月見家の月見

上坂 涼

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月見家の月見

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 1

 月見は月見ヶ丘という土地に平安時代から暮らしている一族だ。その名の通り月見が大好きな一族だったから月見という姓で呼ばれ始めた。彼らは月見をするための土地と風習を代々守ってきた。
 しかし令和となった今となっては、一族は一家に成り下がり、かつて五百平米あった土地も一棟の集合住宅の敷地に収まるまでになってしまう。一人、また一人と親戚達は新天地へと越していき、月見ヶ丘に暮らす月見家は月見美月というシングルマザーとその子供二人だけだった。
 美月が営む月見荘は、亡くなった夫が義父から受け継いだものだった。築年数七二年の風格ある木造アパートは、二階建てで計十部屋分の人生を抱えている。そのうちの三部屋は美月、月子、月吉が一人一部屋使っているので、毎月の生活を七人分の家賃収入と美月のアルバイトでまかなっていた。
 かつては格式ある一族として名を馳せた月見は、現代の波に呑まれて逞しくありつつも俗に成り果ててしまった。
「ねえ母さん。今年もやるの? お月見。あたし明日は、友達の家にお泊まり会しに行きたいんだけど……」
「実は俺も新作ゲーム大会を徹夜でやろうって話があってさ」
 二人はいよいよ明日に迫った十五夜に向けて里芋の皮を剥いている母親の背中に話しかけた。
 月子と月吉はどちらも年頃で、古くさい風習なんかよりも身の回りのコミュニティや新しいことに興味が向いていた。歳も近く仲の良い姉弟は、毎年必ず付き合わされる月見の風習にほとほと嫌気が差していたので、二人で協力して今年は月見から逃げようとしていた。
「十月一日は木曜日よ。金曜日の学校はどうするの」
「そんなの友達と一緒に登校するよ」
「俺も俺も」
「ダメに決まってるでしょ」
 ピシャリと言いのけて、美月は鋭い眼光を二人に向けた。
「そんなこと許したら『次の日学校なのに、自分の子供を人様の家に泊まらせる親』って言われるようになるもの」
「百歩譲って高二の月吉だったら言われるかもだけどさ、あたしはもう大学一年生だよ? 泊まりなんて当たり前だってば」
「泊まりに行く子は一人暮らし?」
「実家だけど」
 美月は軽く鼻で笑う。
「自立してないじゃない。ダメよそんなの」
 手元の速度が落ちることはなく、里芋の皮が順調に山を作り始めていた。それは子供達への意思表示でもある。どんなことを言われても揺るがないぞという美月の意地だ。
「もういい! ああだこうだ言って、結局月見に参加させたいだけじゃない! 卑怯だよ! つーかさ、古くさい風習なんてうんざりなのよ! 毎年毎年毎年毎年! 月なんか眺めてたって退屈なだけだし、ぶっちゃけどこにいたって見れるし、見たい人だけで見れば良いじゃん! 嫌だって言ってるあたしたちを巻き込まないでよ!」
「あ、待ってよ姉ちゃん!」
 自室へと駆けていく月子を月吉が追いかける。美月は短く息を吐いて包丁を置いた。
「なにがそんなに嫌なんだろう。一年に一回しかないのに」
 月見による拘束時間はだいたい三時間ほど。縁側に腰を降ろして、庭から月を眺める。もちろん眺め続けていても首が痛くなるだけなので、月明かりと居間の照明の狭間でお供え物を頂いたり、トランプしたりしてのんびり過ごす。平穏な家族時間だ。
 だが月子と月吉にとって家族と過ごす三時間は長すぎるという。せいぜい夜ご飯を一緒に食べるくらいの時間で充分だそうで、二人の冷めた心持ちに美月は日頃から思い悩んでいた。
「はあ」
 美月は台所に背中を預けて、ただただ嘆息するしかなかった。

