質問さん

上坂 涼

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質問さん

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 青い犬が四角い骨をかじっていました。なのにどうして犬の雨は丸いんですか?
 質問さんは憑く家を転々とする霊だという。ふとした時に突然現れて得体の知れない質問をしてくるらしい。質問への答えは適当で良いが、必ず答えを返さなければならない。さらに返し方にも注意が必要で、全然怖がっていないふうを装わなければならない。怖がっていると思われたが最後、頭がおかしくなるまで執拗に付き纏われるようになるという。取り憑かれた者は質問さんが諦めて家から出ていくまで耐え続けなければいけない。
「……っていう噂話があるんですけど」
「初めて聞いたよ」
 地方テレビ局の企画会議室で若い女性と初老の男性が夏の特番についてアイデアを出し合っていた。
「私も昨日『都市伝説チャンネル』の書き込みで知りました。掲示板の日付を遡ったところ、去年の十一月十日でした」
「おおよそ三ヶ月前か。新しいな」
「体験談もちらほら投稿され始めて、徐々に人気になりつつあります」
「なるほど。いい具合だな。よし。質問さんを掘ってみる方向でいくか」
「ありがとうございます」
 女性はどこか浮かない顔で笑った。
「しかし怪人アンサーの派生かなにかか? だいぶ危ない方向に思想が向かってる感じがするな。ま、悪かない」
 初老の男性――瀬戸内は『世の中のニーズは思想と直結している』というのが口癖だった。自然を尊ぶ思想であれば、森林再生をテーマにした番組が売れる。コーラ好きは悪という思想であれば、コーラを飲んでいる人におしおきをする番組が売れる。思想こそが金の源流。目先のニーズに捉われず、心に根付いた思想を理解することこそが大事なのだ。
「あの……それでですね。質問さんをそのまま出すのは少々、放送衛生上良くないのではないかなと」
「なにを言っているんだ関口。世の中のニーズは思想と直結しているんだ。たとえ上からボツくらったとしても、直前で放送データ差し替えてやるよ。あのな、徐々に人気が膨らみつつある質問さんをみすみす逃すわけはねえ。伸びることが分かっている株を買わずにいるトレーダーがいるのか? いねえだろ? な?」

 瀬戸内と関口は番組スタッフの協力を得て、質問さんについて徹底的に調べ上げた。
 まず質問さんという存在。質問さんはこっくりさんや怪人アンサーと同じように特定のパーソナルデータを持っていない。とある火事で死んだ霊でもなく、とある生き霊というわけでもない。この世に蔓延る霊の全てが質問さんに成り得るという。言うなれば幽霊達の間で流行っている遊びのようなものだそうだ。だから全国津々浦々どこにでも現れる。
 次に質問さんを現れやすくする方法。それは物音に意識を集中しながら質問さんを頭に思い浮かべるというもの。部屋は明るくても暗くても良し。水の音、部屋が軋む音、電化製品の音。何らかの音に潜んで、呻き声が聞こえる気がしてきたら質問さんがすぐそばまでやってきているらしい。
 そして質問さんを呼び出す方法。ただしこれは掲示板の住人達の大半が否定しているネタなので、ガセの可能性は大いにあり。しかし呼び出す方法は一律してこれ一つのみだった。部屋の中央にメトロノームを置き、六十のテンポで音を鳴らす。玄関に身体を向けて、メトロノームの前に座る。すると玄関から質問さんが入ってくるという。鍵をかけようが見張りを立てようが意味はない。まるでその部屋の主であるような振る舞いで平然と入ってくる。
 この呼び出す方法を掲示板に書いた人物ら曰く、質問さんは黒のシルクハットを被り、黒衣に身を包んだ長身の人物で、白い布に穴を三つ開けたような顔をしているという。
「あの……本当にやるんですか?」
「当たり前だ。カメラは全て正常かもう一度チェックしておけ」
 関口は今回の撮影に乗り気ではなかった。その態度に苛立った瀬戸内は自らが被写体として撮影に参加することを宣言した。後輩である関口に対し、時には力づくで事を成し遂げた方が良いということを教えるためだった。体裁ばかり気にしていたら、撮りたいものはいつまで経っても撮ることができない。むしろ見えない糸でがんじがらめになって身動きが取れなくなってしまう。そうなれば企画屋として終わりだ。
「カメラ、全て大丈夫です。撮影行けます」
 
