サバ王の帰還

上坂 涼

文字の大きさ
上 下
1 / 1

サバ王の帰還

しおりを挟む
 明けの明星の輝く空から一筋の赤い光がやってきた。
 その速度たるやレーザービームと見紛うほどで、あっという間に海岸近くの海へと突き刺さり、それは大きな水柱を生みだした。
 会社へ出勤するまでの朝時間を使って、海を散歩するのが日課だった田中と飼い犬のジョゼは、まさにその一部始終を目の当たりにしてポカンとその場に立ちつくしてしまう。
「な、なんだ? 隕石でも落ちたか?」
 好奇心旺盛で血気盛んなはずのジョゼが身体をブルブル震わせて、くぅんくぅん鳴いている。いつもなら我先にと駆け出し、物事の中心に飛び込んでいくはずのジョゼがこうも怯えているというのは何かとてつもなく良からぬことが起こる前触れのように思えた。
(おい)
 ん、なんだ……?
(おい。お前だ。畜生を連れた人間)
 誰かが直接脳に語りかけてくる? なんだこれは? どうなって――
 田中が頭を抱えたその瞬間。海から浜辺へと直進してくる水しぶきが目に入った。水しぶきは浜辺の際でピタリと止まったかと思いきや、真っ赤な身体をした一匹の魚がぬぅっと水面から姿を現した。
(こっちへ来るんだ。人間)
「う……嘘だろ?」
 田中は怯え続けるジョゼをその場に置いて、一歩また一歩と真っ赤な魚へと歩みを進めた。
 人生初めての未知との遭遇に田中は興奮し、恐怖し、歓喜した。未だに心の奥底では逃げたい気持ちと未知なる世界に触れてみたい気持ちとがせめぎ合い、頭がぐわんぐわんと揺れていた。それでも足は海へと進んでいく。これまでの退屈な人生が、苦痛と悲しみに溢れた時間が、田中を海へと運ぶ。
(よく来た人間)
 そこには一匹のサバがいた。色が真っ赤になっただけのサバ。感情のないまんまるな瞳で田中を見上げているのはサバ。宇宙人でもなんでもない。一筋の赤い光になって宇宙からやってきてはいるから、正確には宇宙サバ。テレパシーを使い、日本語で語りかけてくるサバというのは確かに未知との遭遇と言えるだろう。しかしなんでサバ。田中は別の意味で頭がぐわんぐわんしてきていた。
(さっそくだがお前らのリーダーに会わせろ。これから世界を支配していくにあたって円滑な協力関係を築きたい)
「はい……?」
 この場合のリーダーって誰になるんだ? 会社の上司? いや、支配していくとか言ってるし総理大臣? 国連? 田中は頭を抱えた。
(ふふふ。怯えずとも良い。我々は友好的な魚種だ。我々の手と足となり動いてくれれば、それなりの褒賞はくれてやる)
「褒賞、ですか」
(そうだ。世界中に散らばる我が民とその配下がお前らに海の宝を運ばせる。食い物から失われた文明の遺物まで何でもだ)
「へえー。なんか良さそうですね」
 このサバ、考えているより良いやつなのでは? と思い始めた田中は協力してやることにした。協力と言っても政府との橋渡しだけ。つまり警察に連絡するだけということ。後は偉い人達に任せてしまえばいい。簡単な仕事だ。
「うん。分かりました。では私が日本の偉い人に繋がれるように連絡してみます」
(良い選択だ。ではこれを授けてやろう)
「え?」
 と声を出すのも束の間、真っ赤なサバの目から青い光線が放たれ、田中の額に直撃した。身体中を生暖かい膜のようなもので包まれる感覚がやってきたと思えば、額がひんやりと冷たくなっていく。
(これでいい。さあ連絡しろ)
「え、え。いったい何をしたんですか?」
 田中は猛烈に焦った。そして相手が地球外生命体だというのに油断してしまったことを後悔した。今行われたことは明らかに人の御業ではない。宇宙人の卵を植え付けられた可能性だってある。徐々に鼓動が早くなっていく田中をよそに、真っ赤なサバはカラカラと笑うように頭を上下に振った。
(額を見てみろ)
 言われるがまま、田中はスマートフォンのカメラ機能で自身の額を映した。
「なんだこれ!?」
 そこには焼きごてで焼印を付けられたようなイラストが映っていた。スーパーのチラシに乗っているような横向きになったサバっぽいイラスト。無駄に可愛い。
(これはお前が我らサバと人間の橋渡し役の証であり、我らの召使いの証だ。英語でサーバント。サバだけに。あっはっはっは)
 そう言って頭を上下に振りつつ腹びれでバシャバシャと水しぶきを飛ばす。表情の無い目で笑われてもなんか怖いだけだと田中は渋い顔を作った。
「……バカバカしい。協力してやろうと思いましたけど、そんな気も失せました。他の人を捕まえてください」
 地球外生命体だろうとサバはサバだ。海からは出られまい。陸にいる以上、こいつらの脅威に晒されることはないはずだ。あとやっぱり未知の生物すぎて怖いし。関わらないに越したことはない。
(ふん。そのサバ紋を消し去れるのは私だけだぞ。皮膚をはがさない限り、消えることはない)
 と、田中が海に背中を向けたところで、真っ赤なサバがとんでもないことを言ってのける。そんな馬鹿なと試しに擦ってみるも一ミリたりとも消えることはなかった。田中は額をほのかに赤くして真っ赤なサバを振り返る。
(そのサバ紋は地球外にしか存在しないアウロルジェンジーというミクロサイズの微生物を植え付けて描いている。奴らは生物のため、皮膚の表面を保護しつつ、皮膚が剝がれないようにピッタリと宿主が死ぬまでくっ付く習性を持っている。そしてくっ付けた本人の言うことしか聞かない)
 田中は真っ赤なサバの説明を聞いてがっくりと肩を落として顔を覆った。
 最悪だ。こんな可愛いサバのイラストを額に載せて生活をすることなんか出来ない。隠すにしてもオフィスワーカーの田中には仕事中に額を覆うようなファッションは禁じられている。仕事中は可愛いサバのイラストを晒しながら、上司に頭を下げて、後輩にカッコいい姿を見せて、社内恋愛中のナギサちゃんのご機嫌を取らなければいけない。
 ……そんなの無理だ。上司にはキレられ、後輩には笑われ、ナギサちゃんには愛想を尽かされるに決まっている。額に可愛いサバのイラストを載せた男なんて生き恥も良いところだ。いっそのこと魚屋に転職でもするか?
(……あんっ! ……――)
「え?」
 何事かと田中が顔を持ち上げると、目の前にはダイバースーツ姿のモリを持った男が立っていた。
「いやー。今日ぜんっぜん魚獲れなかったからどうしよ思ってたんやけど、ラッキーだったわー」
 モリにはくの字になった真っ赤なサバが突き刺さっていて、誰がどう見ても絶命しているのは明らかだった。ダイバースーツの男は「あっはっは」と高らかに笑いながら、悠然とモリを掲げてその場から去っていた。
 唐突な未知との遭遇の終了に呆気に取られるも、すぐに我に返って田中は叫んだ。
「この額のやつどうすんだよ!?」
 すると、元気な犬の鳴き声が飛んできた。愛犬のジョゼが足元にまとわりつきつつ田中の正面に回り込み、彼を見上げた。するとなお一層嬉しそうに吠えて、両前脚を浮かせた。
「なんだよ。可愛いとでも言いたいのか?」
 田中は朝焼けの海に視線を投げて、その穏やかな潮騒に耳を済ませた。
「魚屋……やってみるか」
 田中総一郎。その額にサバ印ありと謳われ、魚業に幾度とない革命を起こすことになる男が生まれた瞬間であった。
しおりを挟む

