。彼にも、その彼を誘惑した女にも。
【完結】仰る通り、貴方の子ではありません
ユユ
恋愛
辛い悪阻と難産を経て産まれたのは
私に似た待望の男児だった。
なのに認められず、
不貞の濡れ衣を着せられ、
追い出されてしまった。
実家からも勘当され
息子と2人で生きていくことにした。
* 作り話です
* 暇つぶしにどうぞ
* 4万文字未満
* 完結保証付き
* 少し大人表現あり
君との空へ【BL要素あり・短編おまけ完結】
Motoki
ホラー
一年前に親友を亡くした高橋彬は、体育の授業中、その親友と同じ癖をもつ相沢隆哉という生徒の存在を知る。その日から隆哉に付きまとわれるようになった彬は、「親友が待っている」という言葉と共に、親友の命を奪った事故現場へと連れて行かれる。そこで彬が見たものは、あの事故の時と同じ、血に塗れた親友・時任俊介の姿だった――。
※ホラー要素は少し薄めかも。BL要素ありです。人が死ぬ場面が出てきますので、苦手な方はご注意下さい。
【完結】いてもいなくてもいい妻のようですので 妻の座を返上いたします!
ユユ
恋愛
夫とは卒業と同時に婚姻、
1年以内に妊娠そして出産。
跡継ぎを産んで女主人以上の
役割を果たしていたし、
円満だと思っていた。
夫の本音を聞くまでは。
そして息子が他人に思えた。
いてもいなくてもいい存在?萎んだ花?
分かりました。どうぞ若い妻をお迎えください。
* 作り話です
* 完結保証付き
* 暇つぶしにどうぞ
呪詛人形
斉木 京
ホラー
大学生のユウコは意中のタイチに近づくため、親友のミナに仲を取り持つように頼んだ。
だが皮肉にも、その事でタイチとミナは付き合う事になってしまう。
逆恨みしたユウコはインターネットのあるサイトで、贈った相手を確実に破滅させるという人形を偶然見つける。
ユウコは人形を購入し、ミナに送り付けるが・・・
あなたの子ですが、内緒で育てます
椿蛍
恋愛
「本当にあなたの子ですか?」
突然現れた浮気相手、私の夫である国王陛下の子を身籠っているという。
夫、王妃の座、全て奪われ冷遇される日々――王宮から、追われた私のお腹には陛下の子が宿っていた。
私は強くなることを決意する。
「この子は私が育てます!」
お腹にいる子供は王の子。
王の子だけが不思議な力を持つ。
私は育った子供を連れて王宮へ戻る。
――そして、私を追い出したことを後悔してください。
※夫の後悔、浮気相手と虐げられからのざまあ
※他サイト様でも掲載しております。
※hotランキング1位&エールありがとうございます!
阿修羅の道の十字路で
板倉恭司
ホラー
都内でも屈指の低偏差値高校に通う翔には、イジメられっ子の過去があった。未来に何の希望も持てず憂鬱な人生を送る彼が、些細な理由から何の興味もない修学旅行に参加する。あまりにも異様な同級生・明との接触から始まる恐怖の一夜。やがて、最凶の男が目覚める──
夜通しアンアン
戸影絵麻
ホラー
ある日、僕の前に忽然と姿を現した謎の美少女、アンアン。魔界から家出してきた王女と名乗るその少女は、強引に僕の家に住みついてしまう。アンアンを我が物にせんと、次から次へと現れる悪魔たちに、町は大混乱。僕は、ご先祖様から授かったなけなしの”超能力”で、アンアンとともに魔界の貴族たちからの侵略に立ち向かうのだったが…。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる