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王太子と婚約しましたが、私には愛する人がいるのです

前編

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 私には愛する人が居る。幼い頃からずっと一緒で、その人と結婚するのだと信じて疑わなかった。
 けれど現実はとても残酷なもの。
 私は公爵令嬢で、自由に恋愛が出来る立場にない。
 対して愛する人は公爵家に仕えるただの使用人、平民。私達の間には身分差という埋められない溝があったのだ。

「僕はこの子と結婚したい!」

 そう王太子が言い出したのは、彼の誕生パーティーでの場だった。
 子供は社交界デビュー前だが、王太子の誕生日には、毎年年代が近い貴族令息に令嬢が招待されてのパーティーが催される。それを毎度面倒だと思うようになったのは、王太子の八度目の誕生パーティーでのこと。
 適当に美味しいお菓子でも食べ友人と談笑して終わろうと思っていたのに、突然のことに会場中がざわめいた。

 一体なにごとかと顔を上げれば、皆が私を注目している事に気付く。
 その先には、一人の男の子が私を指さしていた。金髪碧眼の見目麗しき王子様。誰もが憧れ、けれど私は毛ほども興味のなかった相手。それが王太子である。

「お前、名前は?」

 偉そうな物言いに、ムッとするも相手が格上であればこそ耐えて、子供な私は頭を下げ「ミュランシェと申します」と名乗った。
 直後、私は地獄に叩き落される。

「ではミュランシェ、お前は今日から僕の婚約者だ! 俺はお前を妻にするぞ!」

 かくして私は王太子の婚約者となり、もしかしたらと抱ていた淡い希望を打ち砕かれることとなる。
 私の初恋は、そこで終了となったのだ。

「申し訳ありません、ミュランシェ様。僕にもっと力があったなら……」
「顔を上げてちょうだい、ブレイズ。あなたは悪くない、何も悪くないのよ」

 使用人の息子であり、将来は筆頭執事である父親の後継となりうるであろうブレイズは、涙ながらに私に頭を下げた。
 愛しい人、私のただ一人愛する人。
 私も彼も9歳という子供。ここから逃げ出すにはあまりに幼く、生きる術を持たぬ。運命に抗うことのできない、あまりにちっぽけな存在でしかない。権力に抵抗することなんて、どうやっても不可能だった。

 父は受けた、公爵家のためになると言って、王家からの婚約の打診を喜々として受けたのだ。そこに私の意思はなんら存在しない。どうしたいかと聞かれることもなく、「王太子との婚約が決まったぞ」と事後報告をされただけ。
 父を責めるつもりはない。それは当主として当然の判断だったであろうから。
 私もまた、それを受け入れるのが当然と思い涙する。公爵家が令嬢として生まれた己の運命なのだと。

 けれどそれでもどうにもならない思いは存在する。仕方ないと諦めても、それでも私は目の前のブレイズへの思いを断ち切ることはできなかった。
 結ばれること叶わぬのならば、せめて一緒にと……成長するまで共にありたいと思うのは私の最後のワガママ。
 王太子と結婚したら、彼のことは諦めるから、忘れるから。共にあれない状況を受け入れるから。
 だからどうか今だけは──

 そんな私の思いは、あっさりと踏みにじられることとなる。

「出て、行った……?」

 それは婚約から二年後。私が11歳になったある日のこと。
 父から突然告げられたのは、愛する人の消失だった。

「なぜ……!」
「王太子の命令だ。逆らうこと、それすなわち王家への謀反ととられかねん」

 苦々しげに父が言う。その表情の向く先は、もう居なくなってしまったブレイズに対してだ。
 私のそばに置いたことを心底悔いている、そんな表情で父は私を見る。

「お前と随分親しいのだなと、王太子が不満げにおっしゃっていた。そのためブレイズをお前から遠ざけろと」
「そんな……確かに私はブレイズとは親しいですが、彼はただの幼馴染であって……」
「使用人だ」

 必死に弁明しようとする私に向かって、父は冷たく言い放った。

「あれはお前の幼馴染ではない、友ではない。我が公爵家のただの使用人……の息子だ。身分差を理解しなさい」
「そ……」

 そんなことはない、彼は確かに使用人だが私の友なのだ。
 だがそんなことは言えない。言ってしまったら、私はきっと思いの全てをぶちまけてしまうだろうから。
 だって使用人だなんて言葉で片付けたくないもの。彼は紛れもなく私の愛する人。優しくて思いやりがあって、私を見て笑みを浮かべてくれる人。
 いつだって不機嫌そうにムスッとしている王太子と全然違う人。大切な人。

 きっとそんな思いが溢れ出して、王太子に気取られてしまったのだろう。己の未熟さを情けなく思い、後悔する。しかし後悔は先に立たないのだ。ブレイズはもう居ない。居なくなってしまった。
 その晩私は泣いて泣いて、ひたすら泣いて……食事もとらずずっと泣き続けた。
 痩せ細り醜い私を見て王太子は顔をしかめる。このまま婚約解消してくれたらと思うのに、けれど彼はそうしない。治ったらまた来ると言って、毎日のように通ってきていたのが嘘のようにパタリとやんだ。ようやく私の周囲が静かになった。

 このまま息を潜めて、静かに一人で生きていきたい。ブレイズが居ない世界になんの意味があろうか。彼は私の全てで、命より大切な存在だったというのに。
 彼の優しい笑みを思い出して、また涙が浮かんだ。
 その時だった。

 コンコンと窓が鳴る。何かが当たっているような音に顔を上げて、私は息を呑む。

「ブレイズ!?」

 なんとそこには、求めてやまぬ愛しい人が立っていたのだ。
 バルコニーへと繋がる掃き出し窓を開ければ、そこには変わらぬ笑顔を浮かべるブレイズ。たまらず私はその胸に飛び込んだ。
 まだ成長途中で、私と身長の変わらない、けれど確実に筋肉が付き始めているしっかりした体が受け止めてくれる。

「大好きよ……いいえ、愛しているわブレイズ。お願いだからもうどこにも行かないで!」
「あなたの望みのままに……」

 その日、私達は初めて一線を越えた。といっても子供の幼い恋だ。触れるだけの口づけ、けれどけして許されない行為をしたのである。

 それからブレイズは影に徹する。誰にも見つからないように注意して、私のそばに仕えた。困った時、苦しい時、悲しい時……私を救ってくれるのは王太子ではなく、いつもブレイズ。
 15歳になり貴族が通う学園に入学してからも、それは変わらなかった。
 入学から一年はそうして穏やかな時が流れる。

 だが一年後。
 一歳下の王太子が入学してきたことで、その平穏は終わりを告げる。

 全ての崩壊が始まった。
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