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第四章~俺と伊織

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 顔に深く刻まれたたくさんの皺。圧倒的に頭髪を占める白髪。歩くこともままならない弱った体。どこからどう見ても老体の30代は、小声で、しかし強くハッキリと告げた。隣で、早川刑事が息を呑むのが分かった。
 一体何を経験すれば、こんなふうになってしまうのか……。

 今日あったことを思い出し、呆然と考え込む俺の手は止まっていた。

「良善君?」

 声をかけられてハッとなる。

「あ……」
「お夕飯、口に合わなかったかしら?」

 言葉をかけられて現在の状況を思い出す。手元を見れば、右手に箸、左手に茶碗。病院から戻って早川刑事と別れた俺は、夕飯を食べている。伊織の家で。
 心配そうに俺を見る伊織の母親に、慌てて「そんなことないです、美味しいです!」と言って料理を口に運ぶ。

 嘘だ。
 味なんてなにも感じない。
 母が死んでから、俺は何を食べても美味しいとも不味いとも感じない。
 食事は生きるための栄養補給でしかなかった。

 それでも心配してくれる気持ちを無下にしたくなくて、俺は嘘笑いを浮かべて美味しい美味しいと食べるのだ。
 まあそんな演技は簡単に看破されているのだろうが。無理していることなんて、誰が見ても明らか、一目瞭然。けれど大丈夫かと心配するほうが相手の負担になることはある。それを理解し、お互いに遠慮を含んだ笑みを浮かべる。

「良善、今日の夕飯は私も手伝ったんだよ! 残したら許さないから!」
「わかってるよ伊織」

 伊織が明るい声で言うから、自然と俺も伊織の親にも笑みが浮かぶ。
 はたして伊織は場の空気を改善するために、わざと……努めて明るく言ったのだろうか。
 それとも素のままでの発言なのだろうか。

 長い付き合いだが、今の伊織の表情からは真意が読み取れない。同じく事件現場に遭遇したはずの彼女は、俺より立ち直りが早い。以前も今回も。
 何度も俺と同じように人死にの現場に居合わせながら、伊織はいつも平然と日々を過ごしている。それが無理をしている様子を感じさせないから、俺はなんだか恐ろしい。

 伊織の両親は、自分たちの娘の様子をどう思っているのだろう。親だからこそ分かることもあるだろう。だが二人は娘に違和感を感じている様子はない。……普通な伊織を普通ではないと思う俺のほうがおかしいということか。

 あの日、どうして俺の家に伊織が居たのか。気絶はしていたが軽症の伊織に、警察は当然あれこれ聞いたらしい。伊織は「オバサンの姿が見えたから、良善は今日うちにご飯食べに来ますよって伝えに言った」と答えた。その直後、侵入してきた強盗に殴られ意識を失った……というのが、伊織の話。
 色々矛盾点があるような、そうでないような。ただ俺は納得していないし、担当刑事も納得していない……と早川刑事は話していた。今日の病院からの帰り道、車の中で色々話してくれたのだ。

『これは独り言だから、キミに聞こえても不可抗力ってことで』

 相変わらずの適当な言い訳をしながら、俺に情報を流してくれる。
 独り言を聞いている俺は答えず、黙って刑事の話を聞いた。
 それらを思い出しながら、チラリと伊織を見る。俺の視線を感じて、ニコッと笑みを返してくる。それを無表情で受け止めて、俺はまた止まっていた食事を再開した。

「ところで、良善君は卒業後はどうする気だい?」

 不意に伊織の父親が聞いてくる。ので、俺は祖父母に言った通りのことを答えた。

「大学進学希望です。ただ第一希望は遠いところにあるので、もし受かった場合は家を処分して引っ越そうかと……」
「え⁉」

 俺の言葉に強く反応したのは伊織。突然のことに戸惑い、目を見開いて俺を見つめてくる。

「そんな話、聞いてない!」
「ごめん、まだ話していなかったな。とはいえ、滑り止めも全部落ちたら予備校は家から通うよ」
「それでもいつかは出ていくってことでしょ⁉」
「そりゃまあ……」
「だとして、どうして家を処分する必要があるの⁉ 残しておいて、卒業したら戻ってきたらいいじゃない!」
「んなこといっても、四年も誰も住まないのはちょっと……」

 祖父母に言ったときから俺も悩みはした。
 少ない父との思い出、ずっと一緒に暮らした母とのたくさんの思い出が溢れかえった家、処分して良いのかと。
 でも思い出は良いことばかりじゃない。

「こっちでも就職したとしても、もうあの家に戻ることはないよ。家にはツライ思い出が多すぎる」

 ほとんど父との思い出がない家。父の死後からどれだけ経っても、不意に思い出しては泣いていた母。苦しくて悲しくて仕方ないのに、それを耐えようと歯を食いしばっていた、あのつらそうな姿。
 そして何より母が亡くなった、悲惨な事件のあった現場。
 修繕はされても、俺はリビングにまともに立ち入れていない。祖父母が一緒に住んでくれてた時も、入りはしても留まることはできなかった。一人となった今は、リビングの電気をつけることもない。

「あの家には、もう住めない……」
「だったら立て直せばいいじゃないの!」
「そんな金、あるわけないだろ」
「でも……!」

 必死で俺を引き留めようとする伊織に、その時父親が「伊織!」と強い口調で諌めた。

「いい加減にしなさい、良善君が困っているだろう」
「でもお父さん!」
「伊織」
「……はい」

 名前を呼ばれて、伊織は渋々と言った感じで言葉を収めた。俺は小さく息を吐く。

「ごめんな。でももう決めたんだ。大丈夫、離れても俺と伊織は幼馴染で友達だ」
「うん」

 納得したのかしてないのか分からない。ただこの話はこれでおしまいと、全員が食事を続け沈黙が流れた。

* * *

 不意に視界が白くなる。
 ああまたかと俺は思う。
 真っ白な世界に浮かぶ異物……黒い球体を前に、俺は「またか」と声に出して言った。球体は動じない、少しも揺れることはない。ただそこに浮かんでいる。

