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Ⅰ 強奪
10. 遺跡にて
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「その必要はない。レイ、私だ」
馴染みのある声が掛けられ、レイはびくっと体を震わせると、呪文の詠唱を中断した。
遺跡の中央、レイの5、6歩先に、魔王が立っていた。背後には見知らぬ魔族の男を従えている。
「魔王……!」
「魔王だって!?」
博士がびっくりして、レイの背中ごしに顔を出した。
はっとレイが息を呑む。しまった、と思ったが、もう遅い。
しかしレイの動揺をよそに、魔王自身はまったく動じない素振りで、二人にゆっくり近付くと笑顔を見せた。
「魔王と私を呼ぶのはレイだけだ。私の態度が尊大だからと、レイが付けた愛称だ」
それは一部、真実だった。魔王は普段、「陛下」と呼ばれている。
しかしそんなことなど知らない博士は、目の前の魔族が王とは無縁で、しかも愛称で呼ぶほどレイと親しい仲なのだと受け取った。――魔王の、思惑通りに。
緊張を解いた博士は、レイに問いかけた。
「レイ、君の友人かね?」
博士の問いかけに、レイは何と答えたものかと、一瞬躊躇する。
「はい……いや、その……」
(友人でした――でも今は求婚されて困ってます。なんて言えるかよ……馬鹿みたいじゃないか……)
言葉を濁し煩悶するうちに、魔王が割って入る。
「レイ、まだ怒っているのか。この間は悪かった。礼儀に反した行いだった。深く反省している。……もう私を、友とも思ってくれぬのか?」
レイは、はっとして魔王を見つめ返した。
落ち着いた口調、揺るがない視線、自信に満ち溢れたその態度は、最後に会ったときの魔王とは、まるで違っていた。
もうひと月以上前になるあの夜、魔王は憔悴しきって、空ろな眼差しで飢えたようにレイを見つめていた。
今、目の前にいる魔王は、友人として接していた頃と同じ態度で、宿屋のあの夜の一件は、やはりただの悪ふざけだったのかと、レイに思わせた。
(何なんだよ、いったい……。俺ひとり、ジタバタ悩んでいたのか? 何だかバカバカしくなってきた……)
レイの気がゆるんだのを見て取り、魔王がまた一歩、レイに近付く。
「レイ、今日は詫びの印に、おまえの仕事を手伝いに来たのだ。この者は――」
魔王の手振りに応えて、背後に控えていた男がうやうやしく礼をする。
魔王は言葉を続けた。
「古代アキュラージェ語関連に、造詣が深い。おまえの依頼主の役に立つだろう」
男は頷き、博士に向き合った。
「ラギと申します。宜しければさっそくお手伝い致しましょう」
博士は束の間 顔を輝かせたが、すぐに表情を改め、傍らのレイの顔を覗き込んだ。
「レイ、この一件では私は君の決定に従うよ。何があったのか知らないが、私は詮索はしない。今ここで仲直りするも良し、その機会を先送りするも良し、だ。私のことはまったく気にしなくていいから、心のままに決めたまえ」
博士らしい物言いだった。
古代アキュラージェ語の専門家として紹介された男の、その貴重な知識を得る千載一遇の機会を逃しても、レイの気持ちの方を優先させてくれている。
温かい博士の人柄を感じると共に、ごく個人的なことで博士に気を遣わせている自分が、レイは恥ずかしかった。
――心は、決まった。
レイは雑念を振り払うように深呼吸すると、初対面の魔族の男――ラギに向き合った。
「初めまして、ラギさん。どうかお力添えをお願いします。――では博士、始めましょうか。ずいぶんと時を無駄にしてしまい、申し訳ありません」
博士は破顔して、浮き浮きと手を擦り合わせた。
「気にせんでくれたまえ! さあさあラギさんとやら、詳しい自己紹介は後にして、さっそくこの欠けた部分についてだが」
「はい、博士。この一連の文字は、古い呪術の装飾部分と見受けられます。私の持参した資料をご覧下さい」
ラギは用意のいいことに、いくつもしおりを挟んだ本を、数冊手に持ち、手際よくページを開いた。
それを見た博士が、目を輝かせて歓声を上げる。
レイは博士に気付かれないように、小さく溜息をついた。
