幻想彼氏

たいよう一花

文字の大きさ
上 下
72 / 84
Act 3

06. バッドエンド

しおりを挟む
辺りは日が落ちてすっかり暗くなっていた。
健斗は小奇麗なマンションの立ち並ぶ界隈をひた走り、やがて捜していた人物の姿を目に捉えると、無事な姿にホッとして声を掛けた。

「また、ここに来てたんですね……皓一さん」

路上端でうずくまっている皓一は、ゆっくり顔を上げる。

「健斗……」

「さあ、一緒に帰りましょう」

健斗は皓一の傍にしゃがみこみ、抱き寄せた。いつからそこにいたのか、皓一の体はすっかり冷え切っている。皓一は力の入らない足でヨロヨロと立ち上がると、健斗にしがみついて涙声で訴えた。

「ここにいないと……ここにいないと、だめなんだ。あいつが帰って来るの、待つんだ」

「あいつって……誰なんですか、皓一さん」

「真也だよ。俺、あいつにもらったカードキー、失くしてしまったんだ。あちこち捜したのに、どこにもないんだ。大切にしてたのに……大切に……大切に……。失くすはずがないんだ。なのに、どこにもないんだ!」

わっ、と皓一が泣きだした。健斗は皓一を抱きしめて、よしよしと背中と頭を撫でながら、皓一が泣き止むのを静かに待った。

「彼ら」は、皓一の記憶から「高羽真也」の存在と、彼に関するすべてを消した。
“「高羽真也」が実在していたことは一度もなく、彼と過ごした日々はすべて皓一の妄想だった” という記憶の捏造を行ったのだ。それと同時に「彼ら」は、「高羽真也」の痕跡を皓一の周囲からことごとく消した。真也が皓一にプレゼントしたものや、デジタルカメラに残っていた画像など、すべて消去済みだ。
皓一は最初、少し混乱しながらも「高羽真也」は妄想の恋人だということを受け入れた。そして健斗の申し出を承諾し、二人は付き合い始めたのだ。

しかし、皓一はしばらくして、真也のことを思い出してしまった。
桜が満開になると、「一緒に見る約束だった」と、真也の姿を捜し求めた。
やがて皓一は仕事も手に着かなくなり、始終ボンヤリとして、あちこちを徘徊するようになった。
健斗は皓一のスマホにGPSアプリを入れて、彼がどこにいても分かるようにしていた。皓一はスマホを手離さないため、居場所はすぐに分かった。皓一はよくここに来ている。今も皓一がうずくまっている場所は、「高羽真也」の住んでいた高級マンションのすぐ傍の路上だった。

「さあ、歩けますか、皓一さん。一緒に帰りましょう。風邪ひきますよ。寒かったでしょ、可哀想に……」

健斗の温かい手に両手を包まれ、皓一は初めて「寒い」ことに気が付いた。

「ああ……おまえの手、すごく温かい……」

「家に帰りましょう。体も全部、温めてあげますから」

そう囁きながら、健斗は皓一の頬に手の平を添えて、唇を合わせた。
皓一は抵抗しなかった。キスに応じ、健斗の背中に腕を回す。
やがて健斗は唇を離すと、皓一の目を見つめながら言った。

「皓一さん……愛してます」

「うん……うん……。ごめんな、健斗。俺、おまえと付き合ってるのに……また、妄想が、頭に……。止まらないんだ、これ、止まらない……。俺、変なんだ。子供のときから、頭がおかしいんだ。ごめんな、健斗、迷惑かけて、本当にごめん……」

皓一はギュッと健斗のジャケットを掴み、顔を健斗の胸元に埋めて再び泣き始めた。

「いいんですよ、皓一さん。俺、迷惑だなんて思ってない。むしろ嬉しいです。いつでも、俺の腕の中で泣いていいんですよ。さあ……帰りましょう」

「うん……」

グスッ、と鼻をすすりながら、皓一は健斗に手を引かれて歩き出した。
健斗は皓一の耳元に口を寄せると、囁いた。

「家に帰ったら、今度はベッドの中で泣かせてあげますよ……」

「ばっ……!」

皓一は、慌てて周囲を見渡して、誰にも見られていないことを確認した。そしてハッとして手を振り解こうとしたが、健斗は離さなかった。顔を真っ赤にしている皓一が可愛くてたまらず、健斗は声を出して笑いながら家路に着いた。

健斗にとっては、複雑な日々だった。
皓一と恋人同士になれたが、彼の心は相変わらず別の男の元にあったのだ。
「彼ら」は皓一に、ご法度である記憶の干渉を何度か試したが、やがて諦めた。何度やっても、皓一は思い出してしまうのだ。その上、記憶に干渉するたび皓一は心を病んでいった。
それでも健斗は辛抱強く、皓一と向き合い続けた。
しかし桜が散り始めた頃、健斗は気付いた。皓一の心が永遠に手に入らないことに。