 2
 
「でさ、お母さんなんて言ったと思う? 自立してないじゃない。ダメよそんなの。だって! もーほんと腹立っちゃって。こちとらもう大学生なわけ。いつまでも子ども扱いしてさー、謎の家族ルールで毎年縛ってくるし……ほんと勘弁」
「んー。うちは良いお母さんだと思うな。放っておかれるよりはずっと良いよ」
 月子はあれから親友の家に泊まりに来ていた。明日も泊まる予定の家だ。
「いやいやいや。もう一生放っておいてほしい。絶対そっちの方が自由だし。めんどくないし。ほんとなんであんなに頭が固いんだろ。嫌だって言ってるのになあ」
「うちはむしろ月子のお母さん凄いなって思うよ」
「え? どこらへんが?」
「うちの親と比較しちゃってあれなんだけどさ、人間誰だって自分が一番大事なわけじゃん。だから仕事や家事に追われれば、だんだん疲れてきちゃって、もう嫌だな……自分の時間が欲しいなみたいになってきて、色んなことやらなくなったり、適当になっていっちゃうと思うんだよね」
「そうかなあ」
「そうだよ。それなのに月子のお母さんってさ、いつ話を聞いても頑張ってるというか、ブレないというか……それってすごくない? きっとそれだけ思い入れがあるんだよ」
「月見に?」
「うん。もちろん月子と月吉くんにも」

「明日のゲーム大会楽しみだな」
「おう」
「なんだよ月吉。元気ないじゃん」
「いや、それがさ。実は明日……恒例の月見なんだよね」
「え? そうなん? そっち参加しなくて良いん?」
「まあなあ。でも毎年やってるしさ。それにゲーム大会参加したいし。だって待ちに待ったバークエ2だぜ? めっちゃ後悔しそう」
「大げさだなあ。正直俺は、月見の方を大事にした方が良いと思うけどな。一年に一回しかないわけだし」
「けど毎年やってんだぜ? もう飽きちゃったよ。三時間も家族と過ごすとかめんどすぎるし」
「んー。誰かが言ってたんだけどさ、当たり前になっているものほど大事にした方が良いんだってさ」
「そうなん? なんで?」
「さあ」
 夕方の公園。こうしてたまに地元の友達と集まってグダグダと話すのは月吉にとってかかせない恒例行事だった。
 月子も月吉も、複雑な心境になっていた。よくわからないモヤモヤが新しく心に発生したような感じがして、なんだか恥ずかしいような悲しいような……。
「けどまあ、そこまで嫌だっていうなら手伝ってやっても良いけどな」
 ずっと月吉の話を黙って聞いていた赤松がニィっと笑った。

 3

 来たる十月一日。月見家初めての第一声は美月の叫び声だった。
「す、ススキがない! なんで!?」
 まさかと思い、美月は庭にサンダルを投げだして縁側へと駆け上がる。真っすぐ台所の冷蔵庫へと向かい、取っ手を勢いよく引っ張った。
「昨日準備したお供え物も無い! どういうこと!?」
 美月は携帯を取り出し、すぐに子供たちに電話をかけた――が、出ない。月吉は授業中、月子はいつも通り朝まで遊び明かしたのだろう。美月はそのことに気付いてもなお、電話をかけ続けた。怒りと悲しみと困惑とが豪雨となり、津波となり、嵐となって美月を襲っていた。
「なんで、なんでよ!」
 ススキは乱雑に刈り取られていた。地面にはススキの残骸が散らばっている。また最初は根っこから掘り起こそうとしたのだろう。ところどころに小さな穴があった。素人の犯行なのは明らかだった。ススキは秋の雑草としても有名で、放っておけばどんどんその勢力を拡大していく。それでは風流もあったもんではないので、美月が毎日毎日丹精込めてススキの世話をしていた。月を仰ぐうえで最高の景観を維持するために毎日毎日土をいじり、茎を切り、葉を切り、冬になって枯れれば腕まくりをして盛大に草刈りをする。美月にとって庭のススキは父親から受け継いだ形見であり、先祖代々から守ってきた伝統であり、親であり、友人であり、最初の子だった。万感の思いが美月を粉々に砕こうと押し寄せる。
 子供たちからの連絡はあれからどれだけ待っても来ることはなかった。
 
 居間の壁にかかった時計が十二時を指そうとしていた。
 リビングの椅子に座る美月は、外敵から身を守る亀のように両手で顔を覆ってピクリとも動かない。彼女の脳裏は沢山の想い出で満たされていた。 
 これまで月とススキと共に生きてきた。月見家が代々守ってきた願いと風習を嫌に思ったことは一度もない。時代遅れだと影でしょっちゅう笑われていることも知っている。我が子にも疎ましく思われていることも理解している。
 けれど。それでも。祈りは止められない。人々の祈りは願いとなり、願いは習わしとなる。習わしを守る人は一途な人だ。一途な人は何かを大切にする尊さを知っている。そんな先人達の優しい想いを時代遅れなどと一笑する者に膝をつくわけにはいけない。
「私は負けない。今までも、これからも」
 美月は甲羅から顔を出し、携帯を取り出した。その姿はまるで盾を降ろし、剣を掲げた戦士のようでもあった。
 
