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第一章 Boy Meets Girl

第19話 Bon Appetit

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 何だって? ディディエが俺のこと元々女だと思ってる? どういうことだ?
 前に会ったのは中学校一年の時だよな。三年前だ。あの時は、野郎どもがどいつもこいつも秋菜にご執心で、俺のことなんて誰も相手にしてくれなくて、軽く凹んでいたんだよな。そんな中で、ディディエの奴は日本のサブカルチャーに興味を持っていて、ポップスや漫画の話なんかをして盛り上がったんだ。秋菜はそっちには興味がそんなにあるわけじゃないから、ディディエは俺と話をすることが多かった。
 あれはバカンスの時期だったから海にも行ったよな。あれ、そう言えばあの時めっちゃ張り切って海に行ったのに、俺は車酔いしてビーチではずっとパラソルの下で休んでいたんだっけか。ということは海に入ってないし、服脱いでないんだな。ディディエのお父さん、運転が激しいんだもん。モナコの街をもの凄いスピードで走り抜けたな。
 う~ん、そんなことより俺、そんなに女っぽかったかなぁ。まぁ、特に成長が早い方というわけではなかったから、第二次性徴期に入るかどうかって頃だったかなぁ。確かに日本人は幼く見えると言うし、勘違いされる可能性が絶対ないとは言えないか。

「マジかよぉ。ディディエの奴、俺のこと女だと思ってるの? それ、お祖母ちゃんも秋菜も知ってたの?」

「みんな知ってるって。ていうか気づいてなかったんだ? 夏葉ちゃんったら」

「そうね。他の子たちはちゃんと夏葉ちゃんが男の子だって分かってたと思うんだけど、ディディエはちょっと個性的な子だから」

 えぇ~。そんなことってある? みんな気づいてて、当の本人だけが気づいてなかったって? そんなぁ~。しかし個性的ねぇ。言い方は優しいけど、要はディディエのやつはちょっと抜けてるってことじゃないのか。
 あの時を振り返ってみると、俺もそんなに自由にフランス語を使えるわけじゃないし、片言のフランス語とネットの動画を見ながら身振り手振りでディディエとやり取りしたんだよな。あの時は何だかみんなに相手されなくて寂しかったから、あいつが構ってくれるのが楽しくて、凄くいい奴だなという印象しかなかった。まあ言葉の通り、個性的な奴ってことなのかな。そういうことなら、今のところ別に問題ないのか。

「納得したかしら? さあ、折角のお茶が冷めてしまうわ。いただきましょう。Bon appetit」

「Bon appetit」
と秋菜もお祖母ちゃんに続く。

 何だか俺だけ置いてけぼりだ。よく考えたら、今の今まで気づいてなかった俺が一番間抜けだよね。
 ついさっきまでの幸福感はどこへやら。実質的に問題を回避することができたのだけれど、何だろね、この敗北感に塗れた感じは。別に何かと闘ってるわけじゃないのに、俺っていっつも敗北感を味わっているよね。
 さて、四の五の言っても始まらない。気持ちを切り替えて、美味しいお菓子とお茶を味わうとするか。最近、こういう気持ちの切り替え得意になってきたかもな。石の上にも三年、TS女子なら一ヶ月もやってりゃタフにもなるってものだぜ。それだけの荒行に匹敵するってもんだ。

「うん、美味し」

 幸せのセロトニンが俺を後押ししてくれてるぜ。頼もしいことだ。
 その後は温泉旅行中の話であったり、学校でのことであったりをお祖母ちゃんに報告しながら、ゴールデンウィーク最終日の和やかな時間が過ぎていった。

 翌日、数日振りの登校はいつも通り秋菜と一緒に。それぞれの靴箱の場所が違うので秋菜とは玄関で分かれる。
 クラスメイトと挨拶を交わしながら合流し、一緒に教室に入ると、既に友紀ちゃんと楓ちゃんが席に着いていた。

「おはよう、友紀ちゃん、楓ちゃん」

「おはよ~、夏葉ちゃ~ん」

 楓ちゃんがニコニコといつもの優しい表情で出迎えてくれる。友紀ちゃんの方は一見クールな外見なんだけど、見た目と性格のギャップが凄いんだよな。すぐセクハラまがいのことをしてくるもんだから、自然に俺は警戒を強めてしまう。

