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第一章 Boy Meets Girl
第1話 A Change Is Gonna Come
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蛇口を閉めると、一瞬の静寂に続いてシャワーノズルから滴る残り水の音と、外のスズメたちのさえずり声が漏れ聞こえてきた。風呂場から洗面所に出て体を拭きながら、鏡に写った自分をまじまじと観察して短い溜息をひとつ。
最近少し太ったように思えて、毎朝一時間程度のジョギングをするようになってそろそろ三週間だ。今日も今しがた日課のジョグを終えてシャワーで汗を洗い流したところだが、未だに思うような成果を得られていない気がする。
体重計にも乗ってみるが、特別体重が増えたというわけでもない。なのに改めて鏡の中の自分を観察してみると、胸部に贅肉が付いているような気がして、両手で摘んでみた。
「痛ってぇ」
思わず声が出てしまう。
予想外の痛みに炎症でも起こして腫れているのだろうかと若干不安が過るが、特に赤くなっているというわけでもなく、わざわざ摘んでみたりなどしなければ日常生活を送る上で全く支障を感じることはない。触った感じも紛れもない脂肪のぽちゃぽちゃした感触だ。もちろんしこりなんてない。
「……なんだかなぁ」
なんかこれじゃぁおっぱいみたいじゃないか。他の奴らにこんなの見られたらと思ったらゾッとする。
やれブラしろとか揉ませろとか誂われること間違いなしだ。
いろいろと想像して思わず苦い顔になってしまうが、すぐに気を取り直して服を着て髪を乾かした。
どうせ今日これから、三年間通った中学校の卒業式だ。
父親の海外赴任に付きあわされる形でこの春休み中に家族で引っ越しが決まっている。友達とのお別れ会は早々に終わらせたので、同中のやつらには取り敢えずもう会うこともないだろう。
確かにおっぱいがちょっと太った気はするけど、腹筋は割れていたじゃないか。もっと走り込みをすれば問題ない。……引っ越した先でのことについては、今は考えるまい。
卒業式は恙なくサクッと終了。
何しろうちの学校、幼稚舎からの持ち上がりで、ほとんどの奴らはそのまま高等部にエスカレーター式に上がるだけだ。ほんのごく一部、外の高校に進学する者がいるだけだから、大方の生徒にとってはさしたる感慨もなく式は終わってしまう。俺自身はちっちゃな頃から通ってたこの学校や仲間たちとお別れしてしまうことに、それなりの寂寥感は感じているのだが、これでもなるべく後ろを振り返らないように頑張っているのだ。悲しい別れとかちょっと苦手だもん。
そういうわけだから俺、華名咲夏葉はクールに去るぜってやつだ。彼女がいたわけでもないしね。
……寂しくなんか無いやい。
そんなわけで、帰宅後はいよいよ本格的に引っ越しの荷造りだ。それで気合を入れて取り組む気満々だったはずなのだが、どうにも体が怠くて遅々として作業が捗らない。
もしやと思い立って体温を計ろうかと、リビングに行く。
「母さ~ん、体温計ある?」
「えっ、どうしたのよ。熱っぽいの?」
「うん、なんか妙に怠くてさ。もしかしたら熱出たかも」
「やだぁ、あなたちょっとこっち来なさいよ」
呼ばれてキッチンに立っている母親の元へと些か重たい足を運ぶ。エプロンで拭った母の左手がひんやりと俺の前髪を持ち上げてそのまま額を合わせてきた。
「うん、熱あるわね。片付けは今日はもういいから部屋行って寝てなさい。すぐ体温計持ってってあげるから」
「面目ない」
「馬鹿。いいからちゃんと暖かくしてなさいね」
「ほい」
弱々しく返事をして自室へ撤退だ。