 時刻は夜二十三時。ごうごうとほえる石油ストーブの灯りが薄暗い室内で瞬く。窓の外では粉雪が舞い降りている。しんと冷えた空気がまとわりつく静寂の冬。
 瀬戸内は撮影用に日借りしたアパートの一室で、一人床に座っていた。関口含む関係者は全員外に止めたバンの中でモニターを眺めているため、そばには誰もいない。
 カッ。カッ。カッ。カッ。
 規則正しいリズムでメトロノームが音を鳴らしている。
 カッ。カッ。カッ。カッ。
 この仄暗い空間で延々と表情のない音を聞いていると、頭がおかしくなってくる。怒りとプライドで熱くなっていた頭もすっかり冷えて、今では恐ろしいという気持ちがむくむくと込み上げてきていた。
 ――何らかの音に潜んで、うめき声が聞こえる気がしてきたら質問さんがすぐそばまでやってきているらしい。
 ごうごうとほえる石油ストーブの音に混じって、かすかに生気のない声が聞こえてきた。聞き間違いではない。これだけ静かな部屋で聞き間違いなどありえない。
 カッ。カッ。カッ。カッ。
 質問さんに扮したスタッフが入ってくるまで残り三時間ほどある。……ありえない。ありえないありえないありえない。
「赤い顔に覗かれたことはありますか?」
 人ならざるものが玄関の扉をすり抜けて入ってきた。のらりと瀬戸内の前に立ち、身体を曲げて顔を覗き込んでくる。布を引きちぎったかのような三つの穴が瀬戸内の顔を見つめていた。
「風呂場で暮らしている首なしは元気ですか?」
 得体の知れない質問が続く。
「……知らねえよ」
 スタッフのイタズラだと自らに言い聞かせる。玄関をすり抜けたのも何らかのトリック。布のような顔の裏には、本物の人の顔があるはず。
 ――怖がってはいけない。恐怖を悟られたら精神が狂うまで憑かれてしまう。
「足のない犬が倒れていたのは、あなたのせいですか?」
「知らねえ」
「黒い女の子は笑っていましたか?」
「知らねえって」
「床下に隠した恋人はトイレに行きましたか?」
 ……ありえない。
「恋人の右腕はあなたの枕の中ですか?」
 ありえない、ありえない。
「恋人の左脚は生えてきましたか?」
 ありえない。ありえないありえないありえない。
「恋人の首は――」
「だから知らねえって言ってんだろぉ!」
 布に空いた三つの穴が醜く歪む。
「今、怖がりましたか?」
 息が詰まり、上手く返事が出来ない。じわりじわりと顔を近づけてくる怪物に瀬戸内の恐怖は限界を超えた。
 情けない悲鳴をあげて玄関へと走る。脳裏に一つの不安がよぎった。
 ――霊的な力が働いてもうここから逃げ出せないのではないか。
 しかし予想に反してドアノブは簡単に回った。瀬戸内は玄関を押し開けて外へと躍り出ると、一目散に関口とスタッフが乗っているバンへと駆けた。
「関口! 早く車を出せ!」
 バンの後部座席の扉を引くやいなや瀬戸内は叫ぶ。しかし彼の目に映ったのは車の中ではなく――
「この女性は死んでいますか?」
 先ほどまでいたアパートの一室だった。瀬戸内はトイレの中から部屋を見下ろす形で立っていた。質問さんの隣には黒いワンピースを着た真っ赤な女性が正座をしていて、瀬戸内をじぃっと見上げていた。顔には質問さんと同じ三つの穴が空いている。
「今、三四時七四分ですか?」
 瞬間、窓の外から血のような光が射しこんだ。部屋も質問さんも女性の黒い服も赤く染まる。もちろん瀬戸内も。
「鏡から覗くのは誰ですか? 崩壊した老婆ですか?」
 瀬戸内はもう何も言わなかった。
「上にいる修道女の目玉はどこですか?」
 天井から修道服を着た女性が生えてくる。瀬戸内はそっとその場に腰を下ろした。
 すでに取り憑かれている。それしかなかった。これは幻覚なのか、夢なのか。だんだんと心が空っぽになっていく。自分がこれからどうなっていくのかということすら、どうでもいいことのように思えた。
 
 関口は三つの穴を見つめた。
 顔中血塗れになった瀬戸内がアパートの一室に転がっている。急に両眼をくり抜くなど常人ならば考えられない奇行だ。
「今、三四時七四分ですか?」
 先ほどから得体の知れないことを呟くだけで、こちらの呼びかけに一切反応しない。
 瀬戸内が呟いた言葉の中で、とある事件を彷彿とさせるものがあった。六年前に発生した女子大生失踪事件。未だに犯人の目処すらついていない未解決事件。失踪した女性は瀬戸内の恋人だった。瀬戸内は「いつかテレビの力で犯人を暴いてやる」とよく言っていた。
 真相は定かではない。だがそれも瀬戸内の自宅に家主の手が加わる時までの話だ。彼の“自白“が本当ならば、彼女は今もなお、あちらこちらで眠っている。
 質問さんは確かに存在した。瀬戸内の奇行がそれを証明している。察するに質問さんは噂よりも質の悪い霊のようだった。巧みかつ狡猾に恐怖心を煽る質問を繰り返す。そこには本人にとって耳を塞ぎたくなる真実も含まれるのだろう。
 外からサイレンの音がやってくる。スタッフの通報によって到着した警察だ。
 この世に蔓延る霊の全てが質問さんに成り得るというならば、これは霊達による殺戮なのかもしれない。
 部屋が明るくても暗くても質問さんは現れる。水の音、部屋が軋む音、電化製品の音。どんな音にでも質問さんは潜んでいる。そして一度でも呻き声が聞こえてしまえば、すぐそばまで質問さんが這い寄ってくるのだ。
 番組はお蔵入りにすることにした。
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