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Ⅲ 誓約
14. 暗転
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ハッとして目覚めたとき、レイはいつものように洗い清められ、花の香りのする清潔な寝具に包まれていた。窓からは薄っすらと、朝の光が射し込んでいる。
傍らでレイの寝顔を楽しんでいた魔王が、上体を起こした。
魔王は既にきっちりと服を着込んでいる。もう仕事に戻る時間だったが、レイの傍を離れ難く、ぎりぎりまでねばっていたのだ。
「良い朝だな……レイ。おまえの寝顔、最高に可愛かったぞ……」
「なっ……!」
「……ふっ……」
魔王は笑いながら、真っ赤になったレイの頬を撫で、寝癖のついた髪を手で梳いた。
「昨夜は……嬉しかったぞ……私はこの世一、幸せな男だ……間違いなく」
「!」
レイは慌ててそっぽを向き、魔王の視線から逃げた。
昨夜、酒が回って意識は朦朧としていたが、自分が何をしたかは覚えている。
(アレは俺っ!? 俺か? 俺じゃなかった……いや、俺だ。間違いなく俺だ。流し目を使って魔王を誘い……自分からねだった……)
かぁーっと頭に血が上り、レイは羞恥のあまり悶死しかけていた。
掛け布を頭までかぶり、ジタバタともがく。
普段は飲まない酒を飲んだのは、酒の力を借りて気持ちを告げてしまおうと思ったからだ。――エイミアの助言のとおり、頭ではなく、心で答えを見つけたために。
結果としては計画通りになったわけだが……レイは自分が酒に弱いことを、失念していた。そのせいで見せなくてもいい痴態を披露してしまったのだ。
(いくら何でもあれは……豹変し過ぎだろ、俺!)
昨夜の自分を思い出しては、心の中で「ぎゃあああ!」と叫び、こぶしをシーツに打ちつける。
レイは傍から見ていて吹き出すくらい、狼狽をあらわにしていた。
布の塊と化して暴れているレイを、魔王は口元を綻ばせ見つめていた。そして触れようとして思いなおし、寝台から下りた。
「おまえの照れ方は豪快だな……。まあ良い……昨夜のおまえは……」
「言うな! 言うなああああっ!!!!!」
くぐもった叫び声が寝室内に轟き、魔王の顔面に枕が飛んでくる。それを難なく受け止めると、魔王はコホン、と一つ咳払いをした。
「……分かった。もう、言うまい」
「………………っ!」
布をかぶったまま震えているレイを可笑しそうに見ながら、魔王が再び口を開く。その声は弾んでいた。
「レイ……これから忙しくなるぞ? すまないがもうしばらくこの<最果ての間>で過ごしてくれ。ここにサライヤを毎日よこす。基本的な作法と、礼儀、立ち居振る舞いを彼女から学び、それに加えて魔界の地理、歴史、現在の勢力図を……」
黙って聞いていたレイが、掛け布をはらって起き上がる。
「おい……何の話だよ?」
「もちろん王妃教育だ。サライヤが教師なら、気心も知れて良かろう?」
「……俺は王妃になるなんて、一言も言ってないぞ」
魔王は怪訝な表情でレイを見つめた。
「おまえは昨夜、私に愛していると言ったではないか……」
「言ったが、妃になるとは言ってない」
魔王の顔が凍りつき、室内に張り詰めた空気が漂う。
「どういうことだ……?」
レイが息を呑む。痛いほどの怒気が魔王から発せられるのを感じ、レイは本能的に身をすくませ、薄氷を踏む思いで口を開いた。
「魔王……俺は……俺はあんたを愛してる……。けど、それと王妃になるかは別問題だ。俺はご覧の通りの混血だし、王妃なんて大役が果たせるとは思えない。あんたやサライヤの足を引っ張って、何もかも台無しにするのは目に見えている」
「私はそうは思わぬ。おまえは立派に妃としての責を果たすだろう」
