1 / 84
Act 1
01. 架空の恋人づくり
しおりを挟む
それは気楽な気持ちで始めた、一人きりの趣味だった。
休日に見知らぬ町を恋人と二人、ただあてもなくブラブラする。その幸福に満ちた時間を切り取って写真に収め、見たもの、味わった料理、その町の空気などを紹介しつつ、ブログにアップする。
ただ、それだけ。恋人が異性なら、何でもない平凡な、幸せ自慢ブログ。
けれど彼の――野木山皓一(のぎやまこういち)の恋人は女性ではなく、彼と同じ男性だった。
『俺と彼氏の休日散歩』――それが、そのブログのタイトル。
ブログ主のハンドルネームは「俺。」
プロフィール欄には、こう書いてある。
『夢と現(うつつ)
フィクションとノンフィクション
仮想と現実
嘘と本当
常にそのはざまで揺蕩(たゆた)う
人間という 心寂しい生き物
群衆の中の孤独を感じながら
マイノリティに不寛容なこの世界の片隅で
ひっそり息を殺して生きている
愛し合う憧れと夢に溺れながら
ただ一つの真実 それは
俺の好きになる相手はいつも
同性だということ』
そう、このプロフィールに目を通したなら、読者は大抵気付く。
このブログが、夢物語だということに。
寂しい独り者のゲイが綴る、現代日本を舞台背景にしたファンタジーだと。
皓一は最初から「これはフィクションですよ」と匂わせて、ブログを始めたのである。
そんなブログを始めることになった発端は、本当に、ごく軽い思い付きだった。
皓一は昔から、休日に一人でブラブラと見知らぬ町を歩くのが好きだった。
そして気に入った景色や食べたものをカメラにおさめ、思い出と一緒に持ち帰る。
ある日、それらの画像を整理していたときに、ふと皓一は思ったのだ。
――そうだ、この写真、文章を付けて日記風にして、ネットに上げてみよう。
そして更に思った。
――どうせなら、何か物語性を付け加えよう。うん、その方が面白い。
そう、どうせなら、思いっきり現実とかけ離れている方が楽しい。
その思いつきに気を良くした皓一は、頭の中で想像上の恋人を作り出した。
皓一が思い描く、理想の恋人。絶対に得ることなど出来ないだろう、ハイスペックな彼氏。
――そうだな……身長は、185cm。体重は、85kgくらいかな。アスリートのような、がっちり筋肉の付いた、引き締まって均整の取れた肉体。
皓一は自分の身長が168cmと男性にしては小柄で、食べても肉が付かない細身な体だということを、密かに気にしている。職場で力仕事をすることが多いため、まあまあ筋肉は付いているが、理想の姿からはほど遠い。彼はそう思って、風呂上りなどに自分の全身を鏡に映しては溜息をついていた。男らしい大きな体に憧れている皓一は、幻想の恋人にその姿を投影した。トレーニングジムのCMに使われるような肉体美――割れた腹筋、盛り上がった胸筋、逞しい上腕二頭筋を持った恋人を想像して、皓一はニマニマと頬を緩めた。
理想の恋人を想像するのは、とても楽しい作業だった。
皓一は心弾ませながら、次に恋人の顔を想像してみた。もちろん、誰もが見惚れるような男前。どんな男前かというと……
――うん、ワイルドな感じがいいな。目力があって、肉厚な唇で、男の色気満載で……『気を付けろ、俺に惚れたら火傷するぜ?』的な感じ?!