のらりくらりとパジャマに着替えてベッドに潜り込む。いよいよボーっとしてきたので熱が上がってきた模様だ。
暑いなぁ、と感じて右半身が外に出るように掛け布団をどかす。空気がひんやりとして気持ちいいなと思ったところで扉が開かれ母が入ってきた。
「ちょっとぉ~。暖かくしてなさいって言ったじゃないの。またそんなに体出して。悪くなっても知らないわよ」
「いや、それは困るんだけど」
「まったく、馬鹿なんだから」
呆れている様子の母は、放り出している俺の脚をぺちっと叩いてから、布団をかけ直してくれる。体温計も渡されたので脇に挟んでおく。
「あっちぃなぁ」
「我慢なさい」
間髪を入れずにピシャリと言い渡され、氷嚢をガシャリとおでこに乗っけられた。気持ちがいい。
「はいこれ、OS-2ね。トレイの上に置いておくから飲みなさいね」
脇を見やると、寝ていても飲みやすいように吸口に入れられた飲み物が置かれていた。ありがたい。
ありがたついでにふざけて「あ~ん」と声を上げながら、口をあんぐりと開けて催促してみると、流石に呆れた様子でペットボトルの方から直で喉に流し込まれた。思わず咽てしまい、顔と枕をびしょ濡れにしてしまった。お巫山戯が過ぎたようだ。
やれやれ。渡されたタオルで顔やら枕やらを拭いていると、ピピピッと体温計が鳴った。
「三十八度六分だ。結構あるよ」
「あら結構高いわねぇ。明日病院行かなくちゃね」
「おとなしく寝てりゃそのうち下がるだろ。大丈夫だよ」
「だったらちゃんとおとなしく寝てるのよ。ネットとかゲームとかしたらダメだからね」
「分かってるよ。そんな気力無いっつうの」
なんていう具合の親子のやり取りの後、母は後でお粥持ってくると言い残し部屋を出て行った。俺はその後急に眠くなっていつの間にか寝てしまった。
目を覚ますのは、その後再び母が部屋に来た時だった。いつの間にか体温計を仕込まれていたようで、電子体温計のアラーム音で意識を引き戻された。
ベッドの横には母が座っていて、「熱また上がってる」と小さく呟いた。
「今何時?」
「あら目が覚めた? 今大体夜の八時位よ。お粥食べられそう?」
「うん、食欲は普通にある」
「ホントに? じゃあ元気だね」
「全然元気じゃないし」
あれ、今俺の声なんか変じゃなかったか? 喉やられるタイプの風邪かな、これは。
「やだ、カー君かわいい声出しちゃって」
あれ、やっぱりか。声変だったんだ。おかしいな。
「ん? あー、あー。あれ、声おかしいぞ?」
「きゃー、何ちょっと。声かわいいんだけど? 顔も心なしかちっちゃくなった気がするけど、やつれたのかしら?」
「知らねーよ、ってあれ? ホント声おかしいな」
「もしかして無理して声出さない方がいいんじゃない? お母さん的にはそのちっちゃい頃みたいでかわいい声を聴いていたいけど」
母の提案にこくこく頷いて、ひとまず黙っていることにした。その後おとなしくお粥を食べてまた昏々と眠った。
次に目を覚ましたときには、明けて午前十時を疾うに回っていた。
吸口から水分補給して喉を潤してから、「あー、あー」と発声テストをしてみるが、声はまだ治っていないようでがっかりした。
それにしても大分寝汗をかいたようだ。ベトベトしてちょっと気持ち悪い。
もう一度水分補給してから体温を計ってみたが、まだ熱は下がっていなかった。大抵朝になれば一旦下がるものなのだけど、今回はどうやらいつもとは勝手が違う。
そうこうしていると、母が部屋にやってきた。
「起きたのね。具合はどう?」
俺は黙って体温計を差し出した。
「下がらないわねぇ。昨夜は汗かいた?」
母の質問に首肯で答えると、近づいてきて掌を俺の額に当てて「ホントまだ熱いわね。普通汗かいたら熱は下がるものなんだけども」と言いながらタオルを熱いお湯で濡らして固く絞っている。
