星恋アルビレオ

オオカミ

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星を想って

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「お姉ちゃん、いくよー」
「は~い」
 
 私より少し背丈の低い少年の手から、白くて丸い小さなボールが投げられた。
ばふっ。
 私の方に飛んできたそのボールは、身に着けていたグローブの中に収められ、軽い振動を私の左手に伝わらせた。
やわらかく、しかしほどよい弾力のあるボールを、私はグローブから取り出し、右手に持って上方に構える。

「パスするよ~」

 そう言うと、私は少年――夜空仁(よそらじん)に向かってボールをそっと投げた。ボールは半円状の軌跡を描きながら、ゆっくりと上空を漂い、やがて仁の左手のグローブへと収まった。
ぱすっ。

「お姉ちゃん、もうちょっと強く投げてよ」
「あはは、ごめんごめん」

 今日私は、私の四つ下の弟、夜空仁と自宅でキャッチボールをしている。
 私の家は一軒家で、周りには近くに住む人たちの家々と、瑞々しい田んぼが広がっている。私が住んでいる地域は、交通手段が豊富な都会とは違って、電車の本数が多くなく、離れた場所に行く時には、電車より自動車を使うことが多い。しかしその分、土地の空間がゆったりとしていて、他の一軒家との間のスペースで遊んだりすることができるのだ。

「はいパスっ」

 仁が勢いよくボールを投げる。

「わあっ」

 私はなんとか反応し、左手のグローブでその衝撃を受け止めた。

「ちょっと、もう少しやさしく投げてよ!」
「ごめんごめん」

 仁は申し訳なさそうに頭を下げるが、まったく反省しているようには思えない。
 この子は昔から元気な子で、いつも私は仁に振り回されてばかりだった。
 仁がまだ幼稚園生だったころ、私たち二人は、我が家の一員で、ゴールデンレトリーバーのナナと一緒に散歩をしていたのだが、「イエーイ」といって仁が急に走り出し、それにつられてナナも一緒に走り出してしまい、私はナナに引きずられながら弟の方に向かった……なんてこともあった。
 そうはいっても、なんだかんだで仁は優しい子だ。私が悲しんでいる時にはちゃんと慰めてくれるし、私が大好きなこんぺいとうを買ってきてくれたりする。

「お姉ちゃんさ、最近なんか、目が輝いてるね」
「え、そうなの?」
「うん。前はお姉ちゃん、少し寂しそうな感じだったんだけど、今はなんだか、きらきらした感じになってる気がする」
「きらきらした感じ……」

 仁にこう言われて、少しびっくりした。確かに最近の私は、少し明るくなったように思える。それにしても、以前の私は寂しそうに見えていたなんて。家族の前では、がんばって明るく振舞っていたつもりだったのだが、しっかり見破られていたようだ。
 というのも、私は、今年の春に地元の高校に進学したのだが、緊張して引っ込み思案になってしまい、勇気を出してクラスメイトに話しかけることが、なかなかできなくなってしまっていた。それでも、優しい人たちが私に話しかけてくれて、友達になろうとしてくれた。  
 けれど、やっぱり私は、みんなの話しのノリやテンポにうまく合わせることができず、だんだんと敬遠され、「不思議ちゃん」扱いされるようになってしまった。
 
 だからといって、クラスのいじめのターゲットにされたり、悪口を言われたりするわけでもなかった。中には、ひとりふたり、私と仲良くしてくれる人たちもいる。それでも、その人たちが無理して私に合わせてくれているような気がして、どことなく、寂しい気持ちが胸の奥に沈み込んでいた。
 だけど、最近になって私は、少し変われた気がしている。夏休みが明けて、新学期になってからは、自身の性格を気にしすぎないで、周りの人たちと話せるようになった。それに、私と仲良くしてくれている人たちを、ちゃんと友達なんだと思えるようになった。
 思えば二人とも、とても明るくて優しい、素敵な人たちだ。みんなとうまく合わせることはできなかったけれど、こんな素敵な友人たちと出会えたことを、今は嬉しく思っている。
 
 こんな風に変われたのは、きっと……

「お姉ちゃーん!」
「はっ!」

 しまった、また物思いにふけってしまった……。こういう癖があるから、きっとクラスでも浮いてしまうんだ……。

「早くボール投げてよー!」
「はーい!」

 この癖が人前で出ないように気を付けない……とっ!
 ばすん!
 ボールは勢いよく飛び、仁の左手のグローブの中に収まった。 

「おわっ! いきなり強く投げるなよっ!」
「あっ……えっと、ごめん。てへへ……」

 無意識のうちに強く投げてしまっていたようで、申し訳なさと恥ずかしさが、いっぱいになって押し寄せてくる。  
 物思いから覚めた後も集中できず、おかしなことをしてしまう……これも私の悪い癖だ。本当に気をつけないと……。