自分で想像しておきながら、皓一は「プッ! くせぇ! 火傷するって、それいつの時代の台詞だよ!」と吹き出した。
そして以前からカッコイイと思って憧れてきた、ワイルドでセクシーな雰囲気を持つ、ある日本人俳優の顔を思い浮かべた。
――そう、あの人みたいな雰囲気がいいな。それから、あの体操選手……彼も好みだ。
具体例があると、想像はグッと鮮明になった。日本では有名な、ある俳優と体操選手、二人を足して二で割ったような相貌の男が頭の中で作り上げられ、理想の彼氏の外見がどんどんデザインされてゆく。
――髪色は黒で、まったく染めてなくて……髪型は、スタイリッシュな感じ。サイドと後ろはスッキリ短くて、前髪は長めで、アンニュイな感じに左右に垂れていて……。
想像はどんどん膨れ上がってゆく。
皓一は恋人創作をワクワクしながら続けた。
その結果――皓一の好みをてんこ盛りにした想像上の恋人、「幻想彼氏」はこんな風に仕上がった。
名前は高羽真也(たかばしんや)。年齢は皓一より3歳年上の32歳。有名私立大学卒。
身長185cm、体重85kg。筋肉に覆われた、アスリートのように引き締まった男らしいボディ。
顔はワイルドな雰囲気の渋い男前。
声がまたうっとりするくらいの美声で、深みのある低音。
資産家の一家に生まれたが、現在は肉親をすべて亡くし天涯孤独。遺産として莫大な財産を継いでいる。要するに凄い金持ち。
皓一の住むアパートから三駅ほど離れたところにある、高台の高級マンションに一人暮らし。
無職だが、所有している賃貸物件の家賃収入と株式投資でかなりの年収。
頭脳明晰、運動神経抜群。
趣味は自宅のトレーニングマシンで体を鍛えること。
綺麗好きで、意外にも家事全般得意。
性格は積極的で好奇心旺盛、おおらかで誠実、いつも落ち着いていて、大人の包容力に満ちている。
ここまで考えて、皓一は「う~ん……」と唸った。
「俺の願望を盛り込み過ぎたかな。ここまで完璧人間だと、かえって嫌味だな……。なんかひとつくらい、欠点も設定しておくか……」
皓一はそう呟きながら、この一人遊びに没頭している自分の滑稽さに笑いがこみ上げてきた。
必要のない設定――ブログでは絶対出さない名前まで考案して、「俺、アホとちゃうか……そうやん、俺は前からアホやん!」などと一人漫才しながら自虐的に笑う。
そして自分が凝り性であることを思い出した。何かをやり始めるとつい熱中して、とことんやらないと気が済まないのだ。
「よぉし、ここまでやったらとことんアホを貫き通すか!」と、皓一は架空の恋人――いわば「幻想彼氏」づくりを極めることにした。
そこで考えついた恋人の欠点はこうだ。
「高羽真也」は、独占欲が強く恋愛において嫉妬深い。
「うん、そうだな……俺にベタ惚れって設定がいいな。俺のどこに惚れる要素があるのかは謎だし、その辺は考えないでおこう、うん」
うんうんと一人で頷きながら、皓一はどんどん続けた。
「真也」は独占欲が強く、やきもちからへそを曲げると、しつこいほど不機嫌になる。
あと、負けず嫌いで、対戦ゲームなどで負けると、ムキになって勝つまでやる。
そして涙腺が弱く、感動的な映画を見たり口喧嘩をして負けたりすると、すぐ泣く。そんなとき、じめじめしてちょっと鬱陶しい。
「ぷっ……可愛い……」
欠点ですら愛おしい――皓一はそう思いながら、これって欠点じゃないな、と気づいた。単なる恋人の「ちょっと困った可愛いところ」だ、と。
考えてみれば、理想の彼氏を作ろうとしているのだから、眉をしかめるような欠点を付け加えるなど、できるはずもなかった。
そこで欠点のかわりに「ちょっと困った可愛いところ」で妥協することにした。
「一緒に感動的な映画を見に行ったら、座席で鼻をかみながら大泣きするスパダリか…………。………………。うん……イイ……」
皓一は想像して頬を染め、クヒヒ、と気持ち悪く笑った。
そして作りたての「幻想彼氏」にさっそく恋愛感情を持ち、自分の想像に愛着を感じて溜息をついた。
「はあ……。自分で想像した男に惚れるとは、俺のアホさも超人レベルになってきたな……」
でも、本当に、こんな彼氏がいればいいのに。
切実にそう思い、一人きりの部屋で寂しさがつのる。
結局のところ、この彼氏は自分の創り出したまぼろし、嘘っこだ。
そう現実を見つめてしまうと、胸の中に空いた穴の風通しが一層深まり、虚無感に襲われる。
それを振り払うように、皓一は作業を続けた。一旦着手した作業を、途中で放り出すのは、流儀に背く。とことんまでやるつもりだった。
架空の恋人の像がだいたい完成したので、皓一は次の作業に入った。PCに向かい画像データを開き、昔撮った写真から数枚を選び出して「幻想彼氏」との物語を作り始める。
それは恋人との、ハッピーなデートブログ。
自分の願望を思いっきり詰め込んだ、日記風の物語。
デートの内容がメインだったが、それだけではただの報告で面白味がないので、ゲイに関して思うところや、ゲイとは無関係の、世間で起きている様々な事柄への自分の考えなども織り込んでゆく。
皓一がそんなブログを始めるにあたって、注意したことがいくつかある。
皓一がゲイであることを知っているのは、彼が揺るぎない信頼を寄せる親戚の「カズおじさん」だけだ。
他は誰も知らない。
カムアウトするつもりもない。
だからブログには個人情報が一切漏れないよう、細心の注意を払った。
画像のExif(イグジフ)情報は必ず削除してから投稿し、自宅周辺の写真は一切使わない。そしてブログへの投稿は写真を撮影してから3ヶ月以上経ってから。文章の中で実際の仕事や友人など、私生活に関することには触れないこと。
それらを守った上で、皓一は慎重にブログをアップしてきた。
投稿は時間のあるとき、1ヶ月に1~3回くらい。季節や時系列は無視し、ただ思いついた順番に、短編小説のように仕上げる。
また、無用な軋轢(あつれき)を避けるために、コメント欄は最初から閉じることにした。コメント欄を解放すれば、ゲイへの中傷はもちろんのこと、面白半分で話しかけてくる輩が必ず出没するだろう。中には好意的で共感を持って接触してくるゲイ仲間もいるだろうが、このブログの目的は他者との交流ではない。撮りためた画像の披露と、ネット上にささやかな自分の居場所が確保できれば、それで十分だった。
今思えば、皓一はひどく寂しかったのだ。
親戚の「カズおじさん」とその奥さんであるおばさん以外には、親しい身内はいない。皓一の両親は、彼が子供の頃に他界していた。妹が一人いるが、複雑な事情があって、小さいときに離されたきり、一度も会っていない。
そんな家族の幸(さち)薄い皓一だが、ゲイだと自覚してからは自分には一般的な、「幸せな家庭」を築くことすらできないことに気付いた。
せめて誰か一緒に生きてくれる恋人を探そうにも、職場や周囲に自分がゲイだと知られるのを恐れた彼にとって、恋人探しはリスクの方が大きかった。
そう、今思えば。
明るい未来も思い描けず、ただ仕事をして年を取っていくだけの人生に、鬱屈した物を感じていたのだろう。
カムアウトする勇気はないが、自分はここにいるのだと、小さな声を上げることで、暗い水底にいるような孤独と閉塞感を晴らしたかった。
皓一は、ネット上の片隅でひっそりと、マイノリティの自分が細々と生きていることを発信したかったのだ。
気まぐれで始めたそのブログも、もう5年目だ。
飽きたらすぐやめるつもりだったが、飽きるどころか投稿するたびに楽しくなってきて、最初は控えめだった文章も、だんだんと大胆になってきている。