「何を根拠にそう思うんだ? あんたは俺に……惚れてるから、俺を贔屓目に見てるんだ。周囲はどう思う? 俺みたいな雑種を王妃に据えて……どう反応する? 周りをよく見ろよ……。俺には無理だ」
「………………」
魔王は厳しい表情で、射るような視線をレイに注いでいる。
ピリピリとした空気が、実際に肌に刺さるような錯覚を覚え、レイは必死で言葉を取りつくろった。
「なあ……今までみたいに、時々会うんじゃ駄目なのか? 俺は何でも屋を続けながら、出来るだけ会いに来るよ。もうあんたを拒んだりしない。それじゃ、駄目なのか?」
「……おまえは私と離れて暮らせると、本気で思っているのか?」
「それはっ……」
――魔王と離れる。そう思っただけで、レイの心中に抗い難い嫌悪感が湧き上がった。
それを感じ取り、魔王は静かに
「……出来るはずがない」
と呟いた。
そして苛烈な視線をレイに注ぎ、強い口調で言い放つ。
「……私はおまえを離さぬ。決して、離さぬ!」
「魔王っ……!でもっ、俺は、人間界での暮らしがある! 兄が、師が、フアナが俺を待ってる!」
「里帰りくらいすれば良かろう。二度と親族に会わせぬなどと、非道なことは言ってはおらぬ」
「仕事は!? 俺はあの仕事が好きなんだ。これからも続けたい!」
「それは諦めろ。代わりに魔界のあちこちに連れて行ってやる。珍しい景色が見られるぞ」
「いやだっ! 俺は、王妃にはならない!」
ガシャン!と大きな音を放ち、魔王の傍にあった花瓶が割れた。活けられていた花が落ち、水が零れ落ちると同時に、花瓶の置かれていた小卓に深いヒビが走る。――魔王の体は、花瓶にも小卓にも触れていない。そこにはただ、怒気を孕んだ不穏な気配が、漂っていた。
「レイ、考え直せ」
それだけ言うと、魔王は硬い表情のまま、部屋を出て行った。
レイはしばらく動けず、呆然と寝台の上に座りこんでいた。
魔王の凄絶な怒りが、まだ辺りを重く徘徊している。
――魔族の王は、気配だけで人を殺せるという。
魔界でも人間界でも、そんな噂がまことしやかに流れている。レイは魔王と深く付き合ううちに、それをただの誇張だと一笑に付していたが、ここに至って嘘ではないことが、身に沁みて分かった。――気の弱い者なら、先ほど魔王の放った怒気を浴びただけで、とうに気絶していただろう。
レイは詰めていた息を一気に吐き出すと、頭を抱えてうずくまった。
傍らでレイの寝顔を楽しんでいた魔王が、上体を起こした。
魔王は既にきっちりと服を着込んでいる。もう仕事に戻る時間だったが、レイの傍を離れ難く、ぎりぎりまでねばっていたのだ。
「良い朝だな……レイ。おまえの寝顔、最高に可愛かったぞ……」
「なっ……!」
「……ふっ……」
魔王は笑いながら、真っ赤になったレイの頬を撫で、寝癖のついた髪を手で梳いた。
「昨夜は……嬉しかったぞ……私はこの世一、幸せな男だ……間違いなく」
「!」
レイは慌ててそっぽを向き、魔王の視線から逃げた。
昨夜、酒が回って意識は朦朧としていたが、自分が何をしたかは覚えている。
(アレは俺っ!? 俺か? 俺じゃなかった……いや、俺だ。間違いなく俺だ。流し目を使って魔王を誘い……自分からねだった……)
かぁーっと頭に血が上り、レイは羞恥のあまり悶死しかけていた。
掛け布を頭までかぶり、ジタバタともがく。
普段は飲まない酒を飲んだのは、酒の力を借りて気持ちを告げてしまおうと思ったからだ。――エイミアの助言のとおり、頭ではなく、心で答えを見つけたために。
結果としては計画通りになったわけだが……レイは自分が酒に弱いことを、失念していた。そのせいで見せなくてもいい痴態を披露してしまったのだ。
(いくら何でもあれは……豹変し過ぎだろ、俺!)
