1 / 58
真田栞とアイリーン
しおりを挟む
ソレは思い出した、なんてものではなく最初から私の中にあった。目が覚めたら見知らぬ天井であったこともない女性が私を抱えていた。
「アイリーン、私の愛しい子」
聞き覚えのない名を何度も囁かれながら自由の聞かない身体に違和感を覚える。
アイリーンとは誰だろう。私の名前は真田栞だったはずだ。それに部屋の様子がいつもと違う、私がいつも起きたら目にする光景は決まって無機質な白い空間だったのに。割れ物を扱うみたいに私を抱える女性は何度もまだ座ってない首を動かして周囲を観察しようと奮闘する私に微笑んだ。
「随分おてんばなのね、将来が楽しみだわ」
彼女の腕の中は温かくこれ程穏やかな気持ちを私は知らなかった。
前世の私は真田栞という17歳になる少女だった。
余生のほとんどを病院のベッドで過ごし、外出することもなく静かにその一生を遂げたはずだ。幼い頃から病気しがちな私を疎ましく思いながらも世間体を気にして励ます振りをしていた母、自分の開業した病院の個室を私に与えたきり滅多なことがない限り顔を出さなかった父、孤独といえばそうだが元来人と接するのを嫌っていた私にはお似合いの家族だったのかもしれない。
最期に私が見たのはこれでようやく解放されると安堵していた母の顔とそこに何の感情も抱いていなかった父の目と、私の手を力強く握り何度も名前を呼んで泣きじゃくっていた郁の姿だった。
─────じゃあ約束ね、栞。
病院しか知らない私に出来た最初で最後の友達、八代郁。活発で無邪気な彼女はいつも夢みたいなことばかり楽しげな顔で話していた.......はずだ。どうしてか記憶にある郁の顔だけが黒い霧に包まれた様に見えないのだ。彼女の笑顔だけが私にとってささえだったのに、もどかしい気持ちだけが渦を巻いて大切なものを失ってしまったと嘆いた。
「アイリーンどうして泣いているの?」
私が少しでも声をあげれば心配そうに顔を除き込む女性。黒い艶やかな髪を後ろで結った優しそうな彼女が、生まれ変わった私の母親なのだろう。赤ん坊の私は止めることの出来ない涙を流しながら彼女に手を伸ばした。
女性は私を抱きかかえ背中をさすりながら大丈夫だと言い聞かせた。
母親とは傍にいてこうも安心する生き物なのか、私の知っている母親はいつも煩わしそうな顔で着替えや見舞いの品を持ってくるだけだった。
「アイリーン」
馴染みのなかったはずの名前も彼女が呼ぶ度に最初からそうだった様な気がしてくる。アイリーン、今はそれが私の名前だ。
母親の名前はクラリスというらしい、彼女が訪れた客人にそう呼ばれているのを聞いた。クラリスは毎日ほとんどの時間を私と共に過ごしている、私が赤ちゃんだから仕方ないかもしれないが合間を縫ってベッドで眠る私を起こさないよう内職に勤しんでいる彼女を見ると申し訳なさが湧き上がってくる。
私にはどうやら父親がいないらしい。私が産まれる前に亡くなったのか大人の事情というやつなのかは分からない。最初はただ家を空けて出稼ぎにでも行っているのかと思っていたがクラリスの口から一度たりとも父親らしいワードが出てこなかったので、私が勝手に死んだものとして扱っているのだ。
クラリスはいつもまだ歩くことすら出来ない私にお話を聞かせてくれる。それは童話だったり街のことだったり様々だ。彼女の話に耳を傾けると、いつも郁の話を聞いてはツッコミを入れていた前世が思い出された。
「アイリーン、貴方まるでもう私の言っている言葉が分かるみたいね」
クラリスの話ぶりからここは日本ではないだろうと検討をつけているが、言語は慣れ親しんだ母国語そのものなのが気にかかる。家の内装は海外のものなだけ余計に違和感がある。
「貴方はきっと賢い子に育つわ」
期待に胸を膨らませるクラリス。そう言われたら答えるしかないな、私はまだ喋れもしない声を出して「任せろ」と彼女に返した。
どうやらクラリスと私の生活は他に比べてかなり貧しい方らしい。父親がいないのも原因の一つだろうがクラリスは不満そうな顔ひとつせず今日も私を抱きしめる。
まだ赤ん坊の私に出来ることといえばクラリスが内職中大人しくしていることぐらいだ。家は貧乏だけど私はあまり風邪をひかない、クラリスが気を使ってくれているから。
前世では生まれ持った病気体質に悩まされろくに外出も出来なかったから歩けるようになったらやってみたいことが沢山ある。
先ず私の目標は元気に育つことだ、健康が一番。身を持って体験しているからこそこの身体がどれだけありがたいものか分かる。
「ねぇ栞、生まれ変わりとかってあると思う?」
そういえば前世で郁がおかしなこと言ってたな。
「輪廻転生ってやつか。いきなり宗教じみたこと言い出してどうしたんだよ?」
「そういう固い話じゃなくて! 栞は生まれ変わったら何になりたい?」
「梟」
「またピンポンだね.......鳥とかじゃなくて?」
「今ハリー〇ッター読んでたから何となく」
「適当すぎ。私はね~」
彼女は何て言ってたんだっけ、そして私は彼女と何を約束したんだ。
生まれ変わったこの姿でなら郁と行けなかった場所にも行けるのに。真田栞だった私がまだよく知らない世界でアイリーンとして生きている、郁が知ったらどれだけ驚くだろう。
