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プロローグ
しおりを挟むどうしてこんなことになってるんだろう。
なぜこんな光景を見せられてるのだろう。
目の前には愛しい人。
愛する私の婚約者。
彼は今、とても優しい目で、愛しい人に愛を囁いている。
勿論、その相手は私──ではない。
彼と共に居るのは、公爵令嬢の私ではない。
最近庶民から養女となった男爵令嬢、その人だ。
今夜は王宮で開かれる、豪華な夜会。普段の各貴族邸で行われる小規模な夜会とは異なる。
隣国へ留学していた王太子が、帰国された事を祝う場なのだ。
豪華なその場には当然婚約者にエスコートされて来るものなのだが、私は両親と共に来た。
婚約者のリルドランが都合が悪いとのことで。
幼い頃に親が決めた婚約者のリルドランが、私は大好きだった。
優しくて思いやりがあって、思慮深く、けれど強さも持っていた。茶髪緑眼で優し気な容姿もまた、魅力的だった。
そんな彼は幼い少女だった私にとっては、物語の王子様のようで、好きになるのは一瞬だった。
彼もまた私を愛してくれていた。
そのはずだった。
けれど彼は変わってしまった。
貴族が通う学園に入学してから──彼は私と会う頻度が極端に減った。
最近では最後に会ったのはいつだったか思い出せない程に。
今夜の夜会では流石に会えると楽しみにしていたら、都合が悪いのでエスコート出来ないと知らせが来た。とてつもなく落ち込む私を元気づけようと、メイド達は私をとても綺麗に着飾ってくれた。
でもそんな私を見せたい相手は、今夜来ない……。
そう思っていたのに。
どうしてリルドランが居るの?都合が悪いんじゃなかったの?
どうしてリルドランの腕に他の女性が腕を絡ませてるの?
どうしてそんなに顔を近づけ、楽し気に話してるの?……まるで、今にもキスしそうな距離で。
どうして……私の存在に気付いてるはずなのに、無視するの?
「リルドラン様、ジュリア様が見てますよ?」
「気にすることは無いよ、シンディ。私はキミとこの夜会に来たんだから」
「でも婚約者でしょ?」
「親が勝手に決めただけさ。私が愛してるのは一人だけ──」
それ以上は聞いてられなかった。
聞こえよがしに大きな声で会話する二人から目を背け、私は慌ててバルコニーへ出る。
そこには誰も居なくてホッとした。
バルコニーの手すりに体重を預け、私はホッと息をついた。
リルドランが男爵令嬢に入れ込んでいる──
そんな噂は、学園の二年生になってすぐに広まった。
新入生の男爵令嬢が、伯爵家令息のリルドランに随分なれなれしく話しかけていたよ。
おせっかいな学友がすぐ教えてくれた。
学内の庭園で初めて見かけた時、愕然とした。
据え置かれたベンチで、二人は手を取り合い、鼻がくっつきそうな距離で話していた。
互いに熱に浮かれたような目で、見つめ合っていた。
──誰から見ても、愛し合ってる恋人同士にしか見えなかった。
私という婚約者がありながら!
二人は、私の存在など無いように……!
ポロポロと涙が頬をつたって落ちる。
それを拭うこともせず、私はただただ泣き続けた。
「おや、先客か」
その時。
不意に声がして慌てて涙を拭った。
バルコニーと会場をつなぐ出入り口に、その人は立っていた。
紫紺の髪に金の瞳がなんと美しいことか──
一瞬見惚れて、そしてハッと正気に戻った私は、慌てて相手に礼をとった。
相手が誰か、理解したからだ。
王家にしか伝わらない金の瞳。
現国王と同じ紫紺の髪。
彼は間違いなく、王弟殿下──アッシュ様だ。
現国王とは随分年が離れており、今日の夜会の主役である王太子の叔父にあたるけれど、彼と同い年という。
あまり見かけたことは無かったけれど、確かに先ほど──この夜会の始まりの言葉を述べた国王の後ろに控えていた。紛れもない、王弟殿下なのだ。
彼がこのバルコニーに来たとなれば、自分は早々に退室せねばなるまい。気分は乗らないが、会場は広い。うまくあの二人が視界に入らない場所へ逃げよう。
そう思って、失礼のない動きで殿下の横をすり抜けようとしたら。
「え」
ガシッと腕を掴まれてしまった。
思わず声が漏れる。
何か失礼があっただろうか?