「なあ黒いの、お前一体なんなんだ?」

 返答がないとわかっていても、俺は問う。そして案の定の沈黙だ。

【伊織ちゃんは明日、死にます】

 俺の問に答えずに、身勝手にも自分の問いを発してくるのだ。それに対して、もう怒りを感じることはない。ただ淡々と現状を受け入れることしかできないのだと、理解している俺は感情を揺さぶられることはないのだ。

【殺す人間を選んでください】

 だが初めての物言いに、俺は軽く目を瞠る。それから顔を押さえて苦笑を浮かべる。

「はは、なんだよそれ……」球体は答えない。
「殺す人間だって? 最初は『死ぬ人間』って言ってたくせに……」随分と直接的な言い方ではないか。

 バッと顔を上げて、球体を睨む。

「殺す人間……殺す人間! そうだよな、お前はそうやって俺を追い詰める! 俺がしてきたことは殺人だって、お前はそう言いたいんだろう⁉ なあ、そうだろ! 言えよ、俺のことを殺人鬼と……言えばいいのに、なに回りくどいことしてやがる! 責めたきゃ責めろ、俺を人殺しと責めてみせろよ!!!!」

 白い空間で、声が響く。だが反射することなく声はただ響いて消えた。
 黒い球体は答えない、ただ無言。
 それどころか、俺が黙り込むのを確認してからのタイミングで、【選択肢】と言ってきやがった。

「ああくそ! 今度は誰が選択肢に入ってるんだ⁉」

 この球体と会話することは無意味と悟り、俺はお手上げとばかりに手を上げて、ヤケクソ気味に叫んだ。
 直後、球体は告げる。

【1、神澤伊織 ──これは分かっていたことだ。

【2、相楽良善 ──これも予想通り。

 さあ次は誰だと身構える。
 だが、黒い球体は何も言わなかった。

「? おい? 次は?」
【……】
「おい⁉」

 なぜ三人目の選択肢がないのだと、せかす俺。だが黒い球体は一向に言ってこない。それに徐々に焦りだした俺は、球体へと詰め寄った。

「いるんだろ、三人目が! 言えよ、選んでやるから! もうこうなったら誰でも同じ……俺は何度でも選んでやるから示せ!」

 選択肢を示せ!
 叫ぶ。
 だが球体は動かない、話さない。ただ黙って──ややあって、【殺す人間を選択してください】と言ってきた。

「おい、嘘だろ?」
【選択してください】
「選択肢は、二人……?」
【選択してください】
「俺と、伊織……」
【選択してください」
「選べない!!」

 考えるより早く、俺は叫んだ。叫んでいた。

「選べない、俺には選べない! どうやって選べと言うんだ、俺にどっちを選べと⁉」

 自分を選ぶなんて恐ろしいこと……そんな勇気は俺にはない。だって、だからこそ俺は母を犠牲にしたのだ。今更自分を選ぶことができようか。それでは母が浮かばれない。

 では伊織を選べばいいかなんて、それこそ馬鹿げている。伊織を選んでしまったら、これまでの犠牲はなんだったのだ? 矢井田と奥田はともかく、平山に母さんに……それこそ浮かばれない。

「頼むよ、三人目を提示してくれるんなら、俺は誰だって選ぶ。死後に地獄に落ちようと構わない、だから頼む、三人目を……」
【選択してください】
「っ……!!」

 どれだけ懇願しようとも、球体は意思を曲げない。
 もうそれは決まったことであるというように、選択肢の提示は終わり、選択を迫ってくるのだ。
 そしてついにカウントダウンが始まった。60と数字が表示されて、俺は言葉を失う。

「ま、待ってくれ……そんなすぐに選べない……」

 いいや、どれだけ時間があっても、この世界が終わるまで俺は選べない。

【時間切れとなった場合は、自動で選択されます】
「ぐ……!!」

 焦る俺をさらに煽る言葉を球体は告げてくる。
 だが選べない、選べるわけがない。

【選択してください】

 ついに残り時間は十秒を切る。夢の中だというのに汗をダラダラ流して、けれど俺の口は震えるだけで声を発することができないでいる。

(どうする? どうする? 俺? 伊織? 俺? 伊織?」

 何度自分に問いかけても答えは出ない。一秒間にどれだけの回数を自分に問うたか。けれど出ない答え、延々と問い続け、答えられない。
 そしてついに

【0】

 選択時間が終了してしまった。
 直後、ブーッとどこからともなくブザーが聞こえた。

【時間切れです。選択は自動で行われることになりました】
「ど、どっちだ⁉」

 自動で選ばれる……ならばどちらが選ばれたのか、俺は問う。だが黒い球体は【結果はその時までお待ち下さい】と告げてきた。

「な! せめてどっちを選んだかぐらい答えろよ!」
【選択は厳正な抽選によって決定されます。抽選過程はお教えすることはできませんし、当選発表は結果をもって発表とさせていただきます】
「なにが当選だ、ふざけんな! こんなふざけた選択に当選だなんて……」
【このたびはご利用ありがとうございました】
「は⁉」

 意味不明な言葉を羅列させ、真っ白な世界は突如暗転する。

「おい⁉」

 問いかけても返事はない。真っ暗な空間で、黒い球体を探し出すことはまず不可能。漏れ入る光は皆無で、正真正銘の真っ暗闇。足元も真っ暗でまるで浮いているようだ。

「教えて、くれよ……」

 暗闇で、力ない俺の声が響いて消えた。
    
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