「上半身起こせるかしら?」と尋ねられ、上体を起こすと頭が割れるようにガンガン痛んだ。
タオルを受け取って顔を拭くと、気化熱で顔の熱がスーッと奪われて気持ちがいい。
「体拭いてあげるからボタン外しなさい」
素直に言うことを聞いてパジャマの前ボタンを外していった。上からひとつ目、ふたつ目を外した辺りで何か違和感を感じたが、猛烈な頭痛でとてもそれどころではない。
母が背後に回って背中を拭き始めたタイミングで、じっとり汗ばんだTシャツを脱ぎ捨てる。俯いて気持よく背中を拭いてもらっていると、目に入った自分の胸に再び驚愕することとなった。気のせいかとも思い、改めてまじまじと見据えてみたが、間違いない。
おっぱいまた大きくなってる! 今日たった一日ジョギングサボっただけでそんなに太ったのか? まさかな。動揺のあまりまた性懲りもなく胸の贅肉を摘んでしまった。
「痛ってぇ」
性懲りもなく痛みに声を上げてしまう。それも本来の声と違った高くてか細い声を。
「え、なんか痛かった? ごめん」
と母。
「違う違う。こっちの話」
「やだ、びっくりするじゃない。でもやっぱり声がかわいいわぁ……」
「……ん?」
無言のまま変な間が空いたので、思わず何かあったかと疑問の声が出てしまった。
「ごめんごめん。カー君の柳腰があまりにセクシーだったもんだから、思わず息を呑んでしまったわ」
「何だよ、それ。キモ」
「うるっさいわねぇ。ほら、脇も拭くから腕上げなさい」
少しこそばゆいと思っていると、脇の下を拭く母のタオルの動きがふと止まった。かと思うと次の瞬間、母の両手が背後から俺のおっぱいを掴んだ。
「!」
掴んだって言っても、俺が何度か声を上げてしまったような痛いやつじゃなく、あくまで優しくだ。優しくだが、しっかり両手で掴まれてしまった。
「な、何これ?」
「あー、バレちった? なんかさぁ、最近太ったみたいなんだよ。てか頭いてぇ」
「はぁ? 太ったぁ? この柳腰で?」
と言いながら、どうやらまた俺の腰を眺めているようだ。そして俺のおっぱいをわしゃわしゃと揉む。ソフトタッチでな。
「この感触で? いやいやいやいや、これは贅肉じゃないでしょう、どう考えても!」
引き続き、ソフトタッチでお送りしています。
「ちょ、くすぐったいって。やめぃ」
ようやく揉み終わったかと思えば、今度は俺の正面に回って膝の上に跨ってきて、まじまじと俺のおっぱいを凝視している。
さすがに照れくさくなって、俺は腕を組んで胸のあたりを隠してみたのだが、組んだ腕はピシャリと母に叩き落とされて、あっさりとガードを下げられてしまった。そしてまたじっくり見られるのだった。
やだなにこの羞恥プレイ。
「カー君……」
「な、何だよ……」
「これは、贅肉なんかじゃないわよ……」
「えぇ? じゃぁ、筋肉だっつうの?」
「……おっぱい」
「おっぱい?」
「そう、おっぱい……」
「……おっぱいかぁ~」
まぁそうかなと薄々勘づいてはいたものの敢えて頭の中から追いやるようにしていた。しかし改めてそうはっきりと断言されてしまうと、思いの外ショックが大きかった。心なしか頭痛も酷くなった気がする。
俺は頭を抱えて布団の中に潜り込むと、海老を茹でたみたいに丸まった。
「お母さん、俺、どうしよう……?」
「そうねぇ……、どうしたらいいかしら……。取り敢えず、これからカー君のことは夏葉ちゃんって呼んだ方がいいかしらね」
「この状況で、そこぉ?!」
あぁ、やべぇ。頭ガンガンする。もの凄く不安に駆られて、男としての最後の砦を確かめるべくそっと股間に手をやってみた。……あった。無事だった。
ん? いや、ちっちゃくなってないか、これ?
