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Ⅰ 強奪
8. 兄のまなざし(2)
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ギルドから、レイを指名しての依頼が入ったのは、家に戻って五日目のことだった。
学問の都市、センザンの著名な学者からの依頼で、研究のため、国の内外にある遺跡を巡る旅に、助手兼護衛として随伴して欲しいという内容だった。
期間は二ヶ月ほどで、報酬に満足のいく額を提示してきている。
この学者――ホーソン博士の依頼を、レイは過去に三回受けたことがある。いずれも2、3日で済む短期間の仕事だったが、博士とはよく気が合い、彼はいつも「次も君に頼むよ」と言ってくれていた。
レイはその依頼を即座に受けた。
日々の鍛錬も怠りがちだったため、そろそろ体も鈍ってきている。
それに、兄の監視の目も煩わしくなってきていた。
自分を心配してくれているのは重々承知だが、溜息をつくたび物問いたげに見つめられ、散歩に出ようとすればついて来られる。
レイは旅支度を始めながら、小さく溜息をついた。
(兄さんは気に入らないだろうな……)
予想通り、フリューイはレイが依頼を受けたことを知ると、弟を説得し始めた。
「もう少し家にいたらどうだ、レイ。その依頼を受けなくても、その学者は困りはしない。誰か他の者を見つけるだろう。もうしばらく家にいて、私と共に師の仕事を手伝ってくれ」
レイは荷物をまとめていた手を止め、心配げな兄の顔をまっすぐ見上げた。
「ごめん……兄さん」
一呼吸おいて、レイは先を続けた。
「心配してくれているのは分かってる。……今は話せないけど……いつか多分、笑いながら話せる日が来るだろうし……それまで俺を、放っておいてくれないか。本当に……ごめん」
いつも一番に、自分を心配してくれる兄。
その兄を煩わしいと思うなんて、信じ難い背徳行為のような気がして、レイは気が咎めた。
心の底から兄にすまないと思いながら、魔王のことを打ち明ける気にもなれず、レイはただ、項垂れ兄に謝る他なかった。
そんなレイの様子をじっと見ていたフリューイは、レイの傍に来ると静かな声で話しかけた。
「……何かをひとりで抱え込むことはないんだぞ? 私はいつでも、おまえの荷の半分を、引き受けるつもりだ。――それがどのような、過酷な荷でも」
荷の半分。
フリューイはそう言ったが、実際はレイが望めば、重荷のすべてを彼は背負い込むだろう。弟の自尊心を傷つけぬように、控えめに半分などと言ったのだ。
胸に込み上げてきた温かい感情を、どう処理すれば良いのか分からず、レイはいきなり兄に抱きついた。
そして子供の頃よくしたように、兄の胸に頭をぐいぐいと押し付けた。
フリューイは困ったように笑いながら、弟の髪をぐしゃぐしゃと掻き回す。
「おいおい……久しぶりだな。『奥の手』を使うとは」
子供の頃、ひどく兄を怒らせたしまったとき、レイはよくこうして泣きながら兄にむしゃぶりつき、謝った。
そうすると大抵、根負けしたフリューイは、どんなに怒っていても、最後には弟を許してしまう。
大人になってからもこの『奥の手』を使うとは思いもよらなかったが、兄の気持ちを静める有効手段として、最強なのは今も変わらないようだ。
「……仕方のないやつだ。いいか、今回の仕事が終わったら、寄り道せずにまっすぐ家に帰って来いよ。そろそろ仙界に顔を出す時期だからな」
毎年初夏に、フリューイはレイを連れて仙界の祖父母の元に挨拶に行く。
レイはもうそんな季節が巡って来たのかと、しばし仙界に思いを馳せた。
「分かったよ、兄さん。まっすぐ帰ってくるから、心配しないでくれ」
「もうすでに心配なんだがな……」
苦笑しながらフリューイは、再びぐしゃぐしゃと、弟の髪を掻き回した。