魔王はいつも、突然レイの目の前に現れるが、どこで情報を手に入れるのか、現れるときは決まってレイの前後の予定と現在の状況を熟知しているのが常だ。
(完全にしてやられた……)
レイは奥歯をぎりぎりと噛みしめた。
悔しいが、今回は魔王の作戦勝ちだ。ラギを受け入れた時点で、レイは魔王の謝罪を聞き入れたのだから。
レイは魔王を睨み付けると、噛み付くように言い放った。
「もう魔界に戻ったらどうだ? 用は済んだろ。悪いが俺は博士の護衛中だから、あんたの相手はできないぜ」
それを聞いて、魔王が苦笑する。
「つれないな……。少し話しがしたいのだが。……二人だけで」
レイの鼓動が、大きくひとつ跳ね上がった。
レイはそれを悟られまいと、焦りながら言葉を返す。
「仕事中だと言ったろ! 俺は博士の傍を離れないからな」
しかし魔王は引き下がらなかった。
「ラギは腕も立つ。何かあれば確実におまえの依頼主を守るだろう。私が保証する。それでも心配なら、声の届かない所まで、少し離れるだけでいい」
博士とラギは、今や床に資料を散乱させ、白熱した議論を繰り広げている。
その様子を見つめながら、レイはしばし考えこんだ。魔王の提案には、何か裏があるのではないかと、疑っていた。
しかしその沈黙をどう解釈したのか、魔王は博士とラギに近付くと、夢中で話しこんでいる二人に声を掛けた。
「ラギ、少し離れるが、後を頼む。博士、レイを借りる」
魔王とラギの目が、一瞬、合わさった。
「お任せ下さい」
ラギは魔王に頭を下げた後、再び博士に向き合い、静かな口調でこう告げた。
「博士、私には武術と魔道の心得がございます。レイ殿の代わりに私があなたの護衛を致します。宜しいでしょうか?」
資料から顔を上げ、ラギの視線を受けたとき、博士は目の奥で何かが弾けたような感覚に陥り、めまいに襲われた。そして半ば無意識に、ラギと魔王に向かって言葉を返した。
「あっ……ああ……承知した……」
その言葉を受け、魔王はレイを手振りで促した。
「感謝する、博士。では、行こうか、レイ」
レイは抗議しようと口を開きかけたが、博士に「私のことはいいから、友人と話しておいで」と愛想よく手を振られ、何も言えなくなってしまった。
そうして魔王に促されるまま、不承不承その場を離れた。
馴染みのある声が掛けられ、レイはびくっと体を震わせると、呪文の詠唱を中断した。
遺跡の中央、レイの5、6歩先に、魔王が立っていた。背後には見知らぬ魔族の男を従えている。
「魔王……!」
「魔王だって!?」
博士がびっくりして、レイの背中ごしに顔を出した。
はっとレイが息を呑む。しまった、と思ったが、もう遅い。
しかしレイの動揺をよそに、魔王自身はまったく動じない素振りで、二人にゆっくり近付くと笑顔を見せた。
「魔王と私を呼ぶのはレイだけだ。私の態度が尊大だからと、レイが付けた愛称だ」
それは一部、真実だった。魔王は普段、「陛下」と呼ばれている。
しかしそんなことなど知らない博士は、目の前の魔族が王とは無縁で、しかも愛称で呼ぶほどレイと親しい仲なのだと受け取った。――魔王の、思惑通りに。
緊張を解いた博士は、レイに問いかけた。
「レイ、君の友人かね?」
博士の問いかけに、レイは何と答えたものかと、一瞬躊躇する。
「はい……いや、その……」
(友人でした――でも今は求婚されて困ってます。なんて言えるかよ……馬鹿みたいじゃないか……)
言葉を濁し煩悶するうちに、魔王が割って入る。
「レイ、まだ怒っているのか。この間は悪かった。礼儀に反した行いだった。深く反省している。……もう私を、友とも思ってくれぬのか?」
レイは、はっとして魔王を見つめ返した。
落ち着いた口調、揺るがない視線、自信に満ち溢れたその態度は、最後に会ったときの魔王とは、まるで違っていた。
もうひと月以上前になるあの夜、魔王は憔悴しきって、空ろな眼差しで飢えたようにレイを見つめていた。
今、目の前にいる魔王は、友人として接していた頃と同じ態度で、宿屋のあの夜の一件は、やはりただの悪ふざけだったのかと、レイに思わせた。
(何なんだよ、いったい……。俺ひとり、ジタバタ悩んでいたのか? 何だかバカバカしくなってきた……)
レイの気がゆるんだのを見て取り、魔王がまた一歩、レイに近付く。
