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Ⅲ 誓約
8. 遠い過去からの手紙(1)
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「最果ての間」での幽閉生活は、22日目を迎えていた。
最初の頃とは違い、レイはもう、魔王を拒絶しなかった。
それどころか魔王の口付けに応え、広い背中に腕を回し、血を求められれば、それを承諾した。
しかし レイは魔王への特別な感情を自覚しながらも、数々の葛藤を抱え、はっきりと想いを伝えることができずにいた。
魔王は毎晩レイを抱くたびに、もの問いたげな瞳でじっと見つめてくる。魔王が何を期待しているのか分かっているが、レイはただ、優しく抱擁し、言葉ではなく態度で愛を伝えることしか、できなかった。
一方、昼間は脱出方法を探して、相変わらずの地味な作業を続けていた。壁を調べつくし、床に這いつくばり、天井をくまなくつついた。しかし何も、成果は得られなかった。
その日は書庫に何か脱出の手がかりとなる書物はないかとあさり――やがて文字を拾うのに疲れきって、長椅子に倒れこんだ。
「レイ様、ご休憩されませんか。お茶とお菓子をお持ちしました」
「ああ、シルファ。ちょうどいい時に来てくれたよ。……お、きれいな砂糖菓子だなあ……。あ、ここ片付けるよ」
レイは机の上に山積みにしていた本を、急いで棚に戻し始めた。
――そのとき、一冊の本が手から滑り、シルファの足元に落ちた。
「あっ……!」
シルファが小さく声を上げる。
レイは慌ててその本を拾い上げた。
「ごめん、当たった? 痛……くはないのか、君は……」
「はい。ご心配には及びません。その本は、エイミア様のお気に入りだったので……思わず声をあげてしまい、失礼致しました」
「へえ……」
レイは改めて、手元の本を確認した。書棚から出して表紙を一瞥しただけで、まだ中身を見てはいなかった。
「『虹の鳥と赤い鳥』……か……」
それは色鮮やかな絵で飾られた、童話の本だった。年代物らしく、紙がところどころ変色している。
個性的な絵柄に惹きつけられ、レイはゆっくりと頁を開いた。
「ええと、……ある……ところに……? ひ……いや、に……?」
見慣れない綴りを前に、レイは困惑して目をすがめた。
現在、魔界・人間界・仙界ともに、魔界発祥の「コルトゥ文字」を使った「セグトゥワ語」が広く流布され、共通語として使われている。それぞれの地域には訛りがあったり、特有の単語を持っていたりするが、レイは師匠のクインジュから多方面の「コルトゥ文字」と「セグトゥワ語」を仕込まれていたため、魔界での意思疎通や言葉の読解に苦労したことはなかった。
しかし――その文字は確かに「コルトゥ文字」だったが、レイにはところどころ、読めない綴りがあった。
シルファは茶と菓子の乗った盆を机の上に置くと、横から助け舟を出した。
「その絵本は360年前のものですから……文字が古すぎて、読みづらいかと。よろしければ、私が読み聞かせて差し上げます」
レイは即座に絵本をシルファに渡すと、砂糖菓子を頬張った。
シルファの透き通った声が淀みなく朗読を始め、レイは物語の幕開けに、子供のようにわくわくと胸を高鳴らせた。
「あるところに、虹から生まれた美しい虹色の鳥と、太陽から生まれた情熱的な赤い鳥がおりました……」
それは二羽の仲睦まじい鳥が、ある事件をきっかけに生き別れとなり、艱難辛苦の末、再び巡り会うという内容だった。
最後は「末永く幸せに暮らしました」と常套文句で締め括られていて、全編通して優しさに溢れているが、一箇所だけ、妙に気になるところがあった。
途中で二羽とも、命を落としているのだ。その後 復活を果たすのだが、死と悲しみの描写が、かなり丁寧に、ときには残酷なまでに詳細に書き込まれており、とても子供向きの童話とは思えなかった。
「シルファ……エイミアって人は……大人だったのか?」
「いいえ……初めてお会いしたとき、エイミア様は9歳におなりでした。私はそれから6年間、お世話させていただきました」
「そう……」
名前からして女性と思われるが、どんな理由があって、小さな女の子が、6年にもわたってここで生活していたのか……この物語を、どんな気持ちで読んでいたのか……束の間、遠い過去に思いを馳せたレイは、絵本をシルファの手から受け取ると、ぱらぱらと頁をめくった。そして最後の頁までくると、そこに古代アキュラージェ語で綴られた、肉筆の文字を見つけた。
それは思いがけないことだった。
その文字を拾った途端、レイは驚きのあまり息を止め、総毛立った。
『王妃にと望まれている人間の姿をしたあなたへ
どうかシルファをリンデンの丘へ連れてって。
月の光のもと、あの美しい木のかたわらへ。
500年目の奇跡を完成させるために。
私にできなかったことを、あなたが叶えて。
あなただけが、シルファを解放できる。
すべては額瞳の示すまま、魂の導く先へ。
今は頭ではなく、心で答えを見つけて。
エイミア』
レイは震える手で絵本を持ち、何度も繰り返しその文字を目で拾い上げた。
心臓が激しく鼓動を打ち、すうっと周りの壁が遠のいてゆく錯覚に陥る。
