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第二章~平山

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 伊織は中学に行ってないと早川刑事に言ったらしい。
 それを教えてくれた刑事は電話の向こうで話す。

『真実を確かめるすべはない。しかし、彼女の発言の真偽はともかくとして、キミのれいの夢の話だが……』
「分かっています。あれだって真偽を確かめるすべはない」
『そういうこと。つまりキミが罪にとわれることはない』
「……はい」

 分かっている、分かっていた、これは初めから分かっていたことなんだ。
 夢で黒い球体から出された選択肢を選んだら、犠牲者が入れ替わって死んだだなんて、誰が信じる? 信じたとしてもどうやって証明する?
 分かっていた、俺はけして罪にとわれないってことを。分かっていて、でも刑事に話した。
 理由は簡単。

「結局、俺は話して楽になりたかっただけなんだな……」
『ホッとしてるってことかい?』
「そうですね」

 これで『キミが真の犯人だ、逮捕する!』なんてこと言われたら絶望を味わっていたことだろう。話したことを後悔しただろう。だがそうはならないと、心の片隅で分かっていたんだ。こんな滑稽な話を受け入れていたら、司法そのものが崩壊する。

『ただ、私は信じるよ、キミの話』
「え?」

 意外な言葉に、思わず聞き返す。

「信じるんですか?」
『信じるよ』
「俺に合わせて適当なことを言ってるわけじゃ……」
『ないよ。私は刑事だ、こういった話は直感を信じることにしている。そしてやはり偶然ではなかったのだな、と自分の中で納得もした』

 でも、と刑事は続ける。

『でもキミを逮捕することはできない』
「……でしょうね」
『ホッとしてるかい?』
「さっきと同様に」

 同じ質問に同じ答えだと言えば、電話の向こうでかすかに笑う気配がした。

『長く刑事なんかやっていると、こういった事件に遭遇することもあるんだ』
「黒い球体を見た人が他にも?」
『ああ、いたよ』

 何気なく聞いた質問に、なんでもないことのようにサラッと答えが返って来る。
 だが俺の衝撃は簡単な答えに比例しない大きなものだった。

「いた……んです、か……?」
『ああ。たしか五、六……ん~八年くらい前? だったかな? あの時は女性で……』
「その人は今どこに!?」

 まさか同じ体験をしている人間が、いるとは思わなかった。
 叶うならばその人と話をしてみたい。会って、話をしてそして……。
 だが俺の切実な願いは、叶わない。

『残念ながら亡くなったよ』
「え……」
『彼女の周囲で、彼女に嫌がらせをしていた同級生が立て続けに亡くなったんだ。キミと状況がよく似ているね』
「……」
『彼女の場合は、教師』
「え?」
『キミにとっての神澤さんな立ち位置の人は、彼女にとって担任の男性教諭だったんだ』
「担任教師?」
『そうそう。彼女をイジメからどうにか救おうと奮闘して、けれどイジメ主犯者たちの保護者が騒いで、色々あってクビになりかけた。ところが……それから始まったんだよ』
「その女性の周囲でイジメっ子が死んだ、と?」
『彼女の場合は、更にイジメっ子の親……担任教師を解雇しろと迫った、いわゆるモンスターペアレントも対象だったな。総勢八人が亡くなった』
「は、八人も!?」

 俺は三人でも苦しんでいるのに、八人もの選択をしていたという女性。一体どういった心境だったのだろう。
 それほどに相手を憎んでいたのか、それとも……選ばざるをえなかったのか。
 話を聞きたいのに、けれどその人は死んでいると刑事は言った。

「教師はどうなったんですか?」
『それがねえ……行方不明になったらしいんだ』
「え?」
『夢を見たという女性が死んでから、だったかな? それ以前から奇行が目立っていたらしくて、精神がおかしくなってどこかへ消えたって話だ』
「奇行が目立つ……」

 俺の脳裏に、蟻を潰す伊織の姿が浮かぶ。

『彼女もね、死ぬ前に私に打ち明けたんだ』
「早川さんに?」
『そ。罪の意識にさいなまれたのか、あまりに続く一連の死亡事件を担当していた私に、彼女が連絡してきたんだ。随分とゲッソリしていたっけなあ』

 女性は早川刑事に黒い球体を見たという夢の話をしたんだそうだ。けれど当然ながら、彼女が逮捕されることはない。犠牲者の直接の死に繋がる原因は明らかで、それらに彼女は一切無関係だったから。今の俺と同じだ。
 しかしそれが耐えられなかったのか、彼女はある日首を吊って死んだという。イジメっ子や保護者など、彼女と教師の敵となる者が全て死亡した直後のことだったらしい。そしてそれから数日後、奇行が目立ち休職していた教師は行方不明になった。