「レイ、今日は詫びの印に、おまえの仕事を手伝いに来たのだ。この者は――」
魔王の手振りに応えて、背後に控えていた男がうやうやしく礼をする。
魔王は言葉を続けた。
「古代アキュラージェ語関連に、造詣が深い。おまえの依頼主の役に立つだろう」
男は頷き、博士に向き合った。
「ラギと申します。宜しければさっそくお手伝い致しましょう」
博士は束の間 顔を輝かせたが、すぐに表情を改め、傍らのレイの顔を覗き込んだ。
「レイ、この一件では私は君の決定に従うよ。何があったのか知らないが、私は詮索はしない。今ここで仲直りするも良し、その機会を先送りするも良し、だ。私のことはまったく気にしなくていいから、心のままに決めたまえ」
博士らしい物言いだった。
古代アキュラージェ語の専門家として紹介された男の、その貴重な知識を得る千載一遇の機会を逃しても、レイの気持ちの方を優先させてくれている。
温かい博士の人柄を感じると共に、ごく個人的なことで博士に気を遣わせている自分が、レイは恥ずかしかった。
――心は、決まった。
レイは雑念を振り払うように深呼吸すると、初対面の魔族の男――ラギに向き合った。
「初めまして、ラギさん。どうかお力添えをお願いします。――では博士、始めましょうか。ずいぶんと時を無駄にしてしまい、申し訳ありません」
博士は破顔して、浮き浮きと手を擦り合わせた。
「気にせんでくれたまえ! さあさあラギさんとやら、詳しい自己紹介は後にして、さっそくこの欠けた部分についてだが」
「はい、博士。この一連の文字は、古い呪術の装飾部分と見受けられます。私の持参した資料をご覧下さい」
ラギは用意のいいことに、いくつもしおりを挟んだ本を、数冊手に持ち、手際よくページを開いた。
それを見た博士が、目を輝かせて歓声を上げる。
レイは博士に気付かれないように、小さく溜息をついた。
魔王はいつも、突然レイの目の前に現れるが、どこで情報を手に入れるのか、現れるときは決まってレイの前後の予定と現在の状況を熟知しているのが常だ。
(完全にしてやられた……)
レイは奥歯をぎりぎりと噛みしめた。
悔しいが、今回は魔王の作戦勝ちだ。ラギを受け入れた時点で、レイは魔王の謝罪を聞き入れたのだから。
レイは魔王を睨み付けると、噛み付くように言い放った。
「もう魔界に戻ったらどうだ? 用は済んだろ。悪いが俺は博士の護衛中だから、あんたの相手はできないぜ」
それを聞いて、魔王が苦笑する。
「つれないな……。少し話しがしたいのだが。……二人だけで」
レイの鼓動が、大きくひとつ跳ね上がった。
レイはそれを悟られまいと、焦りながら言葉を返す。
「仕事中だと言ったろ! 俺は博士の傍を離れないからな」
しかし魔王は引き下がらなかった。
「ラギは腕も立つ。何かあれば確実におまえの依頼主を守るだろう。私が保証する。それでも心配なら、声の届かない所まで、少し離れるだけでいい」
博士とラギは、今や床に資料を散乱させ、白熱した議論を繰り広げている。
その様子を見つめながら、レイはしばし考えこんだ。魔王の提案には、何か裏があるのではないかと、疑っていた。
しかしその沈黙をどう解釈したのか、魔王は博士とラギに近付くと、夢中で話しこんでいる二人に声を掛けた。
「ラギ、少し離れるが、後を頼む。博士、レイを借りる」
魔王とラギの目が、一瞬、合わさった。
「お任せ下さい」
ラギは魔王に頭を下げた後、再び博士に向き合い、静かな口調でこう告げた。
「博士、私には武術と魔道の心得がございます。レイ殿の代わりに私があなたの護衛を致します。宜しいでしょうか?」
資料から顔を上げ、ラギの視線を受けたとき、博士は目の奥で何かが弾けたような感覚に陥り、めまいに襲われた。そして半ば無意識に、ラギと魔王に向かって言葉を返した。
「あっ……ああ……承知した……」
その言葉を受け、魔王はレイを手振りで促した。
「感謝する、博士。では、行こうか、レイ」
レイは抗議しようと口を開きかけたが、博士に「私のことはいいから、友人と話しておいで」と愛想よく手を振られ、何も言えなくなってしまった。
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