――何度読んでみても。
その文字は、今ここにいる自分への、過去からの伝言としか、思えなかった。
最初の頃とは違い、レイはもう、魔王を拒絶しなかった。
それどころか魔王の口付けに応え、広い背中に腕を回し、血を求められれば、それを承諾した。
しかし レイは魔王への特別な感情を自覚しながらも、数々の葛藤を抱え、はっきりと想いを伝えることができずにいた。
魔王は毎晩レイを抱くたびに、もの問いたげな瞳でじっと見つめてくる。魔王が何を期待しているのか分かっているが、レイはただ、優しく抱擁し、言葉ではなく態度で愛を伝えることしか、できなかった。
一方、昼間は脱出方法を探して、相変わらずの地味な作業を続けていた。壁を調べつくし、床に這いつくばり、天井をくまなくつついた。しかし何も、成果は得られなかった。
その日は書庫に何か脱出の手がかりとなる書物はないかとあさり――やがて文字を拾うのに疲れきって、長椅子に倒れこんだ。
「レイ様、ご休憩されませんか。お茶とお菓子をお持ちしました」
「ああ、シルファ。ちょうどいい時に来てくれたよ。……お、きれいな砂糖菓子だなあ……。あ、ここ片付けるよ」
レイは机の上に山積みにしていた本を、急いで棚に戻し始めた。
――そのとき、一冊の本が手から滑り、シルファの足元に落ちた。
「あっ……!」
シルファが小さく声を上げる。
レイは慌ててその本を拾い上げた。
「ごめん、当たった? 痛……くはないのか、君は……」
「はい。ご心配には及びません。その本は、エイミア様のお気に入りだったので……思わず声をあげてしまい、失礼致しました」
「へえ……」
レイは改めて、手元の本を確認した。書棚から出して表紙を一瞥しただけで、まだ中身を見てはいなかった。
「『虹の鳥と赤い鳥』……か……」
それは色鮮やかな絵で飾られた、童話の本だった。年代物らしく、紙がところどころ変色している。
個性的な絵柄に惹きつけられ、レイはゆっくりと頁を開いた。
「ええと、……ある……ところに……? ひ……いや、に……?」
見慣れない綴りを前に、レイは困惑して目をすがめた。
現在、魔界・人間界・仙界ともに、魔界発祥の「コルトゥ文字」を使った「セグトゥワ語」が広く流布され、共通語として使われている。それぞれの地域には訛りがあったり、特有の単語を持っていたりするが、レイは師匠のクインジュから多方面の「コルトゥ文字」と「セグトゥワ語」を仕込まれていたため、魔界での意思疎通や言葉の読解に苦労したことはなかった。
しかし――その文字は確かに「コルトゥ文字」だったが、レイにはところどころ、読めない綴りがあった。
シルファは茶と菓子の乗った盆を机の上に置くと、横から助け舟を出した。
「その絵本は360年前のものですから……文字が古すぎて、読みづらいかと。よろしければ、私が読み聞かせて差し上げます」
レイは即座に絵本をシルファに渡すと、砂糖菓子を頬張った。
シルファの透き通った声が淀みなく朗読を始め、レイは物語の幕開けに、子供のようにわくわくと胸を高鳴らせた。
「あるところに、虹から生まれた美しい虹色の鳥と、太陽から生まれた情熱的な赤い鳥がおりました……」
それは二羽の仲睦まじい鳥が、ある事件をきっかけに生き別れとなり、艱難辛苦の末、再び巡り会うという内容だった。
最後は「末永く幸せに暮らしました」と常套文句で締め括られていて、全編通して優しさに溢れているが、一箇所だけ、妙に気になるところがあった。
途中で二羽とも、命を落としているのだ。その後 復活を果たすのだが、死と悲しみの描写が、かなり丁寧に、ときには残酷なまでに詳細に書き込まれており、とても子供向きの童話とは思えなかった。
「シルファ……エイミアって人は……大人だったのか?」
「いいえ……初めてお会いしたとき、エイミア様は9歳におなりでした。私はそれから6年間、お世話させていただきました」
「そう……」
名前からして女性と思われるが、どんな理由があって、小さな女の子が、6年にもわたってここで生活していたのか……この物語を、どんな気持ちで読んでいたのか……束の間、遠い過去に思いを馳せたレイは、絵本をシルファの手から受け取ると、ぱらぱらと頁をめくった。そして最後の頁までくると、そこに古代アキュラージェ語で綴られた、肉筆の文字を見つけた。
それは思いがけないことだった。
その文字を拾った途端、レイは驚きのあまり息を止め、総毛立った。
『王妃にと望まれている人間の姿をしたあなたへ
どうかシルファをリンデンの丘へ連れてって。
月の光のもと、あの美しい木のかたわらへ。
500年目の奇跡を完成させるために。
私にできなかったことを、あなたが叶えて。
あなただけが、シルファを解放できる。
すべては額瞳の示すまま、魂の導く先へ。
今は頭ではなく、心で答えを見つけて。
エイミア』
レイは震える手で絵本を持ち、何度も繰り返しその文字を目で拾い上げた。
心臓が激しく鼓動を打ち、すうっと周りの壁が遠のいてゆく錯覚に陥る。
――何度読んでみても。
その文字は、今ここにいる自分への、過去からの伝言としか、思えなかった。
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