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Ⅱ 幽閉
5. 運命の相手
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魔族には生まれたときに、互いの半身となるよう、定められた相手がいる。それを<運命の相手>もしくは<魂の半身>と呼び慣わし、幸運にも出会うことが叶えば、二人は出会った瞬間に恋に落ち、固い絆で結ばれる。
<運命の相手>に出会うのは、誰もが求める僥倖である。この広い世界で、どこにいるか分からない相手を探して、旅に出る者さえいる。しかし大抵の者は自然の成り行きに任せた末、出会うことができずに、誰か手近な者と結ばれることを選ぶ。
サライヤにはまだ経験がないが、<運命の相手>と出会えば、必ず額瞳が報せてくれるという。
(でも、それならどうして……。額瞳の報せに、逆らえる者など……)
そう思ったサライヤの戸惑いを理解したように、魔王が口を開く。
「私も最初は不思議だった。なぜレイが、額瞳の報せに逆らえるのか。どうやらレイの額瞳は、一部眠っているようなのだ。額瞳が露出していないことで、何らかの制限がかかっているのだろう」
それはサライヤも、気付いていた。レイが魔導術を使う時の、必要な<気>の集め方が、通常とはずいぶん違っているのだ。どうやらレイの額瞳が皮膚の下に隠されているため、本来使える機能の一部が、制限されているようなのだ。それを思い出し、サライヤは口を開いた。
「レイ様は、額瞳の報せを、受け取っていないと……?」
「いや、受け取ってはいるだろう。そのようなそぶりがあった。ただ、額瞳が完全に目覚めていないせいで、私ほどはっきりと、自覚できないでいるのだ。
しかしレイは、確かに私を愛してる。レイは紛れもなく、私の<魂の半身>だ。気付いていないだけなのだ……いや、気付くのを、拒否している……」
魔王は眠るレイの頬をそっと撫で、愛おしさを募らせた。
「……人間界のくだらない常識が、この者の目を曇らせ、私たちの立場の違いが、この者を萎縮させている。……だから私は、攫う他なかった。<神聖な誓い>を成就させるために」
それを聞いて、サライヤは一層戸惑い、眉をひそめた。
――魔族は結婚に際して、<神聖な誓い>の儀式を行う。
大抵は形式的なもので、ほとんど効力は期待できないが、運命の絆で結ばれた者同志なら、話は別だ。<神聖な誓い>の真の成就が得られれば、その絆は永遠となり、死でさえ二人を引き裂くことはできなくなるという。
しかしサライヤは腑に落ちず、麗しい紫色の双眸を曇らせながら、兄に問うた。
「順序が……逆ではなくて? まずはレイ様の承諾を得てから……」
「レイの心が魂に従わぬと、頑固に拒絶するのであれば、体に分からせる他ない」
「!」
兄の言葉の意味するところを理解し、サライヤは真っ赤になって俯いた。
<神聖な誓い>を成就させるには、一定の期間、毎晩、体を繋げる必要がある。
そして体を繋げれば、心も陥落すると、魔王は言ったのだ。
なぜなら、<運命の相手>との性行為は、言葉では形容できないほどの、最高の快楽を相手に与えるからだ。――魔族が<運命の相手>を熱望する背景には、精神の充足と共に、肉体的な快楽を――極めて強い快楽を得たいという、性的な欲求が隠されている。
「……すまない、サライヤ。未だ純潔を保っているおまえに言うべきことではないが……レイの額瞳を目覚めさせ、この者を人間界の常識から解き放つには、荒療治が必要なのだ」
そう言った魔王から視線を逸らせ、サライヤは考え込んだ。
何が最善なのか、どうすれば二人を幸福な道へと導けるのか、分からなくなってきていた。
サライヤの迷いを感じ取り、魔王は真剣な口調で妹を説得した。
