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第四章 Love And Hate
第77話 君を待つ間に
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「あ、え? ごめんごめん。変な意味じゃなくて、その……前に十一夜君は子供の頃に変わっちゃったから……あの……第二次性徴期は男として育ったって言ってたじゃない。だから、恋愛対象はどっちなのかなぁって思ってさ。……あの、わたしが今、どっちなのか自分で分からないものだから……気になっちゃって……変なこと訊いちゃってごめんね」
最近ちょっとそのことが頭の中にあったから……自分でもよく分からないけれど、きっとそのせいで十一夜君の場合はどうなのかっていう疑問が頭に浮かんでしまったのかな。うっかりそれがそのまま言葉に出てしまった。
変に思われちゃったかな……。
「ふぁ~」
聖連ちゃんが止まっていた呼吸を再開したような、そんな感じで深く息を吐いた。
「ああ、そういうことか。なるほどね、うんうん。いやあ~、まいったな。あはは」
十一夜君はシャツの袖先で、額を拭う所作をしている。心なしか顔面は紅潮しているようにも見える。やはり変な方向に勘違いされちゃったかな。
「ご、ごめんね。わたし、変なこと言っちゃったかなっ」
覆水盆に返らずとはこのことかもしれないが、兎にも角にも慌ててもう一度謝った。変な空気になっちゃったら悪いな。
「い、いや、全然全然。そういう意味だったのか。そうか、そうだよね。そりゃそうだよね。うん。何だ、そうか……」
十一夜君もかなり慌てているようで、自分を納得させるかのようにブツブツと呟いている。
悪いことしたな。男女なんて言われちゃうようなわたしなんかから意味ありげなこと言われたら、誤解とは言え困るよな。
……あれ? て言うかさ。考えてみたら十一夜君の方だってそうじゃん。そっちだって女男のくせに、人のこと気持ち悪がるとか酷くない?
いや、まあ、気持ち悪いとは一言も言われてはいないんだけどさ。そんなに取り乱されるとなんか傷付くんですけど……。
「僕はその……うん。何て言ったらいいのかな……ちょっと今のタイミングでは言い難いと言うか……ほら……まあ何だね。その件については改めてまた機会を作って、今度ゆっくり話すよ」
うわ、何か歯切れ悪いの。何となく逃げられたような、そんな気がしてならないんですけど?
聖連ちゃんがそんな十一夜君とわたしを見比べながらニタニタしている。何だ何だ? そのニタニタは。何がおかしいんだよ、まったくもう。
そんなこともあり、最後の方はちょっと変な空気になって気まずい感じで解散した。自分で言い出しておきながら何だけど、十一夜君と来たらもうまったく分かっちゃいないんだから。
って、ん? 何を分かってないんだろうな。わたしもよく分かってないな。
◇ ◇ ◇
さて、そして週末は撮影。今回は夏休み特集号の撮影の為イレギュラーな仕事だ。
このところ毎週末何らかの予定が入っていて、ゆっくりすることがない気がするのだけど、それもこれもMSという怪しげな組織のせいだ。わたしの週末を奪う忌まわしきMSめ。いつかすべてを暴いてやるから首を洗って待ってろよ。
なんて思ってみたところで、結局わたしは十一夜君たちやじっちゃんたちの働きをただ見守るだけの、簡単なお仕事なのだけどね。もっと役に立ちたいのに。とほほ。
それに今週末は撮影の仕事だからMSは関係ないんだけどさ。
「秋葉ちゃん、お疲れ様」
メイク担当の鈴木さんがお茶を持ってきてくれた。モデル業の際は諸事情により秋葉という名前でやっているのだ。
「あ、どうもありがとうございます」
「はい、これも」
鈴木さんはそう言ってチョコレートを出してくれた。
「ベルギーチョコみたいよ。一緒に食べよ」
「おぉ~、チョコ美味しそぉ~。お、ヴィタメールだ! どうしたのこれ?」
「何か今日は雑誌のディセットの編集長さんが見えてるらしくて、これを差し入れしてくださったみたい」
「あ~、そういうことですか」
「ん?」
ちょっと渋い顔になるわたし。
それに対して鈴木さんの顔には疑問符が浮かんでいる。
「ディセットのモデルやらないかって誘われているんですよ。秋菜はやる気満々で、今編集長さんのお話を聞きに行ってます」
「そういうことか~。で、秋葉ちゃんは話聞きに行かないんだ?」
「う~ん。わたしはそういうのはちょっと……」
「秋葉ちゃんらしいね~。そういうところ」
「うん、そうかも。逆に秋菜は秋菜らしいですよね」
「あはは、そうだね」
「あ~、美味し」
ヴィタメールか。ベルギーチョコレートの中でも至高の逸品。流石の深い味わいだな。チョコレートを食べると何だか幸せな気分になるよね。
と、そこへ恐らくディセット誌の編集長と思しき女性がやってきた。
「こんにちは。あなたが秋葉さんね。わたし、ディセットっていうティーン向けのファッション誌の編集長をしている瀬名みずほといいます」
瀬名さんはわたしと鈴木さんに名刺を差し出してきた。
瀬名さんは年の頃は三十代後半くらいだろうか。背筋がピシッと伸びていて如何にも仕事のできそうな素敵な女性だ。
鈴木さんは慌てて自己紹介しながら自分の名刺を出して、それを瀬名さんに渡した。
わたしの方はと言えば、勿論名刺なんて持っていないので、瀬名さんの名刺を受け取っただけだ。
「あ、わたし、席を外しましょうか?」
そう言って鈴木さんが席を立った。おいおい、わたしを独りにして行っちゃうのか? 冷たくない?