この作品の感想を投稿する

あなたにおすすめの小説

星の記憶

鳳聖院 雀羅
ファンタジー
宇宙の精神とは、そして星の意思とは… 日本神話 、北欧神話、ギリシャ神話、 エジプト神話、 旧新聖書創世記 など世界中の神話や伝承等を、融合させ、独特な世界観で、謎が謎を呼ぶSFファンタジーです 人類が抱える大きな課題と試練 【神】=【『人』】=【魔】 の複雑に絡み合う壮大なるギャラクシーファンタジーです

『まて』をやめました【完結】

かみい
恋愛
私、クラウディアという名前らしい。 朧気にある記憶は、ニホンジンという意識だけ。でも名前もな~んにも憶えていない。でもここはニホンじゃないよね。記憶がない私に周りは優しく、なくなった記憶なら新しく作ればいい。なんてポジティブな家族。そ~ねそ~よねと過ごしているうちに見たクラウディアが以前に付けていた日記。 時代錯誤な傲慢な婚約者に我慢ばかりを強いられていた生活。え~っ、そんな最低男のどこがよかったの?顔?顔なの? 超絶美形婚約者からの『まて』はもう嫌! 恋心も忘れてしまった私は、新しい人生を歩みます。 貴方以上の美人と出会って、私の今、充実、幸せです。 だから、もう縋って来ないでね。 本編、番外編含め完結しました。ありがとうございます ※小説になろうさんにも、別名で載せています

男前忍者伊吹が異世界へ?悪徳強欲王女から宝を取り返せ!

