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第二話 OLと先輩
前編
しおりを挟む私はとても幸運だと思ってた。
成りたかった職業に就けて。好きなことを仕事に出来る幸せ。
でも運が良かったのは就職するまでだった。
その後は運が悪かった、と言えばそれで終わりなのかもしれない。
ブラック企業──そうと知らずに入社してしまったことは。本当に運が悪かった。
業界ではとても有名な大会社で、まさかそんな大企業がブラックだなんて。
いや、他部署はそうでもないのかもしれない。
でも私は。私が所属する部署はブラックでしか無かった。
「おい浜野、これ明日までな」
「え、私今他の業務を……」
「あ?まだ終わらせてないお前の要領の悪さが原因だろうが。言い訳してねえでやれっつーの!」
そんな……次から次へと仕事を押しつけておきながら……先輩は携帯いじって遊んでるだけなのに!
なのに口答えしようものなら使えない奴として上司に報告されてしまう。以前それで厳しく注意されてしまった。反論しても先輩は上司に取り入るのがうまく、信じて貰えなかった。
ギュッと唇を噛み締めて、私は手を動かした。
カタカタとキーボードの音だけが響く。
「あ~疲れた、帰るかあ」
そして先輩はとっとと定時に帰って行く。私には
「お前その仕事ちゃんと終わらせろよ?お前がノロいのが原因なんだからな、残業代は出ねえからそのつもりで」
そう言って先輩は帰って行く。
他の人もクスクス笑いながら帰って行った。勿論、その人達の仕事も押しつけられている。
確かに私は要領が悪いのかもしれない。ハッキリ断ることも出来ず、どんどん仕事を押しつけられて。
はあ……
それでも大好きな仕事を辞めたくなくて。
私は山積みになった仕事を目の前に溜め息をつきながら、黙々と作業を続けるのだった。
ある日のこと。
プツンと何かが切れる音がした。
その瞬間、私は走り出し、社屋を飛びだしていた。
何処に行くでもない、ただ走る。
(おお、これは素晴らしい、よく出来てるじゃないか!)
(ありがとうございます。出来ない部下に足を引っ張られて苦労しましたよ!)
とある企画書。
それを会社に泊まり込んで作成した。
だがその作成者の名前はなぜか先輩の名前へと変えられて。
上司の褒め言葉は先輩へ。
何もしなかった先輩が認められ、私はまたも出来ない部下として蔑まれた。
どうせ何を言っても信じて貰えない。
グッと耐えるしか無い。
だけど。
でも、だけど……
(キミねえ、定時で帰ったり先輩の悪口言ったりしてる暇があるなら仕事しなさいよ。まったく、不倫までして最近の若い奴は──)
有り得ない嘘を上司に伝え。私を貶めた先輩。それに同調する他の人達。
ニヤニヤと厭らしい笑みを浮かべて私を見るあの目……!
吐き気がした。
叫びそうになった。
耐えられなかった──!!
私はひたすら走った、走り続けた。どこをどう走ったのかも分からないほど走り。
息が切れて足が動かなくなって立ち止まり。
ようやく私は周囲に目を向けた。
どうやら郊外に出てしまったらしく、家も人も視界には入らなかった。
いや。
一つだけ。
巨大なそれを目にして、私は息を呑んだ。
「なんて、大きい──」
会社近くにこんな建物が有ったろうか?それともそれ程まで遠くに来てしまったのか。
見覚えの無い景色の中、ポツンと……いや、ドドンとそびえ立つそれ。
巨大な洋館が、目の前に現れたのだった。
ギギギ……
「──!!」
不意に不気味な音と共に、門扉が開き始めた。
声にならない悲鳴を上げ、私は一歩後ずさる。
逃げなければ──!!
なぜかそう思った。
そう、思ったのに。
なぜか足は動いてはくれなかった。
動かないまま、動き続ける門扉をただ見つめるのみ。
開いた門の向こうが見えてきた。遠近感がおかしくなるような巨大な洋館が、広大な庭の奥にそびえ立つ。
それに見入っていたら。
「いらっしゃいませ」
突然の声に、ギョッとなってまた後ずさった。
誰!?
再び声にならない悲鳴の後、私は辺りを見回して。
そこでようやく気付く。
開いた門扉の側に、彼はいた。
まだ幼い顔の少年。
少し長い焦げ茶色の髪を後ろで縛り、健康的な肌に生える薄紅色の唇は弧を描いていた。
同じく優しげな笑みを浮かべる瞳は──琥珀色という……有り得ない色を宿していた。
カラーコンタクトだろうか?
不思議に思ってマジマジとその瞳を見つめていれば、その目が細められた。慌てて目線を逸らす。
だが少年は気にした風も無く、その可愛らしい唇を動かした。
「浜野様、ようこそいらっしゃいました。どうぞこちらへ。お嬢様がお待ちです」
なぜ名前を知ってるのか。
いらっしゃいと歓迎するのはなぜなのか。
そして、お嬢様とは誰なのか。
一気に浮かんだ疑問は解消されるのだろうか。
分からないが、解消されることを願って。
私は少年の後に続いて、屋敷へと踏み入るのだった。
「ようこそ、当屋敷へ。歓迎するわ」
そう言って少女は紅茶を一口飲んでカップを置いた。
少女──そう、私の目の前には、人形のように綺麗な美少女が大きなソファに身を沈めていたのだ。フカフカで、文字通り沈みそうになる。小さな少女は、けれど器用に座って紅茶を飲んだのだ。
金髪碧眼、なんて表現は創作の世界でしか有り得ないと思っていたのに。いや、海外では有り得るかもしれないが、この日本でお目にかかれる機会など滅多にないのでは?
それこそ煌びやかな世界で一流モデルなんかになれそうな美少女は、けれどひっそりとした場所に座していた。
──この屋敷の規模からすれば、ひっそりと、は不似合いな表現なのかもしれないが。
だがしかし、これほど大きな屋敷なのに人の気配も無く周囲に家も人影も無い。はたしてこの場所を知ってる者がどれだけ居るのか……。
「それで?」
物思いにふけっていると、歌姫のように美しい声が私を現実に引き戻した。
「あなたは誰に復讐したいの?」
「え──」
前置きも何も無い、ズバリと言われて私は言葉を失った。
復讐?
私が誰に復讐したいのか?
少女が放った衝撃の問いに戸惑う自分とは別に、パッと頭に浮かんだ人物。
「そう。その人が……その人達があなたの復讐の対象者ね?」
「え!」
脳裏をかすめただけのはずなのに。
なのに私は声に出していたのだろうか?
そんなはずは無いのに、少女の目が全てを知ってると物語っていた。
「私の先輩、です……」
今浮かんだ疑問は意味を成さない。回答は得られないだろうし、得られたとしてそれが何になる。
今、重要なのは──
「やりたくて仕方なかった仕事なの。念願叶って頑張ろうとしたのに……手柄は全て先輩に取られて。他の人達も面倒な仕事は全て私に押し付けてばかり。なのに私は仕事をしてないと……それどころか遊んでる、サボってるって……しかも、不倫してるとまで言われて……!」
言いながら思い出して、悔しさに涙が出てきた。
ほぼ徹夜で仕事をしたのは数え切れないくらいある。フラフラで倒れそうになっても栄養ドリンク片手に必死で頑張った。
それなのに……!
