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障害編
73話【off duty】新條 浩平:トラップ(藍原編)①
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急いで仕事を終わらせて、新條くんちのインターホンを押した。返事がないからドアを開けてみたら、鍵が開いていて……。
「ああっ、ああっ、いいのっ、浩平くんっ、キモチいいのっ、もう、イキそう――」
突然、女の子の声が耳に飛び込んできた。一瞬、テレビから流れるAVか何かの音かと思った。でも、その直後、部屋の中で上半身裸の女の子の後ろ姿が目に入って。その子は、男の人に馬乗りになって、淫らに腰を上下に動かしていて。その子の声なんだと、気がついた。
部屋を間違えたかな、とか、この人誰だろう、とか、ちょっとだけ頭をよぎった気がするけど、それもすぐ消え去って――
「あっ、イク、イク――ッ!」
「あっ、ダメ、出る、どいて――ッ」
ビクビクと体を震わせたあと、ゆっくりと腰をどかしたその子は、まぎれもなく、梨沙ちゃんだった。そして、その下にいたのは――
落としたカバンの音で、梨沙ちゃんが振り返った。
「……藍原先生」
ぎゅうっと心臓が掴まれたように痛くなって、それからバクバクと全身に鼓動が響き渡った。血の気が引くようなくらくらしためまいを覚えて、焦点が合わなくなる。それでも、ぼやけた視界の中で、新條くんがもぞもぞと体を動かしてあたしのほうを見たのがわかった。
「あ……先生……」
弱々しい、新條くんの声が耳に入った。耳を塞ぎたかった。
どうして。何が、起こったの?
何かしゃべらなきゃ、て思ったけど、口はからからに乾いて、言葉だって、何も思い浮かばない。
「やだっ、先生、見てたの!? 見ちゃいました!?」
場違いに甲高い梨沙ちゃんの声が聞こえる。梨沙ちゃんは脱ぎ散らかした服を慌てて着ながら、あたしのそばに寄ってきた。
「先生、ごめんなさいっ! 浩平くんと飲んでたら、意気投合しちゃって……浩平くんたら、すごく上手だから、あたし、つい……! ごめんね先生、先生の彼氏なのに、こんなことになっちゃって」
梨沙ちゃんが両手を合わせて苦笑いしながら謝る。でも、よく理解できない。意気投合って、何? 梨沙ちゃん、今度は新條くんのことを、好きになったってこと? まさかそんな、こんな短い時間の間に。それに、新條くんは……
もう一度、新條くんのほうを見る。新條くんは、体を右向きに横たえて、まだはあはあと息が上がってる。額に手をあてて、うわごとみたいに呟いてる言葉は……
「ごめん……先生、ごめん……」
それが何だかすごく残酷に響いて、その意味が何なのか、頭で理解するよりも前に、一気に両目から涙が溢れ出した。
「新條くん……」
ダメ、泣いちゃダメ、とにかく落ち着かなきゃ。両手を口にあてて声を堪えようとするあたしの横を、梨沙ちゃんが通り過ぎた。
「本当にごめんね、藍原先生。あたし、今日は帰ります! ……あっ」
すれ違いざま、梨沙ちゃんが突然股間を押さえた。
「……やだ、新條くんの、いっぱい出たから、溢れてきちゃう……」
恥ずかしそうにあたしを上目遣いで見て、それから、ぺろっと舌を出した。
「あっ、でも大丈夫です、あたしピル飲んでるから、避妊はばっちり。浩平くんに、心配ないよって、伝えてください。じゃ、また月曜日に!」
驚くほど普段と変わらない調子で、梨沙ちゃんが出ていった。
部屋が静かになり、あたしは新條くんとふたりきりになる。まだ、何が起こったのかよくわからなくて……ううん、わかりたくなくて。わかろうとすると、自分がどうにかなってしまいそうで、さっきからずっと、傷つかないように、傷つかないようにって、心を鈍感にしようとしてる自分がいる。
「う……うえ……っ」
