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第一章~矢井田と奥田

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 ふあ……と大きな欠伸が出る。完全な寝不足だなと、寝癖のついた髪を直すべく奮闘しながら、今度は欠伸をかみ殺す。

「寝不足?」

 不意にヒョイと肩越しに顔が出て話しかけられた。

「おわ!?」
「あはは、驚いた?」

 俺の反応をさも楽しそうに笑うのは、今日もやっぱりやってきたお隣さんの伊織。

「お前、毎朝来るなよ」

 嘘だ、本当は嬉しいくせに、と思いながら言えば、ニンマリ笑う伊織はきっと俺の気持ちなんてお見通しなのだろう。

「そんなに邪険にしていいの? もうすぐ定期テストがあるってのに」
「すみません。その際には是非ともお助けください」
「うむ、よろしい」

 満足げに頷いて、伊織はリビングへと向かった。おそらく、その先の食卓に並べられた俺の朝食を狙っての行動だろう。慌てて寝癖直しもそこそこに向かえば、案の定食卓についている伊織が目に入った。ガックシと項垂れたが、直後俺の朝食が手つかずであることに気付く。

「あれ、食ってないの?」
「食べないよ。成長盛りの高校生男子は、朝はちゃんと食べないとね」
「昨日食べたじゃねえか」
「過去は振り返らない女なの」

 おどける様子の伊織をジトッと見て、俺は席につく。目の前では頬杖ついて俺を見つめる伊織。

「そんな見つめられると食いにくい」
「いいじゃないの、減るもんじゃなし」
「なんか心が減る」
「なにそれ」

 どうやら母は既に出たらしく、気配がない。まだ温かいトーストにかぶりつきコーヒーを飲めば、寝不足の胃に染み渡りほおと息を吐いた。

「美味いな」
「やっぱトーストにバターと卵は最高だよね」
「だな」

 見れば、目の前の伊織も同じ目玉焼きトーストにかぶりついている。母が用意したのか、自分で勝手にやったのか。
 どうでもいいが、お互いに食べているので無言で静かな朝の時間が過ぎていく。
 変な夢のせいで早起きしたから今日は時間に余裕がある。慌てることなく支度をして、俺達は家を出た。

「じゃ、行くか」
「うん」

 言って歩き出す。なんとはなしに無言で歩く、奇妙な時間。いつもなら伊織がうるさいくらいに話しているのだけれど。

「今日、全校集会あるのかな」
「さあな。何かしらの話はあるかもな」
「他のクラスはともかく、同じクラスだった私達には先生から話があるかもね」
「だな」

 始まったはずの会話はそれで終わる。学校に近付くにつれ他の生徒の姿も増えてきたが、なんとはなしに空気が重い。
 とはいえ、学年もクラスも違う連中からすれば、生徒一人が死んだという実感はあまり無いのだろう。普通に大声で笑って、楽し気に会話している姿も多い。

「おっす、良善!」

 不意に名前を呼ばれて俺は振り返り、顔をしかめた。声の主は俺のクラスメートで、俺の元友達な栄一えいいち
 なぜ[元]がつくかといえば、奴もまた俺に対する虐めを見て見ぬふりをしたから。だから俺の中ではコイツとは切れたことになっている。

 なのになぜ、今更話しかけてくるのか。

「……っす」

 お、が聞こえないくらいに小さい声で返事して、俺はまた前を向いた。話すことはない、という無言の拒絶だ。
 だがそれが分からないのか、栄一は平然と俺の横……伊織とは逆の左隣に並んで歩き出した。なんだよ一体。

「なに?」

 何の用だと無言の圧をかけるも、栄一はどこ吹く風。「そう邪険にすんなよ」とヘラッと笑う。同じ『邪険』でも伊織が言うのと随分受ける印象が違って来るな、なんて思う。伊織に対してとは異なり、栄一には本気で邪険にしたくなる。

「よく平然と話しかけるね、平山君」

 伊織も俺の周囲から友人が全て離れたことを知っている。それを許せないと憤っていたことは記憶に新しい。
 だからこそ、伊織もまた栄一を睨みつけた。それには奴も少々困ったという顔を見せる。

「そう冷たいこと言わないでよ神澤さん。俺だって苦しい立場だったんだよ」

 分かるだろ? と同意を求めてきたので俺は無視して足を早めた。
 歩調を合わせようと、慌てて栄一も足を早める。

「だってしょうがねえだろ? あの矢井田グループだぜ? 良善をかばったら、俺まで酷い目に……」
「だから俺を見捨てたと?」
「見捨てたとは人聞きの悪い」
「それ以外どう言えと」
「うん、まあ……悪かったよ」

 拍子抜けするくらいにアッサリと謝られると、怒りの持って行き先が無いではないか。

「ごめん、良善」

 そう言って頭を下げる栄一。お人よしと思われるかもしれないが、それで全て許そうと思える俺は、確かに甘いのかもしれない。

「……もういいよ」

 逆の立場だったら、俺だって見捨てたかもしれない。そう思うと謝罪を受け入れないわけにはいかないではないか。

「さすが良善、懐が広いねえ!」
「調子いいやつ」

 嬉し気にガッと肩を組まれて、思わず俺も笑った。それを無表情で伊織が見つめているとも知らず。

「まあ事情はなんであれ、矢井田は居なくなったんだ。これでお前も楽しく高校生活送れるだろ!」

 栄一が笑う。

「だといいけどな」
「だーいじょうぶだって! 何かあれば今度こそ俺が守る!」

 そう言って、中学からのダチは胸を張った。それに苦笑を返して、俺は到着した学校の正面を見据えた。

(本当に、このまま平和になればいいのだけれど……)

