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Act 2
21. 深まる絆と記憶の靄 3
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一生懸命記憶をさらいだした皓一に、取り繕うように真也が言った。
「そういえば、一昨年のことだったか……おまえから花見に行こうと誘われたな。今、思い出したぞ。運悪く急用が入って、俺は行けなかったが、おまえは一人で行ったんだったな? あのときは、すまなかった。今年は絶対に、二人で花見に行こう」
皓一の目を覗きながら真也がそう言うと、皓一は途端に、もやもやが晴れた気がした。
「うん。……ああ、そうだった! うん、そうそう。俺、一人で林檎飴食べて、ブログにアップしたんだ。じゃあ、今年は必ず、一緒に桜を見に行こうぜ? 近所の河川敷の桜も結構有名で、毎年屋台が出るんだ。あそこなら近いし、桜が咲いたら河川敷をブラブラ二人で歩こう? …………いや、待てよ……」
「どうした?」
「近所はまずいな。うん……近所は、まずい。おまえ、絶対目立つし……二人で歩いているところをパートさんとか常連客の誰かに見られたら、絶対、真也のことを訊かれるぞ……『あの男前は誰?!』って、根掘り葉掘り。もし独身の若い女の子なんかに見られたら、紹介してくれってしつこく言ってくる、うん、絶対。……それはまずい。紹介は嫌だ。真也には彼女いるから、ってごまかすのも嫌だ。だって恋人は俺だ。作り話でもおまえに彼女の存在なんか、設定したくない。だっておまえは、俺のだから」
皓一はブツブツと独り言のようにそう言いながら、真也の胸に顔をうずめ、背中に両腕を回してギュッと抱きしめた。
「皓一……」
独占欲丸出しで抱きしめられ、真也は例えようもない嬉しさと幸福感で、胸がいっぱいになった。真也は皓一から溢れ出す愛を、一つもこぼさず胸の内に収めようとするかのように、大きな体で皓一を包み込む。その心のこもったハグに、皓一は満足の吐息をこぼし、うっとりと目を閉じた。
(怖いくらいに幸せ、なんて言うけど、本当に怖いくらいだ……。今まで俺、どうやってこの怖さに耐えていたんだろ?)
そう思いながら皓一は真也と過ごしてきた5年間を振り返ってみたが、なぜかどの記憶もぼんやりとしていて、はっきりと思い出せなかった。
記憶の曖昧さに対する違和感はどんどん募り、こうして真也との幸せな時間を重ねれば重ねるほど、思い出せないもどかしさが日に日に大きく膨らんでゆく。
そしてその違和感は、この5年間だけでなく、もっと過去にもあった。
忘れてはいけないことを、忘れている――皓一はずっと、そんな気がしていた。
記憶にしこりのような部分があり、それが何なのか気になって仕方ないのに、それに触れると痛くて苦しくて、どうしても取り除くことができないのだ。でもなぜだか思い出さなければいけない気がして、歯を食いしばって記憶と格闘するときがある。そんなとき決まって、小さな女の子が頭に思い浮かぶのだ。
(翠(みどり)……)
小さな妹。
親戚に引き取られ、どこか遠くにいるはずの彼女は、今ではもう24歳になっているはずだ。しかし皓一の頭の中では、碧は別れたときの5歳の姿のままだった。
ツインテール姿で、にっこり笑う可愛い妹。たった一人の、大切な妹。
肩より長い翠の髪を、母はいつも二つに結んでやっていた。翠もそれが気に入っていて、母を亡くしてからは皓一がいつも同じスタイルに整えてやったことを思い出す。ウサギのぬいぐるみが付いた可愛い髪留めで結んでやると、碧はいつも「お兄ちゃん、ありがとう」とにっこり笑った。
皓一は外出する際いつも妹の小さな手を握って、危険な目に合わないよう守ってやっていた。翠は素直な性格で、よくつぶらな瞳で皓一を見上げては「お兄ちゃん、大好き」と笑いかけてきた。
それらを思い出すと、引き裂かれるような痛みが、胸に走る。なぜかわからない。子供時代への郷愁のようなものなのか、生き別れの家族への愛情からくるものなのか。それとも、もっと別の――理由が隠されているのか。
思い出せ、ともう一人の自分が囁く。
思い出さなければ、おまえは次のステージに進めない。真也と、一緒に生きてはいけない――もう一人の自分が悲しい目で、そう自分を諭す。最近、そんなことがよくある。
皓一はそのたびに、記憶の靄と格闘するが、その靄が完全に晴れたことはなかった。
思い出そうとするたび胸に広がる、恐怖と不安と痛み――それらが皓一を委縮させ、あと一歩のところで足を止めさせる。
あと少し、勇気があれば。現実に直面する強さがあれば。
もう少しで、真実に手が届くのに。
密かに葛藤する皓一の心の中を覗いたように、真也が優しく声をかけてきた。
「焦らなくてもいい、皓一……。心配しなくても、俺はずっと、おまえの傍にいる。何があっても、離さない……」
真也がそっと、皓一の頬に流れた涙を拭った。そのとき初めて、皓一は自分が泣いていることに気付いた。戸惑いながらも真也の目を覗き込むと、皓一を苛んでいた不安は消え、かわりに安らぎが胸に広がった。
その後はもう何も考えられなくなった。真也が唇を合わせてきたために、幸福感以外はもう何も、胸に入り込む余地がなくなったのだ。
キスはたちまちヒートアップし、真也はソファに皓一を押し倒すと、貪るように深く激しく唇を合わせ続けた。