『なんとも……誰も幸せにならない結末で、後味が悪かったのを覚えている』

 早川刑事の声は暗く重い。
 電話を切ってから、俺の心も重たい。色々と衝撃の事実が多すぎて、理解が追い付かない。

「一体、あの黒い玉はなんなんだよ……」

 自分だけではなかった。黒い球体を見たのは、自分だけではなかった。
 そしてその後の結末にショックが強すぎる。

「俺も、死ぬんだろうか……」

 いや違う。自責の念に駆られて、命を絶つのだろうか?
 このまま続けば、俺もそうなるのかもしれない。だがまだだとも思う。
 俺にとっての伊織が、過去に黒い球体を見た少女にとっては教師だった。そしてその教師は異常をきたして行方不明。ならば伊織もいつかそうなるのかもしれない。
 そんなことはさせない。それではなんのために他人を犠牲にして伊織を救っているのか、となる。

 俺の目的は伊織を救うことなんだ。
 だからと俺は、携帯を手に持った。伊織に『話がある』とメッセージを送ろうとしたとき。
 心配だからと仕事を休んでいる母が、俺を呼びに来た。

* * *

 ザアア……と雨が激しく降る。出来過ぎなシチュエーションだと俺は暗い空を見上げた。
 大きな建物の屋根がある場所、屋根の端ギリギリに立って振り続ける雨を見てから、背後を振り返る。

【故 平山栄一 儀葬儀式場】

 今日は栄一の葬儀の日だ。チラリと横目で見れば、制服姿の人間も数人見える。制服デザインがバラバラなのは、それが中学時代の同級生であることを示している。一番多いのは中学時代で、ついで同じ制服を着ている高校の友人達。
 俺もまた制服を着ている。
 母が知らせてきた栄一の葬儀に、俺はどんな顔で出ればいいのか分からなかった。本当は来ないつもりだった。そのほうがいいと思ったから。
 でも今、俺はこうして来ている。願望はともかく、そうすべきだと思ったから、来た。

 葬儀は静かに始まった。
 すすり泣く声があちこちから聞こえてくる。栄一は明るくて、中学から友人は多いほうだった。──その中でも、特に俺は親しくて……親友だったと思っている。
 だが裏切られた。高校に入り、イジメのターゲットになった途端、栄一は俺を裏切った。見捨てた。そのことは今も恨んでいる。でももうどうでもいい。……恨みは十分すぎるほどに晴らした。むしろ多すぎるほどに。

 棺桶の中の栄一は安らかな顔をしていた。屋上から落ちたというのに、プロって凄いな……などと場違いなことを考える。悲しみは無い、涙も出ない。もう俺の心はマヒしているのかもしれない。
 焼香時にチラリと遺族に目をやった。泣きはらした顔の両親、泣き続ける幼い弟妹。ああやはり来るべきではなかったと、その時初めて後悔する。自分の犯した罪が重く心にのしかかる。

 ……過去に黒い球体に選択を迫られた少女は、これに耐えられなくなって死んだのだろうか。自らの命を絶つほどに、後悔したのだろうか。
 もう聞くことのできない相手の気持ちは分からない。ただ、現時点では俺には後悔や申し訳なさはあっても、自分の命を絶つほどではない。それがまだ犠牲者が三人だからか、それとも……もう俺の心は死んでいるからか。

 葬儀が終わっても、まだ雨は降り続けていた。遺族と栄一の遺体を乗せた霊柩車や車が走り去っていく。火葬場に行くんだろうなとボンヤリ見つめてから、俺は傘を開いた。何人かの懐かしい面々に声をかけられたが、上の空で覚えていない。ちょっとした同窓会の雰囲気で、この後どうする? と誘われたのも無視。
 俺はバシャリと雨の中に一人踏み出した。

「良善、一緒に帰ろうよ」

 不意にかけられる声。ビクリと震える俺の体。
 何を驚くことがある。伊織だってあいつと中学からの知り合いだ。居てもおかしくない。
 だというのに、まったく気配を感じなかった。会場に居るところを俺は一度も見ていない。
 突如現れ、いきなり俺に声をかけてきた人間を振り返り、俺は顔をしかめた。

「伊織……」

 一度も流れなかったのに、なぜ今泣きそうになっているのか。自分の心が分からぬままに、俺は正面の人物を見る。
 雨の中、場違いなまでに派手な真っ赤な傘をさしながら、伊織は場違いなまでの満面の笑みを浮かべていた。
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