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第一章 戻る時間
6、
しおりを挟む気味の悪い娘だ。
そう言って父は立ち上がった。
どれだけ殴られても表情を変えずにいたら、徐々に父のほうが表情を変える。最初は真っ赤な顔で鬼の形相だったのが、最後には恐ろしいものを見るかのような目が私に向けられた。顔色は青い。
そしてついには手を止め、父は私から離れたのだ。
なんだ、変に抵抗するよりもこうすれば簡単に終わったのね。もっと早くに気付けていれば良かったのに。
うっすら開けた目に映るのは、私を殴った手が赤く腫れあがっているのと、その痛みに顔を歪める父の顔。メイドに冷たいタオルを用意しろと命じ、父は部屋を後にした。おそらく自室で手を冷やすのだろう。
「ふふ、バカみたい」
私に痛い思いをさせようとして、自分が痛い思いをするなんて。手を傷めるなんて。
間抜けとしか言いようがないわ。
本当は大声で笑いたいが、体中が痛くて指一つ動かせない。ゴホリと咳き込めば、血の味が口の中に広がった。
そんな私の体を、使用人の誰かが慌てて起こし、小さな桶が目の前に差し出される。そこに遠慮なく血を吐き出して、ホッと一息ついた。それを確認してから、誰かが医者を呼びに行くと話すのが聞こえ、誰かが私を抱き抱えて寝台に横たわらせた。
「ありがとう」
どうにか絞り出した声が、使用人に届いたかはわからない。
だが直後、使用人以外の者が私の顔を覗き込む気配を感じて目を開いた。
それだけで痛みに顔が引きつる。
「おに、さま……?」
それはアルサン兄様だった。お兄様は、私の顔を心配そうに覗き込む……なんてことはしない。
ニヤニヤと汚い笑みを浮かべて私を見ろしている。
「ざまあないな、リリア。いっそ死ねば良かったのに」
死。
11歳の子供が吐くに相応しい言葉とは言えない。それを兄は平然と口にする。妹の私に向けて。
「お兄様あ、もう終わりですの? つまらない……お父様ったら、もっとやってくだされば良かったのに」
同じく9歳の子供とは思えないとんでもないことを口にするのは、ミリス。
その顔は本当に残念だと思ってるように見える。
ギリと唇を噛めば、意図も簡単に血は流れる。唇も切れているのだ。
「まあそう言うな、ミリス。あんまりやっても、な。今後のお楽しみがなくなるだろ? こんな見すぼらしい娘が僕の実の妹だなんて……ホント恥ずかしいよ。我が公爵家のため、美しいミリスのため……こいつには、踏み台になってもらわなきゃ。せめてそれくらいの役に立ってもらわないとな」
私が聞いてないと思ってるのか、聞いてても構わないと思ってるのか。おそらく両方であろう兄は、そう言って笑う。
「お兄様ったら悪い人……いいえ、素敵な人。大好きですわ」
そう言って、ミリスも嬉しそうに笑って兄に抱きついた。それを受け止めギュッと抱きしめ返す兄。
「ああミリス、お前は本当に美しく可愛い妹だね。血が繋がってないのが残念で仕方ない。……いや、繋がってないことを喜ぶべきなのかな? 血のつながりがないのなら、結婚もできるからね」
「うふふ、お兄様ったら……」
「愛してるよミリス」
ミリスの額に兄は口づけを落とし、二人はそのまま手を繋いで部屋を後にした。
二人が居なくなるのを確認したところで、また使用人達が慌てて駆け寄って来た。
痛みで動けない私を、メイド達が世話をしてくれる。それをされるがまま、動かせない体の中で唯一動く口をいびつに歪ませる。
「は、ははは……あはははは……」
大声で笑うことは痛みで出来ない。だが可能な限りに私は笑った、笑い続けた。
愚か者たちの愚かな行為に、もう傷つく私ではない。あまりに愚かすぎて笑うのだ。
笑って、笑い続けて。
医者が来るまで、私はただ笑い続けた。
涙を流しながら。
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