その夜、誰もいない桜並木に皓一は一人で佇んでいた。
健斗は一緒にベッドにいたはずの皓一がいないことに気付き、GPSを辿って彼を見つけた。

「皓一さん」

かけられた健斗の声にも反応せず、皓一は花びらの敷き詰められた道にぼんやり立ちつくしている。虚ろな目からは涙がポロポロと零れ落ちていた。

「真也……真也……真也……」

皓一は繰り返し、その名を呼んだ。世界にはもう、その名前しか存在しないというように。
皓一は、健斗を見なくなった。
ひたすらに、真也だけを捜し求めた。
しかし皓一と一緒に桜を見る約束をした男は、どれほど待っても戻ってこなかった。
皓一には、なぜ自分が一人なのか、分からなかった。大切な誰かと、一生共に生きる約束をしたはずなのに。

「きっと俺、どこかで間違えたんだ。きっとそうだ。あのときみたいに……」

――妹を、死なせてしまったときみたいに。

皓一の胸に絶望的な濃い闇が広がり、抜け出せない痛みに絶叫する。
暗い水底に一人沈んで、溺れ死ぬのを待っているかのような気持ちだった。

『愛している、皓一』――真也のその声は、記憶の中だけで響く。

「真也……真也……真也……」

呼んでも届かない。
どれほど求めても、愛しい恋人は戻ってこなかった。

会えない日々は、容赦なく皓一の心を蝕んでゆく。
皓一は毎晩涙が涸れるほど泣いた。
真也のいない朝が来るたび、大切な何かが皓一の心から剥がれていった。

「真也……戻ってきてくれ、どんな姿でも、おまえが化け物でも構わない。おまえの本当の名前を、教えてくれ。やり直そう、最初から、おまえとやり直したいんだ。戻ってきてくれ、頼む、戻ってきてくれ……俺の名前を、呼んでくれ」

葉桜になった木の下で、皓一は泣きながら真也を求め彷徨い続けた。

日ごとに空気が和らぎはじめ、季節は移ろってゆくが、皓一の中の時間は止まったままだった。

そんなある日、皓一の心臓に激痛が走った。
その痛みと同時に、皓一は気付いた。
愛する者がこの世を去ったことを。
もう二度と、会えないことを。

「ああ……真也……真也……真也ッ!!」

もういない。あの男はもういない。
二度と抱きしめてはくれない。抱きしめることもできない。
声を聞くことも、あの体温に触れることも、目玉焼きを一緒に食べることもできない。

永遠に。
二度と、会えない。

それを知った皓一は、自ら命を絶った。
しおりを挟む
感想 17

あなたにおすすめの小説

BL団地妻-恥じらい新妻、絶頂淫具の罠-

おととななな
BL
タイトル通りです。 楽しんでいただけたら幸いです。

わるいむし

おととななな
BL
新汰は一流の目を持った宝石鑑定士である兄の奏汰のことをとても尊敬している。 しかし、完璧な兄には唯一の欠点があった。 「恋人ができたんだ」 恋多き男の兄が懲りずに連れてきた新しい恋人を新汰はいつものように排除しようとするが…

壁乳

リリーブルー
BL
俺は後輩に「壁乳」に行こうと誘われた。 (作者の挿絵付きです。)

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

4人の兄に溺愛されてます

まつも☆きらら
BL
中学1年生の梨夢は5人兄弟の末っ子。4人の兄にとにかく溺愛されている。兄たちが大好きな梨夢だが、心配性な兄たちは時に過保護になりすぎて。

【完結】ぎゅって抱っこして

かずえ
BL
幼児教育学科の短大に通う村瀬一太。訳あって普通の高校に通えなかったため、働いて貯めたお金で二年間だけでもと大学に入学してみたが、学費と生活費を稼ぎつつ学校に通うのは、考えていたよりも厳しい……。 でも、頼れる者は誰もいない。 自分で頑張らなきゃ。 本気なら何でもできるはず。 でも、ある日、金持ちの坊っちゃんと心の中で呼んでいた松島晃に苦手なピアノの課題で助けてもらってから、どうにも自分の心がコントロールできなくなって……。

鬼上司と秘密の同居

なの
BL
恋人に裏切られ弱っていた会社員の小沢 海斗(おざわ かいと)25歳 幼馴染の悠人に助けられ馴染みのBARへ… そのまま酔い潰れて目が覚めたら鬼上司と呼ばれている浅井 透(あさい とおる)32歳の部屋にいた… いったい?…どうして?…こうなった? 「お前は俺のそばに居ろ。黙って愛されてればいい」 スパダリ、イケメン鬼上司×裏切られた傷心海斗は幸せを掴むことができるのか… 性描写には※を付けております。

処理中です...