「あら、気を遣わせてしまってすみませんね。でも鈴木さんもよかったらご一緒にどうぞ。メイクを担当されている方なのね。もしかしたらこの先、うちとお仕事する機会もあるかもしれないでしょう? 華名咲さんも、その方がいいのじゃなくて?」
あはは、よく分かってらっしゃる。その通りだよ。
「そうですか? ……それじゃあ、お言葉に甘えて」
と、鈴木さんが改めて席に着いた。何か知らんが助かった気がする。
「どうぞどうぞ。鈴木さんは、美容室勤務でメイクのお仕事をされてるのかしら?」
瀬名さんが鈴木さんの名刺を見ながら訊ねた。
「あ、そうなんです。わたしはAIMERという美容室でメイクを担当させていただいてます」
「あぁ、エメさんの方なのね。ごめんなさい、名刺に書いてあるのにピンときてなくて。そう言えば、そちらの小嶋さんと何度かお仕事ご一緒させていただいたことがありますよ」
「そうでしたか。うちの小嶋がお世話になっております」
「こちらこそ、お世話になっています。鈴木さんはメイクを専門でやられているんですか?」
「はい。そうなんです。勿論こういう現場ではカットやヘアメイクもやりますけど、お店ではメイクを専門に担当させていただいております」
「そうですか。この子たちのメイク、とても素敵ね。トレンドもよく勉強されているし、素材の良さを引き立てるメイクだわ」
「まあ。お褒めに預かり光栄です。秋葉ちゃんも秋菜ちゃんも抜群にかわいいので、やりがいがありますね」
そう褒められると何だかむず痒い。それにしても大人のやり取りっていう感じで、何だか置いてけぼりにされた気がするなぁ。
「そうよねぇ。この子たちのこと、スタイリストの蒲田ちゃんがべた褒めなのよ。蒲田ちゃんが偶々この雑誌を持っていて、そのときにこの子たちのことを知って、わたしもすごく興味を持ったの。何か光るものを持っているのよね、あなたたち。聞けば、あの華名咲家のご令嬢だって言うじゃない。それもまた凄く話題性があるわよね。是非ウチでモデルをしてほしいと思っているんだけどなぁ」
「あははは……」
やはりその話になるわな。できれば避けたかったんだけど。思わず出たのは愛想笑いだけだ。
「勿論、無理に誘ったりはしないわよ。ふふふ。秋菜ちゃんの言った通りね」
「え、あの……秋菜が何か変なこと言ってましたか?」
「ううん。あなたは無理強いされるのをとっても嫌がるから、強引なことはしないであげてって言われたのよ。仲がいいのね、羨ましいわ」
「そうだったんですか、秋菜がそんなことを……。まあちっちゃな頃から一緒ですから、お互いのことは知り尽くしていると言うか……」
「そうみたいね。とてもいいと思うわ、そういうのも。わたしには妹がいるんだけど、残念なことにあまり好かれていないのよねぇ……」
ほほぉ。あまり関心はないが兄弟姉妹ってそういうことあるよね。うちも妹が年頃になってあんまり口も聞いてもらえなくなってたからな。もっとも、女子化した途端に甘えてくるようになったんだけど。まったくもって分からないもんだよ。
「その秋菜ちゃんが、無理強いしなくても、あなたはきっとうちの雑誌でモデルをしてくれるって言ってたんだけどね。あははは」
と瀬名さんが屈託なく笑った。
秋菜の奴め。まったく何言ってくれてるんだよ。折角いいこと言ってくれたと思ったのに、前言撤回だこんちくしょうめ。
「まったく、秋菜は……」
「ふふふ。まあ、でも本当に無理強いはしないから心配しないで。でももしその気になったらいつでも歓迎するけどね」
「はぁ、まあそのときには……」
「本当に気乗りしないのね。あなたの年頃の子たちにとってはモデルのお仕事なんて夢みたいなものなのに」
「それはそうですね。でもわたしはあんまり目立つのも好きじゃないし、受けたらプロとして責任が発生しますよね。憧れだけではやっていけないお仕事だと思うので」
「ほ~、あなた若いのにしっかりと地に足が着いてるわね。男前だわ。増々気に入ったわよ、わたし」
お、男前だと……。ギクッとするなぁ、その言葉は。……て言うか、あんまり気に入られちゃマズいんだけどなあ。
「あはは……それはどうも」
わたしが愛想笑いで返すと、一方の瀬名さんは増々屈託ない様子で相好を崩した。なかなか器の大きそうな人だな。
「気が向いたら、秋菜ちゃんの撮影の見学にでも来てみて」
「あ、秋菜の方はもう本決まりになったんですか?」
早いな。思い切りがいいのはあいつらしいけど。
「ええ、まあ大凡のところではね。あ、そうだわ。鈴木さんもお忙しいでしょうけど、よかったら今度一緒にお仕事できたらいいですね。思いがけず優秀なメイクさんに出会えて嬉しいわ。また連絡させてください」
「はい、是非に。光栄です」
うむ。鈴木さんは確かに優秀だ。しかしこれは、いわゆる社交辞令というやつなのだろうか。それともこういう出会いというか、縁というのか、そういうので仕事っていうのは繋がっていくものなのだろうか。
わたしが社会人になったら……そんな目線で見てしまうが、そもそもわたしの将来どうなるんだろうなぁ。このまま女だったら、華名咲家の跡取り問題はどうなるんだろうか。祐太か?
物心ついてからずっと華名咲家の跡取りとしての教育を受けてきた。自分がこんな状況になったからって、特に家族からは何も言われてはいなんだけど、改めて考えてみるとこの先どうなるんだろうな。
恋愛問題同様、まったく自分の立場が分からない。
その後、撮影の続きを瀬名さんは暫く見ていたようだが、いつの間にかいなくなっていた。
帰りの道すがら、秋菜と話したらやはり本気でモデル業をやる気らしい。
「何か、一つくらい本気で打ち込めることを持つのって、今のわたしに必要なことだと思うんだ」
ということだ。
なるほど、秋菜の気持ちは何となく分かるし、秋菜にとってはいいことだろうな。大体秋菜は浮ついたところのない奴だし、やりたいと言うからにはいい加減な気持ちで言ってるわけじゃないんだろう。
その晩の食卓は、秋菜の今後のモデル業についての話題で持ち切りだった。
そして翌日、登校すると校門の前に、黒髪がとてもきれいな女生徒がもじもじしながら立っていた。遠目にも目立つその美少女は、誰かを待っているのだろうか、登校してくる生徒たちを見ながら、誰かを探すような素振りをしている。
校門が近づくに連れ、その美少女が学年でも有名な美少女の桐島瞳子さんであることが分かった。
これは……恐らく好きな人でも待っているのだろうな。表情や仕草にそんな雰囲気がありありと浮かんでいる。
恋する乙女しちゃって、かわいらしい。それがこんな美少女だと尚更だ。まるで物語か映画の中のワンシーンのように絵になっている。
桐島さんは、隣のクラスのアイドル的な存在で、黒髪のストレートヘアをボブにしているのだが、それが凄くまた似合っていてかわいい。
そんなことを考えながらついつい見とれて歩いていると、彼女とふと目が合った。一瞬キッときつい目で睨み返されたような気がしたが、恐らく気のせいだろう。ちょっと気まずく思っただけかもしれない。すぐに柔らかい表情になり、また視線を登校してくる生徒たちの群れへを戻してしまった。
気になって、玄関へと歩きながらもそのまま彼女を目で追いつつ歩いていたのだが、不意に表情を輝かせて彼女が駆け出した。
彼女が駆け出したその先に視線を走らせると、そこにはわたしのよく知る人物がいた。そして彼女が駆け寄ったのは案の定、その人、十一夜君であった。
最近ちょっとそのことが頭の中にあったから……自分でもよく分からないけれど、きっとそのせいで十一夜君の場合はどうなのかっていう疑問が頭に浮かんでしまったのかな。うっかりそれがそのまま言葉に出てしまった。
変に思われちゃったかな……。
「ふぁ~」
聖連ちゃんが止まっていた呼吸を再開したような、そんな感じで深く息を吐いた。
「ああ、そういうことか。なるほどね、うんうん。いやあ~、まいったな。あはは」
十一夜君はシャツの袖先で、額を拭う所作をしている。心なしか顔面は紅潮しているようにも見える。やはり変な方向に勘違いされちゃったかな。
「ご、ごめんね。わたし、変なこと言っちゃったかなっ」
覆水盆に返らずとはこのことかもしれないが、兎にも角にも慌ててもう一度謝った。変な空気になっちゃったら悪いな。
「い、いや、全然全然。そういう意味だったのか。そうか、そうだよね。そりゃそうだよね。うん。何だ、そうか……」
十一夜君もかなり慌てているようで、自分を納得させるかのようにブツブツと呟いている。
悪いことしたな。男女なんて言われちゃうようなわたしなんかから意味ありげなこと言われたら、誤解とは言え困るよな。
……あれ? て言うかさ。考えてみたら十一夜君の方だってそうじゃん。そっちだって女男のくせに、人のこと気持ち悪がるとか酷くない?
いや、まあ、気持ち悪いとは一言も言われてはいないんだけどさ。そんなに取り乱されるとなんか傷付くんですけど……。
「僕はその……うん。何て言ったらいいのかな……ちょっと今のタイミングでは言い難いと言うか……ほら……まあ何だね。その件については改めてまた機会を作って、今度ゆっくり話すよ」
うわ、何か歯切れ悪いの。何となく逃げられたような、そんな気がしてならないんですけど?
聖連ちゃんがそんな十一夜君とわたしを見比べながらニタニタしている。何だ何だ? そのニタニタは。何がおかしいんだよ、まったくもう。
そんなこともあり、最後の方はちょっと変な空気になって気まずい感じで解散した。自分で言い出しておきながら何だけど、十一夜君と来たらもうまったく分かっちゃいないんだから。
って、ん? 何を分かってないんだろうな。わたしもよく分かってないな。
◇ ◇ ◇
さて、そして週末は撮影。今回は夏休み特集号の撮影の為イレギュラーな仕事だ。
このところ毎週末何らかの予定が入っていて、ゆっくりすることがない気がするのだけど、それもこれもMSという怪しげな組織のせいだ。わたしの週末を奪う忌まわしきMSめ。いつかすべてを暴いてやるから首を洗って待ってろよ。
なんて思ってみたところで、結局わたしは十一夜君たちやじっちゃんたちの働きをただ見守るだけの、簡単なお仕事なのだけどね。もっと役に立ちたいのに。とほほ。
それに今週末は撮影の仕事だからMSは関係ないんだけどさ。
「秋葉ちゃん、お疲れ様」
メイク担当の鈴木さんがお茶を持ってきてくれた。モデル業の際は諸事情により秋葉という名前でやっているのだ。
「あ、どうもありがとうございます」
「はい、これも」
鈴木さんはそう言ってチョコレートを出してくれた。
「ベルギーチョコみたいよ。一緒に食べよ」
「おぉ~、チョコ美味しそぉ~。お、ヴィタメールだ! どうしたのこれ?」
「何か今日は雑誌のディセットの編集長さんが見えてるらしくて、これを差し入れしてくださったみたい」
「あ~、そういうことですか」
「ん?」
ちょっと渋い顔になるわたし。
それに対して鈴木さんの顔には疑問符が浮かんでいる。
「ディセットのモデルやらないかって誘われているんですよ。秋菜はやる気満々で、今編集長さんのお話を聞きに行ってます」
「そういうことか~。で、秋葉ちゃんは話聞きに行かないんだ?」
「う~ん。わたしはそういうのはちょっと……」
「秋葉ちゃんらしいね~。そういうところ」
「うん、そうかも。逆に秋菜は秋菜らしいですよね」
「あはは、そうだね」
「あ~、美味し」
ヴィタメールか。ベルギーチョコレートの中でも至高の逸品。流石の深い味わいだな。チョコレートを食べると何だか幸せな気分になるよね。
と、そこへ恐らくディセット誌の編集長と思しき女性がやってきた。
「こんにちは。あなたが秋葉さんね。わたし、ディセットっていうティーン向けのファッション誌の編集長をしている瀬名みずほといいます」
瀬名さんはわたしと鈴木さんに名刺を差し出してきた。
瀬名さんは年の頃は三十代後半くらいだろうか。背筋がピシッと伸びていて如何にも仕事のできそうな素敵な女性だ。
鈴木さんは慌てて自己紹介しながら自分の名刺を出して、それを瀬名さんに渡した。
わたしの方はと言えば、勿論名刺なんて持っていないので、瀬名さんの名刺を受け取っただけだ。
「あ、わたし、席を外しましょうか?」
そう言って鈴木さんが席を立った。おいおい、わたしを独りにして行っちゃうのか? 冷たくない?
