虹の月 貝殻の雲

たいよう一花

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Ⅰ 強奪

11. 旅の途絶

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遺跡の外へ出て、木立の中へ少し足を踏み入れた所で、レイは足を止めた。

「これ以上行けば、博士の姿を確認できなくなる。話ならここで聞く」

魔王は頷くとレイに向き直り、真剣な表情で口を開いた。

「レイ、私は反省したのだ。私はもっと、おまえの立場になって考えるべきだった」

――それはこの間の求婚を撤回するという意味か……?
そう思った途端、レイの胸中に、何故か怒りの感情が芽生えた。文句を言ってやろうと身構えたが、魔王の次の言葉に唖然とする。

「私は人間界における求愛の作法を学んできた」

そう言いながら魔王はどこから取り出したのか、その手に豪華な花束を出現させると、それを差し出しながらレイの前にひざまずいた。

「レイ、私はおまえを愛している。どうか私の妃となってくれ!」

「! …………」

レイは小刻みに震えている。

「…………どうした、レイ? 何か間違っているか?」

「いや……間違ってない。女なら……喜ぶだろうな」

「なら、何故そんなにおかしな表情をしているのだ? 嬉しくないのか?」

レイは脱力して溜息を漏らした。どこまで本気なのだろうか、この男は……と思いながら。

「普通、男は男から花束をもらって求愛されても、喜ばない。……人間界では。……その求愛の仕方は間違っていないが、あんたの場合、根本に認識のズレがある……」

「………贈り物は、もう一つある」

魔王はまだあきらめず、今度は懐から小さな箱を取り出した。
箱の中身を想像できたレイは、首を振りながら手の平を魔王に向け、いらないという意思を示した。

「あのな、それも違うんだよ、魔王。俺は男なんだ。贈り物をする立場なんだよ」

「おお、私に何か贈ってくれるのか?」

「違――――――う!!!」

思いのほか大きな声を出してしまったレイは、はっとして博士たちを振り返ったが、二人はこちらに背を向けて論議に夢中になっている。レイは安堵して、再度魔王に向き直った。

(……冗談か? 冗談なのか、これは!?)

レイは拳を握りしめ、確かめるように目の前の男――ひざまずき、再び自分を口説いている魔王の、戸惑った顔を見た。
その表情にふざけた様子は微塵も感じられず、瞳は真剣な色を帯びてまっすぐレイを見上げている。

(本気……なのか……)

レイはがっくりと項垂うなだれた。

「あのな……俺は男なんだよ、魔王。おまえの妃にはなれない。無理なんだ」

魔王の表情が、さっと強張る。ゆっくり立ち上がった男は、不穏な空気をまといながら、レイに にじり寄った。その気迫に圧され、反射的に後ずさったレイの背に、遺跡の柱が当たる。

「レイ、何故運命に逆らおうとするのだ? おまえもあのとき……初めて会ったあの瞬間、感じたはずだ。互いの絆を」

「絆?」

「私と目が合った瞬間、稲妻に貫かれたように体が痺れ、魂が打ち震えただろう?」

確かに、初めて魔王と相対したとき、レイは言いようのない感覚に襲われた。でもそれは、魔王が他の誰とも違う、圧倒的な存在感を具えた、選ばれた者だからだと思っていた。
レイの戸惑いをよそに、その沈黙を肯定と受け取った魔王は、なおも言い募った。

「私と会うたび、心が躍ったはずだ。そして長く会えないときは、何度も強く、私のことを心に思い描いた……そうだろう?」

心中を見透かされたような気がして、レイは息を呑んだ。

「それは……、あんたが、友人だから! だから……!」

レイの鼓動が早鐘を打つ。

顔が熱い。

息が苦しい。

膝が震え、喉が渇く。

(何故俺は、こんなに動揺しているんだ!?)