いやいやいやいや、俺のって元々ちっちゃいじゃん。大丈夫だろ、これ。ここで見栄を張る必要全然ないし。セーフセーフ、ギリセーフ。ひゅぅ……って、何がギリなんだよ。
これは夢だろ? 悪い夢を見ているに違いないんだよ、多分な。
ちょっと強引だが自分で自分を納得させて少しは安心したのか、いや、してないけども、俺はまたそのまま深い眠りに落ちていった。
結局熱が引くためにはそれからあと二日、合計四日を要したのだった。
で、晴れて熱が下がったわけなんだが……。
いや、それまでにも何度かトイレには行ってたんでね。行く度になんかちっちゃくなってる気がしたもんですからね。これはもしや……? と思ってはいたんですよね、ええ。それでお気づきの向きもあるかとは思いますが、俺の男の砦が、健闘虚しく陥落。
つまりぶっちゃけますけど、俺、女の子になっちゃいました(泣)。
————————————————————
学園ラブコメも書いてます。
よかったらそちらもどうぞ。
『バンドマンと学園クイーンはいつまでもジレジレしてないでサッサとくっつけばいいと思うよ』
https://www.alphapolis.co.jp/novel/294650616/47631568
最近少し太ったように思えて、毎朝一時間程度のジョギングをするようになってそろそろ三週間だ。今日も今しがた日課のジョグを終えてシャワーで汗を洗い流したところだが、未だに思うような成果を得られていない気がする。
体重計にも乗ってみるが、特別体重が増えたというわけでもない。なのに改めて鏡の中の自分を観察してみると、胸部に贅肉が付いているような気がして、両手で摘んでみた。
「痛ってぇ」
思わず声が出てしまう。
予想外の痛みに炎症でも起こして腫れているのだろうかと若干不安が過るが、特に赤くなっているというわけでもなく、わざわざ摘んでみたりなどしなければ日常生活を送る上で全く支障を感じることはない。触った感じも紛れもない脂肪のぽちゃぽちゃした感触だ。もちろんしこりなんてない。
「……なんだかなぁ」
なんかこれじゃぁおっぱいみたいじゃないか。他の奴らにこんなの見られたらと思ったらゾッとする。
やれブラしろとか揉ませろとか誂われること間違いなしだ。
いろいろと想像して思わず苦い顔になってしまうが、すぐに気を取り直して服を着て髪を乾かした。
どうせ今日これから、三年間通った中学校の卒業式だ。
父親の海外赴任に付きあわされる形でこの春休み中に家族で引っ越しが決まっている。友達とのお別れ会は早々に終わらせたので、同中のやつらには取り敢えずもう会うこともないだろう。
確かにおっぱいがちょっと太った気はするけど、腹筋は割れていたじゃないか。もっと走り込みをすれば問題ない。……引っ越した先でのことについては、今は考えるまい。
卒業式は恙なくサクッと終了。
何しろうちの学校、幼稚舎からの持ち上がりで、ほとんどの奴らはそのまま高等部にエスカレーター式に上がるだけだ。ほんのごく一部、外の高校に進学する者がいるだけだから、大方の生徒にとってはさしたる感慨もなく式は終わってしまう。俺自身はちっちゃな頃から通ってたこの学校や仲間たちとお別れしてしまうことに、それなりの寂寥感は感じているのだが、これでもなるべく後ろを振り返らないように頑張っているのだ。悲しい別れとかちょっと苦手だもん。
そういうわけだから俺、華名咲夏葉はクールに去るぜってやつだ。彼女がいたわけでもないしね。
……寂しくなんか無いやい。
そんなわけで、帰宅後はいよいよ本格的に引っ越しの荷造りだ。それで気合を入れて取り組む気満々だったはずなのだが、どうにも体が怠くて遅々として作業が捗らない。
もしやと思い立って体温を計ろうかと、リビングに行く。
「母さ~ん、体温計ある?」
「えっ、どうしたのよ。熱っぽいの?」
「うん、なんか妙に怠くてさ。もしかしたら熱出たかも」
「やだぁ、あなたちょっとこっち来なさいよ」
呼ばれてキッチンに立っている母親の元へと些か重たい足を運ぶ。エプロンで拭った母の左手がひんやりと俺の前髪を持ち上げてそのまま額を合わせてきた。
「うん、熱あるわね。片付けは今日はもういいから部屋行って寝てなさい。すぐ体温計持ってってあげるから」
「面目ない」
「馬鹿。いいからちゃんと暖かくしてなさいね」
「ほい」
弱々しく返事をして自室へ撤退だ。
