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第四章 Love And Hate

第90話 あなたのいない世界で

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 そして週末になる。

 朝起きて、今日の気分で今シーズン購入したワンピースに決めた。
 クルーネックでノースリーブのワンピだ。膝が隠れるくらいの着丈で、素材がふわっと軽くてきれいに揺れる。
 暑いので、それなりに伸びた髪の毛をシニヨンに纏める。

 久し振りのお出かけだと思うと、なんだか朝からウキウキ気分だ。

 約束の時間が近付いてきたので、一階にあるコンビニに降りて待つことにした。
 エアコンが効いているし、車が到着したらすぐに分かるので都合がいい。

 窓際のファッション誌をパラパラ捲っていると、じきに深いアーモンドグリーンのジャグァが姿を現し路上に停まった。
 武蔵たけぞうさんは普通にジャガーって言うと何故か言い直しさせるのだ。
 でも英国車だから、英国風に発音するとジャギュアって感じらしいけどね。
 ま、その辺りは深く突っ込まないで言われた通りに発音してる。

 わたしが店を出て車に近づくと、大柄で恰幅がいい見た目に反して身軽そうな所作で車から降りてきた武蔵じっちゃんが、わたしが乗り込めるようにシートを前に倒してくれた。

「よぉ、華名咲の嬢ちゃん。いつも洋輔が世話になっとるな。今日は美味いもんを食べに行こうな」

「こんにちは。今日は楽しみです。この前のお食事も最高だったし、今日も期待してます!」

「フォッフォッ。こりゃ食いしん坊なお嬢ちゃんだ。まあ期待は裏切らんよ。さあさ、乗った乗った」

 申し訳程度に付いているような後部座席に乗り込んでみれば、相変わらずの狭さ。じっちゃんが犬も参っちゃうワンマイルシートだとか言ってたのを思い出した。
 そして革張りのシートにもワックスが効いてるのか、ツルツル滑るんだよね。

「夏葉ちゃん、お久し振りね。あなた、少し見ない間に大人っぽくなったんじゃない? そのワンピースもとってもお似合いで素敵よ」

 上品な微笑みを湛えた奥さんのすみれさんが助手席から褒めてくれた。

「わあ、すみれさん。ご無沙汰しています。すみれさんに褒められると嬉しい!」

 すみれさん自身は今日も和装が素敵だ。英国のスポーティーな高級車に和装の女性っていうのがいつ見てもフォトジェニックで素敵過ぎる。
 大島紬の泥藍染独特の渋いチャコールグレイ……と横文字で色を表現していいのか分からないけど、渋くて素敵だ。

 暫く走って着いたのは、郊外の瀟洒しょうしゃな雰囲気の建物だった。
 黄色っぽいクリーム色のフランス漆喰壁の外装からするとフレンチだろうか。

「予約しておった細野と申します」

「ご予約の細野様。承っております。ようこそおいでくださいました。こちらへどうぞ」

 予約と書かれた札が置いてあるテーブル席へ案内される。

「今日は前もってコースを頼んでおるけど、いいかな?」

「勿論!」

 今更違うメニューでと言う気は全然ないし、じっちゃんに任せておいて間違いないという信頼感はある。
 それでも興味本位でメニューに目を通すと、なんと和食の店だった。

 思わず顔を上げると楽しそうにわたしの顔を覗き込んでいた すみれさんが、
「驚いた? 実はここ、和食の店なのよ。ふふふ」
といたずらっ子のように笑った。

 店の外観はフレンチに見えるので、当たり前にフレンチかとばかり思っていたら、予想をひっくり返された。

「ここは元々はフレンチレストランだったのよ。でもシェフが和食を学びたいと言って、突然何年間か和食の修行に出ちゃって、一昨年からお店を再開したのだけど、和食のお店になったのよね。珍しいでしょ」

 成る程。そういう経緯があってこの外観で和食なのか。益々興味深い。

 いわゆる会席料理だが、あまり形式にこだわった感じではないという。
 出されたお茶をいただきながら、一息つく。

「ふぅ。落ち着く」
 熱々のお茶を飲んで思わず声に出てしまう。

 武蔵さんご自慢のジャグァはEタイプとかいうちょっと古めかしい車で、元々エアコンは付いてなかったらしい。しかし日本の夏はそれじゃあ耐えられないと、後から取り付けたのだとか。
 エンスーだの何だのと息巻いている割に、その辺あんまりストイックではないようだ。
 勿論わたしは歓迎だけどね。偏屈な拘りでこの暑い中蒸し風呂状態の車に閉じ込められたんじゃ堪らない。