リアルではゲイであることを隠している彼だったが、ブログの中では思いっきり「ゲイである自分」を肯定することができる――その爽快感も、この作業に引き付けられる大きな理由かもしれない。
そう……穏やかだけど、まるで刺激のない毎日にささやかな彩りを添える、心躍る冒険。
ありのままの自分を肯定できる、居心地の良い憩いの場。
皓一のブログは、彼にとってそういう存在だった。
しかし。
嵐はある日突然、訪れる。
よもやそのブログが、知り合いにばれてしまうとは、思いもよらないことだった。
しかもそれだけでなく。
問題はその後――もっと奇想天外な事態が待ち受けていたのだ。
皓一だけでなく、この地球上の誰にも、想像できなかったに違いない。
嵐はもう、皓一のすぐ傍に、近づいて来ていた。
休日に見知らぬ町を恋人と二人、ただあてもなくブラブラする。その幸福に満ちた時間を切り取って写真に収め、見たもの、味わった料理、その町の空気などを紹介しつつ、ブログにアップする。
ただ、それだけ。恋人が異性なら、何でもない平凡な、幸せ自慢ブログ。
けれど彼の――野木山皓一(のぎやまこういち)の恋人は女性ではなく、彼と同じ男性だった。
『俺と彼氏の休日散歩』――それが、そのブログのタイトル。
ブログ主のハンドルネームは「俺。」
プロフィール欄には、こう書いてある。
『夢と現(うつつ)
フィクションとノンフィクション
仮想と現実
嘘と本当
常にそのはざまで揺蕩(たゆた)う
人間という 心寂しい生き物
群衆の中の孤独を感じながら
マイノリティに不寛容なこの世界の片隅で
ひっそり息を殺して生きている
愛し合う憧れと夢に溺れながら
ただ一つの真実 それは
俺の好きになる相手はいつも
同性だということ』
そう、このプロフィールに目を通したなら、読者は大抵気付く。
このブログが、夢物語だということに。
寂しい独り者のゲイが綴る、現代日本を舞台背景にしたファンタジーだと。
皓一は最初から「これはフィクションですよ」と匂わせて、ブログを始めたのである。
そんなブログを始めることになった発端は、本当に、ごく軽い思い付きだった。
皓一は昔から、休日に一人でブラブラと見知らぬ町を歩くのが好きだった。
そして気に入った景色や食べたものをカメラにおさめ、思い出と一緒に持ち帰る。
ある日、それらの画像を整理していたときに、ふと皓一は思ったのだ。
――そうだ、この写真、文章を付けて日記風にして、ネットに上げてみよう。
そして更に思った。
――どうせなら、何か物語性を付け加えよう。うん、その方が面白い。
そう、どうせなら、思いっきり現実とかけ離れている方が楽しい。
その思いつきに気を良くした皓一は、頭の中で想像上の恋人を作り出した。
皓一が思い描く、理想の恋人。絶対に得ることなど出来ないだろう、ハイスペックな彼氏。
――そうだな……身長は、185cm。体重は、85kgくらいかな。アスリートのような、がっちり筋肉の付いた、引き締まって均整の取れた肉体。
皓一は自分の身長が168cmと男性にしては小柄で、食べても肉が付かない細身な体だということを、密かに気にしている。職場で力仕事をすることが多いため、まあまあ筋肉は付いているが、理想の姿からはほど遠い。彼はそう思って、風呂上りなどに自分の全身を鏡に映しては溜息をついていた。男らしい大きな体に憧れている皓一は、幻想の恋人にその姿を投影した。トレーニングジムのCMに使われるような肉体美――割れた腹筋、盛り上がった胸筋、逞しい上腕二頭筋を持った恋人を想像して、皓一はニマニマと頬を緩めた。
理想の恋人を想像するのは、とても楽しい作業だった。
皓一は心弾ませながら、次に恋人の顔を想像してみた。もちろん、誰もが見惚れるような男前。どんな男前かというと……
――うん、ワイルドな感じがいいな。目力があって、肉厚な唇で、男の色気満載で……『気を付けろ、俺に惚れたら火傷するぜ?』的な感じ?!
