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第三章~母

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 伊織はやはりおかしい。普通に見えるけれど、あれは伊織じゃない。
 いや、本人ではあるのだろう。だが何かが狂い始めている。思い出すのは過去の話。刑事が話していた、俺と同じ黒い球体の夢を見た少女……と、彼女によって命を救われた教師。

『精神がおかしくなってどこかへ消えたって話だ』

 早川刑事の声が頭の中で繰り返される。
 精神がおかしくなった。つまり伊織にも同じことが起きていると?
 はた目には、伊織は普通の以前のままの伊織だ。可愛くて優しくて、勉強もできて運動神経抜群で……みんなに人気の伊織。だが歪みは着実に起こり、それを感じ取ったクラスメートが数名、距離をとっている。そんな気配を感じる。
 伊織の様子を確認すべく登校を再開した俺は、学校でその微妙な空気の変化を目の当たりにした。

 俺以外にも、伊織が変わったと感じる者が出ている。つまり、やっぱり伊織はどこか変なんだ。なにがと聞かれても困るのだが、何かがとしか言えない。

 教室では教師が黒板に何かを書いて話している。が、しばらく休んでいた俺にはチンプンカンプン。相変わらず伊織がノートを用意してくれたが、恐くて開くことができていない。どのみち授業なんて頭に入ってこないと、俺は伊織の背中をそっと伺う。
 真剣に授業を聞いているその様子は、以前の真面目な伊織のままだ。

「いつも通りに見えるのに、な……」

 頬杖ついてボソリと呟いた瞬間、伊織が振り向いたのでドキリとした。突然のことで視線を逸らせずにいると、ニコッと微笑んで小さく手を振ってから、伊織はまた正面へと向き直る。一瞬のできごと……だというのに、俺の心臓は早鐘を打ったようだ。
 ドクドクと激しく鼓動する胸を押さえて、俺は汗が流れるのを感じる。はあはあと、息苦しさを感じた。グラリと視界が揺らぐ。
 気持ち悪くなって、俺は机に突っ伏した。腕を枕に目を閉じる。
 そうすると少し落ち着いてきた。教師の声が徐々に遠ざかって……俺は本気で眠ってしまった。

 そう、眠ってしまった。
 次に目を開けば、世界は真っ白だ。

「ああくそ、またか……」

 呟いているが、俺は本当に声を出しているのだろうか? だってここは夢の世界だ、現実とは違う。呟いた気になっているが、単に考えているだけなのかもしれない。

「もう、嫌だ……」

 座り込んで頭を抱える。顔を上げたくない。だって上げたらそこにあるんだろう? あの黒い球体が。
 そしたらやつはまた俺に選択を迫るんだ。
 はたして今度は誰なのか。
 伊織の代わりに死ぬ人間を、球体は誰を挙げるのだろう。
 最悪の想定が俺の頭を支配する。もしかしたら、球体は……

【伊織ちゃんは明日、死にます】

 不意に聞こえた声に、俺の体はビクリと震えた。ああ、やっぱり逃げることはできないのだ。直接脳に響く声だ、耳をふさいだところで聞こえなくすることはできない。分かっていても俺は知らず耳を抑える。それを嘲笑うかのように、球体は声を響かせる。

【伊織ちゃんは明日、死にます。選択してください】
「くそっ!!」

 なにがあっても選ばせようとする球体に、俺は苛立ちを隠せない。立ち上がり、破壊してやろうと殴りかかった。だが突然体が動かなくなった。

【選択してください】

 固まる体。指一本動けない俺の正面に迫る球体。そして選択しろと奴は言うのだ。
 俺に選択させようとするんだ。

「くそ……」

 今度は力なくそう言って、俺は項垂れる。瞬間、硬直していた体は解放され、急に動けるようになってたたらを踏む。勢いあまって俺は転んでしまった。したたかに膝を打ち付け、夢だってのに痛い。

「くそっ」

 叫んで膝を叩いた。当然のように更に膝が痛む。

「なにやってんだ、俺は……」

 馬鹿みたいだと笑う俺に、容赦なく黒い球体は選択肢を挙げてきた。

【1、神澤伊織】 「だろうな」当然のように伊織が挙がる。

【2、相良良善】 「はは、やっぱりな……」思った通りの選択肢に、空笑いが浮かぶ。

 そして。

【3、相良博美】 「え……?」

 突如挙がった三番目の名前に、俺は言葉を失った。

「さ、がら……博美……?」

 その名前に俺は聞き覚えがあった。いや、あるなんてもんじゃない。
 その名を聞くことはあまりない。だって俺は呼ばないから。けれど知ってはいる……その人のことなら、俺が一番よく知っている。父が亡き今、相良博美を一番よく知っているのは、俺なのだ。

「母さん……?」

 黒い球体は、残酷にも俺の母親の名前を挙げてきたのである。

「ま、待てよ、なんで母さんが!?」

 これまでは、伊織以外は俺をイジメていたやつや、傍観者が選択肢に入っていた。だから俺は苦しみながらも選べたんだ。だが今回はどうだ?

「母さんがなにしたってんだよ!!」

 叫ぶも、球体は答えない。そして、無情にもそれが始まる。

【死ぬ人間を選択してください】

 そう言って、球体に60の数字が浮かび上がった。

「待て! 待ってくれよ! 選べない! そんなの誰も選べるわけないだろう!?」

 叫んで怒りに拳を上げてもカウントダウンは止まらない。
 俺は拳を振り下ろした。今度は避けられることもなければ、体が動かなくなることもない。思いきり球体を殴る。だが俺の手に痛みが感じられることもなく、球体が割れるどころか揺れることすらない。
 ただ球体はそこにとどまり続けて、数字がどんどん減っていくのだ。

「待ってくれ、待ってくれよ!」
【死ぬ人間を選択してください】

 俺の叫びを無視して、球体は同じことを繰り返し言う。

【時間切れとなった場合は、自動で選択されます】
「な!?」

 その言葉に焦る。
 もしこのまま選ばなかった場合は、救済措置があるのではないかと一瞬考えた自分を殴りたい。この球体がそんな甘いものであるはずないのだ。だからこそ過去の少女は苦しみながらも八人を選び続け、最後に自死を選んだのではないか。

 選ばなければ自動で選ばれてしまう。
 俺か伊織か母か……。
 脳裏に伊織と母との思い出がフラッシュバックする。こんなの選べるわけないだろう!?

 だが無慈悲にも時間は過ぎていく。とうとう十秒を切った。あと八秒。七、六……

「母さん!」

 叫んだ。だがタイマーは止まらない。正確に言わなければならないのかと、ギリと歯を食いしばる。
 ギュッと拳を握って俺は叫んだ。

「三番、相良博美を選択する!!」

 瞬間、タイマーが動きを止めた。残り一秒で止まったまま、シンと静寂が場を包んだ。

【変更はありませんか? 死ぬ人間は相良博美でいいですか?】

 静かに、球体が確認してくる。
 俺はギュッと拳を握りしめ、唇をかみしめた。血の味が口の中に広がる。
 ギリギリとかみながら、俺は「はい」と頷いた。

【回答を受け付けました】

 球体が言った瞬間、俺は意味不明な叫び声をあげた。
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