 とは言えエアコンの中で冷えた体に熱いお茶はありがたい。男だったらそんなの気にせず冷たいものをガブガブいってたところだけど。

「そう言えば前にホテルでやり取りしておった例の特許絡みの話だがの」

 おっといきなり核心に触れる話か。
 何かあるんだろうとは思ってたけど、もうぶっ込んでくるとは予想してなかった。

「あなた。ちょっと、もう……。まだ先付も出ない先から無粋ってもんですよ。ねぇ、夏葉ちゃん」

 すみれさんが割って入って先走る武蔵さんをたしなめる。
 わたしは愛想笑いを浮かべて大丈夫ですよと返しておく。

「………またお前は、つまらんことを言いおってからにぃ」

 そう言って、恨みがましそうにすみれさんを睨む武蔵さん。チェッとか言って石ころを蹴飛ばしている子供時代の武蔵じっちゃんの絵が浮かぶ。

「夏葉ちゃん、学校は楽しめているかしら?」

 仕切り直しとばかりに、すみれさんが学校のことについて訊ねてきた。

「はい、まあそれなりに楽しんでますよ。クラスメイトも愉快な子が多くて」

 友紀ちゃんとか、友紀ちゃんとか、あるいは友紀ちゃんとか? と、あの顔を思い浮かべながら、苦笑いだか何だか自分でもよく分からないが、兎に角笑顔を貼り付けて応じた。
 楽しいクラスメイトは他にもいるのだが、なんかアクが強過ぎてあの子の顔しか頭に浮かばないというのはどうしたものか。

「気になる男の子とかいないの?」

 うっ。前にもそんなこと訊かれたような気がするなぁ。

「いえ、わたしはそういうのにはあんまり……」

 じっちゃんには話してるけど、すみれさんはわたしが元々男だってこと知らないんだろうな。

「あらまあ、そうなの? それは勿体無いわ。こんなにきれいなのに。今日は、若い子の恋愛話を聞くのを楽しみにしてきたのよ。最近の若い子たちの間では、何て言ったかしら……ほら、あの……女子トーク? でしたっけ?」

 何やらウキウキとした表情を浮かべてそんなことを言うすみれさん。
 ご年配の方にこんな言い方は失礼かもしれないけど、とってもかわいらしい。

「はい、女子トークですね」

 厳密にはじっちゃんが混ざってるから女子トークとは言えないけどね。
 でもすみれさんがあまりにかわいらしくて、思わずわたしの方も笑みがこぼれてしまう。
 つってもなぁ。TSしてから女子は同性って感じしかしなくなって、恋愛の対象って感じじゃなくなったし、だからって男と恋愛? うーん、元男としてそれは勘弁って感じなんだよなぁ。

「そういえば、あれはどうなんじゃ。なかなか男前じゃがな、十一夜の坊主は。何じゃったかこの前、ちょっと女子おなご梃子摺てこずらされとるようなことを聞いたがのぉ……。嬢ちゃん、ちょっとは手加減してやらぬか」

「まあっ。そうでしたの? やっぱり隅に置けないわね。わたしのお眼鏡通りだわ」

 あー、それな。それわたしのことじゃなくて、多分我儘お嬢様の桐島さんのことですからー。
 この話題、なんか魂が削られてく気がするわ。話題変えなかった方が寧ろわたしにとっては良かったような……。

「ねぇねぇ。その十一夜君ってどんな子なのかしら? ……え、十一夜?」

 気付きましたか、すみれさん。そうですよー、その因縁の十一夜の曾孫ですよー。

「そうなんじゃ、すみれよ。あの十一夜の曾孫なんじゃよ。嬢ちゃんの同窓でな。なんの因果かのぉ……」

 と、何だか遠い目をして語っている武蔵さん。走馬灯はまだ早いぞ、じっちゃん。まだまだ活躍してもらうんだから。

「まあ素敵じゃないっ! 十一夜さんて素敵な方だったわ。きっとその彼氏も素敵な人なんでしょ?」

 すみれさん。瞳にキラキラハイライトが入って乙女になってます。
 ああ、眩しいです、すみれさん。目から出たビームが直撃して辛いです。
 因みに彼氏じゃありませんからー。

「十一夜君ですか? ええ、まあ学校じゃ女子の間で結構な人気ですかね。でもあれはどうかなぁ~。超朴念仁ですよ。女心なんて微塵ほども分かっちゃいないんですよ、どうせ。精々女の尻に敷かれてりゃいいんですよ」