ソファの上で絡み合い、幸福な時に酔いしれる二人は知る由もなかった。平穏に見える二人の日々はこのあと大きく崩れ落ち、残酷な別離の試練が襲い掛かってくることを。
「そういえば、一昨年のことだったか……おまえから花見に行こうと誘われたな。今、思い出したぞ。運悪く急用が入って、俺は行けなかったが、おまえは一人で行ったんだったな? あのときは、すまなかった。今年は絶対に、二人で花見に行こう」
皓一の目を覗きながら真也がそう言うと、皓一は途端に、もやもやが晴れた気がした。
「うん。……ああ、そうだった! うん、そうそう。俺、一人で林檎飴食べて、ブログにアップしたんだ。じゃあ、今年は必ず、一緒に桜を見に行こうぜ? 近所の河川敷の桜も結構有名で、毎年屋台が出るんだ。あそこなら近いし、桜が咲いたら河川敷をブラブラ二人で歩こう? …………いや、待てよ……」
「どうした?」
「近所はまずいな。うん……近所は、まずい。おまえ、絶対目立つし……二人で歩いているところをパートさんとか常連客の誰かに見られたら、絶対、真也のことを訊かれるぞ……『あの男前は誰?!』って、根掘り葉掘り。もし独身の若い女の子なんかに見られたら、紹介してくれってしつこく言ってくる、うん、絶対。……それはまずい。紹介は嫌だ。真也には彼女いるから、ってごまかすのも嫌だ。だって恋人は俺だ。作り話でもおまえに彼女の存在なんか、設定したくない。だっておまえは、俺のだから」
皓一はブツブツと独り言のようにそう言いながら、真也の胸に顔をうずめ、背中に両腕を回してギュッと抱きしめた。
「皓一……」
独占欲丸出しで抱きしめられ、真也は例えようもない嬉しさと幸福感で、胸がいっぱいになった。真也は皓一から溢れ出す愛を、一つもこぼさず胸の内に収めようとするかのように、大きな体で皓一を包み込む。その心のこもったハグに、皓一は満足の吐息をこぼし、うっとりと目を閉じた。
(怖いくらいに幸せ、なんて言うけど、本当に怖いくらいだ……。今まで俺、どうやってこの怖さに耐えていたんだろ?)
そう思いながら皓一は真也と過ごしてきた5年間を振り返ってみたが、なぜかどの記憶もぼんやりとしていて、はっきりと思い出せなかった。
記憶の曖昧さに対する違和感はどんどん募り、こうして真也との幸せな時間を重ねれば重ねるほど、思い出せないもどかしさが日に日に大きく膨らんでゆく。
そしてその違和感は、この5年間だけでなく、もっと過去にもあった。
忘れてはいけないことを、忘れている――皓一はずっと、そんな気がしていた。
記憶にしこりのような部分があり、それが何なのか気になって仕方ないのに、それに触れると痛くて苦しくて、どうしても取り除くことができないのだ。でもなぜだか思い出さなければいけない気がして、歯を食いしばって記憶と格闘するときがある。そんなとき決まって、小さな女の子が頭に思い浮かぶのだ。
(翠(みどり)……)
小さな妹。
親戚に引き取られ、どこか遠くにいるはずの彼女は、今ではもう24歳になっているはずだ。しかし皓一の頭の中では、碧は別れたときの5歳の姿のままだった。
ツインテール姿で、にっこり笑う可愛い妹。たった一人の、大切な妹。
肩より長い翠の髪を、母はいつも二つに結んでやっていた。翠もそれが気に入っていて、母を亡くしてからは皓一がいつも同じスタイルに整えてやったことを思い出す。ウサギのぬいぐるみが付いた可愛い髪留めで結んでやると、碧はいつも「お兄ちゃん、ありがとう」とにっこり笑った。
皓一は外出する際いつも妹の小さな手を握って、危険な目に合わないよう守ってやっていた。翠は素直な性格で、よくつぶらな瞳で皓一を見上げては「お兄ちゃん、大好き」と笑いかけてきた。
それらを思い出すと、引き裂かれるような痛みが、胸に走る。なぜかわからない。子供時代への郷愁のようなものなのか、生き別れの家族への愛情からくるものなのか。それとも、もっと別の――理由が隠されているのか。
思い出せ、ともう一人の自分が囁く。
思い出さなければ、おまえは次のステージに進めない。真也と、一緒に生きてはいけない――もう一人の自分が悲しい目で、そう自分を諭す。最近、そんなことがよくある。
皓一はそのたびに、記憶の靄と格闘するが、その靄が完全に晴れたことはなかった。
思い出そうとするたび胸に広がる、恐怖と不安と痛み――それらが皓一を委縮させ、あと一歩のところで足を止めさせる。
あと少し、勇気があれば。現実に直面する強さがあれば。
もう少しで、真実に手が届くのに。
密かに葛藤する皓一の心の中を覗いたように、真也が優しく声をかけてきた。
「焦らなくてもいい、皓一……。心配しなくても、俺はずっと、おまえの傍にいる。何があっても、離さない……」
真也がそっと、皓一の頬に流れた涙を拭った。そのとき初めて、皓一は自分が泣いていることに気付いた。戸惑いながらも真也の目を覗き込むと、皓一を苛んでいた不安は消え、かわりに安らぎが胸に広がった。
その後はもう何も考えられなくなった。真也が唇を合わせてきたために、幸福感以外はもう何も、胸に入り込む余地がなくなったのだ。
キスはたちまちヒートアップし、真也はソファに皓一を押し倒すと、貪るように深く激しく唇を合わせ続けた。
ソファの上で絡み合い、幸福な時に酔いしれる二人は知る由もなかった。平穏に見える二人の日々はこのあと大きく崩れ落ち、残酷な別離の試練が襲い掛かってくることを。
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