「ひょっとしてお姉ちゃん、彼氏でもできた?」
「え!? いや、できてないですわよ?」
「なにその変なしゃべり方……いくらなんでも怪しすぎるでしょ……」
「で、でも、本当に彼氏はできてないよ」
「うーん、そうなのか……」

 仁は少し考えこんだ後、ゆっくりとしたボールを私に投げた。

「彼氏じゃないってことは、友達?」
「あっ、うん、そんな感じ」
「男友達?」
「えっと……うん」

 私は嘘をつくのは苦手だし、仁にはすぐに見破られてしまいそうだったので、観望会で出会った彼のことを、正直に話すことにした。

「その人のこと好きなの?」
「分からない……。でも、また会いたいなって思ってる」
「好きなんじゃん」
「なっ……違うし!」

 顔が赤くなってどうしようもなかったので、仁に向かって思いきりボールを投げてやった。
 ばしっ!

「もうその手は食わないぜ!」

 私がボールを強く投げるのを予想していたのか、仁はしっかりと構えて私のボールを受け止めた。

「とにかくさ、その人のことが好きなら、自分の気持ちに正直になりなよ。後で後悔したって、どうしようもないんだから」
「うー、それはそうだけど……」

 言うは易く、行うは難し……。実際に行動するのには、本当に勇気がいるのだ。

「おれ、お姉ちゃんならいけると思う。お姉ちゃんってすごく優しいし、そばにいると安心できるから」
「仁……ありがとう」

 嬉しくて、思わず涙ぐんでしまう。うちの弟は、本当にいい子だ。

「それじゃ、さっき思いきり投げて来たの、お返しするぜ!」

 仁はにっこりと笑い、投球のポーズを取った。

「え、ちょっと待って! まだ心の準備が――きゃああ!」

 ぼすっ! 
 ボールは勢いよく飛んできた。ボールの球速に怯えた私は、なんとか左手のグローブを差し出し、その小型ボールを受け止めた。
 実際には、ボールの速さはそれほどのものではなく、捕まえる分には十分な余裕があったのだろう。しかし、私はボールが苦手なので、必要以上に怖がってしまっていた。
 優しくて本当にいい子だと、感心していたのに……。自業自得とはいえ、もう少し空気を読んでくれてもいいのではないか。
 
 その後、私は負けじとボールを強く投げ返し、仁義なきキャッチボール戦争が繰り広げられた。ボールが怖くて泣きそうになったので、すぐに私は白旗を挙げた。

             
                 * * *


 観望会に星を見に行ってから、二か月ほどの時が経った。
 
 夏の暑さはすっかり秋風に飛ばされ、外を歩けば、優雅な赤の景色を目に留めることができるようになった。あれから私は、彼と……ルイとよく連絡を取り合うようになり、時々会って、話しをしたりするようになった。
 彼はやっぱり不思議な人で、普通の人はたいてい知っている事を知らなかったり、逆に、星のこととか、科学のこととか、ある特定の物事には詳しかったりしていた。
 それ以上に不思議に思えたのは、彼はそもそも、私や私の周りの人たちとはそもそも、物を見る視線、価値観がまったく違うと思えたことだ。具体的に言葉にするのは難しいが、なんというか、物事を地球規模、宇宙規模で見ている……つまり、物事を広すぎる視点から見ている……そう感じさせることが時々あるのだ。
 
 こうした差は、もしかすると彼の見た目と関係しているのかもしれない。
 ルイの容貌は、普通の日本人とはかけ離れたもので、瞳は藍色、髪は青みがかった白色で、顔立ちは精巧な人形のように整っている。
 彼との会話の中で、そのことについて聞いてみると、彼が外国からの出であることを私に教えてくれた。他の海外の人たちのことは分からないけれど、日本人ではないのなら、価値観や知識が違うのも、容姿が整い過ぎているのも、おかしなことではない……のかもしれない。
 
 けれど、私にはまだ、ルイについて知らないことがたくさんある。
 彼はとても気さくな人で、メールでも会った時でも、日々の出来事を楽しそうに教えてくれた。しかしなぜか、彼が故郷にいた頃についてのことは、あまり話してくれないのだ。
 故郷にいた頃のことを思い出したくないとか、そういうわけでもなさそうだったが、なにか、どうしても話せない事情があるようだった。
 
 だから正直、彼について、疑問に思う気持ちがないわけではない。それでも私は、彼を信じたいと思っている。
 不思議なところがたくさんある彼だけれど、とても素直で、穏やかで優しくて、他者の存在を真っ直ぐに受け止められる、そんな暖かい心を彼は持っていると、私は信じている。
 長い付き合いではないけれど、それでも私は、彼と共に過ごした時間の中で感じた、この胸の奥に伝わる暖かさを信じたい。
 
 私は、ルイのことが大好きだから。

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