「あらまぁ。ウフフフ。青春って眩しいわねぇ、いいわぁ。それそれ、それよそれ」

 心なしか急に身を乗り出してきた気がするすみれさん。それってどれだ。何にそんなに食いついてるんだろう。十一夜君に興味津々の模様だ。

「それで十一夜君は、なかなか夏葉ちゃんの思うようには期待に応えてくれない訳ね?」

「え? あ、はい。まあ……そうなのかな? て言うより、あんなのに期待するだけ無駄ですよ。やっぱりわたしには全然関係ないかなっ」

「あら、そうなの。ふぅん……わたしたちが知ってる十一夜さんって、とっても凄腕の方だったのだけど、その十一夜君も凄く頼りになる方じゃない?」

「え、それはまぁ、頼りにはなりますよ。て言うかなったかな、前は。でも今はわたしなんて放ったらかしですから、どうせ」

「まぁっ、そうなの? 余程忙しいのかしらね、あなたを放っておくなんて?」

「さあ、どうですかね。確かにどっかのご令嬢に引っ張り回されて大忙しなのかもしれないですけど? それもまあ十一夜君にしてみれば本望なんじゃないですかね、きっと」

 思い出すと苛々して、少々刺々しい言い方になってしまう。

「まぁっ! ライバルね。好敵手と書いてライバルと読ませるのね! いいわいいわ。そうね、そうだわ。そう来なくっちゃ張り合いがないと言うものよね、うんうん。いいわぁ」

 何がいいのだかこっちは皆目見当がつかないが、すっかり頬を上気させて前のめりになっているすみれさんが目の前にいる。

「先付でございます」

 すみれさんにタジタジになっているところへ、まるで救いの手を差し伸べるかのように絶妙のタイミングで先付が運ばれてきた。
 ここのシェフ、いい仕事をする。いや、シェフ改め板長と呼ぶべきか。

「わあっ、もう既に美味しそう!」

 話題を変えるべくこれ幸いとそちらに注目する。

はも皮巻梅肉おろし添えと蒲鉾の菊花挟みでございます」

 ほぉ。
 鱧の身の練り物を焼き目をつけた鱧の皮で巻いてある。もう一方は、蒲鉾に切目が入っていて、そこに食用の菊花——これは恐らく辛子ポン酢和えじゃないかな——を挟んである。

 うん。どちらも魚の旨味と共に、梅肉やポン酢のさっぱりした酸味が立っていて、食欲を刺激してくれるなぁ。
 次への期待が高まる。

 じっちゃんは寡黙に味わっている。
 余計な話題で気不味い感じになるよりは本題に入ってもらった方がいいんだけどなぁと思う。でもじっちゃんも多分すみれさんには逆らえないっぽいんだな、これが。こういうところはどこも一緒か。

「それで? 夏葉ちゃんの好敵手ライバルはどんな子なのかしら?」

 始まったよ~。
 わたしはじっちゃんにアイコンタクトを取ろうと顔を上げるが、じっちゃんはこちらには目もくれない。
 これはあれだ。我が家でもよく見る光景だ。しかもうちじゃあ露骨に目を逸らされるからな。

「ライバルとかじゃないですよ。普通に十一夜君には付き合ってる彼女がいるだけです。わたしはただの友達です。と言うか、友達だったって感じになってるかな、どっちかって言うと」

「あら、そうなの? でもそれは、悪いことじゃないかもしれないわ」

「そうですか? ……まあ確かに、あんな薄情な人だとは思ってなかったんで、それが分かっただけでも友達じゃなくなる方が良かったのかも」

 言ってて何だか悲しくなってくる。今日は泣かないようにしなくっちゃと、唇をきゅっと閉じて踏ん張る。

「そうじゃないわ、夏葉ちゃん。わたしが言いたいのは、友達関係を一回壊さないと、その先に進めないってことなのよ」

「うーん……よく分かんないです。十一夜君とは友達でもあったし、それ以上に同士のような思いでいたんですけど、そうじゃなかったのかなぁ……」

 以前を思い出して、どうしてこうなったんだろうと考えるわたしの手を、すみれさんの温かな両手が覆った。

「大丈夫。上手く行くわ。人生経験豊富なお婆ちゃんの勘よ。信じなさい」

 妙に説得力のあるすみれさんの確信に満ちた言葉に、何がどう上手くいくのかはよく分からなかったが、ほっと安心する気がした。
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