「おはよう、夏葉ちゃん。ねぇねぇ、何かまたきれいになってない? お肌が今までにも増して艶々してるんだけど。まま、まさか、女になった?」

 また。何言ってるんだよ。早速セクハラ発言か。文字通り男から女になったってんなら当たってるけど、それは春休み中のことだしな。

「家族で温泉旅行してきたんだ」

 友紀ちゃんのセクハラ発言はスルーしてそっけなく答える。

「温泉効果、凄い!」

「あ~、秋菜のお母さんとエステも行ったしね」

「エステ!」

 友紀ちゃんのリアクションがいちいちでかい。

「あれ、秋菜から何にも聞いてなかった? 一緒に映画行ったんでしょ? 今回叔母さんとエステの約束してたから、一緒に行けなくてごめんね」

「流石、華名咲家のご令嬢ね。セレブ感半端ないんだけど」

 楓ちゃんが話に加わってきた。

「あはは。否定できないけど、わたしはホントにそんなこと無いんだよ。秋菜と叔母さんは美容意識が高いんだけど、わたしはどっちかって言うと付き合わされてる感じ?」

 桜桃学園の生徒だったらまず間違いなくセレブな家の子たちだと思うんだけど、華名咲家はその中でも別格扱いされることが多いからな。恵まれているのはありがたいことだと思っているけど、俺はもっと普通に扱ってもらうのがいいんだよな。贅沢か。でも意外とうちは普通な感じなんだけどな。同級生たちの家は執事やメイドがいたり、運転手付きだったりって子は割りといるんだけど、うちはそういうの一切なし。だからセレブセレブと言われるけども、そんなに大きく一般家庭とかけ離れた生活をしているわけじゃないと思うんだよな。運転手がいるような家に比べると。尤もお祖父ちゃんは、毎日会社の運転手さんに送迎してもらってるけども。因みに車好きの叔父さんは自分で運転している。
 そうこうしているうちに、俺の前の座席の十一夜君が登校してきた。

「おはよう、十一夜君」

 声をかけると、ちらっとこっちを見て、
「おはよう、華名咲さん」
とだけ応じて、そそくさと鞄の中身を机の中に仕舞い、席に着いて机に上半身を伏せてしまった。朝からそんなに眠いのか。こいつは授業中はきちんと起きてまじめに授業も受けているんだが、休み時間とか放課後とか、ほとんど他人と絡んでるのを見ないな。部活をやってるわけでもないし、遊び歩いてる雰囲気でもないよな。人のことをああだこうだ言うのも良くないが、何が楽しいのかね、十一夜君は。まぁ、楽しくやらなきゃならないなんて法もないわけだけどな。
 見た目がイケてるから女子からの覚えが元々よかったんだが、ちょっと何を考えてるのか分からないこういう感じが、またミステリアスでいいとの評価を受けている。イケメンは何でも好評価に転ぶから得だよな。きっと本人はそんな自覚全く無しだろうけどもさ。そんなミステリアスで謎を秘めた男、十一夜君のことは扠置さておき、授業は通常通り、俺のノートもいつも通り好調。巧くまとめられると気持ちがいい。

 特に用事がなければ、帰りは秋菜と落ち合って一緒に帰るのだが、秋菜はクラスメイトとカラオケに寄って帰ることになったそうだ。そんなわけで今日は一人で下校か。玄関までクラスメイトの何人かと一緒に行き、自分の靴箱から靴を取り出して上履きから履き替えるのだが、外履きの中にどう見ても封筒が入っている。こ、これはまさか。データ通信全盛のこの時代にアナログな、且つアナクロな、手紙という如何にも前時代的な手法で敢えて訴えなければならないほどの熱情を込めたメッセージとは、まさか……。
——いやいや、待て待て。こういう場合早とちりは危険だ。後で赤っ恥をかかされるという可能性があるからな。そうなった場合の精神的ダメージを最小限に抑えるためには、決して早とちりしてはならない。決定はギリギリまで遅らせるのが器の大きさだと言うからな。冷静になるのだ、俺よ。何か一旦手紙から離れてみるのがいいな。
 そうそう、外履きと言えば、我が校では黒か茶のローファーと指定されている。ブランドなんかの細かいことには特に縛りはない。俺と秋菜が履いているローファーは、叔父さんがプレゼントしてくれたものだ。お祖父ちゃんとお祖母ちゃんの持ち物や家具類からしてもそうなんだけど、華名咲家はオーソドックスな定番品というのを重用する傾向にある気がする。そんな叔父さんがプレゼントしてくれた靴はG.H.Bassのウィージャンという靴で、叔父さん曰く、コインローファーと言われるスタイルの靴を最初に作ったメーカーなのだそうだ。見た感じ至ってシンプルなんだけど、それがなかなかどうして絶妙なフォルムを描き出していて、甲の縫い目は恐らく手縫いなのだろうか、独特の縫い目が織りなす皺すらも味わい深く、でも全体的に醸し出している雰囲気は品があってかわいくて、俺も一目見て気に入ってしまった。この靴と出会うまでは、ローファーって何となく芋臭いな、なんて思っていたのに。