自分で想像しておきながら、皓一は「プッ! くせぇ! 火傷するって、それいつの時代の台詞だよ!」と吹き出した。
そして以前からカッコイイと思って憧れてきた、ワイルドでセクシーな雰囲気を持つ、ある日本人俳優の顔を思い浮かべた。
――そう、あの人みたいな雰囲気がいいな。それから、あの体操選手……彼も好みだ。
具体例があると、想像はグッと鮮明になった。日本では有名な、ある俳優と体操選手、二人を足して二で割ったような相貌の男が頭の中で作り上げられ、理想の彼氏の外見がどんどんデザインされてゆく。
――髪色は黒で、まったく染めてなくて……髪型は、スタイリッシュな感じ。サイドと後ろはスッキリ短くて、前髪は長めで、アンニュイな感じに左右に垂れていて……。
想像はどんどん膨れ上がってゆく。
皓一は恋人創作をワクワクしながら続けた。
その結果――皓一の好みをてんこ盛りにした想像上の恋人、「幻想彼氏」はこんな風に仕上がった。
名前は高羽真也(たかばしんや)。年齢は皓一より3歳年上の32歳。有名私立大学卒。
身長185cm、体重85kg。筋肉に覆われた、アスリートのように引き締まった男らしいボディ。
顔はワイルドな雰囲気の渋い男前。
声がまたうっとりするくらいの美声で、深みのある低音。
資産家の一家に生まれたが、現在は肉親をすべて亡くし天涯孤独。遺産として莫大な財産を継いでいる。要するに凄い金持ち。
皓一の住むアパートから三駅ほど離れたところにある、高台の高級マンションに一人暮らし。
無職だが、所有している賃貸物件の家賃収入と株式投資でかなりの年収。
頭脳明晰、運動神経抜群。
趣味は自宅のトレーニングマシンで体を鍛えること。
綺麗好きで、意外にも家事全般得意。
性格は積極的で好奇心旺盛、おおらかで誠実、いつも落ち着いていて、大人の包容力に満ちている。
ここまで考えて、皓一は「う~ん……」と唸った。
「俺の願望を盛り込み過ぎたかな。ここまで完璧人間だと、かえって嫌味だな……。なんかひとつくらい、欠点も設定しておくか……」
皓一はそう呟きながら、この一人遊びに没頭している自分の滑稽さに笑いがこみ上げてきた。
必要のない設定――ブログでは絶対出さない名前まで考案して、「俺、アホとちゃうか……そうやん、俺は前からアホやん!」などと一人漫才しながら自虐的に笑う。
そして自分が凝り性であることを思い出した。何かをやり始めるとつい熱中して、とことんやらないと気が済まないのだ。
「よぉし、ここまでやったらとことんアホを貫き通すか!」と、皓一は架空の恋人――いわば「幻想彼氏」づくりを極めることにした。
そこで考えついた恋人の欠点はこうだ。
「高羽真也」は、独占欲が強く恋愛において嫉妬深い。
「うん、そうだな……俺にベタ惚れって設定がいいな。俺のどこに惚れる要素があるのかは謎だし、その辺は考えないでおこう、うん」
うんうんと一人で頷きながら、皓一はどんどん続けた。
「真也」は独占欲が強く、やきもちからへそを曲げると、しつこいほど不機嫌になる。
あと、負けず嫌いで、対戦ゲームなどで負けると、ムキになって勝つまでやる。
そして涙腺が弱く、感動的な映画を見たり口喧嘩をして負けたりすると、すぐ泣く。そんなとき、じめじめしてちょっと鬱陶しい。
「ぷっ……可愛い……」
欠点ですら愛おしい――皓一はそう思いながら、これって欠点じゃないな、と気づいた。単なる恋人の「ちょっと困った可愛いところ」だ、と。
考えてみれば、理想の彼氏を作ろうとしているのだから、眉をしかめるような欠点を付け加えるなど、できるはずもなかった。
そこで欠点のかわりに「ちょっと困った可愛いところ」で妥協することにした。
「一緒に感動的な映画を見に行ったら、座席で鼻をかみながら大泣きするスパダリか…………。………………。うん……イイ……」
皓一は想像して頬を染め、クヒヒ、と気持ち悪く笑った。
そして作りたての「幻想彼氏」にさっそく恋愛感情を持ち、自分の想像に愛着を感じて溜息をついた。
「はあ……。自分で想像した男に惚れるとは、俺のアホさも超人レベルになってきたな……」
でも、本当に、こんな彼氏がいればいいのに。
切実にそう思い、一人きりの部屋で寂しさがつのる。
