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障害編
89話【off duty】大橋 潤也:「ナメてんじゃねえよ!」(藍原編)
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金曜日の夜。こんなに仕事が辛い1週間は、初めて経験した。岡林くんとおかしなことになったときだって、林さんの家で凛太郎くんに明け方まで攻め続けられたときだって、こんな気持ちにはならなかった。
あたしはこれからもずっと、梨沙ちゃんと同じ病棟で、働き続けなければならないんだ。いつか、気にしないで笑顔で接することができる日が来るんだろうか。許すとか許さないとか、そんなのとは関係なく、あたしは毎日梨沙ちゃんと顔を合わせなきゃいけないし、周りにも、気づかれちゃいけない。……梨沙ちゃんが、ちょっとでも後悔してるなら、まだ何とかなるかもしれないけど……。
梨沙ちゃんが笑顔で放った言葉の数々が、頭の中に浮かんでくる。
先生が羨ましいなあ。あんなにセックスがうまい彼氏がいてぇ、アソコもちょうどいい大きさで、激しいのに優しくてぇ……
……ああっ、ダメダメ! あんなの、思い出しちゃダメ! 思い出していいことなんか、ひとつもない。
油断すると浮かんでくる涙を何とか堪えて、気を紛らわせるために2本目の缶チューハイを開ける。
……ん? 何やら、外が騒がしい。もう夜の10時なのに、アパートの階段を上ってくる足音と、男女の声。あたしの部屋の前を通り過ぎて、静かになった。
……新條くんの、お友達? そうか、新條くん、今部屋にいるんだ?
結局あの日から、なんとなく気まずくて彼とは会っていない。こんなんじゃだめだ、自分から修復する努力をしなきゃ、って思うけど、どうしても重たい腰が上がらない。
……新條くんちに来る飲み仲間、男の子だけじゃないのね……。
また、ちくんと胸が痛む。あたし、なんだかおかしい。今まで新條くんがどんな女の子と知り合いかとか、気にしたこともなかったのに。なんだか急に、嫉妬深い女になったみたいで自分が嫌だ。
不意に、新條くんの部屋から大きな音がした。物が倒れるような、大きな音。それから……え、男の人の、怒鳴り声? さっき前を通った人かな。なんだろう、喧嘩?
また、ドン! と大きな音がした。なんだか胸騒ぎがして、あたしは部屋を出た。新條くんちのインターホンを鳴らす。ドアが開いて出てきたのは、なんと楓ちゃんだった。
「先生! 先生どうしよ、止めらんない!」
楓ちゃんがおろおろしていて、その奥で――大橋くんが、新條くんに馬乗りになっていた。
「ふざけんなよ、てめえ! てめえの分際で何やってんだよ!?」
大橋くんが怒鳴りながら新條くんにこぶしを振り上げている!
「な、なに、何が起きたの!?」
止めようと中に入るけど、大橋くんが別人のような剣幕で怒っていて、一瞬ひるんでしまう。楓ちゃんが涙を浮かべてまくしたてた。
「あたし、大橋くんにしゃべっちゃったの。そしたら大橋くんが怒って、新條くんに説教するってきかなくて……っ」
大橋くんは倒れた新條くんの胸ぐらを掴んで叫んだ。
「おまえなあ、最初からいってんだろ!? おまえなんかが藍原先生と付き合えてるだけでも奇跡なんだよ! 先生がほかの男になびくことはあってもなあ、てめえごときが先生を差し置いて浮気とかなぁ、ナメてんじゃねえよ! どの面下げてやってんだよ!」
うそ。大橋くん、あたしのことで怒ってくれてるの?
「おまえよぉ、先生が好きすぎてどうしようもないんじゃなかったのかよ!? てめえなんて、これ以上先生傷つける前に別れちまえ!」
もう一度大橋くんがこぶしを振り上げたのを見て、あたしは慌てて止めに入った。
「大橋くん! やめて、あたしは大丈夫だから、喧嘩なんてやめて!」
後ろから大橋くんの右腕を何とか押さえる。大橋くんの肩越しに見えた新條くんの顔は、左の頬が少し腫れてて、唇が切れて血が滲んでいた。大橋くんがはっとして振り返った。
「先生……! 先生、何いってんすか。楓さんに聞いたよ、とんでもねえ裏切りじゃないっすか!」
「あの、違うの、大丈夫だから。新條くんが悪いんじゃないの、だからあたし、新條くんには怒ってないから」
大橋くんはびっくりした顔であたしを見ていて、それから、新條くんも……意外そうに、目を開いていた。……ああ、なんだか、大事になっちゃったわね……。
結局あたしは、大橋くんにまた経緯を話すことになり。大橋くんは、目を白黒させて聞いていた。
「何それ、先生の後輩って、ヤリマンなの!? ただ先生の彼氏ってだけで、こいつとヤれんの? すげえな、おい」
「だから、新條くんは酔い潰されて、いわば襲われたようなもんなの。そうだよね、先生」
楓ちゃんはどうやら新條くんの擁護に回ったらしい。新條くんは、できる言い訳なんてないとでもいわんばかりに、押し黙っている。
「ね、大橋くん。男だって、襲われることあるよね? べろべろに酔わされたら、女相手でも抵抗できなくなるよね?」
「えー? どうだろう、普通、女に襲われたら、たいていの男はラッキー! って食いつくからなあ。だから新條も、そういうことかと思ったわけだけど」
大橋くん、すっかりいつもの調子に戻って真面目に考えてる。
「……俺は、最後まで、やめてっていったよ。どかそうとしたけど、それどころじゃなくて。……まあ、結局は言い訳にしかならないけど」
小さな声で、新條くんが初めて反論した。
「新條くんは、梨沙ちゃんが出ていったあとも、げろげろ吐くほど酔ってたのよ。座るのだって一苦労だったんだから。だから、本当に、抵抗できなかったんだと思う」
そう。許す、許さないでいうなら、あたしは新條くんを、とっくに許してる。ていうか、信じてる。新條くんのいうとおりなら、彼に落ち度なんてない。ただ、どうしてもぎくしゃくするのは、新條くんが梨沙ちゃんと……した、っていう、まぎれもない事実があるからで。それをどう乗り越えればいいのか、悩んでるだけで。
「マジかよ。そいつ、なに? 戸叶先生っていうの? クソ女だな」
「あたしね、あのあと戸叶先生の評判調べてみたよ。あの人、学生時代からヤリまくってて、得意のフェラで男を何人も骨抜きにしたらしいよ」
「マジで!? フェラがうまいの!? うひゃー、されてみてぇ――ぐはっ」
すかさず楓ちゃんのパンチが飛ぶ。
「ねえっ、新條くんもさ、最初、フェラされたんじゃないの!? それで抵抗できなくなったんじゃないの!?」
「ええ!? そ、それは、その……」
新條くんがちらりとあたしのほうを見て、それから楓ちゃんがはっとして口をつぐんだ。
「ああっ、先生ごめん、無神経だった」
「なんにしてもさあ、そのクソ女、どうにかしねえと、これからも先生にちょっかい出してくるんじゃないの?」
大橋くんがぶつぶついっているとき、ポケットの中で携帯電話が鳴った。もう夜の10時半。着信を見ると……
「え。西園寺先生……」
なんだろう。病棟で何かあったのかな? 恐る恐る電話に出てみると。
『はあい、藍原さん。起きてた?』
なんだか妙にご機嫌な声。
「はい、なんでしょう? 急変とかですか?」
『違うの。ねえ、今日は花金でしょ? ちょっと今からうちに来て、楽しまない?』
「え」
まさかのお誘い?
「いえあの、危険すぎて先生のお宅へひとりでうかがうわけには」
『あらやだ、ひとりでなんていってないわよ~。彼氏の数学オタク、連れてらっしゃいよ。きっと楽しいわよ~』
うそでしょ! まさか先生、あのときの出来事に味をしめて、またあたしたち3人で、あんなことやこんなことをしようと……!?
思わずちらりと新條くんのほうを見て、それからあのときのエロエロなことをイロイロと思い出して、思わず赤くなる。新條くんも、察したみたいだ。突然キョドり始める。
「いやあの、そんな、飛んで火にいる夏の虫みたいなことは、しませんので! 今、ナースの佐々木さんたちと飲んでるんです、また今度にしてください」
楓ちゃんを使ってお断りしようとしたら、西園寺先生から意外な返答が返ってきた。
『あら、佐々木さんもいるの? ちょうどいいわ、一緒に連れてきて。とっても楽しいことが待ってるわよ』
「え? 佐々木さんもですか?」
何やら含みのある言い方を訝しんでいると、電話の向こうから、別の人の声が聞こえてきた。女の人みたい。耳を凝らすと……。
……え。なんかこれ、ちょっと……。
『あっ、ああっ、ダメ、もうダメッ、ひ、あ、あああ――ッ!!』
……嘘でしょ。女の人と、お楽しみ中ですか。そしてそれを、電話越しに聞かせて、今から来いといいますか……。
「すみません、先生のお楽しみを邪魔するわけには――」
切ろうとしたら、西園寺先生が、耳を疑う一言を発した。
『今ね、戸叶さんと一緒なの。彼氏と佐々木さん連れて、いらっしゃい。いいわね、絶対よ? 待ってるから』
断る間もなく、電話は切れていた。
あたしはこれからもずっと、梨沙ちゃんと同じ病棟で、働き続けなければならないんだ。いつか、気にしないで笑顔で接することができる日が来るんだろうか。許すとか許さないとか、そんなのとは関係なく、あたしは毎日梨沙ちゃんと顔を合わせなきゃいけないし、周りにも、気づかれちゃいけない。……梨沙ちゃんが、ちょっとでも後悔してるなら、まだ何とかなるかもしれないけど……。
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先生が羨ましいなあ。あんなにセックスがうまい彼氏がいてぇ、アソコもちょうどいい大きさで、激しいのに優しくてぇ……
……ああっ、ダメダメ! あんなの、思い出しちゃダメ! 思い出していいことなんか、ひとつもない。
油断すると浮かんでくる涙を何とか堪えて、気を紛らわせるために2本目の缶チューハイを開ける。
……ん? 何やら、外が騒がしい。もう夜の10時なのに、アパートの階段を上ってくる足音と、男女の声。あたしの部屋の前を通り過ぎて、静かになった。
……新條くんの、お友達? そうか、新條くん、今部屋にいるんだ?
結局あの日から、なんとなく気まずくて彼とは会っていない。こんなんじゃだめだ、自分から修復する努力をしなきゃ、って思うけど、どうしても重たい腰が上がらない。
……新條くんちに来る飲み仲間、男の子だけじゃないのね……。
また、ちくんと胸が痛む。あたし、なんだかおかしい。今まで新條くんがどんな女の子と知り合いかとか、気にしたこともなかったのに。なんだか急に、嫉妬深い女になったみたいで自分が嫌だ。
不意に、新條くんの部屋から大きな音がした。物が倒れるような、大きな音。それから……え、男の人の、怒鳴り声? さっき前を通った人かな。なんだろう、喧嘩?
また、ドン! と大きな音がした。なんだか胸騒ぎがして、あたしは部屋を出た。新條くんちのインターホンを鳴らす。ドアが開いて出てきたのは、なんと楓ちゃんだった。
「先生! 先生どうしよ、止めらんない!」
楓ちゃんがおろおろしていて、その奥で――大橋くんが、新條くんに馬乗りになっていた。
「ふざけんなよ、てめえ! てめえの分際で何やってんだよ!?」
大橋くんが怒鳴りながら新條くんにこぶしを振り上げている!
「な、なに、何が起きたの!?」
止めようと中に入るけど、大橋くんが別人のような剣幕で怒っていて、一瞬ひるんでしまう。楓ちゃんが涙を浮かべてまくしたてた。
「あたし、大橋くんにしゃべっちゃったの。そしたら大橋くんが怒って、新條くんに説教するってきかなくて……っ」
大橋くんは倒れた新條くんの胸ぐらを掴んで叫んだ。
「おまえなあ、最初からいってんだろ!? おまえなんかが藍原先生と付き合えてるだけでも奇跡なんだよ! 先生がほかの男になびくことはあってもなあ、てめえごときが先生を差し置いて浮気とかなぁ、ナメてんじゃねえよ! どの面下げてやってんだよ!」
うそ。大橋くん、あたしのことで怒ってくれてるの?
「おまえよぉ、先生が好きすぎてどうしようもないんじゃなかったのかよ!? てめえなんて、これ以上先生傷つける前に別れちまえ!」
もう一度大橋くんがこぶしを振り上げたのを見て、あたしは慌てて止めに入った。
「大橋くん! やめて、あたしは大丈夫だから、喧嘩なんてやめて!」
後ろから大橋くんの右腕を何とか押さえる。大橋くんの肩越しに見えた新條くんの顔は、左の頬が少し腫れてて、唇が切れて血が滲んでいた。大橋くんがはっとして振り返った。
「先生……! 先生、何いってんすか。楓さんに聞いたよ、とんでもねえ裏切りじゃないっすか!」
「あの、違うの、大丈夫だから。新條くんが悪いんじゃないの、だからあたし、新條くんには怒ってないから」
大橋くんはびっくりした顔であたしを見ていて、それから、新條くんも……意外そうに、目を開いていた。……ああ、なんだか、大事になっちゃったわね……。
結局あたしは、大橋くんにまた経緯を話すことになり。大橋くんは、目を白黒させて聞いていた。
「何それ、先生の後輩って、ヤリマンなの!? ただ先生の彼氏ってだけで、こいつとヤれんの? すげえな、おい」
「だから、新條くんは酔い潰されて、いわば襲われたようなもんなの。そうだよね、先生」
楓ちゃんはどうやら新條くんの擁護に回ったらしい。新條くんは、できる言い訳なんてないとでもいわんばかりに、押し黙っている。
「ね、大橋くん。男だって、襲われることあるよね? べろべろに酔わされたら、女相手でも抵抗できなくなるよね?」
「えー? どうだろう、普通、女に襲われたら、たいていの男はラッキー! って食いつくからなあ。だから新條も、そういうことかと思ったわけだけど」
大橋くん、すっかりいつもの調子に戻って真面目に考えてる。
「……俺は、最後まで、やめてっていったよ。どかそうとしたけど、それどころじゃなくて。……まあ、結局は言い訳にしかならないけど」
小さな声で、新條くんが初めて反論した。
「新條くんは、梨沙ちゃんが出ていったあとも、げろげろ吐くほど酔ってたのよ。座るのだって一苦労だったんだから。だから、本当に、抵抗できなかったんだと思う」
そう。許す、許さないでいうなら、あたしは新條くんを、とっくに許してる。ていうか、信じてる。新條くんのいうとおりなら、彼に落ち度なんてない。ただ、どうしてもぎくしゃくするのは、新條くんが梨沙ちゃんと……した、っていう、まぎれもない事実があるからで。それをどう乗り越えればいいのか、悩んでるだけで。
「マジかよ。そいつ、なに? 戸叶先生っていうの? クソ女だな」
「あたしね、あのあと戸叶先生の評判調べてみたよ。あの人、学生時代からヤリまくってて、得意のフェラで男を何人も骨抜きにしたらしいよ」
「マジで!? フェラがうまいの!? うひゃー、されてみてぇ――ぐはっ」
すかさず楓ちゃんのパンチが飛ぶ。
「ねえっ、新條くんもさ、最初、フェラされたんじゃないの!? それで抵抗できなくなったんじゃないの!?」
「ええ!? そ、それは、その……」
新條くんがちらりとあたしのほうを見て、それから楓ちゃんがはっとして口をつぐんだ。
「ああっ、先生ごめん、無神経だった」
「なんにしてもさあ、そのクソ女、どうにかしねえと、これからも先生にちょっかい出してくるんじゃないの?」
大橋くんがぶつぶついっているとき、ポケットの中で携帯電話が鳴った。もう夜の10時半。着信を見ると……
「え。西園寺先生……」
なんだろう。病棟で何かあったのかな? 恐る恐る電話に出てみると。
『はあい、藍原さん。起きてた?』
なんだか妙にご機嫌な声。
「はい、なんでしょう? 急変とかですか?」
『違うの。ねえ、今日は花金でしょ? ちょっと今からうちに来て、楽しまない?』
「え」
まさかのお誘い?
「いえあの、危険すぎて先生のお宅へひとりでうかがうわけには」
『あらやだ、ひとりでなんていってないわよ~。彼氏の数学オタク、連れてらっしゃいよ。きっと楽しいわよ~』
うそでしょ! まさか先生、あのときの出来事に味をしめて、またあたしたち3人で、あんなことやこんなことをしようと……!?
思わずちらりと新條くんのほうを見て、それからあのときのエロエロなことをイロイロと思い出して、思わず赤くなる。新條くんも、察したみたいだ。突然キョドり始める。
「いやあの、そんな、飛んで火にいる夏の虫みたいなことは、しませんので! 今、ナースの佐々木さんたちと飲んでるんです、また今度にしてください」
楓ちゃんを使ってお断りしようとしたら、西園寺先生から意外な返答が返ってきた。
『あら、佐々木さんもいるの? ちょうどいいわ、一緒に連れてきて。とっても楽しいことが待ってるわよ』
「え? 佐々木さんもですか?」
何やら含みのある言い方を訝しんでいると、電話の向こうから、別の人の声が聞こえてきた。女の人みたい。耳を凝らすと……。
……え。なんかこれ、ちょっと……。
『あっ、ああっ、ダメ、もうダメッ、ひ、あ、あああ――ッ!!』
……嘘でしょ。女の人と、お楽しみ中ですか。そしてそれを、電話越しに聞かせて、今から来いといいますか……。
「すみません、先生のお楽しみを邪魔するわけには――」
切ろうとしたら、西園寺先生が、耳を疑う一言を発した。
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