 さあ、どうする。手紙。取り敢えずはクラスメイトたちとさようならの挨拶を交わしながら、のらりくらりと靴を履き替える時間を引き伸ばしてみる。クラスメイトがいなくなったのを用心深く確認し、鞄のフラップを開けて、素早く封筒を仕舞い込む。もう一度周囲を見回して警戒するが、問題はないようだ。俺は何事も無かったかのように鞄のフラップを閉じて金具をとめる。慎重な性格の俺は、もう一度周囲に警戒を張り巡らせる。やはり問題ない。
 さてこの手紙、いつ読んだもんか。心情的には今すぐにでも確認したいところだが、朝じゃなくて帰りに見つかるようにしているところを見ると、中庭で待ってます的な展開は今日のところはないと判断。引き返してトイレとかに篭って封を切るというのもありだけど、もう玄関まで来てるので、それはそれで面倒くさい。帰宅してゆっくり読むか、もしくは帰路の電車の中ででも読むか。その方が効率的だし安心して開けるな。
 俺ははやる気持ちとちょっとした高揚感を胸に秘め、駅へと向かった。何となく足取りが軽いんだが、決してラブのレターを期待して浮かれているわけじゃないと思いたい。思いたいが、実際浮かれているよな。
 まあ俺の場合、幼稚舎時代から初等部、中等部と、異性から告白される場面というのはそれなりにあったんだ、実は。その都度それなりの高揚感を感じないわけじゃあ勿論無かった。今みたいにね。だけども結局ちゃんと付き合ったと思えるような経験はこれまでのところ全然無し。俺がDTだってことは既知だろ。何か言ってて悲しくなってくるよな。こんちきしょうめ。
 あれ? 考えてみたら俺今女だよな。手紙の主ってどっちよ? 普通に考えると男? マジかよ、それはちょっと勘弁。俺、最近すっかり俺の中の女に飼いならされているっていう話も無くはないが、一応中身は今も男のつもりよ。体は売っても心は売らないわ。って、駄目だよ、JKが体売っちゃ。ダメダメ。
 逆に相手が女子だった場合は? うむ。正直俺としては当然ありだな。勿論相手によるが。ってあれ、この場合は俺が男に戻らない限りは百合的展開になっちゃうのか? なっちゃうな。
 女の子同士ってどうなんだろうな。普通にお洒落なお店で一緒に美味しいもの食べたり、遊園地に行ったり、映画行ったりとか? あぁ、iPodのイヤホンを片方ずつシェアして二人でおんなじ曲聴いたりとかやってみたいなぁ。いいねいいね。盛り上がってまいりました————。
 うむ。分かってるよ。これって別に友達や秋菜と普通にやってることじゃん。
 やはり俺が女子の体になってしまっているという点がどう考えても俺の恋愛の足枷になるのは間違いないようだ。軽くテンション下がってきてちょうどいい具合に落ち着いたかもな。虚しいけど。
 電車は意外に都合よくいていた。勿論座席に腰掛けることもできた。俺は取り敢えず気を落ち着かせて、周囲の乗客の様子を伺い、夫々それぞれが本を読んだりゲームをしたり、眠ったりしているのを確認した上で、徐ろに鞄の中にそっと仕舞ってあった例のブツを取り出した。封筒は無印良品かなという雰囲気のシンプルなもので、しっかり糊付けしてあって端を切らないと開封できない。このかわいげの無さから判断するに、差出人はやはり野郎か。
 軽く爪を立てながら、封筒の端っこからビリビリ破いて封を切っていく。
 入っていた便箋はたった一枚。何だか背後の窓から誰かが覗き見しているような気がして振り返る。当然走行中の車窓から覗く者などいやしないのだが、そのことを確認してから便箋を取り出し広げる。自然と鼓動が高まっているのが分かる。
——男女キモい。死ね——
 ひと言、そう書かれていた。
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