「分かってくれ、サライヤ。頼む、私に猶予を与えてくれ。30日、それ以上は望まぬ。その間に必ずレイの承諾を得て、私はこの者を妃に迎える。それまでレイをここに幽閉することに――私の卑劣な行いに、目を瞑ってくれ」
サライヤは悩ましげに目を閉じ、何も言わずに俯いている。
暗い水底のような、重苦しい沈黙が兄妹を包む中、レイの規則正しい寝息だけが、微かな音を響かせ、室内を泳ぐ。
ややあって顔を上げたサライヤは、挑むような視線を兄に注いだ。
「分かりました、お兄様。30日、お待ちします。けれど条件があります。三つの扉の解呪方法を変更しないこと、いつでもレイ様の許可が降り次第、わたくしとの面会を受け入れてくださること。よろしいですか?」
魔王は詰めていた息を吐き出し、顔の筋肉を弛緩させた。
「ああ、いいとも。もちろん、いいとも、サライヤ。ありがとう……ありがとう、サライヤ。おまえがいなければ、私は……私は今頃……」
――レイの冷たい骸を、腕に抱いていたことだろう。
感涙にむせびながら、魔王はサライヤの手を再び取ると、その手を自らの額に押し当て、魔族の最高の礼を示した。
繰り返し謝辞を述べる兄を見つめながら、サライヤは複雑な思いを、長い溜息に乗せた。
「……お兄様、レイ様を、くれぐれも大切になさって。少しでも乱暴なさったら、今度は許しませんからね。それから……レイ様が命を落としかけたこと……わたくしが療術を使い、蘇生させたことは、レイ様には内緒になさってくださいませ」
人間は一般的に吸血行為を厭い、激しい拒否反応を示す。人間界の常識の中で育ったレイが、魔王の吸血によって一度死んだのだと知れば、その精神状態に打撃を与えるのは否めない。その上、レイは非常に恥ずかしがりな面がある。
魔王は頷くと、サライヤに同意した。
「そうだな……。麗しい乙女に全裸を目撃されたと知れば、レイは羞恥から悶死するやもしれぬ。……おまえも、早く忘れてくれ。レイの裸を知るは、私ひとりで十分だ」
サライヤは頬を染め、唇を尖らせた。
「そうですわね、少なくともお兄様の裸は、早く忘れたいですわ。優雅さとは、程遠いのですもの」
美しい花のような面おもてに涙の跡を残し、サライヤは不適に笑った。
<運命の相手>に出会うのは、誰もが求める僥倖である。この広い世界で、どこにいるか分からない相手を探して、旅に出る者さえいる。しかし大抵の者は自然の成り行きに任せた末、出会うことができずに、誰か手近な者と結ばれることを選ぶ。
サライヤにはまだ経験がないが、<運命の相手>と出会えば、必ず額瞳が報せてくれるという。
(でも、それならどうして……。額瞳の報せに、逆らえる者など……)
そう思ったサライヤの戸惑いを理解したように、魔王が口を開く。
「私も最初は不思議だった。なぜレイが、額瞳の報せに逆らえるのか。どうやらレイの額瞳は、一部眠っているようなのだ。額瞳が露出していないことで、何らかの制限がかかっているのだろう」
それはサライヤも、気付いていた。レイが魔導術を使う時の、必要な<気>の集め方が、通常とはずいぶん違っているのだ。どうやらレイの額瞳が皮膚の下に隠されているため、本来使える機能の一部が、制限されているようなのだ。それを思い出し、サライヤは口を開いた。
「レイ様は、額瞳の報せを、受け取っていないと……?」
「いや、受け取ってはいるだろう。そのようなそぶりがあった。ただ、額瞳が完全に目覚めていないせいで、私ほどはっきりと、自覚できないでいるのだ。
しかしレイは、確かに私を愛してる。レイは紛れもなく、私の<魂の半身>だ。気付いていないだけなのだ……いや、気付くのを、拒否している……」
魔王は眠るレイの頬をそっと撫で、愛おしさを募らせた。
「……人間界のくだらない常識が、この者の目を曇らせ、私たちの立場の違いが、この者を萎縮させている。……だから私は、攫う他なかった。<神聖な誓い>を成就させるために」
それを聞いて、サライヤは一層戸惑い、眉をひそめた。