魚口ホワホワ
ファンタジー
 伊吹は、梨乃亜姫と美代と西の大国から金のしゃちほこ城に戻っていました。あと少しでお城に戻れるというところで、一筋の光が伊吹を包みました。※「微笑みの梨乃亜姫」参照  気がつくと円盤の中に入っており、1人の宇宙人が、話しかけてきました。その宇宙人は、『宇宙演奏家 バッハン星人』でした。※「良くわかってるウルトラの人」参照  バッハンは、宇宙演奏旅行の際に訪れたファンタジー星で大切なヴァイオリンのような楽器の弓を悪質な方法で、強欲な王女に取られてしまい、1年後の約束の地に行けなくなりました。  そこで、男前忍者の伊吹に取り返してと依頼しましたが…その星は、異世界ファンタジーの世界でした。

友人の結婚式で友人兄嫁がスピーチしてくれたのだけど修羅場だった

海林檎
恋愛
え·····こんな時代錯誤の家まだあったんだ····? 友人の家はまさに嫁は義実家の家政婦と言った風潮の生きた化石でガチで引いた上での修羅場展開になった話を書きます·····(((((´°ω°`*))))))

遠い記憶、遠い未来。

haco.
ファンタジー
「意識」は形をもち、いろんなものを創造していく。無だった世界から飛び出した「意識」の壮大なファンタジー物語です。それは「無」だった世界から「現代」そして「未来」へと不老不死の体をもちながらもいろんな 世界を渡り歩き、最後は思わぬ展開へと

蘇生魔法を授かった僕は戦闘不能の前衛(♀)を何度も復活させる

フルーツパフェ
大衆娯楽
 転移した異世界で唯一、蘇生魔法を授かった僕。  一緒にパーティーを組めば絶対に死ぬ(死んだままになる)ことがない。  そんな口コミがいつの間にか広まって、同じく異世界転移した同業者(多くは女子)から引っ張りだこに!  寛容な僕は彼女達の申し出に快諾するが条件が一つだけ。 ――実は僕、他の戦闘スキルは皆無なんです  そういうわけでパーティーメンバーが前衛に立って死ぬ気で僕を守ることになる。  大丈夫、一度死んでも蘇生魔法で復活させてあげるから。  相互利益はあるはずなのに、どこか鬼畜な匂いがするファンタジー、ここに開幕。      

性転換マッサージ

廣瀬純一
SF
性転換マッサージに通う人々の話

忘却の艦隊

KeyBow
SF
新設された超弩級砲艦を旗艦とし新造艦と老朽艦の入れ替え任務に就いていたが、駐留基地に入るには数が多く、月の1つにて物資と人員の入れ替えを行っていた。 大型輸送艦は工作艦を兼ねた。 総勢250艦の航宙艦は退役艦が110艦、入れ替え用が同数。 残り30艦は増強に伴い新規配備される艦だった。 輸送任務の最先任士官は大佐。 新造砲艦の設計にも関わり、旗艦の引き渡しのついでに他の艦の指揮も執り行っていた。 本来艦隊の指揮は少将以上だが、輸送任務の為、設計に関わった大佐が任命された。    他に星系防衛の指揮官として少将と、退役間近の大将とその副官や副長が視察の為便乗していた。 公安に近い監査だった。 しかし、この2名とその側近はこの艦隊及び駐留艦隊の指揮系統から外れている。 そんな人員の載せ替えが半分ほど行われた時に中緊急警報が鳴り、ライナン星系第3惑星より緊急の救援要請が入る。 機転を利かせ砲艦で敵の大半を仕留めるも、苦し紛れに敵は主系列星を人口ブラックホールにしてしまった。 完全にブラックホールに成長し、その重力から逃れられないようになるまで数分しか猶予が無かった。 意図しない戦闘の影響から士気はだだ下がり。そのブラックホールから逃れる為、禁止されている重力ジャンプを敢行する。 恒星から近い距離では禁止されているし、システム的にも不可だった。 なんとか制限内に解除し、重力ジャンプを敢行した。 しかし、禁止されているその理由通りの状況に陥った。 艦隊ごとセットした座標からズレ、恒星から数光年離れた所にジャンプし【ワープのような架空の移動方法】、再び重力ジャンプ可能な所まで移動するのに33年程掛かる。 そんな中忘れ去られた艦隊が33年の月日の後、本星へと帰還を目指す。 果たして彼らは帰還できるのか? 帰還出来たとして彼らに待ち受ける運命は?

処理中です...