見えなくなったあの子の笑顔だけが真田栞にとって宝だった。
「アイリーン、私の愛しい子」
聞き覚えのない名を何度も囁かれながら自由の聞かない身体に違和感を覚える。
アイリーンとは誰だろう。私の名前は真田栞だったはずだ。それに部屋の様子がいつもと違う、私がいつも起きたら目にする光景は決まって無機質な白い空間だったのに。割れ物を扱うみたいに私を抱える女性は何度もまだ座ってない首を動かして周囲を観察しようと奮闘する私に微笑んだ。
「随分おてんばなのね、将来が楽しみだわ」
彼女の腕の中は温かくこれ程穏やかな気持ちを私は知らなかった。
前世の私は真田栞という17歳になる少女だった。
余生のほとんどを病院のベッドで過ごし、外出することもなく静かにその一生を遂げたはずだ。幼い頃から病気しがちな私を疎ましく思いながらも世間体を気にして励ます振りをしていた母、自分の開業した病院の個室を私に与えたきり滅多なことがない限り顔を出さなかった父、孤独といえばそうだが元来人と接するのを嫌っていた私にはお似合いの家族だったのかもしれない。
最期に私が見たのはこれでようやく解放されると安堵していた母の顔とそこに何の感情も抱いていなかった父の目と、私の手を力強く握り何度も名前を呼んで泣きじゃくっていた郁の姿だった。
─────じゃあ約束ね、栞。
病院しか知らない私に出来た最初で最後の友達、八代郁。活発で無邪気な彼女はいつも夢みたいなことばかり楽しげな顔で話していた.......はずだ。どうしてか記憶にある郁の顔だけが黒い霧に包まれた様に見えないのだ。彼女の笑顔だけが私にとってささえだったのに、もどかしい気持ちだけが渦を巻いて大切なものを失ってしまったと嘆いた。
「アイリーンどうして泣いているの?」
私が少しでも声をあげれば心配そうに顔を除き込む女性。黒い艶やかな髪を後ろで結った優しそうな彼女が、生まれ変わった私の母親なのだろう。赤ん坊の私は止めることの出来ない涙を流しながら彼女に手を伸ばした。
女性は私を抱きかかえ背中をさすりながら大丈夫だと言い聞かせた。
母親とは傍にいてこうも安心する生き物なのか、私の知っている母親はいつも煩わしそうな顔で着替えや見舞いの品を持ってくるだけだった。
「アイリーン」
馴染みのなかったはずの名前も彼女が呼ぶ度に最初からそうだった様な気がしてくる。アイリーン、今はそれが私の名前だ。
母親の名前はクラリスというらしい、彼女が訪れた客人にそう呼ばれているのを聞いた。クラリスは毎日ほとんどの時間を私と共に過ごしている、私が赤ちゃんだから仕方ないかもしれないが合間を縫ってベッドで眠る私を起こさないよう内職に勤しんでいる彼女を見ると申し訳なさが湧き上がってくる。
私にはどうやら父親がいないらしい。私が産まれる前に亡くなったのか大人の事情というやつなのかは分からない。最初はただ家を空けて出稼ぎにでも行っているのかと思っていたがクラリスの口から一度たりとも父親らしいワードが出てこなかったので、私が勝手に死んだものとして扱っているのだ。
クラリスはいつもまだ歩くことすら出来ない私にお話を聞かせてくれる。それは童話だったり街のことだったり様々だ。彼女の話に耳を傾けると、いつも郁の話を聞いてはツッコミを入れていた前世が思い出された。
「アイリーン、貴方まるでもう私の言っている言葉が分かるみたいね」
クラリスの話ぶりからここは日本ではないだろうと検討をつけているが、言語は慣れ親しんだ母国語そのものなのが気にかかる。家の内装は海外のものなだけ余計に違和感がある。
「貴方はきっと賢い子に育つわ」
期待に胸を膨らませるクラリス。そう言われたら答えるしかないな、私はまだ喋れもしない声を出して「任せろ」と彼女に返した。
どうやらクラリスと私の生活は他に比べてかなり貧しい方らしい。父親がいないのも原因の一つだろうがクラリスは不満そうな顔ひとつせず今日も私を抱きしめる。
まだ赤ん坊の私に出来ることといえばクラリスが内職中大人しくしていることぐらいだ。家は貧乏だけど私はあまり風邪をひかない、クラリスが気を使ってくれているから。
前世では生まれ持った病気体質に悩まされろくに外出も出来なかったから歩けるようになったらやってみたいことが沢山ある。
先ず私の目標は元気に育つことだ、健康が一番。身を持って体験しているからこそこの身体がどれだけありがたいものか分かる。
「ねぇ栞、生まれ変わりとかってあると思う?」
そういえば前世で郁がおかしなこと言ってたな。
「輪廻転生ってやつか。いきなり宗教じみたこと言い出してどうしたんだよ?」
「そういう固い話じゃなくて! 栞は生まれ変わったら何になりたい?」
「梟」
「またピンポンだね.......鳥とかじゃなくて?」
「今ハリー〇ッター読んでたから何となく」
「適当すぎ。私はね~」
彼女は何て言ってたんだっけ、そして私は彼女と何を約束したんだ。
生まれ変わったこの姿でなら郁と行けなかった場所にも行けるのに。真田栞だった私がまだよく知らない世界でアイリーンとして生きている、郁が知ったらどれだけ驚くだろう。
見えなくなったあの子の笑顔だけが真田栞にとって宝だった。
0
お気に入りに追加
1,582
あなたにおすすめの小説