――魔族は結婚に際して、<神聖な誓い>の儀式を行う。
大抵は形式的なもので、ほとんど効力は期待できないが、運命の絆で結ばれた者同志なら、話は別だ。<神聖な誓い>の真の成就が得られれば、その絆は永遠となり、死でさえ二人を引き裂くことはできなくなるという。
しかしサライヤは腑に落ちず、麗しい紫色の双眸を曇らせながら、兄に問うた。
「順序が……逆ではなくて? まずはレイ様の承諾を得てから……」
「レイの心が魂に従わぬと、頑固に拒絶するのであれば、体に分からせる他ない」
「!」
兄の言葉の意味するところを理解し、サライヤは真っ赤になって俯いた。
<神聖な誓い>を成就させるには、一定の期間、毎晩、体を繋げる必要がある。
そして体を繋げれば、心も陥落すると、魔王は言ったのだ。
なぜなら、<運命の相手>との性行為は、言葉では形容できないほどの、最高の快楽を相手に与えるからだ。――魔族が<運命の相手>を熱望する背景には、精神の充足と共に、肉体的な快楽を――極めて強い快楽を得たいという、性的な欲求が隠されている。
「……すまない、サライヤ。未だ純潔を保っているおまえに言うべきことではないが……レイの額瞳を目覚めさせ、この者を人間界の常識から解き放つには、荒療治が必要なのだ」
そう言った魔王から視線を逸らせ、サライヤは考え込んだ。
何が最善なのか、どうすれば二人を幸福な道へと導けるのか、分からなくなってきていた。
サライヤの迷いを感じ取り、魔王は真剣な口調で妹を説得した。
「分かってくれ、サライヤ。頼む、私に猶予を与えてくれ。30日、それ以上は望まぬ。その間に必ずレイの承諾を得て、私はこの者を妃に迎える。それまでレイをここに幽閉することに――私の卑劣な行いに、目を瞑ってくれ」
サライヤは悩ましげに目を閉じ、何も言わずに俯いている。
暗い水底のような、重苦しい沈黙が兄妹を包む中、レイの規則正しい寝息だけが、微かな音を響かせ、室内を泳ぐ。
ややあって顔を上げたサライヤは、挑むような視線を兄に注いだ。
「分かりました、お兄様。30日、お待ちします。けれど条件があります。三つの扉の解呪方法を変更しないこと、いつでもレイ様の許可が降り次第、わたくしとの面会を受け入れてくださること。よろしいですか?」
魔王は詰めていた息を吐き出し、顔の筋肉を弛緩させた。
「ああ、いいとも。もちろん、いいとも、サライヤ。ありがとう……ありがとう、サライヤ。おまえがいなければ、私は……私は今頃……」
――レイの冷たい骸を、腕に抱いていたことだろう。
感涙にむせびながら、魔王はサライヤの手を再び取ると、その手を自らの額に押し当て、魔族の最高の礼を示した。
繰り返し謝辞を述べる兄を見つめながら、サライヤは複雑な思いを、長い溜息に乗せた。
「……お兄様、レイ様を、くれぐれも大切になさって。少しでも乱暴なさったら、今度は許しませんからね。それから……レイ様が命を落としかけたこと……わたくしが療術を使い、蘇生させたことは、レイ様には内緒になさってくださいませ」
人間は一般的に吸血行為を厭い、激しい拒否反応を示す。人間界の常識の中で育ったレイが、魔王の吸血によって一度死んだのだと知れば、その精神状態に打撃を与えるのは否めない。その上、レイは非常に恥ずかしがりな面がある。
魔王は頷くと、サライヤに同意した。
「そうだな……。麗しい乙女に全裸を目撃されたと知れば、レイは羞恥から悶死するやもしれぬ。……おまえも、早く忘れてくれ。レイの裸を知るは、私ひとりで十分だ」
サライヤは頬を染め、唇を尖らせた。
「そうですわね、少なくともお兄様の裸は、早く忘れたいですわ。優雅さとは、程遠いのですもの」
美しい花のような面おもてに涙の跡を残し、サライヤは不適に笑った。
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