のらりくらりとパジャマに着替えてベッドに潜り込む。いよいよボーっとしてきたので熱が上がってきた模様だ。
暑いなぁ、と感じて右半身が外に出るように掛け布団をどかす。空気がひんやりとして気持ちいいなと思ったところで扉が開かれ母が入ってきた。
「ちょっとぉ~。暖かくしてなさいって言ったじゃないの。またそんなに体出して。悪くなっても知らないわよ」
「いや、それは困るんだけど」
「まったく、馬鹿なんだから」
呆れている様子の母は、放り出している俺の脚をぺちっと叩いてから、布団をかけ直してくれる。体温計も渡されたので脇に挟んでおく。
「あっちぃなぁ」
「我慢なさい」
間髪を入れずにピシャリと言い渡され、氷嚢をガシャリとおでこに乗っけられた。気持ちがいい。
「はいこれ、OS-2ね。トレイの上に置いておくから飲みなさいね」
脇を見やると、寝ていても飲みやすいように吸口に入れられた飲み物が置かれていた。ありがたい。
ありがたついでにふざけて「あ~ん」と声を上げながら、口をあんぐりと開けて催促してみると、流石に呆れた様子でペットボトルの方から直で喉に流し込まれた。思わず咽てしまい、顔と枕をびしょ濡れにしてしまった。お巫山戯が過ぎたようだ。
やれやれ。渡されたタオルで顔やら枕やらを拭いていると、ピピピッと体温計が鳴った。
「三十八度六分だ。結構あるよ」
「あら結構高いわねぇ。明日病院行かなくちゃね」
「おとなしく寝てりゃそのうち下がるだろ。大丈夫だよ」
「だったらちゃんとおとなしく寝てるのよ。ネットとかゲームとかしたらダメだからね」
「分かってるよ。そんな気力無いっつうの」
なんていう具合の親子のやり取りの後、母は後でお粥持ってくると言い残し部屋を出て行った。俺はその後急に眠くなっていつの間にか寝てしまった。
目を覚ますのは、その後再び母が部屋に来た時だった。いつの間にか体温計を仕込まれていたようで、電子体温計のアラーム音で意識を引き戻された。
ベッドの横には母が座っていて、「熱また上がってる」と小さく呟いた。
「今何時?」
「あら目が覚めた? 今大体夜の八時位よ。お粥食べられそう?」
「うん、食欲は普通にある」
「ホントに? じゃあ元気だね」
「全然元気じゃないし」
あれ、今俺の声なんか変じゃなかったか? 喉やられるタイプの風邪かな、これは。
「やだ、カー君かわいい声出しちゃって」
あれ、やっぱりか。声変だったんだ。おかしいな。
「ん? あー、あー。あれ、声おかしいぞ?」
「きゃー、何ちょっと。声かわいいんだけど? 顔も心なしかちっちゃくなった気がするけど、やつれたのかしら?」
「知らねーよ、ってあれ? ホント声おかしいな」
「もしかして無理して声出さない方がいいんじゃない? お母さん的にはそのちっちゃい頃みたいでかわいい声を聴いていたいけど」
母の提案にこくこく頷いて、ひとまず黙っていることにした。その後おとなしくお粥を食べてまた昏々と眠った。
次に目を覚ましたときには、明けて午前十時を疾うに回っていた。
吸口から水分補給して喉を潤してから、「あー、あー」と発声テストをしてみるが、声はまだ治っていないようでがっかりした。
それにしても大分寝汗をかいたようだ。ベトベトしてちょっと気持ち悪い。
もう一度水分補給してから体温を計ってみたが、まだ熱は下がっていなかった。大抵朝になれば一旦下がるものなのだけど、今回はどうやらいつもとは勝手が違う。
そうこうしていると、母が部屋にやってきた。
「起きたのね。具合はどう?」
俺は黙って体温計を差し出した。
「下がらないわねぇ。昨夜は汗かいた?」
母の質問に首肯で答えると、近づいてきて掌を俺の額に当てて「ホントまだ熱いわね。普通汗かいたら熱は下がるものなんだけども」と言いながらタオルを熱いお湯で濡らして固く絞っている。
「上半身起こせるかしら?」と尋ねられ、上体を起こすと頭が割れるようにガンガン痛んだ。
タオルを受け取って顔を拭くと、気化熱で顔の熱がスーッと奪われて気持ちがいい。
「体拭いてあげるからボタン外しなさい」
素直に言うことを聞いてパジャマの前ボタンを外していった。上からひとつ目、ふたつ目を外した辺りで何か違和感を感じたが、猛烈な頭痛でとてもそれどころではない。
母が背後に回って背中を拭き始めたタイミングで、じっとり汗ばんだTシャツを脱ぎ捨てる。俯いて気持よく背中を拭いてもらっていると、目に入った自分の胸に再び驚愕することとなった。気のせいかとも思い、改めてまじまじと見据えてみたが、間違いない。