結局のところ、この彼氏は自分の創り出したまぼろし、嘘っこだ。
そう現実を見つめてしまうと、胸の中に空いた穴の風通しが一層深まり、虚無感に襲われる。
それを振り払うように、皓一は作業を続けた。一旦着手した作業を、途中で放り出すのは、流儀に背く。とことんまでやるつもりだった。
架空の恋人の像がだいたい完成したので、皓一は次の作業に入った。PCに向かい画像データを開き、昔撮った写真から数枚を選び出して「幻想彼氏」との物語を作り始める。
それは恋人との、ハッピーなデートブログ。
自分の願望を思いっきり詰め込んだ、日記風の物語。
デートの内容がメインだったが、それだけではただの報告で面白味がないので、ゲイに関して思うところや、ゲイとは無関係の、世間で起きている様々な事柄への自分の考えなども織り込んでゆく。
皓一がそんなブログを始めるにあたって、注意したことがいくつかある。
皓一がゲイであることを知っているのは、彼が揺るぎない信頼を寄せる親戚の「カズおじさん」だけだ。
他は誰も知らない。
カムアウトするつもりもない。
だからブログには個人情報が一切漏れないよう、細心の注意を払った。
画像のExif(イグジフ)情報は必ず削除してから投稿し、自宅周辺の写真は一切使わない。そしてブログへの投稿は写真を撮影してから3ヶ月以上経ってから。文章の中で実際の仕事や友人など、私生活に関することには触れないこと。
それらを守った上で、皓一は慎重にブログをアップしてきた。
投稿は時間のあるとき、1ヶ月に1~3回くらい。季節や時系列は無視し、ただ思いついた順番に、短編小説のように仕上げる。
また、無用な軋轢(あつれき)を避けるために、コメント欄は最初から閉じることにした。コメント欄を解放すれば、ゲイへの中傷はもちろんのこと、面白半分で話しかけてくる輩が必ず出没するだろう。中には好意的で共感を持って接触してくるゲイ仲間もいるだろうが、このブログの目的は他者との交流ではない。撮りためた画像の披露と、ネット上にささやかな自分の居場所が確保できれば、それで十分だった。
今思えば、皓一はひどく寂しかったのだ。
親戚の「カズおじさん」とその奥さんであるおばさん以外には、親しい身内はいない。皓一の両親は、彼が子供の頃に他界していた。妹が一人いるが、複雑な事情があって、小さいときに離されたきり、一度も会っていない。
そんな家族の幸(さち)薄い皓一だが、ゲイだと自覚してからは自分には一般的な、「幸せな家庭」を築くことすらできないことに気付いた。
せめて誰か一緒に生きてくれる恋人を探そうにも、職場や周囲に自分がゲイだと知られるのを恐れた彼にとって、恋人探しはリスクの方が大きかった。
そう、今思えば。
明るい未来も思い描けず、ただ仕事をして年を取っていくだけの人生に、鬱屈した物を感じていたのだろう。
カムアウトする勇気はないが、自分はここにいるのだと、小さな声を上げることで、暗い水底にいるような孤独と閉塞感を晴らしたかった。
皓一は、ネット上の片隅でひっそりと、マイノリティの自分が細々と生きていることを発信したかったのだ。
気まぐれで始めたそのブログも、もう5年目だ。
飽きたらすぐやめるつもりだったが、飽きるどころか投稿するたびに楽しくなってきて、最初は控えめだった文章も、だんだんと大胆になってきている。
リアルではゲイであることを隠している彼だったが、ブログの中では思いっきり「ゲイである自分」を肯定することができる――その爽快感も、この作業に引き付けられる大きな理由かもしれない。
そう……穏やかだけど、まるで刺激のない毎日にささやかな彩りを添える、心躍る冒険。
ありのままの自分を肯定できる、居心地の良い憩いの場。
皓一のブログは、彼にとってそういう存在だった。
しかし。
嵐はある日突然、訪れる。
よもやそのブログが、知り合いにばれてしまうとは、思いもよらないことだった。
しかもそれだけでなく。
問題はその後――もっと奇想天外な事態が待ち受けていたのだ。
皓一だけでなく、この地球上の誰にも、想像できなかったに違いない。
嵐はもう、皓一のすぐ傍に、近づいて来ていた。
19
お気に入りに追加
387
あなたにおすすめの小説
【完結】別れ……ますよね?