「あら、気を遣わせてしまってすみませんね。でも鈴木さんもよかったらご一緒にどうぞ。メイクを担当されている方なのね。もしかしたらこの先、うちとお仕事する機会もあるかもしれないでしょう? 華名咲さんも、その方がいいのじゃなくて?」
あはは、よく分かってらっしゃる。その通りだよ。
「そうですか? ……それじゃあ、お言葉に甘えて」
と、鈴木さんが改めて席に着いた。何か知らんが助かった気がする。
「どうぞどうぞ。鈴木さんは、美容室勤務でメイクのお仕事をされてるのかしら?」
瀬名さんが鈴木さんの名刺を見ながら訊ねた。
「あ、そうなんです。わたしはAIMERという美容室でメイクを担当させていただいてます」
「あぁ、エメさんの方なのね。ごめんなさい、名刺に書いてあるのにピンときてなくて。そう言えば、そちらの小嶋さんと何度かお仕事ご一緒させていただいたことがありますよ」
「そうでしたか。うちの小嶋がお世話になっております」
「こちらこそ、お世話になっています。鈴木さんはメイクを専門でやられているんですか?」
「はい。そうなんです。勿論こういう現場ではカットやヘアメイクもやりますけど、お店ではメイクを専門に担当させていただいております」
「そうですか。この子たちのメイク、とても素敵ね。トレンドもよく勉強されているし、素材の良さを引き立てるメイクだわ」
「まあ。お褒めに預かり光栄です。秋葉ちゃんも秋菜ちゃんも抜群にかわいいので、やりがいがありますね」
そう褒められると何だかむず痒い。それにしても大人のやり取りっていう感じで、何だか置いてけぼりにされた気がするなぁ。
「そうよねぇ。この子たちのこと、スタイリストの蒲田ちゃんがべた褒めなのよ。蒲田ちゃんが偶々この雑誌を持っていて、そのときにこの子たちのことを知って、わたしもすごく興味を持ったの。何か光るものを持っているのよね、あなたたち。聞けば、あの華名咲家のご令嬢だって言うじゃない。それもまた凄く話題性があるわよね。是非ウチでモデルをしてほしいと思っているんだけどなぁ」
「あははは……」
やはりその話になるわな。できれば避けたかったんだけど。思わず出たのは愛想笑いだけだ。
「勿論、無理に誘ったりはしないわよ。ふふふ。秋菜ちゃんの言った通りね」
「え、あの……秋菜が何か変なこと言ってましたか?」
「ううん。あなたは無理強いされるのをとっても嫌がるから、強引なことはしないであげてって言われたのよ。仲がいいのね、羨ましいわ」
「そうだったんですか、秋菜がそんなことを……。まあちっちゃな頃から一緒ですから、お互いのことは知り尽くしていると言うか……」
「そうみたいね。とてもいいと思うわ、そういうのも。わたしには妹がいるんだけど、残念なことにあまり好かれていないのよねぇ……」
ほほぉ。あまり関心はないが兄弟姉妹ってそういうことあるよね。うちも妹が年頃になってあんまり口も聞いてもらえなくなってたからな。もっとも、女子化した途端に甘えてくるようになったんだけど。まったくもって分からないもんだよ。
「その秋菜ちゃんが、無理強いしなくても、あなたはきっとうちの雑誌でモデルをしてくれるって言ってたんだけどね。あははは」
と瀬名さんが屈託なく笑った。
秋菜の奴め。まったく何言ってくれてるんだよ。折角いいこと言ってくれたと思ったのに、前言撤回だこんちくしょうめ。
「まったく、秋菜は……」
「ふふふ。まあ、でも本当に無理強いはしないから心配しないで。でももしその気になったらいつでも歓迎するけどね」
「はぁ、まあそのときには……」
「本当に気乗りしないのね。あなたの年頃の子たちにとってはモデルのお仕事なんて夢みたいなものなのに」
「それはそうですね。でもわたしはあんまり目立つのも好きじゃないし、受けたらプロとして責任が発生しますよね。憧れだけではやっていけないお仕事だと思うので」