動揺を隠そうと焦るレイから視線を逸らさず、魔王は静かな声で説得を続けた。

「レイ、おまえは私の運命の相手だ。紛れもなく。おまえの額瞳がくどうは、真実をおまえに告げた。後は魂に従うだけだ」

「額瞳だと? でも・・・俺の額瞳は不完全で……」

「分からないのか? お前も知っているはずだ。額瞳は魔力の源であると同時に、直感力を編み出す。おまえのその魔力の高さは、額瞳を具えている証だ。人間として偽装されたその皮膚の下に、おまえの額瞳はうまく隠されているが、もし目にすることが叶えば、おまえのそれは瞳と同じ、光を受けて美しく輝く蜂蜜色をしているだろう……」

熱のこもった瞳で見つめられ、レイは思わず目を逸らした。顔が火照り、心臓は口から出そうなほど、バクバクと激しく脈打っている。

(何だ……? おかしいだろ!? 男に……友人に口説かれてるんだぞ!? 普通、気色悪いと……)

――思えなかった。

このひと月あまり、自分を悩ませていたものの正体を、レイはこのとき初めて、自覚した。
無意識に封じ込めていた、その思い。
胸の奥でくすぶり続けた不安の、真の姿を。

(俺は……好きなのか? 魔王を……友人としてではなく、もっと特別な意味で……まさか……)

「レイ……」

囁くように優しく、自分の名前を呼ぶ魔王の声。
その声を聞いただけで、ぞくりと反応し、熱く疼きだす自分の体。
その感覚から逃れようと、レイは激しく首を振り続けた。

「だめだ……違う、違う! 俺は認めないぞ! 絆も運命も知るものか! そんな戯言たわごとで俺を惑わすのはやめろ!」

頑なに拒絶する想い人の姿に、魔王の気がさっと張りつめた。赤い双眸は冷たく光り、表情は固く凍り付いている。

「いつまで……私を焦らす気なのだ? 私を苦しめて、楽しいのか?」

「焦らしてない! 俺はあんたの妻になる気はない!」

「…………そうか。わかった。もう何を言っても、無駄なのだな?」

魔王はひとつ重たい息を吐くと、手に持っていた小箱を開け、中身を取り出した。
それは翡翠で作られた腕輪だった。
はっと息を呑むほど美しく、ひと目で名のある名匠が彫り上げた物だと分かる。植物をかたどった麗しい装飾が、ぐるりと腕輪の外周に彫りこまれており、よく見ればその中に、古代アキュラージェ語の文字が混ざっている。

「せめてこれを受け取ってくれ。おまえのために作らせた品だ」

そう言い終わらぬうちに、魔王は素早い動きで、レイの左手首にその腕輪をはめてしまった。

「なっ……!」

一瞬の出来事だった。

『作動しろ』

古代アキュラージェ語で魔王が呪文を唱えると、刻印された文字が突然光を放ち、腕輪を取り囲むように、くるくると躍り出た。

「あっ……くっ!」

(しまった! 呪具だ!)

レイはその腕輪に魔力を吸い取られると同時に、魔導術を封じられたことに気付き、慌ててそれをはずそうとした。
しかし手首に吸い付くように隙間なくはめられた腕輪は、装着する前は確かに一箇所、口を開ける構造となっていたのに、今はその継ぎ目も見つからない。

「くっ……! 魔……王!」

突然の魔力の消失に体が衝撃を受け、全身から力が抜けていく。
抵抗する間もなく、レイは意識を失い、魔王の腕に抱きとめられた。
魔王はぐったりと目を閉じているレイの呼吸を確かめたのち、恋焦がれた者を腕に抱いている至福に酔いしれた。

「レイ……レイ……?」

気絶したレイが応えるはずもないのに、何度もその名を呼ぶ。

「レイ…………」

額に口付け、
舌で味わうように唇に触れ、
胸に顔をうずめて匂いを嗅いだ。

「おまえは、私のものだ。もう二度と、離さぬぞ……」

そうして魔王は、壊れ物でも扱うように優しくレイを抱きあげると、そのまま魔界へと連れ去った。
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