不安になって顔を窺うと、彼は特段怒ってる様子もなく、私を見ていた。
夜なのに、光り輝く金の瞳に吸い込まれそうだ。
殿下が何も言わないのに私が発言するのはまずいだろう。
そう思って無言で首を傾げていたら、慌てて腕を離してくれた。
退室していいのかしら?
念のため礼をとってから退室しようとしたら「まあ待ってよ」と引き止められてしまった。
「一人じゃ退屈なんだ。話し相手になってくれない?」
驚いて言葉を失っていたら、今度は手を引かれてバルコニーの奥まった、少し暗い場所へ連れていかれてしまった。
「ここなら中から見られないでしょ?」
これは……私に配慮してくれたのだろうか。
それとも、未だ婚約者の居ない自身の周囲がうるさくならない為の自衛だろうか。
真意を測りかねて、私は未だ一言も発する事が出来なかった。
すると殿下も困った顔をして首を傾げてきた。
「え~っと……緊張してる?てことは俺が誰かも当然理解……してるよね。まあ当たり前か」
苦笑して頬をポリポリ掻く様は、どうにも王族らしからぬ人懐こさが感じられた。
「アッシュ殿下……ですよね」
「あ、しゃべった。良かった!」
私の発言にパッと顔を明るくして笑う様にドキリとする。
──私もリルドランの事を言えないのかもしれない。先ほどまでの失恋の痛みはどこへ行ったのかと、自己嫌悪で自分を殴りたくなってしまった。
「もう止まってるようだけど……いる?」
差し出されたのは、真っ白なハンカチ。
私は恐れ多くて、慌てて首を横に振った。
「け、結構です!そんな恐れ多い……殿下のハンカチを汚してしまいます!……それに、涙はもう止まりました」
慌てて隠した涙を見られていたことを恥ずかしく思うと同時に、王弟殿下に気を使わせてしまった事を申し訳なく思い委縮してしまった。情けない……。
「別に気にしなくていいのに」
「いえ……化粧で汚れてしまいますので。自分のを……」
そう、気合いを入れてメイド達がメイクをしてくれたのだ。私が濃いのは嫌いだと知ってるメイド達は、それでもうっすら化粧を施してくれた。
そういえば慌てて拭ってしまったから、きっと今の私の顔は酷いことになってるだろう。なのに笑わないでいてくれるなんて、なんとお優しい……。
「強情だなあ。……仕方ない」
「え?」
何が仕方ないのか?
と問う間もなく、私の顎は殿下に掴まれた。強引に上向かされる。
眩しい──
金の瞳が目の前にあって、私は思わず目をしかめてしまった。
そんな私にフッと優しい笑みを浮かべて、殿下は私の顔を優しく拭いてくれた。
……って、えええええ!
王弟殿下が私なんぞになんてことを!
「で、殿下……!」
「シー、黙って……。命令、ジッとして」
命令と言われては動けない。反論できない。
私は黙ってされるがままになるしかなかった。
でも待って。
顔を真剣な顔で拭いてくださる殿下が目の前に。
私の顔を熱心に見つめながら拭いてくださってるのに、それを見つめ返せるわけもなく!
恥ずかしさのあまり、私は目を閉じた。
すると、瞼や目の周りも丁寧に拭いてくださった。
とても優しい手つきで。
顎を掴む手は、けして私を逃さないという意思が感じ取れた。
「──!」
そこは顎じゃないです、唇です!
なんて私に意見できるわけもなく。
とにかく早く終わってと祈るしか出来なかった。
どれくらい時間が経ったのだろう。
フッとハンカチが離れた。
終わったのかな?
目を開けていいのかな?
どうしようか迷っていると。
チュッ
「────!?」
バッと目を開けて、殿下から慌てて距離をとる。
口元を押さえながら殿下を見るけれど。
え。
え?
えええ!?
い、今の感触は……
唇に当たった、あの感触は!?
「でででで殿下!?」
「アッシュ」
「はい!?」
「アッシュって呼んで。ジュリア……」
どうして私が泣いてるバルコニーにタイミングよく来たのか。
どうして私に優しくしてくれるのか。
どうして名前を知ってるのか。
どうしてキス、したのか。
疑問ばかりが頭の中を駆け巡る私は、すっかり忘れていた。
リルドランの事など、もうとうに頭から消え去っていたのだった。
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