突然、新條くんがえずいて、そばにあったビニール袋に吐き始めた。それでやっと現実に引き戻されて、あたしは部屋に上がった。恐る恐る、新條くんに近づく。見ると、座卓には空のチューハイやらビールやらが何本も散乱していて、お酒臭かった。新條くんが、真っ赤な顔をしてげろげろ吐いてる。体にはびっしりと脂汗を浮かべて、……下半身は、いつの間にか何とかずり上げたトランクスとジャージのズボンで、ぎりぎり隠れていた。
「……新條くん、大丈夫?」
とりあえず涙はもう止まって、何とか平静を取り戻して声をかけてみた。新條くんは、涙目になりながらひとしきり吐いたあと、大きなため息をついた。それから、あたしの顔を見た。
ドキッとした。今まで見たこともないような、新條くんの目だった。吐き気で辛そうな目の中にあるのは、罪悪感と、後悔と、怯えと。……こんな目、初めて見る。いつもの新條くんは、とっても優しくて、温かくて、あたしを全部包み込むような、安心させてくれるような目をしている。こんな……こんな、絶望的に悔いてる目なんか、見たくない。
「ごめん……本当にごめん、先生……」
また、止まっていたはずの涙が溢れてきた。新條くんの口から、ごめんなんて聞きたくない。
「ごめんじゃなくて。……何があったの」
新條くんは、床に肘をついてゆっくりと起き上がろうとした。でも、なかなか上半身が持ち上がらない。あんなにげろげろ吐いてたし、ひどく酔っ払ってるんだろうか。でも……じゃあどうして、梨沙ちゃんと。
責めたくなる気持ちが湧きそうになるのを、ぐっと堪えて、新條くんを支えた。新條くんは、ベッドを背もたれににして何とか座った。あたしと、まっすぐ目が合う。新條くんは、しばらくあたしを見つめたあと、耐えきれないように視線を外した。
「いきなり、戸叶先生がやってきて……先生に、俺の部屋で待つようにいわれた、っていうから、部屋にあげたんだ。先生の職場の同僚だし、ちゃんとしなきゃなって思ったんだけど……なんか、たくさん飲むノリになっちゃって……俺、潰れちゃって……気がついたら……」
そこまでいって、中途半端に言葉を切る。
「気がついたら、梨沙ちゃんと……してたの……?」
新條くんが、いっそう顔をしかめた。
「ごめん……やめてっていったんだけど、戸叶先生……なんか、ノリノリで……俺、はねのけられなくて……って、言い訳だよな……男のくせに、断れないなんて、もう、最悪だ……何ていえばいいのか……こんな、先生を、傷つけるようなこと……先生は俺が守るって、ずっと思ってたのに。こんなに純粋で、俺を想ってくれる人は、他にはいないのに、一番守らなきゃいけない俺が、先生を……傷つけて……一番大切な人を……俺が……」
新條くんが頭を抱えた。
「ああっ、ああっ、いいのっ、浩平くんっ、キモチいいのっ、もう、イキそう――」
突然、女の子の声が耳に飛び込んできた。一瞬、テレビから流れるAVか何かの音かと思った。でも、その直後、部屋の中で上半身裸の女の子の後ろ姿が目に入って。その子は、男の人に馬乗りになって、淫らに腰を上下に動かしていて。その子の声なんだと、気がついた。
部屋を間違えたかな、とか、この人誰だろう、とか、ちょっとだけ頭をよぎった気がするけど、それもすぐ消え去って――
「あっ、イク、イク――ッ!」
「あっ、ダメ、出る、どいて――ッ」
ビクビクと体を震わせたあと、ゆっくりと腰をどかしたその子は、まぎれもなく、梨沙ちゃんだった。そして、その下にいたのは――
落としたカバンの音で、梨沙ちゃんが振り返った。
「……藍原先生」
ぎゅうっと心臓が掴まれたように痛くなって、それからバクバクと全身に鼓動が響き渡った。血の気が引くようなくらくらしためまいを覚えて、焦点が合わなくなる。それでも、ぼやけた視界の中で、新條くんがもぞもぞと体を動かしてあたしのほうを見たのがわかった。
「あ……先生……」
弱々しい、新條くんの声が耳に入った。耳を塞ぎたかった。
どうして。何が、起こったの?