「ほ~、あなた若いのにしっかりと地に足が着いてるわね。男前だわ。増々気に入ったわよ、わたし」
お、男前だと……。ギクッとするなぁ、その言葉は。……て言うか、あんまり気に入られちゃマズいんだけどなあ。
「あはは……それはどうも」
わたしが愛想笑いで返すと、一方の瀬名さんは増々屈託ない様子で相好を崩した。なかなか器の大きそうな人だな。
「気が向いたら、秋菜ちゃんの撮影の見学にでも来てみて」
「あ、秋菜の方はもう本決まりになったんですか?」
早いな。思い切りがいいのはあいつらしいけど。
「ええ、まあ大凡のところではね。あ、そうだわ。鈴木さんもお忙しいでしょうけど、よかったら今度一緒にお仕事できたらいいですね。思いがけず優秀なメイクさんに出会えて嬉しいわ。また連絡させてください」
「はい、是非に。光栄です」
うむ。鈴木さんは確かに優秀だ。しかしこれは、いわゆる社交辞令というやつなのだろうか。それともこういう出会いというか、縁というのか、そういうので仕事っていうのは繋がっていくものなのだろうか。
わたしが社会人になったら……そんな目線で見てしまうが、そもそもわたしの将来どうなるんだろうなぁ。このまま女だったら、華名咲家の跡取り問題はどうなるんだろうか。祐太か?
物心ついてからずっと華名咲家の跡取りとしての教育を受けてきた。自分がこんな状況になったからって、特に家族からは何も言われてはいなんだけど、改めて考えてみるとこの先どうなるんだろうな。
恋愛問題同様、まったく自分の立場が分からない。
その後、撮影の続きを瀬名さんは暫く見ていたようだが、いつの間にかいなくなっていた。
帰りの道すがら、秋菜と話したらやはり本気でモデル業をやる気らしい。
「何か、一つくらい本気で打ち込めることを持つのって、今のわたしに必要なことだと思うんだ」
ということだ。
なるほど、秋菜の気持ちは何となく分かるし、秋菜にとってはいいことだろうな。大体秋菜は浮ついたところのない奴だし、やりたいと言うからにはいい加減な気持ちで言ってるわけじゃないんだろう。
その晩の食卓は、秋菜の今後のモデル業についての話題で持ち切りだった。
そして翌日、登校すると校門の前に、黒髪がとてもきれいな女生徒がもじもじしながら立っていた。遠目にも目立つその美少女は、誰かを待っているのだろうか、登校してくる生徒たちを見ながら、誰かを探すような素振りをしている。
校門が近づくに連れ、その美少女が学年でも有名な美少女の桐島瞳子さんであることが分かった。
これは……恐らく好きな人でも待っているのだろうな。表情や仕草にそんな雰囲気がありありと浮かんでいる。
恋する乙女しちゃって、かわいらしい。それがこんな美少女だと尚更だ。まるで物語か映画の中のワンシーンのように絵になっている。
桐島さんは、隣のクラスのアイドル的な存在で、黒髪のストレートヘアをボブにしているのだが、それが凄くまた似合っていてかわいい。
そんなことを考えながらついつい見とれて歩いていると、彼女とふと目が合った。一瞬キッときつい目で睨み返されたような気がしたが、恐らく気のせいだろう。ちょっと気まずく思っただけかもしれない。すぐに柔らかい表情になり、また視線を登校してくる生徒たちの群れへを戻してしまった。
気になって、玄関へと歩きながらもそのまま彼女を目で追いつつ歩いていたのだが、不意に表情を輝かせて彼女が駆け出した。
彼女が駆け出したその先に視線を走らせると、そこにはわたしのよく知る人物がいた。そして彼女が駆け寄ったのは案の定、その人、十一夜君であった。
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