――兄弟を取り巻く慣れ親しんだ日常が、この後大きく変わってしまうことを、二人はまだ、何も知らなかった。
学問の都市、センザンの著名な学者からの依頼で、研究のため、国の内外にある遺跡を巡る旅に、助手兼護衛として随伴して欲しいという内容だった。
期間は二ヶ月ほどで、報酬に満足のいく額を提示してきている。
この学者――ホーソン博士の依頼を、レイは過去に三回受けたことがある。いずれも2、3日で済む短期間の仕事だったが、博士とはよく気が合い、彼はいつも「次も君に頼むよ」と言ってくれていた。
レイはその依頼を即座に受けた。
日々の鍛錬も怠りがちだったため、そろそろ体も鈍ってきている。
それに、兄の監視の目も煩わしくなってきていた。
自分を心配してくれているのは重々承知だが、溜息をつくたび物問いたげに見つめられ、散歩に出ようとすればついて来られる。
レイは旅支度を始めながら、小さく溜息をついた。
(兄さんは気に入らないだろうな……)
予想通り、フリューイはレイが依頼を受けたことを知ると、弟を説得し始めた。
「もう少し家にいたらどうだ、レイ。その依頼を受けなくても、その学者は困りはしない。誰か他の者を見つけるだろう。もうしばらく家にいて、私と共に師の仕事を手伝ってくれ」
レイは荷物をまとめていた手を止め、心配げな兄の顔をまっすぐ見上げた。
「ごめん……兄さん」
一呼吸おいて、レイは先を続けた。
「心配してくれているのは分かってる。……今は話せないけど……いつか多分、笑いながら話せる日が来るだろうし……それまで俺を、放っておいてくれないか。本当に……ごめん」
いつも一番に、自分を心配してくれる兄。
その兄を煩わしいと思うなんて、信じ難い背徳行為のような気がして、レイは気が咎めた。
心の底から兄にすまないと思いながら、魔王のことを打ち明ける気にもなれず、レイはただ、項垂れ兄に謝る他なかった。
そんなレイの様子をじっと見ていたフリューイは、レイの傍に来ると静かな声で話しかけた。
「……何かをひとりで抱え込むことはないんだぞ? 私はいつでも、おまえの荷の半分を、引き受けるつもりだ。――それがどのような、過酷な荷でも」
荷の半分。
フリューイはそう言ったが、実際はレイが望めば、重荷のすべてを彼は背負い込むだろう。弟の自尊心を傷つけぬように、控えめに半分などと言ったのだ。
胸に込み上げてきた温かい感情を、どう処理すれば良いのか分からず、レイはいきなり兄に抱きついた。
そして子供の頃よくしたように、兄の胸に頭をぐいぐいと押し付けた。
フリューイは困ったように笑いながら、弟の髪をぐしゃぐしゃと掻き回す。
「おいおい……久しぶりだな。『奥の手』を使うとは」
子供の頃、ひどく兄を怒らせたしまったとき、レイはよくこうして泣きながら兄にむしゃぶりつき、謝った。
そうすると大抵、根負けしたフリューイは、どんなに怒っていても、最後には弟を許してしまう。
大人になってからもこの『奥の手』を使うとは思いもよらなかったが、兄の気持ちを静める有効手段として、最強なのは今も変わらないようだ。
「……仕方のないやつだ。いいか、今回の仕事が終わったら、寄り道せずにまっすぐ家に帰って来いよ。そろそろ仙界に顔を出す時期だからな」
毎年初夏に、フリューイはレイを連れて仙界の祖父母の元に挨拶に行く。
レイはもうそんな季節が巡って来たのかと、しばし仙界に思いを馳せた。
「分かったよ、兄さん。まっすぐ帰ってくるから、心配しないでくれ」
「もうすでに心配なんだがな……」
苦笑しながらフリューイは、再びぐしゃぐしゃと、弟の髪を掻き回した。
――兄弟を取り巻く慣れ親しんだ日常が、この後大きく変わってしまうことを、二人はまだ、何も知らなかった。
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