325号室の住人
BL
☆全3話、完結済
僕の恋人は、テレビドラマに数多く出演する俳優を生業としている。
ある朝、テレビから流れてきたニュースに、僕は恋人との別れを決意した。
イケメン彼氏は年上消防士!鍛え上げられた体は、夜の体力まで別物!?
すずなり。
恋愛
私が働く食堂にやってくる消防士さんたち。
翔馬「俺、チャーハン。」
宏斗「俺もー。」
航平「俺、から揚げつけてー。」
優弥「俺はスープ付き。」
みんなガタイがよく、男前。
ひなた「はーいっ。ちょっと待ってくださいねーっ。」
慌ただしい昼時を過ぎると、私の仕事は終わる。
終わった後、私は行かなきゃいけないところがある。
ひなた「すみませーん、子供のお迎えにきましたー。」
保育園に迎えに行かなきゃいけない子、『太陽』。
私は子供と一緒に・・・暮らしてる。
ーーーーーーーーーーーーーーーー
翔馬「おいおい嘘だろ?」
宏斗「子供・・・いたんだ・・。」
航平「いくつん時の子だよ・・・・。」
優弥「マジか・・・。」
消防署で開かれたお祭りに連れて行った太陽。
太陽の存在を知った一人の消防士さんが・・・私に言った。
「俺は太陽がいてもいい。・・・太陽の『パパ』になる。」
「俺はひなたが好きだ。・・・絶対振り向かせるから覚悟しとけよ?」
※お話に出てくる内容は、全て想像の世界です。現実世界とは何ら関係ありません。
※感想やコメントは受け付けることができません。
メンタルが薄氷なもので・・・すみません。
言葉も足りませんが読んでいただけたら幸いです。
楽しんでいただけたら嬉しく思います。
お客様と商品
あかまロケ
BL
馬鹿で、不細工で、性格最悪…なオレが、衣食住提供と引き換えに体を売る相手は高校時代一度も面識の無かったエリートモテモテイケメン御曹司で。オレは商品で、相手はお客様。そう思って毎日せっせとお客様に尽くす涙ぐましい努力のオレの物語。(*ムーンライトノベルズ・pixivにも投稿してます。)
【連載再開】絶対支配×快楽耐性ゼロすぎる受けの短編集
あかさたな!
BL
※全話おとな向けな内容です。
こちらの短編集は
絶対支配な攻めが、
快楽耐性ゼロな受けと楽しい一晩を過ごす
1話完結のハッピーエンドなお話の詰め合わせです。
不定期更新ですが、
1話ごと読切なので、サクッと楽しめるように作っていくつもりです。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーー
書きかけの長編が止まってますが、
短編集から久々に、肩慣らししていく予定です。
よろしくお願いします!
愛され末っ子
西条ネア
BL
本サイトでの感想欄は感想のみでお願いします。全ての感想に返答します。
リクエストはTwitter(@NeaSaijou)にて受付中です。また、小説のストーリーに関するアンケートもTwitterにて行います。
(お知らせは本編で行います。)
********
上園琉架(うえぞの るか)四男 理斗の双子の弟 虚弱 前髪は後々左に流し始めます。髪の毛の色はご想像にお任せします。深い赤みたいなのアースアイ 後々髪の毛を肩口くらいまで伸ばしてゆるく結びます。アレルギー多め。その他の設定は各話で出てきます!