昨夜の自分を思い出しては、心の中で「ぎゃあああ!」と叫び、こぶしをシーツに打ちつける。
レイは傍から見ていて吹き出すくらい、狼狽をあらわにしていた。
布の塊と化して暴れているレイを、魔王は口元を綻ばせ見つめていた。そして触れようとして思いなおし、寝台から下りた。
「おまえの照れ方は豪快だな……。まあ良い……昨夜のおまえは……」
「言うな! 言うなああああっ!!!!!」
くぐもった叫び声が寝室内に轟き、魔王の顔面に枕が飛んでくる。それを難なく受け止めると、魔王はコホン、と一つ咳払いをした。
「……分かった。もう、言うまい」
「………………っ!」
布をかぶったまま震えているレイを可笑しそうに見ながら、魔王が再び口を開く。その声は弾んでいた。
「レイ……これから忙しくなるぞ? すまないがもうしばらくこの<最果ての間>で過ごしてくれ。ここにサライヤを毎日よこす。基本的な作法と、礼儀、立ち居振る舞いを彼女から学び、それに加えて魔界の地理、歴史、現在の勢力図を……」
黙って聞いていたレイが、掛け布をはらって起き上がる。
「おい……何の話だよ?」
「もちろん王妃教育だ。サライヤが教師なら、気心も知れて良かろう?」
「……俺は王妃になるなんて、一言も言ってないぞ」
魔王は怪訝な表情でレイを見つめた。
「おまえは昨夜、私に愛していると言ったではないか……」
「言ったが、妃になるとは言ってない」
魔王の顔が凍りつき、室内に張り詰めた空気が漂う。
「どういうことだ……?」
レイが息を呑む。痛いほどの怒気が魔王から発せられるのを感じ、レイは本能的に身をすくませ、薄氷を踏む思いで口を開いた。
「魔王……俺は……俺はあんたを愛してる……。けど、それと王妃になるかは別問題だ。俺はご覧の通りの混血だし、王妃なんて大役が果たせるとは思えない。あんたやサライヤの足を引っ張って、何もかも台無しにするのは目に見えている」
「私はそうは思わぬ。おまえは立派に妃としての責を果たすだろう」
「何を根拠にそう思うんだ? あんたは俺に……惚れてるから、俺を贔屓目に見てるんだ。周囲はどう思う? 俺みたいな雑種を王妃に据えて……どう反応する? 周りをよく見ろよ……。俺には無理だ」
「………………」
魔王は厳しい表情で、射るような視線をレイに注いでいる。
ピリピリとした空気が、実際に肌に刺さるような錯覚を覚え、レイは必死で言葉を取りつくろった。
「なあ……今までみたいに、時々会うんじゃ駄目なのか? 俺は何でも屋を続けながら、出来るだけ会いに来るよ。もうあんたを拒んだりしない。それじゃ、駄目なのか?」
「……おまえは私と離れて暮らせると、本気で思っているのか?」
「それはっ……」
――魔王と離れる。そう思っただけで、レイの心中に抗い難い嫌悪感が湧き上がった。
それを感じ取り、魔王は静かに
「……出来るはずがない」
と呟いた。
そして苛烈な視線をレイに注ぎ、強い口調で言い放つ。
「……私はおまえを離さぬ。決して、離さぬ!」
「魔王っ……!でもっ、俺は、人間界での暮らしがある! 兄が、師が、フアナが俺を待ってる!」
「里帰りくらいすれば良かろう。二度と親族に会わせぬなどと、非道なことは言ってはおらぬ」
「仕事は!? 俺はあの仕事が好きなんだ。これからも続けたい!」
「それは諦めろ。代わりに魔界のあちこちに連れて行ってやる。珍しい景色が見られるぞ」
「いやだっ! 俺は、王妃にはならない!」
ガシャン!と大きな音を放ち、魔王の傍にあった花瓶が割れた。活けられていた花が落ち、水が零れ落ちると同時に、花瓶の置かれていた小卓に深いヒビが走る。――魔王の体は、花瓶にも小卓にも触れていない。そこにはただ、怒気を孕んだ不穏な気配が、漂っていた。
「レイ、考え直せ」
それだけ言うと、魔王は硬い表情のまま、部屋を出て行った。
レイはしばらく動けず、呆然と寝台の上に座りこんでいた。
魔王の凄絶な怒りが、まだ辺りを重く徘徊している。
――魔族の王は、気配だけで人を殺せるという。
魔界でも人間界でも、そんな噂がまことしやかに流れている。レイは魔王と深く付き合ううちに、それをただの誇張だと一笑に付していたが、ここに至って嘘ではないことが、身に沁みて分かった。――気の弱い者なら、先ほど魔王の放った怒気を浴びただけで、とうに気絶していただろう。
レイは詰めていた息を一気に吐き出すと、頭を抱えてうずくまった。
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