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「あ」
「む」

 あむ。
 意味のある言葉ではないよ。

 とある家に訪問したら、ボルドランと会ってしまったので「あ」と言えば「む」と言われただけです。

「こんにちは」
「ふ……ついに観念したか」

 挨拶には挨拶返せよ!基本から叩き込んでやりたいと思ったけれど、そんな義理も義務もないので言葉を呑み込んだ。

 で、私が何に観念したというのだろうか。

「何のことでしょう?」
「知れた事!私との婚約破棄が嫌になって泣き付いてきたのだろう!?」
「違います」
「違うのかあ!!」

 そこで床に手をついてガックリ項垂れるとか……。どうしてそんなに都合よい方向へ解釈できるかなあ。

 今私が訪問してる場所。
 それはつまりボルドランの家──侯爵家のお屋敷なのである。まあ当然ボルドランに会ってもおかしくないんですけどね。

 真っ先に会うという嫌な偶然にげんなりした。

「私が今日こちらへお邪魔したのは、貴方のお兄様に呼ばれたからです」

 この侯爵家は現在、ボルドランにとっての長兄が当主となっている。彼の結婚を機に、先代……つまりボルドランのお父様は引退なされたのだ。

『ちょっくらハニーと一緒にラブラブ世界一周の旅に行ってくるから!あと宜しく~!』

 とか言って、奥様と手に手をとってご旅行にお出になるのを……唖然とするボルドランのお兄様たちが見送っていたのを見た日も、もう遠い思い出だ。あの時のお兄様たちの顔は悪いが笑えた。たまたま居合わせた私のお兄様と二人して笑って……ボルドランの次兄にゲンコツくらったっけ。うん、いい思い出だ。

 とっても優秀な現当主と、それを補佐する次兄の存在でこの侯爵家はとても安泰な状況。

 だが、それが今揺らぐ事態となってるのである。

 馬鹿な三男のせいで。つまり馬鹿と書いてボルドラン、のせいで。

「兄上に?なぜだ?」

 だが当人だけはそれを全く理解してなかったりする。
 なぜとか呑気に聞いてくるあたり、本当に危機感ないんだなあ。

「あなたとの婚約解消の件に決まってますでしょ?」
「そうか!やっぱり婚約破棄は嫌だと言いに来たのだな!?」
「違いますってば」
「違うのかあ!」

 もういいからそのまま床に突っ伏して泣き続けてろ。

 私は馬鹿を放っておいて。
 ギュムッと床に突っ伏した障害物を踏んで歩みを進めた。踏み心地悪いな。むぎゅうとか全然可愛くない声が聞こえた気がしたけど床は鳴かない、気のせいだ。

 そして執事の案内でとある部屋の前まで来た。他の部屋に比べて立派な装飾が彫られた扉。それが当主の部屋であることは一目瞭然だった。

 執事がノックをして返事が返って来て。
 開けられた扉を私は静かにくぐるのだった。

 さあ。
 全てを終わらせましょう。









「ふぎゃあああああああ!!!!」

 終わらせ……

「お~よしよし、ミルちゃんどうちたのかな~?オムツかな?それともミルクでちゅか~?」

 終わ……

「ふぎゃふぎゃ!」
「もう~旦那様!あなたではミルシスは泣き止みません。私に返してください」
「そ、そんな~パパよりママがいいのか!?」
「当然ですわ」

 ……終わるのかな、これ。

 目のまえで繰り広げられるは。

 泣き叫ぶ赤ん坊を必死であやす男性に、それを呆れた顔で見る女性。
 女性──母親に抱かれた途端、赤ん坊はキャッキャと笑いだすのを見て、男性──父親はガックリと項垂れるのだった。

 その項垂れ方、ボルドランにそっくりですね。さすが兄弟。

 そう、目の前で幸せな家庭の光景を繰り広げてるのは、現当主でボルドランの兄、ワリアス様一家なのだ。

 先日生まれたばかりのミルシスちゃんが可愛くて仕方ないご様子。
 でも忘れないで、私の存在。一応呼ばれたから来たので。

 どうしたものかと悩んでいたら、奥様が──ミリア様が私に気付いてくれた。赤子を抱いたまま、パッと美しい顔に笑みを浮かべてくださったのだ。

「まあミラ!いらっしゃい!ごめんなさいね、騒がしくしてて」
「こんにちは。大丈夫ですよ、まずは赤ちゃんをあやしてあげてくださいな」
「あらあらごめんなさいね、この人ほんとにミルシスを離さなくって……馬鹿親なのよ~」

 コロコロと微笑んで、ミリア様は赤ちゃんを抱きしめる。

「ほらあなた、私達は退室しますから。ちゃんとお仕事なさってください。お客様に失礼ですよ」
「ああ……うん……ミルちゃんちょっと待っててくだちゃいね~すぐ終わりまちゅからね~そしたらパパ、すぐに会いに行きまちゅから!」

 ……うん、これは見てない聞こえない、がいいのかな。

 ボルドランとは別の方向で馬鹿っぽい当主から視線をはずして。
 私は退室されるミリア様と挨拶を交わして。

 室内が静かになったところでワリアス様に顔を向けるのだった。

 ワリアス様、何事も無かったように重々しい椅子に腰かけてるし。
 今更取り繕ったところで遅いんですけどね。

「待たせたね。じゃあ今からお話しまちゅかミライッサちゃん」
「とりあえず言葉遣いを戻してからにしてくださいワリアス様」

 なんなんだよこの兄弟は!!

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