上園理斗(うえぞの りと)三男 琉架の双子の兄 琉架が心配 琉架第一&大好き 前髪は後々右に流します。髪の毛の色はご想像にお任せします。深い緑みたいなアースアイ 髪型はずっと短いままです。 琉架の元気もお母さんのお腹の中で取っちゃった、、、
上園静矢 (うえぞの せいや)長男 普通にサラッとイケメン。なんでもできちゃうマン。でも弟(特に琉架)絡むと残念。弟達溺愛。深い青色の瞳。髪の毛の色はご想像にお任せします。
上園竜葵(うえぞの りゅうき)次男 ツンデレみたいな、考えと行動が一致しないマン。でも弟達大好きで奮闘して玉砕する。弟達傷つけられたら、、、 深い青色の瞳。兄貴(静矢)と一個差 ケンカ強い でも勉強できる。料理は壊滅的
上園理玖斗(うえぞの りくと)父 息子達大好き 藍羅(あいら・妻)も愛してる 家族傷つけるやつ許さんマジ 琉架の身体が弱すぎて心配 深い緑の瞳。普通にイケメン
上園藍羅(うえぞの あいら) 母 子供達、夫大好き 母は強し、の具現化版 美人さん 息子達(特に琉架)傷つけるやつ許さんマジ。
てか普通に上園家の皆さんは顔面偏差値馬鹿高いです。
(特に琉架)の部分は家族の中で順列ができているわけではなく、特に琉架になる場面が多いという意味です。
琉架の従者
遼(はる)琉架の10歳上
理斗の従者
蘭(らん)理斗の10歳上
その他の従者は後々出します。
虚弱体質な末っ子・琉架が家族からの寵愛、溺愛を受ける物語です。
前半、BL要素少なめです。
この作品は作者の前作と違い毎日更新(予定)です。
できないな、と悟ったらこの文は消します。
※琉架はある一定の時期から体の成長(精神も若干)がなくなる設定です。詳しくはその時に補足します。
皆様にとって最高の作品になりますように。
※作者の近況状況欄は要チェックです!
西条ネア
神官、触手育成の神託を受ける
彩月野生
BL
神官ルネリクスはある時、神託を受け、密かに触手と交わり快楽を貪るようになるが、傭兵上がりの屈強な将軍アロルフに見つかり、弱味を握られてしまい、彼と肉体関係を持つようになり、苦悩と悦楽の日々を過ごすようになる。
(誤字脱字報告不要)
イケメン社長と私が結婚!?初めての『気持ちイイ』を体に教え込まれる!?
すずなり。
恋愛
ある日、彼氏が自分の住んでるアパートを引き払い、勝手に『同棲』を求めてきた。
「お前が働いてるんだから俺は家にいる。」
家事をするわけでもなく、食費をくれるわけでもなく・・・デートもしない。
「私は母親じゃない・・・!」
そう言って家を飛び出した。
夜遅く、何も持たず、靴も履かず・・・一人で泣きながら歩いてるとこを保護してくれた一人の人。
「何があった?送ってく。」
それはいつも仕事場のカフェに来てくれる常連さんだった。
「俺と・・・結婚してほしい。」
「!?」
突然の結婚の申し込み。彼のことは何も知らなかったけど・・・惹かれるのに時間はかからない。
かっこよくて・・優しくて・・・紳士な彼は私を心から愛してくれる。
そんな彼に、私は想いを返したい。
「俺に・・・全てを見せて。」
苦手意識の強かった『営み』。
彼の手によって私の感じ方が変わっていく・・・。
「いあぁぁぁっ・・!!」
「感じやすいんだな・・・。」
※お話は全て想像の世界のものです。現実世界とはなんら関係ありません。
※お話の中に出てくる病気、治療法などは想像のものとしてご覧ください。
※誤字脱字、表現不足は重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけると嬉しいです。
※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・すみません。
それではお楽しみください。すずなり。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる