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5.番の邂逅
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────あたたかくて、ふわふわで、何だかとても良い匂いがする。
考えないといけないことがたくさんあった気がするのに、ここにいると不安も焦燥も全て溶けていくような感覚がして、うまく思考がまとまらない。起きなければ、と諭す自分と、とても良い気分なのだからまどろみに任せてしまえと唆す自分を天秤に掛けていると、とても安心する、温かくて大きな手に撫でられる感覚がした。
────ああ、そうだ、これは私の番の手だ。気持ちいい。もっともっと撫でて欲しい。
自然とごろごろ喉が鳴り出し、本能に身を任せ額を擦り付けたところで─────……
「─────ッかわ、いい……ッ」
噛み締めるような低い声が耳に入り、一気に頭が覚醒した。ぱち、と反射的に目が開いて、それから一番に視界に飛び込んできた、目が眩むほど美しい人の蕩けるような表情に、また意識が飛びかける。けれど何とかそれを堪えて、私は瞬時にその場から飛び退いた。予想と反して足場が酷く柔らかくて、思わずバランスを崩しかける。訳が分からず、私は忙しなく周囲を見回した。寝ぼけていた頭も覚醒して、まどろみに飛んでいた記憶も戻ってくる。
そうだ、確か魔女とはぐれた私は、人気の少ないお屋敷の端を一晩間借りしようとして、結果的に一室のベッドの上で眠り込んでしまったんだ。そうして目覚めたら、なぜか番が目の前にいて。驚いて、私は不吉な黒猫だから、とにかく離れなければと思って─────それから。
『動くな』
思い出すだけで、ぞわ、と毛が逆立った。あれは、あの圧倒的強者の声は、その短い一言だけで私の自由全てを奪っていった。いくら力の差があろうと、あんなことができる存在なんてそうそういない。ぱっと見は普通の人間に見えるのに、一体この人は何者なんだろう。それに──────この見慣れない豪奢な部屋は、一体どこなのだろう。
私が眠り込んでしまった部屋とはまた違う、意匠の凝らされた品の良い部屋。私が目覚めたのは、小さな体全てが沈んでしまいそうな、ふかふかのクッションが敷き詰められたベッドだった。ただ一つ異様なのは─────部屋に窓が一つも存在しないこと。こんなに豪華な部屋なのに、外の景色を見られないようにするなんてこと、あるのだろうか。
昨日から訳の分からないことが続きすぎて心底混乱しているのに、嫌な予感だけがひしひしと胸を襲っていた。現状を把握しようと、毛を逆立てて必死に部屋を見回す私に、酷く優しい声が掛けられた。この部屋には、私ともう一人しかいない。
「────おはよう、ノエル」
否応なく、その声に心惹かれてしまう。どんなに早く離れなくてはと心が急かしていても、本能がそれを許してくれない。それは番に囚われているというのももちろんあるけれど、それと同じほどに、獣人としての本能が警告していた。────この人に、頭を垂れよと。
尻尾を体に沿わせて縮こめたまま、おそるおそるその人を見上げると、パチリと宝石のような瞳と視線がぶつかった。まさかずっと、私のことを見詰めていたのだろうか。目が合った瞬間、とろりとその瞳が、愛おしいものを見詰めるかのように蕩けた。
「今日からここが、君の部屋だよ。やっと手に入れた……俺の愛しい、愛しい番」
最初、何を言われているのか分からなかった。今日からここが私の部屋?いや、それよりも。愛しい番、とは一体どういう意味なのだろう。確かに私の番はこの美しい人で、今も声を聞くだけで、姿を見るだけで胸が高鳴り、どうしようもない愛おしさが湧き上がってくるけれど。でも私は今、忌み嫌われる黒猫の姿だ。獣人ですらないのに、相手が私のことを番だと認識するなんてあり得ない。それなのにこの人は何のためらいもなく、私のことを番と呼んだ。酷く大切なものを呼ぶかのような、優しい声で。
不吉な黒猫が、獣の姿であれ獣人であれ、誰かに愛されるはずがない。奇跡のように愛してくれた両親すら、私は殺してしまったのに。そのはずのに、疑いようもないほどに愛おしさを込めて見詰めてくるこの人が、訳も分からず恐ろしかった。いや、この美しい人が恐ろしいのではなく────この人を傷つけることが、恐ろしくてたまらない。
現状はさっぱり理解できていないけれど、理解できないままでもいい。とにかくどうにか、ここから離れなければ。愛おしくて、見るだけで胸が締め付けられて、狂おしいほどに高鳴って、たまらなくこの人の傍にいたいと本能が叫ぶけれど、それでも、ここにいるわけにはいかない。厄災を振りまく私は、一刻も早く魔女と合流しなければならないのだから。
宝石のようなその瞳の熱から逃げ出すように、私は後ろ足に力を込めてベッドから飛び降りた。目指すのは勿論、この部屋唯一の出入り口である扉だ。たた、と軽い音を立てて一目散に出口へ駆けていく私を、番は何も言わずに見送っていた。離れたくない、と叫ぶ本能をねじ伏せて、私はぐ、と一度上体を伏せると勢いよく跳躍してドアノブに飛び掛かった。下に押すタイプのドアノブだから、こうして勢いをつければ開いてくれるはず─────
しかしそんな浅はかな考えは、ガチャン、という金属のぶつかる音で叩き潰された。鍵が掛けられていた、という思考に至るまでもなく、勢いをつけたものだからそのまま上手く着地できない態勢で落下しそうになったのを、酷く温かくて大きな手に受け止められて。
「─────思ったより君は、ずっと賢いんだね、ノエル。……色々、環境を見直す必要がありそうだ」
掌で包むようにして胸へと抱き込まれて、私は固まった。一体いつ、ベッドから扉の傍まで移動していたのだろう。密着したせいでぶわり、と番の匂いが広がって、途端に頭がくらくらした。番だということを差し引いても、男の人とこんなに密着したことなんてなくて、ただでさえ小さく速くなった鼓動が死んでしまいそうなほど高鳴っていく。恥ずかしくて仕方がなくて身を捩るけれど、力強い手がそれを許してはくれなかった。
拘束するように私を抱き込んだまま、その長い脚であっという間にふかふかのベッドへと戻り腰掛けた彼は、上から覗き込むように私と目を合わせた。そのエメラルドのような瞳は相変わらず愛おしいものを見るように蕩けているのに、その中にひどく昏い、得体の知れない色を見付けて、自然と体が強張る。する、とその美しい指が私の顎の下へと滑って、思わずびくりと体が跳ねた。その辺の猫を可愛がるための喉を撫でる仕草とはまた違った、どこか熱情と執着を込めたような優しい手つきで、彼は幾度もそこを撫ぜた。
「ノエル、俺の何よりも大切な、この世で唯一の愛おしい番……君が分からなくてもいいよ、一生俺の一方通行でも、いい。─────俺がただ、君に誓うだけだ」
ガリ、と鈍い金属音がして、身が強張る。首輪を強く引っかかれた、ということに気が付けるほど、私の思考は回っていなかった。彼はどこか仄暗く危うい光をその瞳に纏ったまま、うっそりと笑った。
「自己紹介をしようか、ノエル────俺はアダン。本当はもっと長ったらしい名前だし、色々肩書きは持っているけれど、一番大切なのは、君の……ノエルの、唯一の番だということだけだよ。君の好きなこと、好きなもの、これから全てを与えると約束する。君が望むことなら何でもしてあげる。元の飼い主なんて忘れ去って、君が何不自由なく、何の心配もなく俺の傍に永遠に居られるためなら、俺はどんなことでもするよ。……でも、ごめん、自由だけは、何をどうやったって与えてあげられない。───────……こんなことを言っても、君は分からないのだろうけれど」
ごめん、と言いながら、その唇は微かに歪な笑みを描いていた。けれど私はそれに気が付けるような余裕はなく、それどころか今、一番初めに聞いたことが信じられなくて、頭が真っ白になっていた。ぶわ、と尻尾の毛が勝手に膨らんでいく。
─────今、この人は、一体なんと名乗った?
閉鎖的な村で生まれ育ち、その上まともに話せる人は両親しか居なかったから、きっと私はこの世界の常識なんてろくに知らない。それでも────獣人として生まれ育って、その名前を知らないものはこの世にいない。
全ての獣人を統べる、この国の頂点に君臨する王。獣人の中で最も尊い種族とされる、唯一人間と竜の姿を完璧に使い分けることのできる竜人。もう長いこと、それこそ何百年と────どんな理由だったか私は詳しく知らないけれど、表舞台に立ってはいないのに、それでもなお求心力を失うことはなく、ただそこに生きているというだけで全ての獣人を跪かせることのできるほどの力を持つ唯一の人──────竜王アダン。
その名を名乗って良いのは、この国でただ一人だけ。わざわざ言葉の分からない黒猫に嘘をつくはずがないし、そうであるなら傍にいるだけで胸の内から湧き上がる畏怖も、たった一言の命令があれほどの力を持つのも納得がいく。正直信じられない思いでいっぱいだけれど、それでもそうと言われれば納得してしまうほどに、この人は高貴で、頂点に立つものとして相応しい空気を纏っていた。それに、見たことがない複雑な虹彩のエメラルドのような瞳。魔力の質は瞳の色に表れるというかつての魔女の言葉が本当なら、彼にこれ以上相応しい色はないに違いない。混乱しつつ、それでも自分の番がこの国の王だった、という事実の上澄みだけ何とか飲み下せば、次の瞬間からどんどん血の気が引いていくのを感じた。
竜人という特別な存在だからなのか分からないけれど、この人は私が黒猫だということを気にしておらず、それどころか私と同じように唯一の番として認識してくれているらしい。だから普通の猫を飼うのと同じように、手元に置いておこうと考えてくれたのだろう。それを心の底で、狂おしい程に喜ぶ自分がいることも確かだった。不吉な黒猫である自分を厭わず愛してくれるのは、両親だけだと思っていたから。
番の存在は知っていても、不吉な黒猫である私には夢のまた夢で、出会わない方が相手のためだとすら考えていたはずなのに、口が裂けてももうそんなことは言えそうにない。一度出会ってしまえば、その存在を確かめてしまえば、もう二度と、出会う前へは戻れない。愛おしくて狂おしくて、番だと気づいてくれたことが嬉しくて仕方がなくて、何も考えずその腕の中に飛び込んでしまいたくなる。
けれど──────それを押し止めるように、魔女の言葉が頭の中で反響した。
『ほとんど無力化できるとはいえ、全ての能力を抑えられるわけじゃないから、魔女の手元にあるのが一番安全よ』
この人は────アダン様は、不吉な黒猫など迷信だと思っているのかもしれない。あるいは、竜王の力の前ではそんなものは些事だと考えているのか。だから忌み嫌われる黒猫の私でも、抵抗なく番だと言って受け入れてくれるのかもしれない。でも、私は知っている。厄災に襲われた村の惨状が、両親の死が、胸の内に嫌というほどこびりついている。私は迷信でもなんでもなく呪われた不吉な黒猫で、黒猫が呼び込む厄災は本当に存在するのだ。
私にとっては愛おしい番、というのが一番に来るけれど、それを差し引いて考えても、一国の王に私のせいで厄災が降りかかったりしたら──────今は魔女の封印の力である程度は抑えられているはずだけれど、それでも万が一、本当に万が一、両親のように私のせいでその命が危うくなるようなことがあったら。考えるだけで、酷く悍ましい気分に襲われた。自然と体が震えて、背筋を走る悪寒が止まらない。恐い。恐い。もう誰も自分のせいで傷付いてほしくない。村の獣人たちは確かに私が呼び込んだ厄災に苦しんでいたけれど、両親は一息に死んでしまった。それはきっと、距離を取っていた村の獣人達と違って、ずっと呪われた私の傍にいたせいだ。私を慈しんで、愛して、一緒にいてくれたから、両親は死んでしまったのだ。
──────この、私を番と呼んで、一緒に居たいと言ってくれる美しい人まで、私のせいで喪うことがあったら。
ぶわ、と全身の毛が逆立ち、自然と喉から低い唸り声が漏れた。許せない、と思った。これまでの生で感じたことがないほどに強く。この強く美しく高貴な人を、黒猫の私を番と認めてくれた優しい人を傷付けるものは、何であっても許せない。それが例え自分であったとしても。
番相手に唸る訳がないけれど、アダン様は私の様子をそう勘違いしたのか、躊躇うように僅かに腕の力が緩んだ。その瞬間を見逃さず、私は勢いをつけて腕の中から飛び出した。何でもいい、死ぬこと以外ならどんな手段を用いてもいい。絶対に、すぐにでも、この人から離れなくては。厄災を運ぶ存在が番の傍にいるなんて、一秒だって耐えられない。一体いつ、番に自分のせいで不幸が襲いかかるのか分からないのに。寂しい、悲しい、ようやく私のことを見ても嫌わない、それどころか優しく見てくれる人と出会えたのに。両親が亡くなってずっとずっと孤独で、それを言える人すらいなくて、やっと出会えたこの人に縋って甘えてしまいたい。そうやって子供のように愚図る自分を、私は無理矢理に殺した。不吉な黒猫には、思うことすら許されない願いだ。
私は一目散に扉に飛びついて、ガリガリと爪を立てた。鍵が掛かっていることは分かっているけれど、それでも何もしない訳にはいかない。大騒ぎすれば誰か飛び込んでくるかもしれないし、不吉な黒猫が高級な部屋を荒らし回れば嫌気がさして追い出してくれるかもしれない。今日だけでは無理だったとしても、ずっとそんな態度を取り続ければさすがの番でも嫌になって放り出してくれるかもしれないし、アダン様以外の誰かが怒って不吉な黒猫を叩き出してくれるかもしれない。殺されては困るけれど、それ以外ならどうなってもいい。とにかく、一刻も早くこの尊い人から離れなければ。愛してくれたから、愛しているから、早く私のことなんて嫌いになって欲しかった。
「にー!にぃー!!」
ちいさな体でできる限界まで喚きながら、ガリガリと必死になって扉に爪を立てる。力を入れすぎているのか爪の根元に痛みが走るけれど、例え傷付いたって構わない。ここから出たい、と全身で示し続け、必死になって扉に取り縋った。爪が、全身が、ぼろぼろになっても構わない。どうか私をここから放してほしい。そう思ったのに、浮遊感と共に私の決死の行動はあっさりと止められてしまった。じたじたと頼りない四肢が空を掻くけれど、子猫の抵抗なんてこの人にとってはそよ風のようなものだろう。
「……駄目だよ、ノエル。爪が傷む。君をほんの少しでも、傷付ける者は許さない────例えそれが、君自身だったとしても」
声の静かさと低さとは裏腹に、私を包む手は優しくて、熱くて、けれど決して抵抗を許しはしない力強さがあった。番と触れあっている事実に反射的に胸が高鳴るけれど、それよりこの人が何度も不吉な黒猫に直接触れていることに今更思い至り、それが恐ろしくてたまらない。離してほしくて必死で暴れるけれど、そんな抵抗などないように、アダン様は私を持ち上げて目を合わせた。
「眠っているときは甘えてくれたのに────そんなに、俺が嫌?この部屋が気に入らない?それとも、……元の飼い主が恋しいのかな。そいつにもあんな風に、いつも可愛く甘えていた?」
その声がとびきり低く、冷たい響きを持っていて、思わずびくりと体が震えた。自然と耳がへたりと倒れ込み、喉から怯えたような高い声が出る。それは弱者が強者にする、命乞いのような音だった。この人が私を傷付けるとは思わないのに、それでも本能が跪いて許しを乞えと警告する。アダン様は怯える私にはっとしたような顔をして、それから酷く悲しそうにその瞳を揺らした。それにずきりと胸が痛んで、けれどこのちいさな体ではどうすることもできないまま、優しい手つきでそっとベッドへと下ろされて。前足が柔らかいクッションに辿り着いた途端、番から少しでも離れるために慌てて布団に頭から潜り込むと、それでもくぐもった声が聞こえてきた。
「……まだ、初日だからね。ノエルも新しい環境に戸惑うかもしれないけど、大丈夫。きっとすぐに慣れて、ここが一番居心地がいいと思うようになるよ。……どんな手段を使ってでも、そうしてみせる。……それできっと、いつか起きているノエルにも、同じように甘えてもらうんだ」
まるで自分に言い聞かせるような声だった。ぽふ、と布団越しに掌の温度を感じて、びくりと体が強ばる。けれどすぐに、その温度は離れていった。それが少し名残惜しいだなんて、なんて身勝手なんだろう。そんな私の感傷を知るはずもなく、アダン様は独白を続けた。
「君を飼っていた奴は、こんなに賢くて警戒心の強い君をどうやって懐柔したのかな……美味しい食事?それとも整った環境?それなら俺の方が良いものを用意できるよ。その忌々しい首輪、何をしても外れなかった。何でできているのか知らないが、余程君に執着していたんだね。────……だが、ソレで俺に敵うはずはない。決して。最後にノエルに選ばれるのは、俺だ………!」
押し殺したような、執着と情念にまみれた声にぞくりと背筋が粟立つ。この名前が刻まれた首輪は、魔女につけられた忌まわしい力を封印するための枷で、そもそも獣人であった私に飼い主など存在しない。けれどこの人は、存在しない前の飼い主すら不快に思っているのだろうか。きゅう、と胸が締め付けられる。番が黒猫だったなんて、それも獣人ですらないなんて、絶望したっておかしくはないのに。この人はそんなことは少しも気にする様子はなくて、ただ私に好かれたいと、そればかりを気にしている。こんな、不吉な黒猫が番であったばかりに。
────きっと、この人の番が普通の獣人であったなら、一も二もなくその腕の中に飛び込んで、アダン様もそれを歓迎して、そうして愛して愛されて、普通の相思相愛の番として。ぼんやりと脳裏に浮かんだ影が、けれど不愉快で仕方なくてすぐに打ち消した。離れたいと、嫌われてしまいたいと心の底から思っているのに、他の人が番として彼の隣に収まっているのを想像すると耐え難い不快感が身を焼いた。こんな、不吉な黒猫が番でない方が彼には良かったに決まっているのに、私はなんて醜いのだろう。
黒猫の姿である今は論外だし、元の姿であったとしても、厄災を運ぶ存在が王の傍に居ていい訳がない。そもそも彼の番として傍にいるということは、王妃になるということだ。獣人の王と政治とはある程度切り離されているとはいえ、そんな立場が閉鎖的な村で育った、しかもよりにもよって黒猫に務まるはずがない。誰がそんなものを認めるというのだろう。私が黒猫に生まれず、ただの村娘だったなら、あるいは障害も彼と共に乗り越えようと努力できただろうか。けれど黒猫に生まれず、差別も苦労も知らずに育った私は、きっともう私じゃない。そもそも、いくらアダン様だって、黒猫が迷信でもなんでもなく本当に厄災を運ぶ存在だと知れば、私を傍に置いておこうなんて思うわけがないのに、何を勝手に妄想しているんだろう。
言葉すら交わすことはなくても、私たちは確かに番だ。でも、私たちが番として共にある未来は、どこを見たって存在しない。……してはいけない。私が、不吉な黒猫だから。
「ノエル。……一生俺の一方通行でも、いい。俺は何があろうと、ノエルがどんな風に在ろうと、死んでも君を手放さない。……それでも、」
いつか君に愛されたい、と呟かれた声を聞こえなかったことにして、私はきつく、きつく目を閉じた。
考えないといけないことがたくさんあった気がするのに、ここにいると不安も焦燥も全て溶けていくような感覚がして、うまく思考がまとまらない。起きなければ、と諭す自分と、とても良い気分なのだからまどろみに任せてしまえと唆す自分を天秤に掛けていると、とても安心する、温かくて大きな手に撫でられる感覚がした。
────ああ、そうだ、これは私の番の手だ。気持ちいい。もっともっと撫でて欲しい。
自然とごろごろ喉が鳴り出し、本能に身を任せ額を擦り付けたところで─────……
「─────ッかわ、いい……ッ」
噛み締めるような低い声が耳に入り、一気に頭が覚醒した。ぱち、と反射的に目が開いて、それから一番に視界に飛び込んできた、目が眩むほど美しい人の蕩けるような表情に、また意識が飛びかける。けれど何とかそれを堪えて、私は瞬時にその場から飛び退いた。予想と反して足場が酷く柔らかくて、思わずバランスを崩しかける。訳が分からず、私は忙しなく周囲を見回した。寝ぼけていた頭も覚醒して、まどろみに飛んでいた記憶も戻ってくる。
そうだ、確か魔女とはぐれた私は、人気の少ないお屋敷の端を一晩間借りしようとして、結果的に一室のベッドの上で眠り込んでしまったんだ。そうして目覚めたら、なぜか番が目の前にいて。驚いて、私は不吉な黒猫だから、とにかく離れなければと思って─────それから。
『動くな』
思い出すだけで、ぞわ、と毛が逆立った。あれは、あの圧倒的強者の声は、その短い一言だけで私の自由全てを奪っていった。いくら力の差があろうと、あんなことができる存在なんてそうそういない。ぱっと見は普通の人間に見えるのに、一体この人は何者なんだろう。それに──────この見慣れない豪奢な部屋は、一体どこなのだろう。
私が眠り込んでしまった部屋とはまた違う、意匠の凝らされた品の良い部屋。私が目覚めたのは、小さな体全てが沈んでしまいそうな、ふかふかのクッションが敷き詰められたベッドだった。ただ一つ異様なのは─────部屋に窓が一つも存在しないこと。こんなに豪華な部屋なのに、外の景色を見られないようにするなんてこと、あるのだろうか。
昨日から訳の分からないことが続きすぎて心底混乱しているのに、嫌な予感だけがひしひしと胸を襲っていた。現状を把握しようと、毛を逆立てて必死に部屋を見回す私に、酷く優しい声が掛けられた。この部屋には、私ともう一人しかいない。
「────おはよう、ノエル」
否応なく、その声に心惹かれてしまう。どんなに早く離れなくてはと心が急かしていても、本能がそれを許してくれない。それは番に囚われているというのももちろんあるけれど、それと同じほどに、獣人としての本能が警告していた。────この人に、頭を垂れよと。
尻尾を体に沿わせて縮こめたまま、おそるおそるその人を見上げると、パチリと宝石のような瞳と視線がぶつかった。まさかずっと、私のことを見詰めていたのだろうか。目が合った瞬間、とろりとその瞳が、愛おしいものを見詰めるかのように蕩けた。
「今日からここが、君の部屋だよ。やっと手に入れた……俺の愛しい、愛しい番」
最初、何を言われているのか分からなかった。今日からここが私の部屋?いや、それよりも。愛しい番、とは一体どういう意味なのだろう。確かに私の番はこの美しい人で、今も声を聞くだけで、姿を見るだけで胸が高鳴り、どうしようもない愛おしさが湧き上がってくるけれど。でも私は今、忌み嫌われる黒猫の姿だ。獣人ですらないのに、相手が私のことを番だと認識するなんてあり得ない。それなのにこの人は何のためらいもなく、私のことを番と呼んだ。酷く大切なものを呼ぶかのような、優しい声で。
不吉な黒猫が、獣の姿であれ獣人であれ、誰かに愛されるはずがない。奇跡のように愛してくれた両親すら、私は殺してしまったのに。そのはずのに、疑いようもないほどに愛おしさを込めて見詰めてくるこの人が、訳も分からず恐ろしかった。いや、この美しい人が恐ろしいのではなく────この人を傷つけることが、恐ろしくてたまらない。
現状はさっぱり理解できていないけれど、理解できないままでもいい。とにかくどうにか、ここから離れなければ。愛おしくて、見るだけで胸が締め付けられて、狂おしいほどに高鳴って、たまらなくこの人の傍にいたいと本能が叫ぶけれど、それでも、ここにいるわけにはいかない。厄災を振りまく私は、一刻も早く魔女と合流しなければならないのだから。
宝石のようなその瞳の熱から逃げ出すように、私は後ろ足に力を込めてベッドから飛び降りた。目指すのは勿論、この部屋唯一の出入り口である扉だ。たた、と軽い音を立てて一目散に出口へ駆けていく私を、番は何も言わずに見送っていた。離れたくない、と叫ぶ本能をねじ伏せて、私はぐ、と一度上体を伏せると勢いよく跳躍してドアノブに飛び掛かった。下に押すタイプのドアノブだから、こうして勢いをつければ開いてくれるはず─────
しかしそんな浅はかな考えは、ガチャン、という金属のぶつかる音で叩き潰された。鍵が掛けられていた、という思考に至るまでもなく、勢いをつけたものだからそのまま上手く着地できない態勢で落下しそうになったのを、酷く温かくて大きな手に受け止められて。
「─────思ったより君は、ずっと賢いんだね、ノエル。……色々、環境を見直す必要がありそうだ」
掌で包むようにして胸へと抱き込まれて、私は固まった。一体いつ、ベッドから扉の傍まで移動していたのだろう。密着したせいでぶわり、と番の匂いが広がって、途端に頭がくらくらした。番だということを差し引いても、男の人とこんなに密着したことなんてなくて、ただでさえ小さく速くなった鼓動が死んでしまいそうなほど高鳴っていく。恥ずかしくて仕方がなくて身を捩るけれど、力強い手がそれを許してはくれなかった。
拘束するように私を抱き込んだまま、その長い脚であっという間にふかふかのベッドへと戻り腰掛けた彼は、上から覗き込むように私と目を合わせた。そのエメラルドのような瞳は相変わらず愛おしいものを見るように蕩けているのに、その中にひどく昏い、得体の知れない色を見付けて、自然と体が強張る。する、とその美しい指が私の顎の下へと滑って、思わずびくりと体が跳ねた。その辺の猫を可愛がるための喉を撫でる仕草とはまた違った、どこか熱情と執着を込めたような優しい手つきで、彼は幾度もそこを撫ぜた。
「ノエル、俺の何よりも大切な、この世で唯一の愛おしい番……君が分からなくてもいいよ、一生俺の一方通行でも、いい。─────俺がただ、君に誓うだけだ」
ガリ、と鈍い金属音がして、身が強張る。首輪を強く引っかかれた、ということに気が付けるほど、私の思考は回っていなかった。彼はどこか仄暗く危うい光をその瞳に纏ったまま、うっそりと笑った。
「自己紹介をしようか、ノエル────俺はアダン。本当はもっと長ったらしい名前だし、色々肩書きは持っているけれど、一番大切なのは、君の……ノエルの、唯一の番だということだけだよ。君の好きなこと、好きなもの、これから全てを与えると約束する。君が望むことなら何でもしてあげる。元の飼い主なんて忘れ去って、君が何不自由なく、何の心配もなく俺の傍に永遠に居られるためなら、俺はどんなことでもするよ。……でも、ごめん、自由だけは、何をどうやったって与えてあげられない。───────……こんなことを言っても、君は分からないのだろうけれど」
ごめん、と言いながら、その唇は微かに歪な笑みを描いていた。けれど私はそれに気が付けるような余裕はなく、それどころか今、一番初めに聞いたことが信じられなくて、頭が真っ白になっていた。ぶわ、と尻尾の毛が勝手に膨らんでいく。
─────今、この人は、一体なんと名乗った?
閉鎖的な村で生まれ育ち、その上まともに話せる人は両親しか居なかったから、きっと私はこの世界の常識なんてろくに知らない。それでも────獣人として生まれ育って、その名前を知らないものはこの世にいない。
全ての獣人を統べる、この国の頂点に君臨する王。獣人の中で最も尊い種族とされる、唯一人間と竜の姿を完璧に使い分けることのできる竜人。もう長いこと、それこそ何百年と────どんな理由だったか私は詳しく知らないけれど、表舞台に立ってはいないのに、それでもなお求心力を失うことはなく、ただそこに生きているというだけで全ての獣人を跪かせることのできるほどの力を持つ唯一の人──────竜王アダン。
その名を名乗って良いのは、この国でただ一人だけ。わざわざ言葉の分からない黒猫に嘘をつくはずがないし、そうであるなら傍にいるだけで胸の内から湧き上がる畏怖も、たった一言の命令があれほどの力を持つのも納得がいく。正直信じられない思いでいっぱいだけれど、それでもそうと言われれば納得してしまうほどに、この人は高貴で、頂点に立つものとして相応しい空気を纏っていた。それに、見たことがない複雑な虹彩のエメラルドのような瞳。魔力の質は瞳の色に表れるというかつての魔女の言葉が本当なら、彼にこれ以上相応しい色はないに違いない。混乱しつつ、それでも自分の番がこの国の王だった、という事実の上澄みだけ何とか飲み下せば、次の瞬間からどんどん血の気が引いていくのを感じた。
竜人という特別な存在だからなのか分からないけれど、この人は私が黒猫だということを気にしておらず、それどころか私と同じように唯一の番として認識してくれているらしい。だから普通の猫を飼うのと同じように、手元に置いておこうと考えてくれたのだろう。それを心の底で、狂おしい程に喜ぶ自分がいることも確かだった。不吉な黒猫である自分を厭わず愛してくれるのは、両親だけだと思っていたから。
番の存在は知っていても、不吉な黒猫である私には夢のまた夢で、出会わない方が相手のためだとすら考えていたはずなのに、口が裂けてももうそんなことは言えそうにない。一度出会ってしまえば、その存在を確かめてしまえば、もう二度と、出会う前へは戻れない。愛おしくて狂おしくて、番だと気づいてくれたことが嬉しくて仕方がなくて、何も考えずその腕の中に飛び込んでしまいたくなる。
けれど──────それを押し止めるように、魔女の言葉が頭の中で反響した。
『ほとんど無力化できるとはいえ、全ての能力を抑えられるわけじゃないから、魔女の手元にあるのが一番安全よ』
この人は────アダン様は、不吉な黒猫など迷信だと思っているのかもしれない。あるいは、竜王の力の前ではそんなものは些事だと考えているのか。だから忌み嫌われる黒猫の私でも、抵抗なく番だと言って受け入れてくれるのかもしれない。でも、私は知っている。厄災に襲われた村の惨状が、両親の死が、胸の内に嫌というほどこびりついている。私は迷信でもなんでもなく呪われた不吉な黒猫で、黒猫が呼び込む厄災は本当に存在するのだ。
私にとっては愛おしい番、というのが一番に来るけれど、それを差し引いて考えても、一国の王に私のせいで厄災が降りかかったりしたら──────今は魔女の封印の力である程度は抑えられているはずだけれど、それでも万が一、本当に万が一、両親のように私のせいでその命が危うくなるようなことがあったら。考えるだけで、酷く悍ましい気分に襲われた。自然と体が震えて、背筋を走る悪寒が止まらない。恐い。恐い。もう誰も自分のせいで傷付いてほしくない。村の獣人たちは確かに私が呼び込んだ厄災に苦しんでいたけれど、両親は一息に死んでしまった。それはきっと、距離を取っていた村の獣人達と違って、ずっと呪われた私の傍にいたせいだ。私を慈しんで、愛して、一緒にいてくれたから、両親は死んでしまったのだ。
──────この、私を番と呼んで、一緒に居たいと言ってくれる美しい人まで、私のせいで喪うことがあったら。
ぶわ、と全身の毛が逆立ち、自然と喉から低い唸り声が漏れた。許せない、と思った。これまでの生で感じたことがないほどに強く。この強く美しく高貴な人を、黒猫の私を番と認めてくれた優しい人を傷付けるものは、何であっても許せない。それが例え自分であったとしても。
番相手に唸る訳がないけれど、アダン様は私の様子をそう勘違いしたのか、躊躇うように僅かに腕の力が緩んだ。その瞬間を見逃さず、私は勢いをつけて腕の中から飛び出した。何でもいい、死ぬこと以外ならどんな手段を用いてもいい。絶対に、すぐにでも、この人から離れなくては。厄災を運ぶ存在が番の傍にいるなんて、一秒だって耐えられない。一体いつ、番に自分のせいで不幸が襲いかかるのか分からないのに。寂しい、悲しい、ようやく私のことを見ても嫌わない、それどころか優しく見てくれる人と出会えたのに。両親が亡くなってずっとずっと孤独で、それを言える人すらいなくて、やっと出会えたこの人に縋って甘えてしまいたい。そうやって子供のように愚図る自分を、私は無理矢理に殺した。不吉な黒猫には、思うことすら許されない願いだ。
私は一目散に扉に飛びついて、ガリガリと爪を立てた。鍵が掛かっていることは分かっているけれど、それでも何もしない訳にはいかない。大騒ぎすれば誰か飛び込んでくるかもしれないし、不吉な黒猫が高級な部屋を荒らし回れば嫌気がさして追い出してくれるかもしれない。今日だけでは無理だったとしても、ずっとそんな態度を取り続ければさすがの番でも嫌になって放り出してくれるかもしれないし、アダン様以外の誰かが怒って不吉な黒猫を叩き出してくれるかもしれない。殺されては困るけれど、それ以外ならどうなってもいい。とにかく、一刻も早くこの尊い人から離れなければ。愛してくれたから、愛しているから、早く私のことなんて嫌いになって欲しかった。
「にー!にぃー!!」
ちいさな体でできる限界まで喚きながら、ガリガリと必死になって扉に爪を立てる。力を入れすぎているのか爪の根元に痛みが走るけれど、例え傷付いたって構わない。ここから出たい、と全身で示し続け、必死になって扉に取り縋った。爪が、全身が、ぼろぼろになっても構わない。どうか私をここから放してほしい。そう思ったのに、浮遊感と共に私の決死の行動はあっさりと止められてしまった。じたじたと頼りない四肢が空を掻くけれど、子猫の抵抗なんてこの人にとってはそよ風のようなものだろう。
「……駄目だよ、ノエル。爪が傷む。君をほんの少しでも、傷付ける者は許さない────例えそれが、君自身だったとしても」
声の静かさと低さとは裏腹に、私を包む手は優しくて、熱くて、けれど決して抵抗を許しはしない力強さがあった。番と触れあっている事実に反射的に胸が高鳴るけれど、それよりこの人が何度も不吉な黒猫に直接触れていることに今更思い至り、それが恐ろしくてたまらない。離してほしくて必死で暴れるけれど、そんな抵抗などないように、アダン様は私を持ち上げて目を合わせた。
「眠っているときは甘えてくれたのに────そんなに、俺が嫌?この部屋が気に入らない?それとも、……元の飼い主が恋しいのかな。そいつにもあんな風に、いつも可愛く甘えていた?」
その声がとびきり低く、冷たい響きを持っていて、思わずびくりと体が震えた。自然と耳がへたりと倒れ込み、喉から怯えたような高い声が出る。それは弱者が強者にする、命乞いのような音だった。この人が私を傷付けるとは思わないのに、それでも本能が跪いて許しを乞えと警告する。アダン様は怯える私にはっとしたような顔をして、それから酷く悲しそうにその瞳を揺らした。それにずきりと胸が痛んで、けれどこのちいさな体ではどうすることもできないまま、優しい手つきでそっとベッドへと下ろされて。前足が柔らかいクッションに辿り着いた途端、番から少しでも離れるために慌てて布団に頭から潜り込むと、それでもくぐもった声が聞こえてきた。
「……まだ、初日だからね。ノエルも新しい環境に戸惑うかもしれないけど、大丈夫。きっとすぐに慣れて、ここが一番居心地がいいと思うようになるよ。……どんな手段を使ってでも、そうしてみせる。……それできっと、いつか起きているノエルにも、同じように甘えてもらうんだ」
まるで自分に言い聞かせるような声だった。ぽふ、と布団越しに掌の温度を感じて、びくりと体が強ばる。けれどすぐに、その温度は離れていった。それが少し名残惜しいだなんて、なんて身勝手なんだろう。そんな私の感傷を知るはずもなく、アダン様は独白を続けた。
「君を飼っていた奴は、こんなに賢くて警戒心の強い君をどうやって懐柔したのかな……美味しい食事?それとも整った環境?それなら俺の方が良いものを用意できるよ。その忌々しい首輪、何をしても外れなかった。何でできているのか知らないが、余程君に執着していたんだね。────……だが、ソレで俺に敵うはずはない。決して。最後にノエルに選ばれるのは、俺だ………!」
押し殺したような、執着と情念にまみれた声にぞくりと背筋が粟立つ。この名前が刻まれた首輪は、魔女につけられた忌まわしい力を封印するための枷で、そもそも獣人であった私に飼い主など存在しない。けれどこの人は、存在しない前の飼い主すら不快に思っているのだろうか。きゅう、と胸が締め付けられる。番が黒猫だったなんて、それも獣人ですらないなんて、絶望したっておかしくはないのに。この人はそんなことは少しも気にする様子はなくて、ただ私に好かれたいと、そればかりを気にしている。こんな、不吉な黒猫が番であったばかりに。
────きっと、この人の番が普通の獣人であったなら、一も二もなくその腕の中に飛び込んで、アダン様もそれを歓迎して、そうして愛して愛されて、普通の相思相愛の番として。ぼんやりと脳裏に浮かんだ影が、けれど不愉快で仕方なくてすぐに打ち消した。離れたいと、嫌われてしまいたいと心の底から思っているのに、他の人が番として彼の隣に収まっているのを想像すると耐え難い不快感が身を焼いた。こんな、不吉な黒猫が番でない方が彼には良かったに決まっているのに、私はなんて醜いのだろう。
黒猫の姿である今は論外だし、元の姿であったとしても、厄災を運ぶ存在が王の傍に居ていい訳がない。そもそも彼の番として傍にいるということは、王妃になるということだ。獣人の王と政治とはある程度切り離されているとはいえ、そんな立場が閉鎖的な村で育った、しかもよりにもよって黒猫に務まるはずがない。誰がそんなものを認めるというのだろう。私が黒猫に生まれず、ただの村娘だったなら、あるいは障害も彼と共に乗り越えようと努力できただろうか。けれど黒猫に生まれず、差別も苦労も知らずに育った私は、きっともう私じゃない。そもそも、いくらアダン様だって、黒猫が迷信でもなんでもなく本当に厄災を運ぶ存在だと知れば、私を傍に置いておこうなんて思うわけがないのに、何を勝手に妄想しているんだろう。
言葉すら交わすことはなくても、私たちは確かに番だ。でも、私たちが番として共にある未来は、どこを見たって存在しない。……してはいけない。私が、不吉な黒猫だから。
「ノエル。……一生俺の一方通行でも、いい。俺は何があろうと、ノエルがどんな風に在ろうと、死んでも君を手放さない。……それでも、」
いつか君に愛されたい、と呟かれた声を聞こえなかったことにして、私はきつく、きつく目を閉じた。
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