「こんなのって……こんなのって、酷すぎる!」
叫びと共にポロリと涙がこぼれた。一度出てしまったそれは止まることなく、ポロポロと堰を切ったように流れ続ける。
「どうぞ」
「あ……ありがとう」
少年がそっと真っ青なハンカチを差し出す。それを受け取って涙を拭った。
「洗って返しますね」
「お気になさらず。それは差し上げますのでどうぞお持ち下さい」
少年の姿をしながら、およそそうとは感じさせない口調で、少年はニコリと微笑んだ。その笑みに少し安堵する。
よく見れば、少年は物語で目にするような執事の姿をしていた。この年で、既に執事という仕事をしてるのかもしれない。
「落ち着いたなら返事を」
「あ……」
一瞬話を忘れそうになって、少女の言葉で思い出す。
そうだ、私はどうしたいのか……。
答えは決まっていた。
「復讐、したい、です……」
幼い少女相手に何を言ってるのか。
そう冷静な部分が呟く。
けれど、彼女はきっと私の望みを叶えてくれる。思わず出た敬語は、きっと彼女の隠された何かを感じ取ったのかもしれない。
「相手は?」
「先輩です」
「それだけ?他の人はいいの?」
「確かに腹は立ちますが……先輩が居なくなれば落ち着くと思うんです」
それは確信。
ああいった人たちは誰かが誘導しないと動けない。
悪い方へも良い方へも簡単に動く人たちだから。
「どういう内容でも?」
「え?」
だがまたも返される問いに、首を傾げる。
内容?
「復讐の内容よ」
「というと、どのような……?」
私としては先輩に痛い目に遭って欲しいし、出来れば会社を辞めて欲しい。周りの人も酷いけど、あの先輩が全ての元凶で有る事は明らかなのだ。
私の悪口を言いふらし、皆がそれを信じて私に──。
「聞いておいてなんだけど。内容はともかくとして、結末は決まってるから」
「結末?」
何だか聞き返してばかりだな。
そう思いながら、私は首を傾げた。
結末は、決まっている……?
「それはどういう?」
「その先輩の結末は、死、のみよ」
「──!!」
その単語にギョッとした。
死
私が復讐を願えば、先輩は死ぬというのか。
「そ、んなこと……出来るの?」
「出来るから言ってるのよ」
大丈夫、何の証拠も残らないし、貴女が怪しまれる事も一切ない。
そう少女は言い切った。
どこからそんな自信が出て来るのか分からないけれど、彼女の空気は信じるに値するものを持っている。
先輩が死ぬ。
その事を考えても、私の胸は何ら痛むことは無かった。
ただ気になる事が一つだけ。
「報酬はお幾らですか?」
それは確認。
人殺しを無償でやる者など居るはずもない。
だから私は確認しておかなければならない。
「お給料、あまりもらえてないので……そんなには……」
「要らないわ」
だがそれは、あっさり否定される事となった。
「要らない?」
「そう。貴女は何も支払わなくていい」
「ど、どうして……?」
「私達は、その先輩とやらを殺せればそれでいいからよ」
彼女はそう言って立ち上がった。
「言っておくけど、別に殺人狂でも何でもないから。ただ悪人を殺したいだけ」
詮索はこれ以上受け付けないわ。
そう言って、彼女は出て行ってしまった。
「え、あの……」
どうすれば良いのか分からず少年に目を向ける。
彼はニッコリと安心させる笑みを向けてくれた。
「大丈夫ですよ。本当に貴女には何の要求も致しません。ただし──」
一つだけ、大事なことを。
低い声で少年は告げる。
「お嬢様と僕の事は絶対に他言無用で。まあ言ったところで誰も信じませんけどね。貴女が罪の意識で警察に行ったところで──貴女の頭がおかしいと判断されるのが落ちですから」
それでも。
と、少年は人差し指を立てて唇に当てる。
「それでも誰にも言ってはいけません。友達でも家族でも、誰でも駄目です。言った時点で僕たちには分かりますので、その時は──」
覚悟してくださいね。
その言葉と共に放たれる笑みは、ゾッとするものでしかなかった。
私はコクコクと無言で頷いて。
もつれて転びそうになる足を叱咤しながら、その場を去る事しか出来なかった。
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