 4

「ただいまー。……お母さん? いる?」
「お邪魔しまーす」
 親友とともに月子はリビングへの扉をくぐった。すると彼女らの目に映ったのは、一所懸命に台所で奮闘している母親の背中だった。
「あら、帰ってきたの? 真子ちゃんもこんにちは!」
 こんにちはと短く会釈する親友を横目に、月子は素朴な疑問をぶつけた。
「お母さん、なにしてるの? それって月見用の料理だよね。昨日終わったんじゃ……」
「もしかして今日は二人とも月見を一緒にしてくれるのかしら?」
 唐突な質問の返しに、二人は顔を見合わせる。それから恐る恐る首を縦に振った。
「そう。じゃあ料理の手伝いお願いできるかな」
 
 日は傾き、太陽と月が交代する時間が迫る。
「ススキ持ってきたぞー!」
 裏口から庭に直接やってきたのはチューリップが一輪刺繍されたエプロン姿のおっちゃん。
「こっちも持ってきたわよ」
 さらにその後ろから、スーツ姿の女性とランドセルを背負った男の子がやってきた。どちらも猫車の取っ手を掴み、ススキを庭へと運んでくる。
 本当にありがとうと縁側から声をかける美月に、月子が歩み寄った。
「ねえ、そろそろ教えてよ。どういうこと?」
 あれから月子にはススキとお供え料理が何者かに盗まれてしまったことしか語っていなかった。
「親戚と月見友達全員に助けを頼んだのよ。おかげで料理も十倍以上作らないといけなくなって大変よまったく」
 美月は頭の中で思わず暗算をした。
 ……三人家族の十倍。三十人!?
「えぇ!? そんなに来るの!? 庭に入りきらないでしょそれ!」
「そうね。でも昔はそれが当たり前だったから。案外いけるものよ? 庭と縁側とリビングと……それからあんたたちの部屋だって昔は使ってたのよ。庭は全部の部屋と繋がってるから」
「やばすぎ……」
 美月は小さく笑った。
「そうね」
 と、月子が玄関扉脇の磨りガラスにうごめく複数の影を見た。その正体にすぐ思い当たり、肩を怒らせながらずんずんと玄関へと歩いていき、扉を開けた。
「月吉!」
「た、ただいま」
「ただいまじゃないよ! ススキとお供え物持っていったのあんたたちでしょ!」
 月吉とその友達らはぎくりと身体を硬直させた。
「月吉。おかえり。お友達もみんなおいで。ご飯食べていきなさい」
「ちょっとお母さん! こういう時はビシっと――」
「良いの。この子たちはお月様が遣わした月の使者なんだから」
「はぁ?」
 眉をひそめる月子をよそに、美月は月吉たちの手を掴んで家へと引き入れた。
「さ、いらっしゃい」
「おお? 月見泥棒のお出ましだな? 盛大にやってくれたみたいじゃねえか」
 どやどやどやと月吉たちのもとに集まる老若男女の波に、月吉たちは赤面した。
「うわぁ……あれはしばらく抜け出せないね。薬にはちょうどよさそう」
「そうね。時には叱られるより、人に揉まれる方が良い時もあるのよ」
 月子は一度うつむき、しばし逡巡した。
「ねえ、お母さん」
 それから思い切って顔を上げる。
「ごめんなさい。習慣にするって簡単なことじゃないって分かったの」
「うん」
 美月は穏やかに、しかしそれでいてとても嬉しそうに笑った。
 
「えーそれでは。月並みではありますが、久方ぶりに月見家が大勢集まったことを祝して……かんぱーい!」
「かんぱーい!」
 新鮮味がなく、ありふれていて平凡だということは幸せなこと。それを知っている人は世の中にどれほどいるのだろう。今でこそ家族や友人で集まって食事するということは、やろうと思えばいつでもやれる。すぐに手が届くようになった幸せは煩わしく思われがちだ。けれどその幸せは多くの人々が願い、祈った末に手に入れた尊い幸せであることを忘れてはいけない。月並みは誇りだ。
 美月は夜の全てを包むように照らすお月様と、大勢で賑わう月見家に感謝し、胸に静かな誇りを抱いた。
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