何かしゃべらなきゃ、て思ったけど、口はからからに乾いて、言葉だって、何も思い浮かばない。
「やだっ、先生、見てたの!? 見ちゃいました!?」
場違いに甲高い梨沙ちゃんの声が聞こえる。梨沙ちゃんは脱ぎ散らかした服を慌てて着ながら、あたしのそばに寄ってきた。
「先生、ごめんなさいっ! 浩平くんと飲んでたら、意気投合しちゃって……浩平くんたら、すごく上手だから、あたし、つい……! ごめんね先生、先生の彼氏なのに、こんなことになっちゃって」
梨沙ちゃんが両手を合わせて苦笑いしながら謝る。でも、よく理解できない。意気投合って、何? 梨沙ちゃん、今度は新條くんのことを、好きになったってこと? まさかそんな、こんな短い時間の間に。それに、新條くんは……
もう一度、新條くんのほうを見る。新條くんは、体を右向きに横たえて、まだはあはあと息が上がってる。額に手をあてて、うわごとみたいに呟いてる言葉は……
「ごめん……先生、ごめん……」
それが何だかすごく残酷に響いて、その意味が何なのか、頭で理解するよりも前に、一気に両目から涙が溢れ出した。
「新條くん……」
ダメ、泣いちゃダメ、とにかく落ち着かなきゃ。両手を口にあてて声を堪えようとするあたしの横を、梨沙ちゃんが通り過ぎた。
「本当にごめんね、藍原先生。あたし、今日は帰ります! ……あっ」
すれ違いざま、梨沙ちゃんが突然股間を押さえた。
「……やだ、新條くんの、いっぱい出たから、溢れてきちゃう……」
恥ずかしそうにあたしを上目遣いで見て、それから、ぺろっと舌を出した。
「あっ、でも大丈夫です、あたしピル飲んでるから、避妊はばっちり。浩平くんに、心配ないよって、伝えてください。じゃ、また月曜日に!」
驚くほど普段と変わらない調子で、梨沙ちゃんが出ていった。
部屋が静かになり、あたしは新條くんとふたりきりになる。まだ、何が起こったのかよくわからなくて……ううん、わかりたくなくて。わかろうとすると、自分がどうにかなってしまいそうで、さっきからずっと、傷つかないように、傷つかないようにって、心を鈍感にしようとしてる自分がいる。
「う……うえ……っ」
突然、新條くんがえずいて、そばにあったビニール袋に吐き始めた。それでやっと現実に引き戻されて、あたしは部屋に上がった。恐る恐る、新條くんに近づく。見ると、座卓には空のチューハイやらビールやらが何本も散乱していて、お酒臭かった。新條くんが、真っ赤な顔をしてげろげろ吐いてる。体にはびっしりと脂汗を浮かべて、……下半身は、いつの間にか何とかずり上げたトランクスとジャージのズボンで、ぎりぎり隠れていた。
「……新條くん、大丈夫?」
とりあえず涙はもう止まって、何とか平静を取り戻して声をかけてみた。新條くんは、涙目になりながらひとしきり吐いたあと、大きなため息をついた。それから、あたしの顔を見た。
ドキッとした。今まで見たこともないような、新條くんの目だった。吐き気で辛そうな目の中にあるのは、罪悪感と、後悔と、怯えと。……こんな目、初めて見る。いつもの新條くんは、とっても優しくて、温かくて、あたしを全部包み込むような、安心させてくれるような目をしている。こんな……こんな、絶望的に悔いてる目なんか、見たくない。
「ごめん……本当にごめん、先生……」
また、止まっていたはずの涙が溢れてきた。新條くんの口から、ごめんなんて聞きたくない。
「ごめんじゃなくて。……何があったの」
新條くんは、床に肘をついてゆっくりと起き上がろうとした。でも、なかなか上半身が持ち上がらない。あんなにげろげろ吐いてたし、ひどく酔っ払ってるんだろうか。でも……じゃあどうして、梨沙ちゃんと。
責めたくなる気持ちが湧きそうになるのを、ぐっと堪えて、新條くんを支えた。新條くんは、ベッドを背もたれににして何とか座った。あたしと、まっすぐ目が合う。新條くんは、しばらくあたしを見つめたあと、耐えきれないように視線を外した。
「いきなり、戸叶先生がやってきて……先生に、俺の部屋で待つようにいわれた、っていうから、部屋にあげたんだ。先生の職場の同僚だし、ちゃんとしなきゃなって思ったんだけど……なんか、たくさん飲むノリになっちゃって……俺、潰れちゃって……気がついたら……」
そこまでいって、中途半端に言葉を切る。
「気がついたら、梨沙ちゃんと……してたの……?」
新條くんが、いっそう顔をしかめた。
「ごめん……やめてっていったんだけど、戸叶先生……なんか、ノリノリで……俺、はねのけられなくて……って、言い訳だよな……男のくせに、断れないなんて、もう、最悪だ……何ていえばいいのか……こんな、先生を、傷つけるようなこと……先生は俺が守るって、ずっと思ってたのに。こんなに純粋で、俺を想ってくれる人は、他にはいないのに、一番守らなきゃいけない俺が、先生を……傷つけて……一番大切な人を……俺が……」
新條くんが頭を抱えた。
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