おっぱいまた大きくなってる! 今日たった一日ジョギングサボっただけでそんなに太ったのか? まさかな。動揺のあまりまた性懲りもなく胸の贅肉を摘んでしまった。
「痛ってぇ」
性懲りもなく痛みに声を上げてしまう。それも本来の声と違った高くてか細い声を。
「え、なんか痛かった? ごめん」
と母。
「違う違う。こっちの話」
「やだ、びっくりするじゃない。でもやっぱり声がかわいいわぁ……」
「……ん?」
無言のまま変な間が空いたので、思わず何かあったかと疑問の声が出てしまった。
「ごめんごめん。カー君の柳腰があまりにセクシーだったもんだから、思わず息を呑んでしまったわ」
「何だよ、それ。キモ」
「うるっさいわねぇ。ほら、脇も拭くから腕上げなさい」
少しこそばゆいと思っていると、脇の下を拭く母のタオルの動きがふと止まった。かと思うと次の瞬間、母の両手が背後から俺のおっぱいを掴んだ。
「!」
掴んだって言っても、俺が何度か声を上げてしまったような痛いやつじゃなく、あくまで優しくだ。優しくだが、しっかり両手で掴まれてしまった。
「な、何これ?」
「あー、バレちった? なんかさぁ、最近太ったみたいなんだよ。てか頭いてぇ」
「はぁ? 太ったぁ? この柳腰で?」
と言いながら、どうやらまた俺の腰を眺めているようだ。そして俺のおっぱいをわしゃわしゃと揉む。ソフトタッチでな。
「この感触で? いやいやいやいや、これは贅肉じゃないでしょう、どう考えても!」
引き続き、ソフトタッチでお送りしています。
「ちょ、くすぐったいって。やめぃ」
ようやく揉み終わったかと思えば、今度は俺の正面に回って膝の上に跨ってきて、まじまじと俺のおっぱいを凝視している。
さすがに照れくさくなって、俺は腕を組んで胸のあたりを隠してみたのだが、組んだ腕はピシャリと母に叩き落とされて、あっさりとガードを下げられてしまった。そしてまたじっくり見られるのだった。
やだなにこの羞恥プレイ。
「カー君……」
「な、何だよ……」
「これは、贅肉なんかじゃないわよ……」
「えぇ? じゃぁ、筋肉だっつうの?」
「……おっぱい」
「おっぱい?」
「そう、おっぱい……」
「……おっぱいかぁ~」
まぁそうかなと薄々勘づいてはいたものの敢えて頭の中から追いやるようにしていた。しかし改めてそうはっきりと断言されてしまうと、思いの外ショックが大きかった。心なしか頭痛も酷くなった気がする。
俺は頭を抱えて布団の中に潜り込むと、海老を茹でたみたいに丸まった。
「お母さん、俺、どうしよう……?」
「そうねぇ……、どうしたらいいかしら……。取り敢えず、これからカー君のことは夏葉ちゃんって呼んだ方がいいかしらね」
「この状況で、そこぉ?!」
あぁ、やべぇ。頭ガンガンする。もの凄く不安に駆られて、男としての最後の砦を確かめるべくそっと股間に手をやってみた。……あった。無事だった。
ん? いや、ちっちゃくなってないか、これ?
いやいやいやいや、俺のって元々ちっちゃいじゃん。大丈夫だろ、これ。ここで見栄を張る必要全然ないし。セーフセーフ、ギリセーフ。ひゅぅ……って、何がギリなんだよ。
これは夢だろ? 悪い夢を見ているに違いないんだよ、多分な。
ちょっと強引だが自分で自分を納得させて少しは安心したのか、いや、してないけども、俺はまたそのまま深い眠りに落ちていった。
結局熱が引くためにはそれからあと二日、合計四日を要したのだった。
で、晴れて熱が下がったわけなんだが……。
いや、それまでにも何度かトイレには行ってたんでね。行く度になんかちっちゃくなってる気がしたもんですからね。これはもしや……? と思ってはいたんですよね、ええ。それでお気づきの向きもあるかとは思いますが、俺の男の砦が、健闘虚しく陥落。
つまりぶっちゃけますけど、俺、女の子になっちゃいました(泣)。
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学園ラブコメも書いてます。
よかったらそちらもどうぞ。
『バンドマンと学園クイーンはいつまでもジレジレしてないでサッサとくっつけばいいと思うよ』
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