 矢井田に関しては、担任から話があり、クラス委員が葬儀に参列することになった。あとは希望者のみ、少数参列可能って話。
 それから登下校には注意することってお達しがあった。

 それで矢井田の件は終わり。あとは通常授業となる。人が死んだってのに、アッサリしたものである。
 まあ大半の者にとっては、気にかけることではないのだろうが。矢井田は避けられることはあっても、人気者とは程遠かったから。

 ふと、伊織だったらどうだったろうと考える。前の方の席に座る伊織の背を見つめ、無かったことになった彼女の死を考えて首を振った。

 退屈な授業を頬杖ついて聞いていれば、あっという間に昼休み。
 久しぶりに矢井田にからまれることなく過ごせるな。そう思っていた時だった。

「んだよ平山、俺らにも奢ってくれよ!」

 聞き覚えのある声が耳に届いた。見れば矢井田と仲良くて、いつもつるんでいた奥田が目に入った。
 親しかったくせに葬儀には行かないのか。所詮はその程度の関係か。

 どうやら奥田は栄一にからんでいるらしい。矢井田は俺だけをターゲットにしていたが、奥田は無節操なのだろう。困っている様子の栄一を放っておけなくて、俺は思わず割って入り「やめろよ」と言った。

「なんだ、良善が奢ってくれるのか?」
「奢らねえよ。人にたかるんじゃねえっつってんの」
「あ?」

 強気で言ってはみたが、直後俺は後悔する。

「──がっ!?」

 腹部に感じる痛みに思わず腹を抑える。思いきり蹴りが入ったのだと、目の前でゆっくり足を下ろす奥田を見て理解した。こいつも格闘技、してたんだっけ……。
 昼食を食べる前で良かったと安堵する。食べていたら、確実に戻していただろうから。

「矢井田が居なくなったからって調子に乗ってんじゃねえぞ!」
「別に調子に乗ってなんか……」
「まあいい、ならお前が平山の代わりに俺らの昼飯買ってこい。もちろんお前の金でな!」
「そんな……」

 反論しようにも、まだ痛む腹がこれ以上歯向かうなと告げる。
 チラリと横を見れば、青ざめた栄一が俺と目が合って……直後逸らす。

「なんだ平山、やっぱりお前が行くのかあ?」
「あ、いや、俺はその……関係ないから……」

 言って、栄一は慌ただしく去って行った。
 やっぱあいつは何も変わらないのな。許した俺が馬鹿だったと、奥田達のゲラゲラ笑いを頭上に浴びながら後悔した。

 矢井田は居なくなった。だが平穏は訪れなかった。
 それから俺は今度は奥田達に虐められることとなる。クラスメートは助けてくれない。栄一も当然のように知らんぷり。
 伊織が駆けつけてくれることもあるが、人気者の彼女はいつも誰かに捕まっていて、登下校以外では俺につきっきりなんてことは無理。
 そして俺は情けないことに抵抗することが出来なかった。

 俺はとても弱い。強くなりたいと思いながら、結局何もできずに弱いままなんだ。
 イジメに遭っている事を親にも言えず、教師に相談することもできず。伊織が助けに来てくれることだけを期待して。

「俺って最低だな……」

 ある日の夜、風呂場で湯船につかりながら俺は呟いて目を閉じた。

【伊織ちゃんは明日、死にます】

 それは唐突に現れる。
 つまり俺は眠っているということだろうか?
 湯船につかりながら寝るなんて、かなり危険行為だ。早く目覚めなければと思うが、意識をうまく覚醒にもっていけない。

 広がるのは、前回同様白い世界。目の前には、浮かぶ黒い球体。
 俺は顔をしかめた。

【選択してください】

 球体は俺の反応を待つことなく告げる。

【1、神澤伊織 2、奥田博和おくだひろかず 3、平山栄一】

「え──?」

 選択肢は二つではなかった。今回は三人。そのうちの一人に俺は絶句する。
 伊織と奥田ならば、迷うことなく奥田を選んだだろう。
 だが栄一だって?

「なんで……?」

 意味が分からない。
 だが分かることは一つ、この中から誰かを選ばなければいけないということ。
 矢井田のことで俺は全てを悟った。これは夢であって夢ではないということに。

 とまどう俺をよそに、球体はカウントダウンを始めた。60から徐々に減っていくそれ。つまり考える時間はまたも一分ということ。

「そんなの、決まってるだろ」

 戸惑いはしたが、俺の答えは決まっている。栄一が居ようが居まいが、奥田一択であることを。
 だがそれでいいのだろうか? 矢井田に続き奥田まで死んで、誰も怪しむことはないのだろうか?
 なぜ球体は選択肢を三つに増やした? なぜ栄一が入っている?

 考える時間はない。決まっていると言うままに、俺は名前を言った。奥田の名前を。 

【変更はありませんか? 死ぬ人間は奥田でいいですか?】

「変更ありません」

 今度はおどけることなく、真剣な顔で俺は頷く。人の生死が本気でかかっていると分かって、おどける度胸は俺にはない。それでも選択せねば伊織が死ぬとなるなら、俺の選択肢は一つなんだ。

【回答の受付を終了しました】

 そう言って、球体は姿を消した。と同時に、俺は覚醒する。

「ガボッ!?」

 案の定、俺は溺れかけていた。顔が湯船につかっていたのに気付き、慌てて外に顔を出す。

「ゲホッゲホッ」

 むせて涙が出て、それでもむせ続けて。
 伊織の前に俺が死んでしまうところだったと、苦笑した。
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