【完結】名前もない悪役令嬢の従姉妹は、愛されエキストラでした
犬野きらり
恋愛
アーシャ・ドミルトンは、引越してきた屋敷の中で、初めて紹介された従姉妹の言動に思わず呟く『悪役令嬢みたい』と。
思い出したこの世界は、最終回まで私自身がアシスタントの1人として仕事をしていた漫画だった。自分自身の名前には全く覚えが無い。でも悪役令嬢の周りの人間は消えていく…はず。日に日に忘れる記憶を暗記して、物語のストーリー通りに進むのかと思いきや何故かちょこちょこと私、運良く!?偶然!?現場に居合わす。
何故、私いるのかしら?従姉妹ってだけなんだけど!悪役令嬢の取り巻きには絶対になりません。出来れば関わりたくはないけど、未来を知っているとついつい手を出して、余計なお喋りもしてしまう。気づけば私の周りは、主要キャラばかりになっているかも。何か変?は、私が変えてしまったストーリーだけど…


婚約破棄ですか。ゲームみたいに上手くはいきませんよ?
ゆるり
恋愛
公爵令嬢スカーレットは婚約者を紹介された時に前世を思い出した。そして、この世界が前世での乙女ゲームの世界に似ていることに気付く。シナリオなんて気にせず生きていくことを決めたが、学園にヒロイン気取りの少女が入学してきたことで、スカーレットの運命が変わっていく。全6話予定

深窓の悪役令嬢~死にたくないので仮病を使って逃げ切ります~
白金ひよこ
恋愛
熱で魘された私が夢で見たのは前世の記憶。そこで思い出した。私がトワール侯爵家の令嬢として生まれる前は平凡なOLだったことを。そして気づいた。この世界が乙女ゲームの世界で、私がそのゲームの悪役令嬢であることを!
しかもシンディ・トワールはどのルートであっても死ぬ運命! そんなのあんまりだ! もうこうなったらこのまま病弱になって学校も行けないような深窓の令嬢になるしかない!
物語の全てを放棄し逃げ切ることだけに全力を注いだ、悪役令嬢の全力逃走ストーリー! え? シナリオ? そんなの知ったこっちゃありませんけど?

気絶した婚約者を置き去りにする男の踏み台になんてならない!
ひづき
恋愛
ヒロインにタックルされて気絶した。しかも婚約者は気絶した私を放置してヒロインと共に去りやがった。
え、コイツらを幸せにする為に私が悪役令嬢!?やってられるか!!
それより気絶した私を運んでくれた恩人は誰だろう?
悪役令嬢だとわかったので身を引こうとしたところ、何故か溺愛されました。
香取鞠里
恋愛
公爵令嬢のマリエッタは、皇太子妃候補として育てられてきた。
皇太子殿下との仲はまずまずだったが、ある日、伝説の女神として現れたサクラに皇太子妃の座を奪われてしまう。
さらには、サクラの陰謀により、マリエッタは反逆罪により国外追放されて、のたれ死んでしまう。
しかし、死んだと思っていたのに、気づけばサクラが現れる二年前の16歳のある日の朝に戻っていた。
それは避けなければと別の行き方を探るが、なぜか殿下に一度目の人生の時以上に溺愛されてしまい……!?

シナリオ通り追放されて早死にしましたが幸せでした
黒姫
恋愛
乙女ゲームの悪役令嬢に転生しました。神様によると、婚約者の王太子に断罪されて極北の修道院に幽閉され、30歳を前にして死んでしまう設定は変えられないそうです。さて、それでも幸せになるにはどうしたら良いでしょうか?(2/16 完結。カテゴリーを恋愛に変更しました。)

キャンプに行ったら異世界転移しましたが、最速で保護されました。
新条 カイ
恋愛
週末の休みを利用してキャンプ場に来た。一歩振り返ったら、周りの環境がガラッと変わって山の中に。車もキャンプ場の施設もないってなに!?クマ出現するし!?と、どうなることかと思いきや、最速でイケメンに保護されました、
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる