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しおりを挟む「お待ちください、カルス様」
剣が振り下ろされるのをボーッと見ていたが、不意に声がして剣の動きが止まる。
「マリアナ?」
王太子が驚いたように背後を振り返る。
そこに立っていたのは、一人の女性。あれはたしか、王太子が結婚相手とした女性。私が彼女を虐げていたという嘘の、その人ではないか。
なぜここに?
呆然と彼女を見上げていたら、近付いてきた。その綺麗なドレスが汚れるも厭わず。
「一度聖女とやらと、ちゃんとお話してみたかったんですのよ。きっとこれが最後の機会でしょうから……どうか人払いを」
周囲には、王族騎士団らしき姿はない。聖女を秘密裏に殺すのに、それを使うことはさすがにためらわれたのだろう。
王太子の周囲にいる黒ずくめの集団は、おそらく暗殺者。影の仕事をする者。
そんな輩でも、聞かれたくないと思ったのか、マリアナは人払いを要求した。そしてそれを跳ねのけるほどカルスは……王太子は、彼女を邪険にできなかった。
「五分だけだぞ」
「ありがとうございます」
苦い顔をする王太子に、ニコリと微笑むマリアナは妖艶だった。確かに自分とは大違い、美しい彼女はどんな男性をも虜にするだろう。
そして彼女は王太子を手に入れた。
「初めまして、ではありませんわね。先日謁見の間でお会いしたばかり。お久しぶり、が正しいかしら?」
「あ……」
声が出ない。喉がカラカラというのもあるが、身がすくんだのだ。
なんというか、彼女は恐ろしかった。私に冤罪をかぶせ、処刑を宣告した王太子よりも。無関心な王や国よりも。
誰よりも、彼女が私は恐ろしかった。
その恐怖が伝わったのだろう。彼女はクスリと笑う。それすらも妖艶に。
「ご心配なさりますな」
そう言って、彼女は私の耳元に唇を近づける。ビクリと体を震わせる私の耳に、彼女は囁いた。
「この国は腐りきっております。もはやそれは呪いに等しい。この国は、呪われているのです」
「?」
何を言ってるのだろうか。
肩から血が流れ続けていて、意識が朦朧としてきた。彼女の言わんとしてることが理解できない。
それに気付いてか、マリアナは私の血を流す肩に手を添えた。
「え……」
驚きに目を見開く。なんと、血が止まっているではないか。止まった血は既に固まり、かさぶたになろうとしている。これは、この能力は……
「あなたも?」
国に二人の聖女は生まれない。だというのに、この癒しの能力は……
だがマリアナはクスリと笑って首を横に振った。
「私は聖女ではありません、これは癒しの能力ではない。なぜなら私は……悪女だから」
「え?」
「聖女と悪女、相反するが似ている……似て非なる存在。国が活気に、生気に溢れた時に聖女は生まれる。けれど……」
「けれど?」
血は止まったが、流れ出てしまったものは戻らない。手足が冷たくなるのを感じ、飛びそうになる意識をどうにかギリギリで保ちつつ、私は彼女の顔を見上げた。
「おい、五分経ったぞマリアナ! いい加減にしないか!」
苛立ったように王太子が声をかけてきた。
それに背を向けてる状態の彼女は、私からは見える顔を苛立たし気に歪ませ、王太子に聞こえないようにチッと小さく舌打ちする。
「けれど、国が腐りきったその時には、悪女が生まれる。それが私なのです」
「悪女とは……?」
そんなものが聖女のように出現するなんて、聞いた事がない。そんな文献が残されてるとは、教会にずっといながらも耳にしたことはなかった。
「ご存知ないでしょうね。だって悪女が生まれるとき、それすなわち──国が滅ぶ時ですから」
私の耳元で、囁くように、けれど確かにマリアナはそう言った。
「聖女であるあなたへの仕打ち、この世界が怒っております。あなたに世界を呪わせることをした国に、世界が言い知れぬ怒りに満ち溢れている」
「世界が……」
「だから私が現れたのです」
そう言って、マリアナは私の耳から離れた。ニコリと美しい笑みを浮かべる。
「もういい! とっととその女を殺す!」
彼女の背後で、鬼の形相で剣を振り上げる姿が見えた。王太子が、私を殺そうとするのが見える。
いけない!
思わずマリアナを突き飛ばそうとしたのだが──
「のけ、マリア……ぐげ!?」
雨が、降った。
透明の雫ではなく。
血の雨が。
何が起きたのか分からない。
ただ、マリアナが背後に、王太子に向けて手を伸ばしたのだ。
その直後、王太子から血が噴き出し、血の雨が大地に降り注いだのだ。
王太子の命の終わりである。
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